第23話 湖畔の夕暮れ
「サラさん、なんか高倉選手に当たり強くありません?」
高倉さんの背中についたスニーカーの跡を払ってあげながら、訊ねる。慣れてるからって言ったって、さすがに冷たすぎるんじゃ?
「そうなんだよ〜聞いてよ
「え、なんかまた怒られるようなことしたんですか」
「“また”ってなんだよ、浅葱ちゃんの中では俺はもうそーいうキャラなのかよ……」
高倉選手は肩をがっくり落とし、ちら、とサラさんの去っていった方を窺いながら喋りだす。
「なんかさあ、全国大会のとき、俺、知り合いと一緒に関係者席で観てたんだよ」
私は数ヶ月前の記憶をたどる。ああ、確かに前の方で女の人と座ってた気がする。あれ、あのときも高倉選手、その人に叩かれてなかった?
「その人に確保してもらった席だったし、関係者席って当然指定席だしさ。ってかそもそも本当にただの知り合いの記者だったんだけど……なーんか、それ以来サラの態度がいつも以上に厳しくてよお」
へえ、サラさんってそんなに露骨に
というか、そもそもの話として、二人ってどんな関係なの?
「あんたら二人ってなに、付き合ってんの」
「ぶぅーっ!」
背後にいつの間にか近づいていた
「あ、きたないわねえ、やめてよもう」
「げほ、ゲホゲホッ。つ、付き合ってる訳ねーだろっ!
「やーねえ、今どきそんなの気にする人いないわよ。4
「あのなあ……」
なんだ、何もないのか。サラさんと高倉選手って妙に距離が近いから、実はちょっと勘ぐってたところもあったんだよね。
「でも、サラさんがあんなに子供っぽく反抗するのも、高倉選手が相手だからこそなんじゃないですか?」
「それは……どう受け取ったら良いんだ?」
「さあ、とりあえず根本的に嫌われてはいないと思いますけど……」
私と高倉選手は互いに顔を見合わせた。なんだろう、急にシンパシーを感じる。近しい女子のご機嫌に振り回される立場同士、何か通ずるものがある気がして、気付けば互いに肩を叩きあっていた。
「ま、そのうちなんとかなるさ。お互いにな」
「ええ、私も折れずにぶつかり続けます。あ、握手はなしでお願いします」
どさくさに紛れて差し出された右手はちゃんと拒否しておいた。
私は次の作業のためにその場を離れながら、改めて気合を入れ直していた。よし、まだまだ日は高い。とにかくアピールしまくるぞ。
* * * *
結局、ツバサは機嫌を直してくれなかった。
「はぁ……」
一日戦い続けた私はくたくたに疲れていて、一人で山中湖を眺めていた。暮れなずむ夕陽に照らされる湖面と富士山が、雄大な懐で私の疲れをいたわってくれる。ってか、設営だけでも普通にかなり働いたぞ。
腰を下ろした風通しの良い草原は意外と肌寒く、
ぼうっと、湖で魚を捕る鳥の姿を眺めていると、不意に隣に近づいてくる足音があった。
ツバサだった。
両手に湯気の立つ紙のカップを持ったツバサが、無言で私を見下ろしていた。ツバサはそのまま、おもむろに腰を下ろしてくる。
「よい、しょ……ほら」
横に腰掛けたかと思うと、片方のカップを渡してくる。
戸惑いながら受け取る。スープみたいだ。ほうれん草の香りの湯気が鼻をくすぐる。
「売店で明良店長が二人分買ってくれた。飲みなよ。冷めないうちにさ」
ぶっきらぼうにツバサが言う。暗くなってきたのと、着ている上着のフードと襟元が邪魔で表情が見えない。
「……ありがと」
とりあえず、渡されたスープに口をつけてみる。まだちょっと熱くて、口の中が飛び跳ねるようだったけど、喉の奥に飲み込んだそばから体が内側から温まっていって、なんだか落ち着く。
なんだか、昼間とは違う雰囲気だったので、こちらから話しかけてみる。
「きょう一日、お疲れ様」
「うん……」
一応、返事は返ってきた。それも、冷たくない返事が。
ツバサはツバサは一口だけスープを飲んだあと、黙って山の方を見ている。
「あそこ、星が出てる」
「えっ?」
急に空を指さされ、同じ方向を見てみるけど、よくわからない。まだ空の低いところはオレンジ色に滲んでいるし、雲もいくつか浮かんでいて、ツバサがどこを指しているのかわからない。
「どこ、分かんない……」
「ほら、あそこ」
