3節:赤き元奴隷は過去との決別を

27話

「前情報はなし・・・ですか。」


ゴールデン・スプリングス出立前日。準備時間を含めれば、ダンジョン滞在に使える時間は少なく、タイムリミットはおよそ半日。

そんな状況下でグレイアは、エルにネームドの情報を口頭では一切渡さないまま挑ませようとしていた。


「センパイ・・・さすが、身内にも忖度しないところは尊敬するよ。」

「見習いはしないだろ?」

「よくわかってるじゃん。」


その様子を見かねたリシルからの皮肉も軽く受け流し、彼は再度エルの目を見る。


「さてと。さっき言ったろ、これはある種のテストだ。今から戦う相手はそこまで強くないし・・・強い部分も、ルーキーだからこそ苦戦するもの。」

「・・・実力のわりにはやたら強い威圧感だったり、攻撃を跳ね返す鎧があったり。」

「ああ。だからこそルーキーの登竜門として扱われるネームド。それがこいつなんだ。」


ここで2人はひとつの前提を飛ばしている。

それはこのネームドボスは複数人で挑む事が前提であるということ。

裏を返せば、彼にとっては既にエルがその辺のルーキーより強いという認識になるが・・・それはそれとして、隠すのはよくない。


「それに、前情報が全く無いわけじゃない。一昨日に言ったろ、ここはよく覚えとけって。」

「それは覚えてますけど・・・」

「なら問題ない。多少の怪我・・・それこそ、骨の数本は折れるかもしれないがな、俺の動きを思い出してれば死ぬことは無いだろう。最悪、死にそうなら治癒をかけてやる。」


骨の数本が多少扱いなのは、この世界は我々の世界とは怪我の程度の基準が違うことのわかりやすい例だと思ってもらいたい。

彼らは滅多に怪我をしないが故に使用する機会は少ないが、この世界の「治癒魔法」は本当に次元が違う。

それこそ、技量によっては我々の世界のゲームで行われるレベルの即時回復性能がある。もし平均的な技量の魔法使いが怪我人に治癒魔法を使った場合、失った指の数本くらいなら普通に生えてくるのだ。


「今回ばかりは万が一も億が一もない。相当なマヌケをしない限り、そう簡単に死ぬようなことはないと断言できる。」


だからこそ、彼は魔物を相手にする時に限り「人間はそう簡単に死ぬことがない」ことを知っている。


「それとひとつ、魔物との戦いにおいて・・・重要なのは”気付き”だ。」


実の所、これは例えるならイベント戦だ。彼は複数のレールを用意し、彼女がどうやってネームドに勝つかを試そうとしている。


「何はともあれ、とにかくお前には期待してる。頑張ってくれ。」


ともかく、彼は随分と「限りなく勝率を高めた状態での賭け事」を楽しむのが好きなようである。



─────



「マートル、戦闘態勢。」

『承知しました。メインシステム、ユーザーアシストシステムともに戦闘モードへ移行。』


ぶっちゃけた話、私は今の状況を上手く飲み込めていない。

というか、ここ数日はずっと意識が置いていかれっぱなしだ。

今までの生活に比べて、景色や記憶、情報が移り変わるのが早すぎて、その場に居るはずなのに・・・まるで見知らぬ人の体験を記した本を読んでいるような、そんな錯覚に陥る。

見聞きしただけの表現を見よう見まねで使ってみるなら「急展開すぎる」と言ったところか。よほど時間が足りないことの裏返しかもしれないが・・・それにしてもスケジュールに余裕がない。

もしや、何か予定を切り詰めねばならない理由でもできたのだろうか?


「俺たちは隠蔽魔法をかけて後方に待機しておく。まずい状況になったら助けに行くから、あまり怖がらずに攻めにいけ。」

「・・・はい。」


くぐもった返事が出てしまった。

ご主人様は怖がらずに行けと言ったが、私の理性は止まれの司令を脳みそに送っている。

だいぶ離れていて、かつ暗くてよく見えない位置に鎮座しているのに、あの化け物の威圧感は尋常ではない。


「「身体強化・俊敏特化アジリティ」」


私は冷静に魔法を起動し、ご主人様がやったように脚力を強化する。

右手には武器を、左手には空中に展開するための結界魔法を準備し、 戦闘態勢を整えた。


「・・・よし、行こう。」


そうして自身に発破をかけ、私は空中に向けて1歩を踏み出した。

初めてで上手くいくとは思っていなかったが、生憎と私の体はご主人様に使われていた際の体の動かし方を全て記憶している。

一瞬にしてネームドとの距離を詰めた私に待っていたのは、耳をつんざく魔物の咆哮だった。


[オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛]


