2節:黒銀の名を持つ銀の青年
7話
チュンチュンと鳥の鳴いている声が聞こえる。
「・・・っ」
シャッとカーテンが開けられ、朝日が彼の顔に落ちる。
「んぅ・・・まって・・・」
グレイアはまだ起きたくないのか、もぞもぞと布団の中に潜り込んでしまった。
「起きてくださいご主人様。朝ですよ。」
「ん〜・・・」
午前8時。メイド姿のエルはグレイアを起こそうと、掛け布団を剥いで彼の体を揺らす。
「起きる・・・だから待って・・・」
「承知しました。待機します。」
真面目に答えるエルになんとなく申し訳なくなったグレイアは、まだ眠たくて力の入らない腕を使って上体を起こす。
「おはようございます。ご主人様。」
「ん。おあよ・・・。」
グレイアは座ったままの姿勢でベッドの縁まで移動し、そこからゆっくりと立ち上がる。
「・・・ん。」
彼の目の前には、すっかり「主に付き従う冷静沈着なメイド」となったエルが立っている。
昨日、近所の子供の相手でクッタクタになったグレイアは、面倒な家事を手伝って欲しかったので、エルにメイド服を渡し「お前の役職はメイドってことにするから」と命令したのだ。
「朝食はできております。お顔を洗うのでしたら洗面所までご一緒しますが・・・」
そこには少し前までの「おどおどとした態度の少女」の姿はない。さすがはプロの元奴隷と言った所だろうか。
「いや・・・いい。はやくご飯が食べたい。」
「そうですか。では食卓まで参りましょう。」
「うん・・・」
グレイアは眠気のせいか、よたよたとした覚束無い足取りで廊下を歩く。対してエルは姿勢をよくして流麗な足取りで廊下を歩く。
「ん・・・」
テーブルまで到着し、グレイアとエルは席についた。
「いただきます・・・」
グレイアは手を合わせてそう呟き、朝飯を食べようとテーブルロールにフランスパンを足して2で割ったような見た目のパンに手をかけた。するとエルから質問が飛んでくる。
「ご主人様のその・・・いただきますって何の言葉なんですか?」
彼からしてみれば、体どころか魂に染み付いた伝統故の行動なのだが、エルからしてみれば謎の行動でしかない。
「あー・・・えっと・・・お礼の延長線上・・・?」
「食べ物に対してですか?」
「ん・・・そんなニュアンスだった気ぃする・・・」
エルは自身の主人の奇妙な行動を理解しようとしつつ、彼女もそれを真似てから食事を始めた。
「いただきます。」
・・・
20分ほど経った後、エルは食器を片付けようと流し台まで持っていく。
「・・・ご主人様って少食なんですね。」
エルはふと思ったことを口にする。彼女自身は少しだけ食べる量が多めなのだが、それを差し引いてもグレイアの食事量が少ない。
「俺にとっての食事は娯楽みたいな物だからな。別に量は食べなくても生きていけるし、だからこそ毎食毎食を凝った料理にしたりするワケだ。」
グレイアはお気に入りの本を読みながら返事をする。エルからしてみれば「言われてみればそうだ」みたいな心境である。
初めてこの家に来た時も彼は目の前で食事する彼女を微笑ましそうに見つめていた。風呂だって毎日入っていれば風呂場が臭くなることはないだろう。即ち彼の生活は人間のソレとはまるっきり異なっているという訳だ。
「もしかしての話をしてもよろしいですか?」
「ん〜?」
エルは真面目な声色で質問し、グレイアは気の抜けた声で返事する。
「ご主人様って───」
「人間じゃないぞ〜」
彼女が質問を言い切る前に返答するグレイア。それは十中八九、彼女がしようとしていた質問が彼にとって簡単に予測できるモノだったからであろう。
「・・・本当ですか?」
「ん。てか昨日の朝方に俺ぁ管理者だって漏らしてたろ。あん時は頭がアレだったけど、正直言えば元さら隠す気なんてなかった。」