ツバサが、ぐい、と体を寄せてきて、目線を近づけて指をさし直す。顔が近い。思わず、体がビクってしてしまった。なんか恥ずかしくて顔が熱くなりながら、ツバサのさした方を改めて見てみる。
ちょっと赤っぽく光る星が、山合いに小さく瞬いている。「あ、ほんとだ」と小さく呟くと、
「ね、出てるでしょ」
と嬉しそうにツバサがこっちを見た。
近くで久しぶりに見る、ツバサの笑顔だった。なんだか、それだけのことなのに、嘘みたいだった。夢かもしれない、なんて、一瞬だけ思っちゃった。
「暮れていくね」
「そう……だね」
ツバサがゆっくりと体を離して、座り直す。なんだろう、何かを話した方がいいはずなのに、何も言葉が出てこないや。
「あの日もさ、こうやって二人で空が暮れるまで公園にいたよね」
静かに話し出すツバサ。あの日。
きっと、私とツバサが最初に出会った日のこと。ツバサの練習場所の公園に連れて行ってもらって、ツバサのヨーヨーをたくさん見せてもらった。あの日から、私は何よりツバサのファンなんだ。そう、そのことを、私は忘れてはいけなかったんだ。
「キズナちゃんにさ、ヨーヨーをやってるところ、見せてほしいって言われて嬉しかったんだ」
ツバサはゆっくりと、噛みしめるように語る。辺りの暗さは彼女から陰影を奪って、輪郭が少しずつ闇に溶けていく。
「大会に出るって、本気でヨーヨーをやりたいって聞いたときも、本当に嬉しかった。私、ずっと一人だったからさ。大好きなヨーヨーを一緒にやってくれる子がいるって、飛び上がるくらいの気持ちだったんだよ」
ツバサの顔が、ゆっくりとこっちを向く。暗がりで相変わらずどんな表情かは分からない。ただ、大きな丸い目でまっすぐに私のことを見つめていることだけが、分かる。
「私、何よりもヨーヨーに対しては真剣に向き合ってきたつもりなんだ。ねえ、キズナちゃんには、私が適当にヨーヨーをするように見えたのかな」
「ううん、そんなことない。私、間違ってた。いつだって、ツバサはヨーヨーに本気だった。本気のツバサに、私は感動したんだ」
私はツバサに体を向き直し、その二つの目を見つめ返した。
「本気のツバサじゃないと、駄目なんだ。私が感動したものを、ねえ、私はステージでもっと多くの人にも届けてみたいんだ。ツバサのヨーヨーで世界を感動させたいんだ」
「そんなこと、出来るのかな」
「やる。私が、やってみせる」
私は断言する。何よりも、そこには確信があった。私の魂が震えたあの瞬間を、私は誰よりも信じている。
「ツバサ、私に力を貸してほしい。もちろん、それで大会の演技には出来る限り影響が出ないようにする。それに私も、大会で手を抜くつもりなんて、少しもない」
「信じて、いい?」
「うん。私達なら、やれるよ」
可能な限り
ツバサは、「そっか……」と言って、視線を外し、再び夜空を見上げた。空はもう
「分かった。意地くらべは、私の負け。キズナちゃん、私も文化祭のステージに出るよ」
「ツバサ……!」
照れたようにこっちを向いてそう言ったツバサが、不意に背後からの照明で鈍く照らされた。頬を赤らめてはにかむ笑顔。そして、浮かび上がったツバサのその表情の向こうで、わあっ、と歓声が上がるのが聞こえた。何かと思って二人してそっちに顔を向ける。
そういえば、今回参加するアウトドアイベントは、音楽フェスと共同開催だって聞いた気がする。こっちのイベントは明日からだけど、フェスは今日から前夜祭と称してステージが始まっているみたいだ。
「ね、ちょっと観に行ってみよっか」
先に立ち上がっていたツバサが、右手を差し出してくる。
思わず、その手をじっと見つめてしまった。小さな手。力強くヨーヨーを投げて、鮮やかに操る、魔法の手。私の、友達の手。
「うん、行こう」
私は立ち上がりながらその手を取って、握り返す。歩き出すと肩がぶつかって、二人どちらからともなく、笑い出す。
長いひとつなぎの影法師を揺らしながら、野外フェスの明かりが照らす方へ、私達は手を繋いで歩いて行った。
〈続く〉
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