#15:安楽地点

「馬鹿が」

 メガネは苦虫をかみつぶしたような顔をした。すなわち、予想外の一手を打った鈴ちゃんを間抜けだと思っていることが明らかな表情だ。


「奇策というのは誰の想像もつかず、それでいて妥当性のある作戦のことだ。ただ相手の意表を突くだけの戦略は愚の骨頂。こけおどしだ」

「おぬしの認識できる世界だけが合理とは限らん。それだけの話だよ」


 攻撃を仕掛けた鈴ちゃんは飄々としている。想定通りメガネの意表を突いたのだから当然だ。


「どういうことだろう」

 猪島は首をひねる。この場で鈴ちゃんの戦略を読めないのはメガネと猪島だ。アリスは理解していた。


「自滅圏内、ということですわ」

「……自滅?」


 追い詰められていた緑青も、鈴ちゃんの挙動を不審には思ったようだが意図を察したようだ。


「緑青の残りの衣服は少ない。そしてこのゲームは自分の手番でも負ければ脱衣する羽目になる。つまり、こいつへの攻撃を止めても、手番が来るたび、勝手に負けて死ぬ可能性がある」

 アリスが猪島に説明する。


「もっとも、今の緑青の残機が自滅圏内かどうかというのは、プレイヤーごとの判断によるがな。僕はもう1枚くらい剥いてもいいと思うが……。あいつはそう思わなかったってことだろう」

「あるいは、わたくしを攻撃するよりメガネさんを攻撃する方を優先したのか……」


 アリスと緑青の言う通り。ゲームにおける合理的な選択肢は思いのほか少ない。一方で、確実にこの場面ではこの戦略を取るべき、と言える状況も多くはない。結局プレイヤーの好みや得意不得意に左右される部分が大きいし、そうでなければゲームに娯楽性が生じない。


 今回の場合、鈴ちゃんは緑青を自滅圏内と判断し、放置してメガネへの攻撃に切り替えた。そこには彼女の好みが多分に含まれている。だからアリスが注意したのは、彼女がこんなハンドルの切り方をした理由だ。


(そりゃ、僕だって緑青よりメガネの方が気に食わないが……)

 作戦行動に好みが影響するというのなら、緑青よりメガネを攻撃したくなる鈴ちゃんの好みとは何か。そこを知っておかないと、後々面倒になるかもしれない。メガネが先に落ちれば、必然的に残るのは緑青と鈴ちゃんなのだから。


(あるいは、まさかこいつも……?)

 アリスはある可能性を推測する。それはかなり飛躍した憶測だが、否定する要素もない。そもそも事実だと確定させる意味もない。肝心なのは鈴ちゃんがそうだと想定して動いているかどうか、だからだ。


「ふふん。そうでなくちゃ。ありきたりの展開なんてつまらないだろう? たとえそれがゲームにおける合理性の結果だとしても、つまらないのは事実だ! 奇策蛮策どんとこい! まあ困るのは私じゃないしね!」


 鈴ちゃんの作戦はラブリィの好みにはまったらしい。


「それでは勝負成立マッチメイク! 鈴ちゃんくんVSメガネくんのジャンケン勝負だ!」

「さっさとするぞ」


「…………」

 アリスは、考えた。ここから先の展開を。


「ださなきゃ負けよ、じゃんけんぽん!」

 勝負の結果は、メガネの負け。

『ジャンケンの結果が出ました』

『メガネ、敗北。衣服を1枚脱いでください』


 メガネは大人しくブレザーを脱ぐ。それはそうだろう。自ら残機を減らす脱衣という行為だが、この段階でプレイヤーに忌避感はない。8枚のうちのわずか1枚だし、ゲームがジャンケンである以上まったく脱衣せずゲームを終わることなどありえない。


 言ってしまえば、真剣ではない。メガネ自身が指摘したように。


「さあお次はメガネくんだ! 対戦相手を指名してくれたまえ!」

「…………」


 メガネはちらりと緑青を見る。既にあられもない姿であり、あと一押しで脱落するプレイヤーを。


(これは……

 そう感じたのは、緑青ではなくアリスだ。

(ここが正念場ターニングポイントだ。そしてメガネはそれに気づいていない)


「私は貴様を指名する、老害」

「まだまだ小便臭いガキよの。一時の勝負に逸って大局がもう見えなくなるとは」

「あの小娘は『』が手を下すまでもない。お前に格の違いを見せつけるのが先だ」

「ではジャンケンと行こうかの」


「一人称が変わったねえ」

 いつの間にやらアリスたちの隣に来ていたラブリィが小声で呟く。

「一人称の変更ってのはフィクションじゃ熱い展開だけど、実際に聞くと意外としょうもないものだよ」


「そんなものかな」

 アリスは適当に相槌を打つ。メガネの豹変がそこまで興味を引く演出じゃないという点は彼も同感だったが、ラブリィの言っていることにピンとは来ていない。

「まだ高校生の君には分からないだろうけどね。一人称ってのは他人に与える印象を大きく左右する要素さ。靖国神社で軍服着て小官なんて一人称で喋るやつがいたら、私は石を投げない自信がないよ」


