#30:伸るか反るか

 猪島の提案は単純。

 アリス、緑青、そして猪島の3人で鈴ちゃんを集中攻撃しようというものだった。


(その理路も、分かりやすいものですわ)


 緑青は整理する。

 現状、鈴ちゃんの圧倒的なひとり勝ちだ。このまま緑青たちが3人で削り合っても無益この上ない。そこで、ひとまず3人での泥沼を中断し、共通の敵を作る。


「わしを倒す策がある、ということかの?」

「倒す策じゃない。策さ」


 猪島の言いたいことはこうだ。3人で鈴ちゃんを集中攻撃する。残機7枚で、プレイヤーとしての力量も途方がないとはいえ……しょせん運試しのジャンケン勝負。全員で掛かればチャンスは生まれる。


 そしてこれは倒す策ではない。鈴ちゃんを倒す目があるかどうかすら、実のところどうでもいい。


「現状、3人での勝負になってしまっていますわ。そこで鈴ちゃんを共通の敵にすることで、4人のバトルロワイヤルという構図を取り戻そうという魂胆ですわね」

「そういうことだ」


 鈴ちゃんを集中攻撃し、倒せればそれでよし。後は各々の消耗具合を見て、脱落するべき人間が順当に脱落する。互いに攻撃したのは鈴ちゃんだけなのだから、消耗の結果は自己責任だ。誰かを恨む筋合いではない。

 集中攻撃が実らなければ、それもよし。鈴ちゃん以外のふたりが脱落すればそこでゲームセット。誰が生き残るかも、やはり自身の攻撃の結果でしかないのだから仕方ない。


 鈴ちゃんへの攻撃を敢行することで、この閉塞した状況をいくらかマシにするための方策。それが猪島の提案だった。


「僕に異存はない」

 最初に乗ったのはアリスだった。

「どのみち、僕たちはふたりを倒して生き残る道を取るんだ。遅いか早いでしかない」


「…………!?」

 このアリスの提案を、緑青は機敏に受け取った。

 なぜなら。

(さっきまでの戦略とがない……)


 さっきまで、アリスは緑青への集中攻撃を提案していた。それはともかくひとりを脱落させようという近視眼的な戦略に基づいている。


「クソゲーマーのアリスくんなら、手近な目標からひとつずつクリアするべきだって言うのかな。そういうのを、志が低いって表現するんじゃないかな?」

「わたくしの脳内で勝手に喋らないでくださいまし」


 序盤の渚以降、ご無沙汰だったラブリィの脳内会議である。


「君たちの思考に割り込むのは意外と面倒な手続きがいるんだよ。ゲームで必要になると思って準備したのに、意外と使いどころがなくて困っていたから使いたくて仕方ないのさ」

「衝動買いした調理家電みたいな扱いですわね……」


 それはともかく。


「君たちの世界と時代なら、意識が高いって馬鹿にするのかな? 私はむしろ逆だね。意識が低いやつが愚かに見えて仕方ない。人間が二本足で立ったのはどうしてだと思う? 前を見るためでも手で道具を使うためでもない。立った方が、高いところから見渡せるからさ」

「人間の2メートルにも満たない背では大したことはないと思いますが」

「その差異を獲得するために、大きな選択をしたこと自体が大事なんだよ。意識を高く持つことは――上を見ることは何となくで出来ることじゃない。『上を向いて歩こう』って歌にしないとできない難行なのさ」


 行動を起こすためには、意識しなければならない。上に手を伸ばすためにまず上を見なければならないように。顔を上げ、意識を研ぎ澄ませ高みを見ないことには、何もできない。


「小目標と大目標を区分けして、小さいことからひとつずつクリアするのは間違っていないと思いますが。アリスさんの戦略変更も、大目標のための小目標の調整でしょう?」

「またまたー。思ってもないこと言っちゃって。『ジョーズ』を見たことないやつがアサイラムのサメ映画の切り抜きだけ見てサメ映画好きを自認するくらい白々しかったぜ」

「例えが具体的過ぎる……」


 実際いそうなのが嫌だ。


「アリスくんのそれは調整なんかじゃない。いよいよ目の前の勝ちと命が惜しくなって自分の中の一貫性を保てなくなっているのさ。君は謙虚というより自己評価が低いから、希望的観測で自分が都合のいい解釈をしていると思っているのだろうけど、ってやつさ」

