第19話 DJシンイチロウ

 薄暗くて狭い階段を半地下に降りると、大きくて分厚いドアに『CLUB .st(クラブ・ドットエスティ)』の看板が掛かっている。


 久しぶりにここに立ち寄ることに懐かしさを感じながら、黒いドアを押して暗い店内へと入っていく。


「こんにちは~」


 まだ開店前のフロアには人はおらず、ただ一人、バーカウンターのスツールに腰掛けたサングラスの男性がいた。その人は、訝しげにこちらを見やった。


「こんにちは、遠藤さん。久しぶりです」


「おお、キズナじゃねえか。お前久しぶりだな」


 ここのオーナーである遠藤さんは、私だと気付くとサングラスを持ち上げ、顔をほころばせて歓迎してくれた。カウンターには飲みかけのロックグラスがあったけど、あの中身は十中八九、ミネラルウォーターだ。この人、お酒が飲めない下戸なんだ。


「ご無沙汰してます。あの、ちょっと眞一郎さんに用があるんですけど……」


「ああ、あいつなら、ほら」


 遠藤さんに顎で示された先を見ると、奥の壁際のDJブースに、長身の男性が身をかがめているのが見えた。


 ついこの間まで一緒にユニットを組んで活動していた、冴羽眞一郎さん、もといDJシンイチロウだ。彼はメンバー三人の中で唯一音楽業界に残り、クラブDJとして都内のあちこちで音を鳴らし続けている。


「眞一郎さん、こんちわ」


 DJブースに近寄りながら、手を振って注意を引こうとする。多分、ヘッドフォンを着けてるからちょっとやそっとじゃ聞こえないはずだ。


 案の定、ブースに立つ眞一郎さんの横に立っても、気付かれなかった。


 機材に覆いかぶさるようにして、作業に集中するその姿をそっと見守る。いつもと同じ、朴訥とした無表情で、真面目にあれこれとツマミをいじったり、キーを叩いたりしている。邪魔をしないように、大人しくしていた。


 どのくらい、待っていただろうか。ひと段落ついた眞一郎さんがようやく顔を上げ、ヘッドフォンを外した時、ようやく横で見ている私に気が付いた。


「……キズナか。どうした?」


 たっぷり数拍開けた間のあとのその言葉に、私は思わず苦笑する。


「ひと月ぶりに会って、一言目がそれ?」


 言ってから、改めて思う。そう、あれから、解散からもう既にひと月が経っている。あれほど毎日のように顔を合わせていた三人が別れて、別々に過ごした一か月間。兄貴にしても、私にしても、もうそれぞれに新しい生活を始めている。そのことを、今更ながらになんだか寂しさをもって思い返す。


 もうすぐ、あの日々も過去になるんだ。私にとっても、兄貴や眞一郎さんにとっても。


「今日もイベント、明日もイベント。DJシンイチロウさんは売れっ子ですなあ」


 センチなキブンを隠して、努めて明るくそう言った。眞一郎さんは、黒いニット帽を直しながら相変わらず朴訥とした口調で答える。


「……別に、さして特別なことでもないさ。対して大きなハコでもないしな」


 向こう側で遠藤さんが「聞こえてるぞー」とグラスを持ち上げて笑ってる。ここは昔からなじみのお店で、私もユニット時代に何度かお世話になっている。


 遠藤さんに片手を挙げて、眞一郎さんも笑った。気を許した仲間内じゃないと笑わない人なんだ。


「それで、今日はどうした? 兄貴は一緒じゃないのか」


「圭一はシューカツ。土曜日も忙しそうだよ」


 イーッ、と苦虫を嚙み潰した顔をしてみせると、フッ、と眞一郎さんが笑う。


「そうか。お前も暇じゃないんだろう?」


「お互いにね。今日はちょっとしたオファーに来たの。クライアントとしてね」


「オファー」


 確認するように繰り返す眞一郎さん。


「そ。じつはね……」


 私は一通りの事情を眞一郎さんに話した。ヨーヨーのこと。文化祭のこと。ステージのこと。


「で、ステージのBGMが必要なの。今を時めくDJシンイチロウに、出来れば格安で依頼したいんだけど……どうかな?」


 私の話を黙って聞いていた眞一郎さんは、ペットボトルの炭酸水を一口飲むと、じっと私を見て口を開いた。


「そりゃ、いいけどよ。お前の頼みならカネは要らないし。八分を繋ぐだけなら、そんなに手間なく作ってやるよ」


「じゃあ……」


「でも、条件が曖昧過ぎる」


 喜びかけた私を遮って、眞一郎さんはそう言った。


「どんなステージにするんだ。二人でやるんだろう、何分で区切って交代して、どういう雰囲気のパフォーマンスをして、どこで盛り上げる」


「それは……まだ、決めてない」


「クライアントなら、その辺をまず固めないとな」


 責める言葉じゃなく、淡々と言い含めるように。眞一郎さんのその言葉は、あくまで優しくて、でも、私はちょっと打ちのめされていた。


 正直、音楽のことは眞一郎さんにお任せすればいい、くらいで、ちゃんと全体を見通せていなかった。


 仕事を頼むっていうこと、ステージを作るってこと、私、何も考えてられて無かったのかもしれない。マズい? 私、本当に八分間のステージなんてプロデュース出来る?


 今更だけど、これまで兄貴がユニットのリーダーとしてどんなことをしてきたのか、私は何も知らなかったのかもしれない。


「まあ、あんま難しく考えるな」


 黙ってしまった私の気をほぐすように、軽い調子で続ける眞一郎さん。


「何を見せたいのか、ってのは、お前が何を見たいのか、に近い。まずはそこから考えてみろ」


 眞一郎さんは持ち上げた手を私の頭に置こうとして、躊躇してやめた。誤魔化すようにDJブースからぶらぶらとした足取りで離れる。


「何が今のキズナにとって『リアル』なのか。それを突き詰めろ。心の中のイメージや初期衝動を探せ」


 久しぶりに聞いた単語に、思わず顔を上げる。『リアル』、それはラッパーやDJ、ダンサー、グラフィティのアーティストなんかが一番に大切にすること。自分のありのまま。借りてきた言葉や感情じゃない、自分自身にとって、一番説得力のあるもの。心のどこかにある、魂の叫びのようなもの。


「お前が何を見たいのか」


 眞一郎さんは、淡々と繰り返した。


「そして、客にどんな気持ちで帰って欲しいのか、だ」


「お客さんに……」


「どうも、俺にはさ、お前が焦っているように見える。前に前に進もうとして、見失いそうになっているものはないか」


 眞一郎さんの言葉は、乾いたプランターに水をやったみたいに、私の頭に染み込んで深いところまで落ちていった。何か、徹底的に今の自分を見つめ直させられているみたいだ。


 ぐらぐらする思いだった。分かんないよ。どうすりゃいいのか、わかんないよ。


「まあ、ちょっとゆっくり考えてみろ。そうだ、暇ならこのままいろよ。久しぶりにクラブの空気でも吸ったら気分変わるぜ。今日は短いデイイベントだから、高校生も入れるからさ」


 イベント。クラブか……なんだか、たったひと月で遠い響きになってしまった。どこか異国に迷い込んでしまったような気持ちになりながら、眞一郎さんの提案にうなずいていた。


〈続く〉

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