#12:狙うべき相手
やりがい、というのは案外馬鹿にならない。今やブラック企業の専門用語と化したこの言葉だが、本来的な価値があるからこそ、悪用されるという側面はある。
人間は自分の自由な時間を労働に費やす代わりにお金を得る。時間ばかりがあっても金銭がなければ、今の社会で豊かな生活は望めない。逆に金ばかりがあっても、時間がなければ使うあてがない。自由な時間と自由な金銭。このバランスを取ることが労働においては寛容。いわゆるワークライフバランスというやつだ。
しかし、賃金は必ずしも満足のいく額とは限らない。賃金に限らず待遇などの種々の労働条件は、常に労働の苦痛と釣り合うわけではない。同じ仕事で同じ賃金でも満足が行くときもあれば、行かないときもある。ゆえに賃金だけに仕事の価値を見出すのは少し危うい。賃金に満足がいかなくなった瞬間、我慢のしどころがなくなってしまう。だから気の置けない仲間だとか、仕事の内容が有意義で充実しているとか、つまるところやりがいというやつが不満の隙間を、少しでも埋めてくれるようにするべきなのだ。
それが文学少女然とした傲慢不遜のプレイヤー、メガネの持論だった。大学にいるころまでは。
彼の仕事は小さな出版社の編集者である。経済学部を出た彼は他の大学生がそうであるように就職し、そして他の大学生がそうであるように失敗し、適当な会社に流れ着いた。編集業など彼は興味がない。就活も後半になってやけくそに出した履歴書のひとつが引っかかったに過ぎない。
(ああ、忌々しい)
これが医療系の本だとか、特定のニッチな分野の本を扱う会社だったらまだ彼は、そこまで苦痛を感じなかっただろう。専門外であり理解が及ばないということは、裏返せば扱う商品にまつわる葛藤を抱えなくて済むということだ。しかしそうはならなかった。だから彼は死んで異世界に転生し、さらにそこからデスゲームへ引き立てられて来てもなお、つい思い返してしまうのだ。
『渚、脱落』
『残りプレイヤー、5名』
無機質なアナウンスが流れ、現状が整理される。
現在、生き残ったプレイヤーは5名。うち、アリスと鈴ちゃんがブレザーを脱いでいるが、それ以外は変化がない。渚のターンが終了し、その渚自身がインターバルの間に自爆したことでゲームは序盤を既に通り越していた。
(自分の「技」に自信のある男ほど、大したことがないというは本当らしいな)
メガネはプレイヤーたちをねめつけながら、次の一手を考える。
なぜなら渚の次、4番手のプレイヤーは彼なのだから。
(私が負けるはずもないが……馬鹿の思考を読むのは疲れる)
メガネは物語序盤、アリスに対しあまりに不遜な態度を取った。これは彼の屈折した性格がそうさせるという部分もあるのだが……それ以上に、この状況に対する苛立ちが彼にはあったのだ。
いやそりゃ、いきなり転生させられた挙句デスゲームをさせられ、しかもゲームマスターはあのふざけたメイドときているのだ。これで粛々とゲームに臨んでいる他プレイヤーの方がどうかしている。ただ、メガネの苛立ちの原因は実のところそこにはなかった。
ぶっちゃけデスゲーム自体はどうでもいい。既に死んだ命なのだから、アディショナルタイムみたいなものだ。
問題は…………。
(なんで私がこんな、三流なろう小説のような世界に巻き込まれなければならないのだ)
彼は常々、自分が扱う「商品」について不満を覚えていた。小さいながらも出版社の編集という仕事に就きながら、そこにやりがいはなかった。なぜなら、彼の仕事はWeb小説の書籍化業務なのだから。
今や無料の小説投稿サイトは跳梁跋扈している。そこでランキング上位の作品を探し、それなりに分量がある作品を見つけると片っ端から連絡を取って書籍化する。それがメガネの仕事のすべてだった。
中学生向けの職業紹介の本で「編集者」のページを開いて目にする業務のすべてが、彼には無縁のものだった。自分で商業化するべき作品を
やつらが欲しいのはTwitterアカウント名の後ろに「@書籍化決定!!」の文字だけだ。メガネはそのトロフィーを与える代わりに、日銭を稼ぐ。