「そういうことを、ラブリィさんの立場で言っていいんですの? ゲームマスターでしょう?」

「分かり切ったことを誤魔化すのは文字数稼ぎってやつだ。それにいい加減、サービスタイムは終了しないと」

「……?」

「異世界転生して美少女になれば何でもうまくいくと思っているオタクくんたちを現実に戻さないとね。そのための助走をそろそろつけるタイミングさ」


 相変わらず言いたいことは分からない。まあ、オオカミ少年のようなもので、仮にラブリィが事実を言っていたとしても緑青が鵜呑みにするわけもないのだが。


「わたくしは……その提案に乗れませんわ」

 猪島の提案に対する緑青の答えは、既に出ていた。


「なぜだ?」

 アリスの問いに緑青は淡々と返す。

「今の手番はわたくしでしょう? つまりこの提案に乗れば、わたくしは一応チームである鈴ちゃんさんを攻撃することになりますわ。しかもその後、あなたがたが集中攻撃に応じてくれる保証もありません」


 タイミングが悪いのだ。これが猪島の手番であれば話は早い。猪島自身が鈴ちゃんへ攻撃すればこの作戦を本気で実行しようという覚悟が分かる。そうなれば、緑青も伸るか反るかを考えることができる。


 しかし今は、緑青の手番。仮に策に乗ったとして、まず動くのが彼だ。その後、猪島たちに知らんぷりされるリスクも緑青だけが負う。ひとりだけ、策に対して負う危険度が段違いである。

 策の良し悪しとか伸るか反るかとか以前に、このタイミングで提案されても緑青にはどうしようもない。


「だろうね。分かった。じゃあ緑青さんはぼくを攻撃してよ」

「え?」

 猪島はこの問題を解決する、ごく簡単な提案をした。


「ぼくはグーを出すから君はパーを出す。そうして手番をぼくに回してくれれば、ぼくから改めて鈴ちゃんへの集中攻撃を開始する」

「…………」


 緑青は少し考える。


(確かに、それなら問題はありませんわ)

 作戦のもっとも厄介な点である一番槍を猪島が受け持つ。これは妥当な提案だ。その上、この手番、緑青は猪島に勝ち無傷で終えることができる。


 さらに猪島の手番から再び緑青の手番が回る間が決断猶予シンキングタイムになる。その間に戦局が変わり、鈴ちゃんへの攻撃に乗らない方が吉となればそうすればいい。


 いずれにせよ、緑青に損のない提案だ。ひとまず受けるのがいいだろう。

(問題は……)


「…………」

 緑青はアリスを見る。アリスは別段、何も思っていないような表情でじっと成り行きを見守っている。


(妙ですわね……)

 少し前の個人情報暴露大会。そこで猪島はアリスの意図しない手番スキップを選択した。それは共謀の効果を薄めるものであり、アリスは歯噛みしていた。その空気感は緑青もキャッチしていたのだ。

(共謀相手の猪島さんが、文字通り命を差し出している状態。理があるとはいえ、鈴ちゃんさんを倒せるというのならともかく、倒せるかもしれない、共倒れしないことこそが主目的の策に差し出すには、少し大きすぎる代償ですわ)


 そもそもこの作戦に残機を差し出すのはやや本末転倒だ。作戦に生じうるリスクを加味すれば、相応の代償と言えなくもないのだろうが……。少なくともアリスの性格なら苦言を呈するのではないだろうかと緑青は踏んでいた。


(にもかかわらず、口を挟むどころかまったく動じていない? つまり……)

 ただ、いずれにせよ……。この八百長は緑青と猪島の問題だ。アリスがどう思おうが、最後の決断は緑青のもの。


「分かりましたわ。猪島さん、その提案を受けましょう」

「ああ、頼む」


 緑青がパー。猪島がグー。

 バトルロワイヤル野球拳、空前絶後、終盤も終盤、誰だって命が惜しいこの局面での八百長。


(とはいえ、普通に猪島さんがわたくしを騙している可能性はあるんですけども)

 さすがに緑青も、それは承知している。

 猪島が緑青のパーにチョキで合わせてくるかもしれない。では裏をかいてグーを出すかと言えば、そうでもない。


(さらに相手が読んでいてパーにしていたら? ……考えればキリのない話ですわ)

 さんざん考えた末に出す手と、八百長の提案通りに出す手。勝率は大差ない。

 それに。


(向こうが命を差し出すというのなら、わたくしも相応に差し出すべきですわ)

 猪島が自身の提案に残機を乗せるというのなら、緑青もまた、一時的にせよ提案に乗り甘い蜜を吸うために残機を乗せるべきだ。

 ここで猪島が緑青を出し抜けば、それこそ猪島集中攻撃の大義名分ができるかもしれない、という打算もまったくないわけではないが。


(ああ……結局、わたくしは騙し合いとか苦手なんでしょうね)

 散々ここまで戦っておいて、緑青がたどり着いたのはその結論。

(相手を騙そうとして気疲れするよりは、信じて裏切られた方が気楽ですわ)

 少なくとも、その方が納得感は強い。

 同じ負けて死ぬにしても、後悔は少ない。


「ださなきゃ負けよ!」

「じゃんけんぽん!」


 その結果は――――。

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