1章:物語の開演は忘却の意志によって
1節:愛の始まりは世界の気まぐれで
1話
───コンコンコン
玄関の扉をノックする音が聞こえた。
「はいはい・・・」
そう声を漏らしながら、少しばかり女性的な顔立ちをした銀髪の
彼はさっきまで読んでいた本を片手に歩いていき、綺麗に整えられたカーペットが敷かれた玄関前へ移動する。
「どちら様ですか・・・っと」
彼がそう言いながら扉を開けると、そこには一人の男が立っていた。
背丈は高く、黒いハットを被り、厚手の黒いコートを身にまとい、右手には何かを握っている。
「おはようございます。黒銀・・・いや、グレイア殿。突然の訪問をしておきながら誠に恐縮なのですが、私の声に聞き覚えは?」
男は低い声と姿勢、態度で彼に問う。
その男の容姿に見覚えがなかった彼は少し悩んだ後、少し驚いたような声を上げてから返答した。
「あ、少し前に助けた・・・?」
思い出した記憶は1か月前。
彼が隣町に行くために、とある山道を歩いていた際にあった出来事である。
「確か・・・俺が通りかかった時に、荷物が馬車ごとクソ猿に奪われかけてて・・・見殺しにするのもアレだからって助けたんだったか。」
彼の言う「クソ猿」の正式名称は「エンペラーモンキー」という。
北の地方に多く生息しており、単純に強くて連携力が高いため、数が多いとベテランの冒険者ですら苦戦する魔物だ。
そのくせ毛皮は臭いし柔いし肌触りは悪いので高く売れない・・・ということで、この魔物は通称「クソ猿」と言われている。
・・・というのはさておき。
「えぇ。おっしゃる通り・・・私はあなたの気まぐれによって、命に加えて商人としての誇りまで救ってもらった者であります。」
男はそう言いながら深々と頭を下げる。
「うんまぁ・・・元気そうなら何より。」
硬っ苦しい言葉が余り好きではなかったのか、グレイアはあからさまに嫌そうな顔をした。
男はそれを見ると、怯えた様子で直ぐに話題を変える。
「堅苦しい挨拶は好みではありませんでしたか・・・では本題に入りましょう。」
男はそう言うと、右手に持っていたものをグレイアに手渡した。
「・・・紐?」
彼は持っていた本をポータルで本棚に移動させ、男から少し太めの紐を受け取る。
手渡された紐の先は男の背後に繋がっている。グレイアが少し引っ張ってみると、何かの生き物に繋がっているような感触が確認できた。
「奴隷です。私があなたに贈れる物で一番高い物であり・・・正直な話、一番の欠陥品でもあります。」
男はそう説明しながら、後ろに控えていた商品を彼に見せた。
その商品の背丈はグレイアより少し小さいくらいで、とても目立つ赤くて美しい髪を下げているものの、それは手入れがされていないせいでボロボロ。そして長さは太ももにまで到達している。もちろん、前髪で隠れて顔なんて見えない。
「・・・欠陥品?」
彼は疑問を抱いた。欠陥品であれば、なぜそれを恩人に渡そうとしているのかと。
「欠陥品というのはその「自己証明」が故・・・こいつはとてもピーキーな性能の自己証明を所持しております。」
自己証明というのは、他世界で言うところの所謂「ギフト」や「スキル」なんて呼ばれるものである。この世界の人類はこの自己証明を生まれつき最大3つ持っており、等価交換に近い法則に則ることを条件に色々な能力を所持している。
例えば「視力の代わりに聴力を人外のレベルまで増大させる能力」や「不老不死になる代わりに感情や感覚のミュートができる能力」など、一見ズルに見える能力でも何かしらの対価が存在する。
「つまりは俺だから・・・か。持て余している商材を押し付けることが出来る先を、つい最近コネクションが出来た俺に立てたってことだな。」
「仰る通り・・・いやはや、流石の黒銀。見知らぬ商人を救う善性だけではなく、こちらの思惑まで看破してくださるとは。」
「・・・
男がグレイアを煽てると、彼はそれを忌避してつっぱねた。