「っ・・・!」


恐らくは私を怯ませるためのものだろう。

それに対して私の体は、この状況への対応策を凄まじい速さで弾き出していた。


「「フレイム・アロー」」


左手に準備しておいた結界魔法を崩し、攻撃魔法に変えてネームドの顔面目掛けて放つ。

ご主人様がやったように敵の視界を潰せるかと思ったのだが・・・しかし、どうもそう簡単には行かないらしい。


「危ないっ」


私は超ギリッギリで金棒を回避し、地面に着地して後方に移動しながら左手で攻撃魔法を放つ。


「「フレイム・アサルト」」


今度は複数発の攻撃を放ったが、見る限りでは全く効いていない。

私はネームドの金棒の振り下ろしを横に回避し、その体をよく観察する。


「・・・視界を潰す手段がない。」


視界を潰すための攻撃をしようとして、逆に私が視界を遮られて判断を間違えるとはどういう了見か。

今まで暗いところに居たのに加え、戦う前は俯いていて全く見えなかった顔面が、まさか鎧で覆われているとは。

しかも見る限り、少なくとも前面はその鎧で覆われている。肘や膝も見たことのない形で覆っているように見え、その徹底さには絶対に攻撃を通さないという固い意思を感じる。


「上位互換ってそういう・・・」


確かにリシルさんは「攻撃を跳ね返す鎧」と言っていたが、まさか正面すべてを覆っているとは思わなかった。おまけに腕と脚は完全防御である。

もっとなんか、街で見る衛兵の人の鎧のように、攻撃ができる隙間があるものかと。


「・・・マートル、仮面と顔の隙間に魔法をねじ込むことって可能?」

『可能です。イメージは難しいですが、今のお嬢様の技量でも可能性は十分にあります。』


そこでふと思いついたのだ。

鎧と仮面を着用しているのであれば、内側にある肉体との隙間にご主人様が使うような爆発する魔法をねじ込むことが可能なのでは・・・と。

そして帰ってきた答えは前向きなもの。ということは、これは十分に試す価値のある攻撃方法なのではないだろうか。

与えられる影響は少ないにしても、これを少しづつ続ければ、いずれは倒すことができるはずだ。


「・・・」


そう決めた私は、もう握っている必要のない固有武器を逆に持ち、攻撃の後隙を晒している奴の胴体に向けて思いっきり投擲した。

もちろん跳ね返されたが、今はそれが狙いではない。


「「身体強化・俊敏特化アジリティ」」


私は脚力の強化を重ねがけし、わざと隙を晒すように空中へ飛び上がる。

その凄まじく重そうな金棒を是非私の横っ腹にぶち込んでくれと言わんばかりに、私は低速落下の魔法まで付与して攻撃を待つ。


[グオアアッ!]


雄叫びと共に放たれた金棒のなぎ払いに合わせて、私は空中に展開した結界を蹴って空中を駆ける。


「狙うべきはその顔面・・・例え出力は足りなくても、視界を潰すくらいなら!」


奴の仮面に掴まり、私はできる限りの魔力を両手にかき集めて魔法を構築する。


[アガ・・・ガアッ!]


奴は私を顔から引き剥がそうとしているようだが、もう遅い。私は魔法の構築を終え、既に起動しているのだから。


「「エクスプロージョン」ッ!」


例えるなら体外へ何かが放出されるような、そんな独特な感覚とともに、ネームドの顔面は「バコン」と鈍い音を立てて瞬く間に膨らんだ。

爆発魔法が仮面と肉体の間で起動したことにより、このネームドの顔面には膨らんだ仮面と同じくらいの凹みができているはずだ。


[カ゛ア゛ア゛ァ゛ッ!???]


激痛によって暴れ回るネームドの攻撃に巻き込まれないよう、私はネームドの頭上から背後に飛び上がる。

これで安全に攻撃する態勢を整えることができると・・・私は呑気にも、苦痛に暴れ回る魔物の前でそう判断してしまった。


『お嬢様、目標の攻撃が───』

「え?」


マートルの警告が私の脳内に走った次の瞬間、怒りに燃えたネームドの振るう金棒が私の左半身にめり込む。


「がっ・・・!?」


私は自身の作戦が上手くいったことで完全に油断していた。相手がとても強い魔物だということを忘れて、挙句の果てには敵に背中を向けて・・・呑気に攻撃の準備を整えようとしていたのだ。


