3話

辺りに広がる真っ黒な空間。そこには自分以外何も居らず、ただただ虚無が広がる。


「ヴァルくん!」


もう捨てた名前・・・まだ人間だった頃の自分の名前を、もう既にこの世に居ない彼女が呼ぶ。


「・・・」


彼が振り返ると、そこに居たのは昔仲間だった「ルナリア」という女性。

彼女はボーイッシュな見た目と声で彼の記憶を抉り出し、心を殴りつける。


「ねぇ、僕を信じてくれるよね?」


彼の狼狽など気にもとめず、彼女は微笑みながらグレイアにそう問いかける。


「ルナ・・・」


彼は彼女の名を呟きながら俯く。もう彼女の姿を見ていられない。

もう何度も見ている夢・・・だが彼にとっては「大切で愛している仲間」の夢・・・たかが夢だと切り捨てることはできない。


「隊長!」


また自分を呼ぶ声がしたグレイアは、恐る恐る顔を上げる。そこにはまた、かつての仲間・・・いや、部下の姿があった。


「ノア・・・」


彼もまた、グレイアを微笑みながら見つめ、アルリスと同じような言葉を投げかける。


「俺を信じてください。絶対に生きて帰ります。」


その言葉に心を握りつぶされたグレイアは地面にうずくまってしまう。

だがこの空間はそんなことを気にもとめず、新たな記憶を掘り起こす。


「ねえカズラ・・・いや、ここでは虚無と呼んだ方がいいかな。」


正義の寵愛者ヒカル。グレイアにとって味方で唯一の同郷であった男。そして、大切な友人であった男。


「ヒカル・・・!」


もうグレイアは立ち上がれず、うずくまったまま耳を抑えて何も聞こえないように感覚を閉ざそうとした。

しかし、この空間はそれを許さない。


「ねぇ0-1、私ね。この作戦が終わったらさ・・・」

「───が告白してきたんだ。君が相談に?」

「ヴァルラさん・・・でしたか?私は・・・」

「虚無の寵愛者。君は一体、どんな人間で・・・」

「さっすが兄貴!ティアの姉御と一緒ならどんな相手でも・・・」


次々と増えていく声。彼を呼び、探究し、賞賛し、想いを託す。


「〜〜〜ッ!」


もう。耐えられない。


彼の心は最早ボロボロだ。

この短時間で、彼の心はまるでピカピカの新車のような状態から、トラックに突っ込まれて廃車寸前のスクラップの状態にまで変えられてしまった。


「はっ・・・はっ・・・」


呼吸が荒くなり、肩で息をしないとつらい。


だが周りの声はそれを構わず、自分を呼び続ける。

彼にとっての呪いを吐き続ける。


「や・・・ああっ・・・」


もう発狂寸前まで心が痛み、声が漏れだしたその瞬間───



「・・・っ」



───彼は目を覚ました。




「けほっ・・・ごほっ・・・」


彼は上体を起こし、辛い胸の内を咳として吐き出す。


(・・・もう何度目だ。この世界の管理者にまでなっているのに、自分の夢のコントロールすら出来ないなんて。)


彼が俯いたまま汗を垂らしながらそんなことを考えていると、ベッドの横から声がかかった。


(また想起の雌豚に馬鹿にされ───)