しかし、その言葉に嘘がないのは事実であると推測できる。つまりは彼の目測通り、目の前の男にとってこの少女は完全に手に余る商材だったのだろう。
(そういうことか。この子が・・・そうなのか。)
「・・・わかった。引き取る。」
彼は少しの葛藤と納得の後、少女の引き取りを承諾した。すると男は深々と頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございます・・・!これで恩を返すことができました・・・!」
そして少女が前に出てくる。目が見えないせいで表情がうまく確認できないが、口を噤み、肩は細かく震えているのを鑑みるに、どうやら緊張しているようだ。
「では、私はこれで・・・あとは黒銀殿のお好きにどうぞ・・・」
男はそう言いながら自身を黒い煙に変えて消えていった。
(胡散臭い言動と恐怖の感情が見える奴だったが・・・別に悪いヤツじゃなさそうだったな。)
グレイアはそんな事を思いつつ、目の前の少女を一瞥する。
そうしてそこに残ったのは、緋色の髪をぶら下げた奴隷少女と銀髪の青年のみ。
「とりあえず・・・どうするか。」
グレイアは自分の頭をかく。もちろん、彼が奴隷を所持するのなんて初めてだ。
(今はあの
彼はそんなことを考えながら、家の中に少女を入れる。
「ぁ・・・」
リードではなく肩を寄せるようにして家の中に入れたため、少女は少し驚いている。
ただグレイアはそんなことには気づかず、玄関の扉を閉めてから今日の昼飯を考えている。
「まぁ、まずは風呂場だな。」
グレイアはそう呟きながら歩き出すが、少女は立ち止まったままだ。
「・・・ついてこないのか?」
彼がそう聞くと、少女は震えながら口を開く。
「・・・えっと・・・なんとお呼びすればよろしいでしょうか・・・」
とても細い。本当に細くて今にも消えてしまいそうな声で少女は質問する。
「ああ・・・とりあえずはご主人様って呼んでくれればいい。そんで・・・お前の身なりを整えるから風呂場に行くぞ。ついてこい。」
命令をしなかったのが原因だと考えたグレイアは、風呂場までついてくるよう少女に命令した。
「・・・はい。」
その考えは正しかったようで、彼の命令を受けた少女は細い足を動かしながら彼の後ろにぴったりくっついた。
(・・・かわいいな。)
グレイアはそんな少女の姿に胸をうたれつつ、風呂場へ歩いていく。
(風呂場なんて久しく使ってなかったなぁ・・・)
彼はそんなことを思いつつ、風呂場のドアを開ける。すると風呂場からは腐ったネギみたいな匂いが襲ってきた。
「・・・っ」
彼と少女はその臭さに顔をしかめ、それと同時に彼は消臭魔法を発動する。
「あぶな。危うく吐くとこだった・・・」
そう言いながら胸を撫で下ろすグレイア。そして彼は後ろにぴったりくっついている少女を抱っこして移動させ、浴槽の中に立たせる。
「よっこら・・・っと。うん。まずは髪を整えるか。」
彼はそう言うと、右手の指をこめかみに当てて独り言を話し始めた。
「N、右腕の使用許可を出すから、こいつの前髪を少し整えてくれ。」
『了解しました。』
彼の言葉に反応するように、どこからか無機質な若い女性の声が響く。すると次の瞬間、彼の右腕が機械のような動きで勝手に動きだした。
「・・・?」
少女は突飛な出来事に困惑しているが、彼の右腕は構わず虚空からハサミを取り出し、彼女の髪の毛を切り始める。
「危ないから動くなよ。」
その言葉から10秒ほど経過すると、彼の右腕はハサミを虚空へと戻し、腕の位置も元の場所に戻った。
「・・・うん。かわいいな。」
彼は出来を確認し、満足そうに少女を褒めた。
「・・・」
少女は下を向き、切り終わって散らばった髪を眺めている。
グレイアはそれを一瞥しつつ、彼女の耳に何か違和感があることに気づいた。
「なんか・・・切れて───」
「・・・っ!」
彼がそう呟くと、少女は咄嗟に耳を手で覆った。
「・・・どうした?」
突然の行動に驚くグレイアだが、対する少女は呼吸が発作のように早くなり、警戒しているかのような眼差しを彼に向けている。