「…………?」

 アリスはいまいち分からなかったらしく、代わりに猪島が反応する。

「一人称以外の要素が引っかかりすぎるけど、言いたいことは分かるよ。学校の教師が自分を先生って呼ぶと、押しつけがましい感じがするのと同じだろう?」

「まあそういうこと。メガネくんはフラットな一人称で企業人ビジネスパーソンとしての自己を演出していたんだろうけど、それが崩れた」

「自分は当分狙われないと思っていたら攻撃されたからかな?」

「そうだねえ」


 ラブリィは深くうなずく。

「自分が見下している相手に噛まれることほど苛つくこともないからね。彼にとって自分以外のプレイヤーは蔑視の対象だ。君たちは低俗ななろう系ラノベを読んで騒いでいるガキだし、鈴ちゃんは考えの古い老害。それが彼に見えている世界のすべてさ」

「そんなものか?」

 アリスの問いにラブリィはすかさず返す。

「そんなもの、さ。世界ってのはひとつじゃない。人それぞれに見えている世界は違う。老害は死ぬべき世界、犯罪者は死ぬべき世界、偏差値30以下は死ぬべき世界、不法滞在外国人は死ぬべき世界、障碍者は死ぬべき世界」

「殺したがりだな。さすがにデスゲームオタクは。……デスゲームの世界だけは違う、誰の命も平等に扱われるって言いたいんだろう?」


 ラブリィはアリスを冷たく見る。


「平等なんてこの世にないさ。言っただろう? デスゲームは不条理だ。平等なら不条理じゃない、不条理じゃないならデスゲームでもない。でも存在しない桃源郷ユートピア、だから目指す価値があるんだろう? 君たち人間の足はそのためにあるんじゃないのか? 存在しないものにたどり着くことさえできないなら、万物の霊長なんて過ぎた通り名だ。地球は今すぐ他の生物に返した方がいい」

「…………」


 滔々と語る彼女をじっと見ていた猪島の目は、何か言いたげだった。アリスもそれは感じたが、猪島がお人よしだといい加減気づいてきたので、何も言わないことにした。


『ジャンケンの結果が出ました』

『メガネ、敗北。衣服を1枚脱いでください』

 いつの間にか、勝負はついていた。メガネは舌打ちをしてネクタイを外す。


「さて長話が過ぎたね。次は緑青くんの番だ。どうする?」

「もちろん、メガネさんを攻撃しますわ」

「……!」


 メガネの顔に、初めて焦りの表情が浮かぶ。

(ようやく気付いたか。どっちが馬鹿なんだか)

 アリスはこの展開を予測していた。


 このゲーム、転落し始めると早い。集中攻撃されればまず持たない。それはメガネ自身が緑青を攻撃することで始まった一連の流れで実証済み。にも拘わらず、メガネは適当に自分の手番を消費してしまった。


(まだ緑青を狙っていればな……。ジャンケンの勝敗に関わらず緑青への集中攻撃が再開される可能性もあった。だがやつはその大事な手番を怒りに任せて鈴ちゃんへの攻撃に使った。自業自得だ)


 運に流れなどない。純粋な確率、漠然とした印象。仮にそれらしいものを感じても、すべては確率論の前に無意味だ。帳尻はあってしまう。

 しかしクソゲーは別である。なにせすごろくゲームでボリュームの少なさを誤魔化すために少ない出目しか出ないよう調整されていた例がある。ことクソゲーに関しては、純粋な確率が純粋な確率として維持されることさえ稀である。


 ゆえに、これは必然。

『ジャンケンの結果が出ました』

『メガネ、敗北。衣服を1枚脱いでください』


 ゲームの流れが変わった。

「アリスくん、これは……」

「続くぞ猪島。ここはメガネへ集中攻撃だ」


 それが最善。一方でアリスは、今の展開をあまり好ましいとは思っていなかった。

 なぜなら……。


(今のところ、展開の変化をすべて鈴ちゃんに握られているのが気に食わない)

 れむ脱落の流れ以外、ゲームの盤面をコントロールしているのは鈴ちゃんだ。アリスたちはその流れで、今のところ攻撃対象になっていないというだけに過ぎない。そして巧妙に、鈴ちゃん自身最初の一敗以外でジャンケンに負けていない。


 しかし次順。鈴ちゃんは気を揉むアリスのことなど知る由もなく、次の一手を打つことになる。

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