「ご主人様・・・?」


はっとしたグレイアは急いで右を向く。そこにはエルが湿ったタオルを持ち、カタカタと震えながら立っていた。


「・・・エル。」


彼は一瞬思考が追いつかず、彼女の名前を呼んで固まってしまう。

しかし数瞬の後、ある程度理解できたグレイアは少しだけ開いていた口を動かした。


「心配を・・・かけたみたいだな。」


それしか言葉が見つからなかった。

恐らく、エルは彼が汗を垂らして魘されながら眠っているのに気づき、急いで風呂場からタオルを持ち出して待機していたのだろう。


「はい・・・大丈夫ですか・・・?」


エルはぎこちなく質問をする。彼女の体は先程からずっと細かく震えており、彼女もまた、何かに恐怖していたことが伺える。


「ああ、 悪い夢を見ていたが・・・もう大丈夫だ。」


彼は「もう慣れている」と自分に言い聞かせ、エルには余裕そうな態度を取り繕う。


「わかり・・・ました。朝食は・・・?」


まだ安堵できていないものの、ご主人様が言うならそうなのだ。と納得し、エルは彼に朝飯を食べるかどうか聞いた。


「いや、いらない。お前はキッチンにパンが置いてあるからそれを食べてくれ。悪いな。」


帰ってきた答えは想像より悪いものだった。エルは心配になって彼に問う。


「本当に大丈夫なんですか・・・?」


エルは未だに体を震わせている。それは主の意向を無視した罰を恐れる心・・・ではなく、単に心配のしすぎからくる震えだ。


「・・・もし、大丈夫に見えないのなら・・・少しの間だけでもいい。俺の傍に居てくれないか。」


グレイアは俯き、顔を押さえながらそう言った。


「・・・わかりました。」


エルは安堵したような声色でそれを承諾し、彼の傍・・・ベッドの縁に座る。


「わ・・・」


彼はベッドの縁に座ったエルを後ろから抱きしめた。


「・・・」


彼女の長い髪に顔を埋め、ゆっくりと深呼吸する。


「あの・・・ご主人様・・・?」


エルにとって、今までの主人であった貴族達は漏れなく「愛する女性」が常に傍らに居た。だから温もりを求めて奴隷を抱きしめるなんてことはしないし、別の意味で抱く場合は玩具のように扱われたが・・・生憎、彼の愛する人は忙しすぎてなかなか会うことができない。


「・・・」


彼はそのまま一分ほど「喫奴隷」を続け、暫くすると顔を髪から離した。


「ご主人様・・・?」


困惑し続けているエルがグレイアを呼ぶ。しかし今度はエルを強く抱き寄せた。


「・・・っ」


彼はどれだけ人肌が恋しかったのだろうか。まだ会って1日と経たない女性を抱きしめるなど、彼の人間性を抜きにしても普通はありえない事だ。


「ご主人様・・・」


だんだんと困惑が消え、エルはグレイアを受け入れていく。この行動が彼にとって不本意にしろ、ある意味で言えば精神がすり減っている奴隷を手懐ける有効な手段のひとつだと言えるだろうか?


「はー・・・はー・・・」


エルに抱きついているグレイアの呼吸は細かく震えている。目も虚ろで焦点が合っていない。


「・・・」



しばらくの沈黙の後、玄関の方向からベルの音が響いた。


───チリン・・・チリン・・・


初見じゃわからない場所に設置されているため、初来訪の人は鳴らさない・・・というか鳴らせないベル。鳴ったという事は、彼の知り合いがやって来たということだ。


「・・・!」


その音によって現実に引き戻されたグレイアは、急いでいつもの服を虚空から取り出し、エルに命令する。


「あ・・・っと。先に玄関に出て対応してくれ。着替えたらすぐに向かうから。」

「わかりましたっ。」


命令を受けたエルはすぐさま立ち上がり、小走りで部屋を出ていった。


「・・・ああ。大丈夫だ。」


グレイアは水魔法を付与した両手で自分の頬を叩きながら、自分自身にそう言い聞かせる。


『マスターのバイタルサインは正常。対話型AI、「N」通常モード再起動。』


彼が完全に起きたことを知覚し、Nが起動した。そして溜まっていた通知をひとつ告げる。


『重要連絡先よりメッセージが1件届いています。名義は「ギルドマスター」。』


それを聴いたグレイアは誰が来たか察し、急いで着替えをした。


「・・・もう少し、早く来て欲しかったな。」


彼はそう呟きつつ、玄関へ行くために部屋を出た。

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