「耳を・・・切り落として・・・?」
彼がそう聞いた瞬間、少女は耳を塞いだまま蹲ってしまった。
(・・・なるほど。)
耳を隠すほどのことだ。そして今の反応含め、彼には少しだけ心当たりがあった。
(耳が無く、かつ傷口を見られたらすぐに隠す。各地を流浪していたタイプのエルフか。)
本来・・・というより20年ほど前まで、エルフというのは冒険者や商人という特殊な事例を除き、基本的に国から出ない種族だった。
それ故に誘拐などをされて高値で取引される。かく言う彼も、かなり昔にエルフの一家を助けたことがあった。
「いきなり見知らぬ人間の家に捨てられて怖いのは解るがな・・・そこでぐずっていても何も変わらんぞ。」
この世界では一般知識として知られる程には居るのだ。「エルフだとバレないように耳を切り落とすエルフ」が。
「まぁ・・・別に蹲ってても問題はないからいいけどな。とりあえずお前の体を綺麗に、あとは傷跡とかも綺麗さっぱり消すぞ。」
彼はそう告げると、右手を掲げて指を鳴らす。
すると少女に緑色の光が集まっていき、彼女の傷を片っ端から治していく。
そしてそれが収束すると、今度は薄い水色の流動性の光が少女を包み、汚れを全て洗い流した。
「・・・うえ。真っ白。」
清掃魔法のプロセスの中の「漂白」が強すぎたせいで奴隷用の服まで真っ白になってしまい、グレイアは少し笑ってしまった。
「んじゃ・・・出て。服出すから。」
グレイアはまた少女を持ち上げて移動させ、脱衣所に下ろす。
彼はそのまま虚空から一枚のTシャツを取り出した。
「・・・いつ作ったかもわからん服だが、その場しのぎには十分だろ。うん。ちゃんとした服は後で作ればいいからな。」
何気に防刃のTシャツの準備をしたグレイアは、そのまま少女の服に手をかける。
「脱ぐくらいは1人でできるか?」
彼の問いに少女は首を縦に振る。
「そうか。なら脱ぎな。それは捨てとくから・・・って、問題ないよな?」
再び首を縦に振る少女。それを見たグレイアは安堵しているようだ。
「お前の大事な物とかあったらどうしようかと思ったが・・・だったらもう手遅れだったな。」
彼は脱ぎ捨てられた純白のボロ服を一瞥しつつそう言った。
「ほれ。この大きさなら胸と股間くらいなら隠れるはずだ。」
彼がそう言いながらTシャツを投げ渡し、少女はそれを危なっかしくキャッチした。
「・・・・・うん。よし。」
少女が服を着終わると、グレイアは聞き忘れていたことを少女に聞いた。
「そういや、名前は?」
彼の問に、少女は申し訳なさそうに答える。
「・・・ありません。」
少女がそう答え、おどおどとした態度でこちらを見つめる姿を眺めながら、グレイアは顎に手をやり何かを考える。
「んー。エルフらしく植物で、かつ出自を鑑みれば・・・」
ぶつぶつと独り言を呟きながら考えた後、グレイアは右手の指をパチンと鳴らし、少女の名前を言った。
「よし。これからお前の名前は「エルヴァ」だ。愛称はエルだな・・・よろしく、エル。」
「・・・!」
彼の命名を少女・・・いや、エルは気に入ったようだ。だが、まだ少しだけ彼を疑っているような表情をしている。
「とりあえず・・・昼飯をとろう。腹、減ってるだろ?」
エルの疑り深さを気にせずにグレイアがそう言うと、エルは首を傾げた。
「ご主人様がお作りに・・・?」
その言葉を聞いたグレイアは漂白されたボロ服を拾いながら返答する。
「ああ勿論。最初のうちはな。」
今までの主人とは同じ言葉であっても、どこか違う声色をしたグレイア。
それを見た彼女は少し彼を信用したようだ。
「・・・わかりました。」
だがエルはそれを悟られぬよう淡白に答えた。
「ああ。期待してる。」
彼はまるでエルの心情を分かっているかのような笑顔で言葉を返しつつ、台所へ歩いていった。
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