実際、隠す気であればどうとでも出来たのだろう。能力だって使わないようにしただろうし、自身の存在すら一般人として偽装したいのであれば、まずあの商人に顔を見せなかったはず。
「近所の人は皆、ご主人様の正体とかを知っていたりするんですか?」
「俺の正体は知らないだろうし、知ってたところでって話だ。」
「なるほど・・・?」
彼はその辺りに寛容だ。仮に近所の子供に強さを見せてくれと言われたら、文句を垂れつつもアクションをしたり、その場でダミーと戦って見せたりして子供を喜ばせたりするだろう。
「・・・さてと。そろそろか。」
グレイアはそう呟きながら本を閉じ、ちょうど食器を片付け終わったエルを一瞥すると、手元の本を本棚にテレポートさせてから立ち上がる。
「ご主人様?どうなさいました?」
「ん。着替え。」
エルがトコトコとグレイアの近くに寄ると、グレイアは魔法を使って服装をいつもの服装に変える。
白いノースリーブのインナーに黒いフード付きジャケットを羽織り、太ももがガッツリ見えるショートパンツに黒いカジュアルブーツを履く。
おまけに赤い結晶形の魔道具が付いたチョーカーを装着し、彼の外行きファッションが完成する。
「うし。次はお前な。」
グレイアはそう呟くと、エルの頭にポンと手を置いて魔法を発動する。
「・・・!」
エルの服が少しだけ発光し、メイド服がだんだんと変化していく。
そしていつの間にか、彼女の左腕に複雑なデザインの腕輪が装着されていた。
「どう?気に入ってくれるといいんだけど。」
グレイアはそう言いながらポンと立ち鏡を呼び出した。
「裾が短くなって・・・動きやすいように?」
「ん。外に行ってまで長いスカートなの動きづらいだろ?」
そう説明されたエルのメイド服のスカートと袖は短くなっており、胸周辺の装飾も簡素になっている。
「それと・・・その腕輪な、回転させると90度ずつで服装が変わるようになってる。」
「そうなんですか。」
「趣味を押し付けるようで悪いなと考えもしたが、メイド服着せてる時点で今更だしな。」
良く考えれば自分が所有してる存在なわけだし・・・と、グレイアは開き直ったわけだ。
「さてと。んじゃ行くか。」
指パッチンをトリガーに腕時計を出現させつつ、グレイアはエルの腕を引いて玄関まで歩いて行く。
「へ・・・?どこへ行くんですか?」
「冒険者ギルド。一週間くらい前にランク昇格試験の日程を組んだんだ。」
グレイアは時計を見ながら説明し、エルを連れてそそくさと玄関を出る。
雪で一面が染まっている住宅街を後目に、彼はエルの手を握って歩き出した。
「んー、今の時間的に着きたい時間の10分前くらいに着くか。」
そう呟きながら道行く知り合いに会釈をしつつ、グレイアはエルと共に街を歩く。
少し歩いた後、彼は少し考える素振りを見せた途端に足を止め、右手の路地に入っていく。
「寄り道しよ。こっち来て。」
「ご主人様?ちょっと何処へ・・・」
数人の人が行き交う小綺麗な路地裏を少し歩き、再び通りに出ると、そこは見事に賑わっている市場だった。
「市場?ギルドに行くんじゃあ・・・」
「ちょっとばかし時間が余ってっから。なんか買い食いしながら行こうぜ。」
見た目相応の屈託のない笑顔でグレイアは言う。まるで部活帰りの学生のように。
「急に言われましても・・・」
突然のお出かけ+唐突な寄り道に驚くエルだが、当のグレイアは彼女の腕を引いたまま人の波を掻き分けて進んでいく。
「ん。あのお菓子とかどう?手ぇ汚れないし甘くて美味しいぜ?」
グレイアは穴の空いていないオールドファッションに砂糖がまぶしてある菓子が売られている屋台を指さして提案する。
「あっはい。ご主人様がそう仰るなら食べてみたいです。」
「じゃあ決まりだな。」
嬉しそうに屋台へ向かうグレイアを見て、エルは1つだけ思うことがあった。
