29話
戦いの末に気絶して、一体どのくらいの時間が過ぎただろうか。
「ぁ・・・」
私はいつの間にか起きていたが、長時間睡眠の反動により未だ微睡みの中にいる。
視界がぼやけ、感覚はまだ鈍い。
しかし、微かに感じる感触を頼りに考えれば、なんだが微妙に柔らかいものに頭を乗せて寝ていることだけはわかる。
「ご主人様、私・・・」
目を擦りながら上体を起こし、静かであるが故に恐らくは眠っているであろうご主人様の方を振り返る。
「っ・・・!?」
しかしそこにあったのは、ご主人様の形をした石像だった。
生命の気配は感じない。生きているわけではなく、ただそこにある。
「一体、何が・・・」
私が混乱のあまりそう口にした瞬間、あたりの地面が凄まじい音を立てて割れた。
「わっ・・・うわあっ!」
その衝撃で私は体勢を崩し、地面に尻もちをつく。
そして、次に辺りを見回した時に私の目に入った景色は、正しく異常だった。
「この場所は・・・私はどこに・・・?」
口を突いて出てくる言葉。しかし私の周りの景色はそれに呼応するように、不気味に形を変えてゆく。
なぜ石を枕にしていたのに柔らかく感じたのか・・・とかいうくだらない疑問は消し飛び、私の頭の中には疑問が次々と湧いて出てくる。
「・・・」
わかりやすくまとめるなら、私の目の前には・・・黒い岩が空中に浮かび、小さな島を大量に形成している。
ちゃんとした地面なんてないし、怖くて下など覗きたくない。
「寒い・・・」
薄く黒い霧が立ち込める岩の島にて、私はひとり、ここがどこかを知るために歩き出した。
・・・
岩の島をいくつか渡っていくなかで私が目にしたのは、色褪せて白黒になっている空を首のない馬の群れが駆けていくという異様な光景。
普通に鳥も居るのだが・・・私の見間違いでなければ、あの黒い鳥は足が3本あった。普通に怖い。
病気になったときに見る悪夢とはまた違った不気味さがある。
なんというか、人が居ていい場所ではないような雰囲気を感じるのだ。
「扉・・・」
次に渡ろうとした島の上にちらりと見えた、どこか見覚えのある扉。
しかしそれは良い記憶から思い出されたものではない。
もっと昔、といっても1ヶ月ほど前まで居た場所だが。
まさか夢にまで出てくるとは・・・ご主人様がうなされていた夢も、こういった類の物なのだろうか。
[カア!カア!]
「あれは・・・さっきの?」
先ほど見た黒い鳥が、あの扉から飛び出してきた。
ぽつんと取り残された扉が、開けっ放しになっている。
「・・・」
私はそこにゆっくりと近づき、何を思ったか扉をくぐろうとした。
すると私の目の前を、濃い黒い霧が覆った。
「っ・・・!」
私は咄嗟に目を隠し、数秒間だけ目を瞑る。
そして、霧が晴れたことを願いつつ目を開け、手を除けると、そこにはひとりの男が立っていた。
「ようこそ、エルヴァ・ベイセル殿。」
きっちり整えられたスーツを着用し、何人かの声が重なったような声質をしていて、本来は白いはずの場所まで黒く染っている目を持つ男は、私の顔を見てそう言った。
「私がお前と会うことは・・・既に決まっていることだったようだ。あれは虫の知らせではなく、鳥の知らせと言うべきだが。」
何を言っているのかは分からないが、男は言葉に区切りをつけると、「ついてこい」と言わんばかりに瞬間移動し、話を続ける。
「お前は幾つもの試練を乗り越えた。神の目にも、天使の目にもつかぬ場所でな。」
これは褒められている・・・のだろうか。
目の前の男の声質は非常に無機質なもので、何かを伝えようとする意思みたいなものは感じない。
「生まれた時に得たものすら失い、己の体すらも消費され、何もかもを奪われた。しかし、確かに言えることは、あれには奪ったものを返す意思がない。傲慢だな。」
私の前の主のことを言っているらしい。
たしかに、あの男は自らが所有する奴隷のすべてを搾取し・・・それが当たり前だと思っていた。
男の言う通り、たしかに傲慢だ。
「それで、お前はどうするつもりだ?」
突然、男は私に質問を投げかけてきた。
「我が弟子の寵愛を受ける女。お前に、自身の行く末を決断できる程度の賢さはあるのか?」
もう少しわかりやすく言ってほしい。
基礎的な知識しかない元奴隷に、そんな難しい言い回しをされては困る。
「私はお前の世界で言う55年前、グレイアにとある選択をさせた。これによってあいつが変わることはなかったが・・・」
選択とはなんだろうか。
本当に判断材料が無さすぎて、どう答えればいいのか、何が分からないのかすらわからない。
「果たして・・・お前はどうだ、エルヴァ。」
どうだと言われても、今の私には何かを選ぶことが出来るほどの知識や経験がない。