「あぐっ・・・ごほっ・・・けほっ・・・」


私はそのまま吹き飛ばされて壁に激突し、何時ぶりかの吐血をする。

恐らく、今ので体の中の一部分が壊れてしまったのだろう。ご主人様は骨が数本折れる・・・と言っていたが、まさか私が油断することを予想していたのだろうか。


『背部への強い衝撃を検知、回復魔法の使用を推奨します。活動許容限界まで残り・・・』


マートルがうるさい音を頭の中で鳴らしながら色々と私に伝えてくれているが、今の私が知りたいのは私の現状なんかではない。

吹き飛ばされたときにちらりと見えた奴の背中。

私の見間違いでなければ、そこに肉体が見えている。外から攻撃できる状態になっている。


「覚えとけって・・・そっち・・・?」


どういう言葉で表せばいいのかわからないが、ご主人様は確かに戦う前「重要なのは気付き」と言っていた。

言われた時はよく分からなかったが、ご主人様が私の体を使って戦っていた時の記憶と、現在の状況を踏まえればその真意が理解できる。

そして、ご主人様が私にマートルという相棒を用意してくれた理由も合わせて考えれば───


「マートル、あの魔物の背中は・・・」

『はい、お嬢様。ネームドボス「失望の巨人」の背中は弱点部位とされており、複数人で挑む際は火力の人員が裏から回り込むのがセオリーとされています。』

「・・・ありがとう。」


───やはりそうだった。

あの魔物を倒す方法を発見するまでのやり方は、私がここに立つ前から既に・・・ご主人様によって何通りも用意されていたのだ。


[フーッ・・・!フーッ・・・!]


やはりご主人様は優しい。

私が進むべき道を見定めて、例えその道に気が付かなかったとしても、最終的には目的地にたどり着けるように・・・そうして私を導いてくれるらしい。


「マートル・・・私を助けて。」

『承知しました。』


・・・であれば、私はご主人様の期待に応えなければならない。


「よし・・・行こう。」


そう呟き、私は覚悟を決めて立ち上がる。目的を見つけた以上、もう手探りで倒し方を模索する必要は無い。

それに、今までの扱いに比べれば・・・背中が多少痛いくらいは屁でもないのだから。


「ブラッディ・マッドネス」


私は固有武器を取り出し、自己証明を使う。

ご主人様が結界を使って刃を延長したように、私も傷ついた体から流れ出た血液を操って固有武器の刃を伸ばすのだ。


「「身体強化・全能特化アドレナリン」」


多少は慣れも要るだろう。体内の血液を操るなんて初めてやるし、もしかしたら血が足りなくなって倒れてしまうかもしれない。


[グ・・・ガアアアアアッ!]

『目標、憤怒状態に移行。行動パターンの単純化を確認。』


でも、今は怖くない。

これが体が傷ついたおかげで湧き出た興奮によるものなのか、ご主人様への無意識的な信頼なのかはわからない。


紅狐流抜刀中こうこりゅうばっとうじゅつ


しかし、ただひとつ言えることは・・・


[ツブレロ・・・ニンゲンッ!]

『上段から振り下ろしが来ます。』


勝ってご主人様に褒めてもらう。それだけだ・・・!


「返し波・刃砕き」


そうして、私は身体強化を限界まで付与した肉体で、結界を付与した刀身を振りぬいてネームドの武器を跳ね返す。

次に追い打ちとして飛ぶ斬撃を2,3度放ち、奴の武器を破壊した。


『体内魔力、残り50パーセント。』

「まだ行ける・・・!」


奴は反撃の衝撃により態勢を崩し、2,3歩後ろへよろめいて隙を晒す。

そして私は奴に対して、ダメ押しとばかりに魔法を放った。


「「フレイム・ブラスト」ッ!」


私ができる限りの最大火力で放ったその魔法はネームドの体すべてを覆う炎の光線と化し、絶望的な魔力の消費と引き換えに・・・奴を反対側の壁際まで吹っ飛ばすことに成功した。


『体内魔力、残り30パーセント。』


マートルがそう警告してくる。

ご主人様から習った魔力基礎によれば、人間の体は体内の魔素が一割を切ったら「魔力欠乏症」という病気になってしまうらしい。


「なら・・・」


魔力の消費が早すぎる身体強化魔法を使っている以上、素早く相手を片付けるのは必須事項。さもなくば、私は魔力欠乏症で戦えなくなってしまう。

ここまできて、ご主人様をがっかりさせたくない。


「マートル、引き続き私を助けて。」


私は再び武器を構え、感覚のままに踏み込みの体勢をとる。


「次で決める。そのためにも・・・状況の把握をお願い。」

『喜んでお受け致します。お嬢様。』


奴を乗り越えて、私は生まれ変わる。

またと出会えたときに、名無しの奴隷ではなく”エルヴァ”として・・・最強の男に仕えるひとりのエルフとして、胸を張って名乗れるように。

だからこそ、私はこの場で出し惜しみをするわけには行かないのだ。

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