(・・・時々この人は子供っぽくなるんですかね。)
遊び心があるのは十分な事だが、彼は彼の存在の在り方そのものから考えてもギャップが凄い。恐らくは子供心が何時までも生きているタイプなのだろう。
そしてエルが色々と考えているうちに、彼はお菓子の入った袋を片手に戻ってきた。
「ほれ。袋の中に入ってっから一緒に食べようぜ。」
「はい。ありがとうございます。」
2人は袋の中に入っているお菓子を取り出し、それを齧りながら歩き出した。
「んー。いいね。」
「・・・おいひいれふ。」
砂糖にプラスして生地の中には林檎っぽい味のジャムが入っており、2人はそれをペロリと平らげつつ街を歩く。
「・・・食べ歩きなんて初めてでした。」
「良いだろぉ。これこそ市場の醍醐味の1つだよな。」
「そう・・・なんですね。」
初めての体験に興奮を隠せないエルと、朝っぱらから甘いものを摂取できてご満悦のグレイア。2人はそのまま歩いていき、冒険者ギルドの建物に到着した。
「うし。到着。」
「あれ・・・人があまり居ないです。」
エルの言う通り、建物の周辺に居るのは移動中の一般人と除雪作業中の職員のみ。冒険者の姿は殆ど無い。
「入るぞ。」
「あっはい。」
グレイアは急に歩き方を変え、先程までの綺麗でモデルみたいな歩き方から、男らしい堂々とした歩き方へと変化させた。
「・・・やっぱ皆は酒場か観客席だな。」
建物の内部に入っても人はまばらにしか居らず、居たとしてもベンチでぐったりと眠っている酔っぱらいか食堂で飯を買おうとしている人のみ。
その中から1人、明らかに異彩を放つ人物がグレイアに近づいてきた。
「おおグレイア!遅かったじゃないか!」
「チャーリー。お前こそ何してんだ。」
かなりの高身長でガタイが良く、頭からは片方のみの角がある。このチャーリーという男は、どうやら魔族であるようだ。
そして彼は、グレイアの肩を勢いよくバンバンと叩いた。右手に酒瓶を持っている上に顔が赤い辺り、どうやら酔っ払っているようだ。
「俺ぁお前を待ってたんだよぉ!俺にとっちゃ主役はお前だからな!」
「そうかい。ところでアリーナは?」
「夫人ならもう観客席にいると思うぜ?どうかしたか?」
「なら良かった。信頼出来るお前に、ひとつ頼み事をしたい。」
グレイアはそう言うと、エルを自分の前に立たせた。
「おいおい。あの黒銀様がメイドだって・・・?冗談キツいぜ。」
「それが冗談じゃない。時間が無いから詳しい説明は省くが、とりあえずこいつを夫人のところへ連れて行ってくれないか。」
(それなら寄り道したの失敗なんじゃ・・・)
エルはそんなことを考えつつも、野暮だと思ったので言うのはよした。
「この可愛いコを夫人のところへ・・・」
「そう言ったろ。」
「わかった。報酬は・・・」
「・・・8番だろ。誕生日の贈り物も兼ねて、上手いこと掛け合ってやる。それでいいか?」
「もちろん!」
グレイアはそう返すと、エルの肩に手を置いて説明する。
「てな訳で・・・今はこいつの案内に従ってくれ。」
「そんな急に・・・」
「安心しろ。こいつはこんなナリだが、数ある冒険者の中でも5本の指に入るくらい、人格面では信頼できる。」
こんな・・・と言葉が付く時点で不安だと思いつつも、エルはそれに従うことにした。
「・・・わかりました。」
「よし。それじゃあ・・・俺は仕事に行くとするか。」
グレイアはそう言うと、そのままどこかへ瞬間移動して消えてしまった。
「・・・」
シンプルに威圧感を放っている男と2人きり。そんな状況で緊張しきっていたエルは、恐る恐るチャーリーの顔を見上げてみた。
「・・・どうかしたか、嬢ちゃん。」
そう言いながらエルを見下ろす彼の顔には、先程までの酔いきった雰囲気はない。目の下には目立たないが隈があり、瞳には光がなく虚ろ。
