14話

夜中、日付が変わるか変わらないか程度の時間帯。グレイアは約束の書類を仕上げ、cobra部隊のもとへと転送する。


「・・・よし。」


一通りの作業が終わった達成感に加え、夜中に起床しているのが久々だったことによる高揚感により、グレイアは深夜飯を食べることにした。


「よっ・・・と」


頑なに「ご主人様と一緒に居ます」と言って離れず、結局そのまま寝てしまったエルを寝室に連れていくためにお姫様抱っこで持ち上げ、ゆっくりと部屋を出る。


「・・・ホント。どうしようかなぁ。」


彼は常に色々なことを考えているタイプの人間ではあるが、今現在、一際思考の内部に強く存在する事柄がある。


───それは、エルを治療した際の違和感であった。


まるで作られたような、誰かに仕掛けられたのではないかと思うほどトラウマ。

襲撃のタイミングも、普通であれば新たな買い手に渡る前に殺せばいいものを、まさに「対処してくれ」と言わんばかりのタイミングで襲撃してきた。

彼だって、ここまでの違和感があるにもかかわらず、事の裏側を感じ取れないような鈍感トーシロではない。


「・・・はやく根本を片付けないと。」


彼の思考の中にはもちろんアテはあるが・・・それはまず、あの襲撃の首謀者を片付けてからでないと話にならない。

組織の機能をフル活用すればエルの過去の主を遡ってトラウマを仕掛けたであろう者を特定することなんて容易ではあるが、それが妨害されないという確証もない。


「・・・まずは悪趣味な野郎が鍵を持ってる可能性に掛けなきゃならない。」


二兎を追う者は一兎をも得ず。それこそ、あの襲撃の首謀者であろう悪趣味野郎がエルのトラウマの鍵を握っている可能性も捨てきれない。

もし他を調査しているうちに悪趣味野郎に何かがあれば、走査線から奴が不意に消えれば・・・それは実質的な詰みを意味する。


「・・・」


1つのピースすらも欠けてはならない。根本的な解決のためには、それ相応の慎重さで行動しなければならないのだ。


「よっ・・・」


グレイアは寝室に着くと、エルを起こさないよう慎重にベッドに寝かせ、見張りの魔物を召喚する。


「傀儡・・・よろしく。」


召喚された魔物・・・否、若干の魔力で構成された分身体のなり損ないはコクンと頷き、不安定な体でその場に座り込む。

グレイアも魔物の隣に座り、気分が乗ったので猫を撫でるようなテンションでエルの頭を優しく撫でる。


「・・・」


本来なら誘拐や尋問、特定の目的の為の調査であれば、エルを他の人に預けておく・・・なんてことをすればいいと思うかもしれない。

それこそ、他人が信用できないのであれば今のように傀儡を使って守らせるなんて芸当も彼にはできる。


だが、彼は頑なにそれをしない。


それは何故か・・・端的に言うのであれば、彼は何度も「万が一」を経験してきた。過去に経験してした事柄は「死」や「別れ」を始め、彼の精神を何度も暗い闇の淵へと押し込めんとするものだった。

普通であれば「たかが万が一」なんて思うだろう。


「・・・はぁ。」


だが過去には世界の奔流という、ある意味での「物語」の主人公だった彼にとっての「万が一」はそれ即ち「十分に発生しうる確率」であり、十二分に留意して警戒すべき事柄なのだ。


(漠然とした不安感。今回は来るのが早いな。)


・・・そう。彼は「万が一」を恐れている。

言ってしまえば彼自身、妻に等しい存在であるティアと離れていることすら怖い。

互いに不死身に近い存在ではあるが、だからといって不足の事態が起こって片方が死ぬ・・・なんてことも有り得ないわけではない。


「被害妄想甚だしいよなぁ。」


エルはまだ弱い。この世界に跋扈する暴力からすれば、12歳の少女など波の前の砂城に等しく、少しでも高い波が立てば跡形もなく消え去ってしまう。

そして、どれだけ他人を心から信頼していても、どれだけ信用に足りうる過去があったとしても、根本的な恐怖から来る疑念は覆すことができない。


「・・・」


彼は人智を超えた存在・・・だが人間の上位互換ではない。

元はと言えば人間として存在していた時期もあった。しかし強大な力を得た代償かは定かではないが、いつの間にか人の根本にある真の心なんてものは殆ど消え去ってしまった。


「・・・どうすればいいかなあ。」


今の彼にあるのは過去の自分の模倣。仮初の自分であり、真の彼は人間的な思考回路の9割9部が切り捨てられた人ならざる管理者・・・いわゆる「天使」なのだ。


(毎度思う。本当に俺は天使になって正解だったのかって。)


彼は今まで様々な経験をしてきて、特定の条件下では「最強」と呼ばれるまでに至った。

しかし彼にとって、自分の外皮を固めるのは「人間だった頃の自分」の残滓。いつ崩れるかも分からない、過去に積み上げてきたモノにしがみついているだけ。


(・・・シリウスも言っていた。俺は管理者には向いていないと。)


管理者になってから積み上げた物が無いかと言われれば、それは全くの嘘になる。

彼は色々な人を救いもしたし、殺しもした。

だがそれ以上に・・・人間として生きていた頃の基礎が大きすぎた。


・・・彼は愚かにも、そうして自己嫌悪に陥っている。


グレイアの目から涙が落ち、頬を伝ってベッドに落ちる。

もはや食欲なんて消え失せ、傀儡も形を消し、そこにはエルとグレイアの2人しか居ない。


「・・・どうすればいい?」


自問自答をするのも何度目か分からない。

じわじわと涙が次々にこぼれ出て、ベッドに次々と染みを作る。


「俺は・・・どうすればいい?」


ずぶずぶと沼に沈む。何の変哲もないただの悩みが、根本的な思考回路にまで影響を及ぼして鬱を作り出す。

何度だって否定されたのに、彼は何度も同じことを考える。

ティアに幾度となくその考えを否定され、何度だって過去も人格も、自身の全てを肯定してもらったのに。


「ああ、だめだな。」


途端、彼の眼は瞬く間に黒く染まり、髪の毛と肉体が肉眼でわかるほどの速度で成長していく。


「わかりきってたことだ。野郎が鬱っ気を出したところで、一文の得にもなりゃしねえ。」


まるで二重人格。

先程までの弱弱しい雰囲気はどこへやら、そして雰囲気だけでなく、彼の体は例えるなら「無気力な全眼黒目の白髪高身長おねえさん」に変わっていた。


(こういう時ばかりは、この力をくれた暇神様に感謝するか。)


深くため息をつき、グレイア(?)は立ち上がる。


(雑念がない今なら、いつも通りに思考を巡らせることができるはずだ。)


最善は尽くす。

そう決意したのはかなり前の話ではあるが、彼の中では今でも変わらぬものらしいようだった。

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