今の私がすべきことは、ご主人様の行動や考えを見て、聞いて、感じる。そして最低限の判断能力を培うことだ。
だから、今は何かを選ぶことはできないはずだ。
「なるほど。お前は何か・・・少しばかりの勘違いをしているようだ。」
この感覚は、どうやら心を読まれたらしい。
目の前の男は私の心を読み、私と彼との考えの相違があることを口にした。
「私が選択させるのは今ではない。今、選択をさせるほど、私はお前を気にかけてはいない。」
冷徹。
感じたことがなくても分かる強者の目線。
私は玩具ですらないということが、その圧力だけでわかる。
「・・・だが、あのグレイアが真面目に育てるほどだ。お前には、確かな才能がある。」
ここでひとつの・・・いや、疑問なら沢山あるのだが、その中でも身近な人に関する疑問が私の頭の中に浮かんだ。
この男は、私のご主人様とどういう関係なのだろう。
先程「弟子」と言っていたが、まさか。
「洞察力もある程度は鋭いようだ。やはり、グレイアは人を見る目が良い。」
無表情を決め込んでいた男は一転、顔面に貼り付けたようなニヤケ面を浮かべ、私の考察を肯定しているともとれる発言をする。
「前言撤回だ。私はお前に興味が湧いた。少しばかり、お遊びに付き合ってもらう。」
その言葉を認識した私の脳みそは瞬時に危険信号を出し、今すぐにこの場から退避しろと命令する。
短期間のうちにここまで危機察知能力を鍛えてくれたご主人様には感謝するが、明らかに相手が悪かった。
「・・・!」
瞬く間もなく私の左腕は目の前の存在に捕まれ、それを認識するなり私の頭の中は絶望に染まる。
怖いという感情が私を支配し、思考など全て消し飛んでしまう。
「い・・・たいっ・・・離して───」
恐怖に触れるままにそう懇願した次の瞬間、何故かバランスを崩した私の体は後ろに放り出され、情けなく尻もちをつく。
「いたっ・・・」
小さい悲鳴が口から零れ、何があったのかと上を見上げると、そこには見慣れない女性が立っていた。
背丈はわからないが、女性にしてはとても高い。目測で言うなら、恐らく170はゆうに超えているだろう。
私を庇うように立っているために顔は見えないが、後ろ姿を見るだけで美しい体をしているというのが感覚でわかる。
「悪い、気づくのが遅れた。」
そして、驚くことに彼女からはご主人様の声がしたのだが・・・
「・・・?」
瞬時に到来した正体不明の眠気によって、私の意識は途絶えてしまった。
───
「・・・はっ!?」
私は夢(?)の衝撃が故かは知らないが、意識が復活するなり飛び起きて周囲を確認する。
「はっ・・・はっ・・・」
寝起きだと言うのに息は上がりきっているが、それよりも今はあの恐怖に触れた時の感覚に囚われて、全く安心できない。
「落ち着いて、エル。もう大丈夫だから。」
恐らくは精神を安定させる魔法でも使ったのだろう。私の緊張はすぐに解かれ、同時に疲労感が身体を支配する。
「大丈夫だ。もう大丈夫。」
そうして、私はご主人様に促されるままに身体を傾ける。
どうやらご主人様は私に膝枕をしてくれていたようで、リシルさんが見当たらないことも踏まえれば・・・恐らく、ご主人様は私が倒れてからずっと、こうして膝枕をしてくれていたらしい。
「あれはただの悪い夢だ。いざと言う時にしか役に立たないドアホが、お前に余計なものをくっつけようとしただけ。アレはべつにお前を取って食おうだとか、そんなことを考えてたわけじゃない。」
なんだか凄くボロクソに罵倒しているのを見るに、どうやらあの男はご主人様の言う「暇神様」で間違いないようだ。
そして私が意識を失う直前に現れた女性。あれはご主人様なのだろう。
夢の中でまで私を守ってくれるのは嬉しい。
「ご主人様、それは・・・」
ふにふにと気持ちのいい感覚を頭の後ろで感じていた私は、ひとつ特異なものが目に入ったので、それを指さした。
するとご主人様は私の視線を遮るように手を置き、もう片方の手で私のお腹をとんとんする。
「今は気にしなくていい。お前はそれよりも、ゆっくり休むことを考えていればいい。」
そう話すご主人様の言葉と同じタイミグで、なんだかふわふわとしたものが私を覆った。
視界が隠されているのでわからないが、ご主人様は布団を呼び出す魔法でも使えるのだろうか。
「あの夢のことは忘れて、今度こそゆっくり休んでくれ。」
「・・・わかりました。」
なんだか、さっきご主人様の頭の上に見えた輪っかが、いつぞやに見た本に書かれていた「天使」みたいだなと思いつつ、私はご主人様に甘えて眠りに落ちていった。
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