エルが見た主への態度とは全くもって違う彼の様子と、しかし未だに放たれる圧力に彼女は心の中で首を傾げた。
「そうか・・・なるほど。初めてか。」
そんな彼女を見て、何か合点がいったチャーリーは手に持っていた酒瓶を魔法で消滅させる。
「着いてきな。世間話は歩きながらだ。」
そう言いながらエルに手招きをしたチャーリーは、先程までの軽薄な態度とはかけ離れた紳士的な振る舞いで彼女を案内する。
「あんたは・・・本物の冒険者と相対するのは初めてだろう。子供だから当たり前ではあるが、確かに俺が放つ圧に気圧されている。」
エルはチャーリーの後を、律儀にぴったりとくっついて歩いて行く。
「あの人は説明をしないだろうから、ひとつだけ言っておこう。」
「・・・?」
「冒険者はこれがスタンダードだ・・・決して、全員が全員、あの人のようなお人好しだと思うなよ。」
酒のありなしでのギャップの激しさに、エルは「冒険者は変人ばかりなのだろうか」と考えていた。
「さて・・・ここだ。」
案内されたのは如何にもVIPな扉の前。エルからしてみれば慣れ親しんだ雰囲気の場であり、同時にトラウマが想起する場でもある。
「俺の案内はここまでだ。この部屋にいる領主夫人様は・・・俺が何も言わなくても全部わかってくれる。」
「・・・ありがとうございました。」
エルは深く頭を下げて礼を言い、部屋のドアを3回ノックする。
「いいわよ。入りなさい。」
すると、待ち望んでいたかのような速さで扉の向こうから返事が返ってくる。
聞くだけで寒気がするほどの声。チャーリーが言ったのはまさにこの事だと瞬時に察したエルは、恐る恐る扉を開けた。
「失礼します・・・」
そして後ろ手で扉を閉め、奴隷だった時の感覚が想起されたまま、部屋の奥へ進んでいく。
(ご主人様は・・・なぜ私をここに?)
部屋の中はまさに貴族専用の部屋と表現して差し支えないだろう。強すぎてむしろ鼻が歪むほどの花の匂いに、無駄に豪華な家具と調度品。そして正面に設置された大きな窓からは、観客席とフィールドが見渡せるようになっている。
「こっちよ。来なさい。」
そして声の主は窓の外を見れるソファーに座り、外を見やったままエルを呼ぶ。
「・・・」
エルはそのまま声の主の隣まで歩き、隣まで移動したところで・・・まるで食虫植物のような素早い動きで、声の主は彼女を無理矢理抱き寄せた。
「ん〜っ。いいわね・・・あの子も趣味が良いじゃない。」
エルを抱き寄せた女性は彼女を少し堪能したあと、何事もなかったかのように彼女を隣に座らせた。
(びっくりした・・・)
彼女の驚きには目もくれず、長身でスタイルのとても良い貴族の女性・・・アリーナは満足そうにワインを口にする。
そしてエルの方を向き、微笑みながら口を開いた。
「ふふ・・・始めまして。グレイアの使用人ちゃん。」
「・・・?」
この場に彼が居れば直ぐに情報の出処を追及しただろう。エルが自己紹介をする前に、彼女はエルの所属を言い当てて見せた。
「不思議・・・と思うかしらね。なら私の自己紹介をしましょうか。」
彼女はエルの方を向き、胸に手を当てて自身の名を言ってみせる。
「私の名前はアリーナ・ノーザン。この地を統べる領主の妻よ。」
彼女がそう名乗った次の瞬間、窓の外が一気に湧き上がった。
「あら・・・そろそろね。貴方の自己紹介は後にして、今は窓の外を見てみなさい。」
エルはアリーナの言う通りにフィールドを見てみる。
そこから見えたのは男女比1:3のパーティーと、1人の青年の姿。そしてエルは気づく。
「・・・ご主人様?」
そこに居たのは紛れもない。主の姿だった。
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