「さて、インターバルも終わって次のターンへ移ろうか!」
メガネの意識を現実に引き戻したのは、ラブリィの仕切りだった。
「随分あっさりしてますわね。れむさんの時ほど、渚さんを始末する方法にはこだわらなかったようですわ」
「5人も脱落者が出るんだぜ? いちいち手間かけてたらテンポ悪いよ。それにああも鈴ちゃんくんのテクに陥落して蕩け切った状態じゃ、どう捻ってもドラマチックな脱落シーンは演出しようがないさ。こういうときはさっさと終わらせて次に行くのもゲームマスターの腕の見せどころ」
実際、渚の脱落は拍子抜けするほど単純に終わった。ラブリィが指パッチンをするまでもなく、空間に穴が空いてそのまま渚は吸い込まれて消えたのだ。
「それでは次の手番は君だ。自己紹介からするという話だったね?」
「私はお前たちに名乗るほど低俗な名前は持ち合わせていない。好きに呼べ」
「およよ?」
ラブリィは首をひねる。
「そのお前たちに、ひょっとして私も入ってる? メガネくん」
「そう思いたければ好きにすればいいし、そう呼びたければ好きにしろ」
メガネの不遜な態度にアリスは試みに突っかける。
「随分上から目線だな。僕たちが気に入らない理由でもあるのか?」
「この状況と、それに対するお前たちの反応で分かるだろ」
デスゲームだと言われながら欲望に抗えなかったれむが象徴的だが、それ以外の面子の言動も、メガネには癪に触っていた。
「お前たち、不自然に思わないのか? 自分はともかく他のプレイヤーが、命を賭けたデスゲームだと言われたこの状況で死をさほど恐れていないことに」
「それは……」
牡丹が言い淀む。まあ、この中でデスゲームに難色を示していたのが彼とお嬢様だ。いまいちピンとこないのだろう。とはいえ、メガネからしたらそれも大した差異ではないのだが。
「どうしてお前らは死を恐れない? 勇猛果敢だからか? 違うな。お前たちはそんなカッコいいものじゃない。私が答えてやろう。それはお前たちが真剣じゃないからだ」
「自分で問うて自分で答えましたわこの人……」
お嬢様の愚痴をメガネは無視する。
「真剣に命が危険な状態にあると認識できていない。いかにも自分好みの世界観が展開されて、そこで自分が大活躍……『無双』することだけを夢想している。だから死の恐怖がない。死ぬかもしれないという発想ができないほど、虚構と現実の区別がついていないからだ」
「いや……こんな非現実的な世界で死の恐怖を覚えろというのも無理がありますわ」
「言い訳にもならんな。お前たちは散々、こんな漢字の世界を小説や漫画で読んで学習したはずだからな」
一見、メガネの言い分は突飛だ。しかしこの場の人間は誰も、しいて反論をしようとしなかった。そこには幾分か、図星というか的外れとも言い難いところがあったからだ。
メガネの推測……そして先の渚の推理はおおむね正しい。ラブリィはダーツを投げたなどと言っていたが、プレイヤーの選定に対し彼女は最低限の条件をつけていた。それはこうした状況をある程度受け入れてくれるだろうと考えられる人間を選ぶこと。その指針として、彼女は異世界転生物といったジャンルの物語に触れたことのある人間を選んでいた。
それこそが、メガネの嫌悪と苛立ちにもつながっている。
「ここから先、私はお前たちを圧倒する。お前たちのように低俗な作品を読んで、SNSでわいわい騒ぐだけのガキに負けるほど、私は低能ではない」
争いは同レベルの者の間でしか発生しないと言う。ならば争いがあるのなら、その二者は同レベルだろうと推察される。推察されてしまう。今のメガネの状況はまさにそれだ。ゆえに彼は、これは争いではないと宣言する。
一方的な蹂躙だと。お前たちは同レベルではないと。
「私が指名するのはお前だ、似非お嬢様」
「…………」
メガネの指名。ついに脱落者2名を迎えて、ようやくれむ以外の人間が指名される。
そしてゲームは、中盤戦へ突入する。
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