#18:トイレの太郎くん事件

 10年前の猟奇殺人事件。

 生前は高校生であるアリスにとっては、まだ物心がようやくついたころの出来事であり、普通なら覚えているものではない。しかしすぐに思い出した。それほど、日本社会に与えた衝撃の大きい事件だったのである。


 愛知県花草木市で起きた小学生男児の殺傷事件。通称『トイレの太郎くん』事件。その後、全国の自治体で学校の警備が大規模に見直されることとなったきっかけの事件である。


 それはまだ新学期が始まって間もない4月中旬のこと。市内の北花加護小学校に3人の小学生が侵入した。目的は肝試しだったというが、彼らはそこで幽霊の方がよっぽどマシなものを見つけてしまう。


 校舎3階の男子トイレ、一番奥の個室。そこで殺されていた少年の死体だ。

 便器の中へ押し込められた少年の頭部が、じっと彼らを見つめていたという。口の中にはトイレットペーパーを詰め込まれ、くりぬかれた眼窩はトイレ用洗剤で満たされている。あの緑色をした粘性の液体が流れ、血涙と一緒になって哀れな被害者の顔を汚した。


 すぐに警察が入ったが、肝心の首から下が見つからず捜査は難航する。センセーショナルな事件の常として、連日ワイドショーで取り上げられ、専門家を自称する厚顔無恥の素人が自分の分析とやらを披露する発表会の様相を呈していた。やれ犯人は若者だの、いや老人だの、男だ女だ、教師だ部外者だ……。


 ただそうした分析はまだマシな方だった。酷いものになると、犯人は死姦趣味者ネクロフィリアでそういう目的のために死体を持ち去ったのだとか、第一発見者の小学生三人組が犯人だとか……。被害者と目撃者の尊厳を侮辱するものもあった。


「よく、ミステリを読んでも人殺しはしない。だからフィクションに悪影響なんてないと言い張る人がいる。しかしそれは、僕からすればまったくナンセンスだ」

 当時、猪島牡丹が知り合ったひとりの男はそんなことを彼に言った。


「殺人は悪いことだ。そのこと自体は、おおむね社会で了解されている。社会的に『悪』だと認識されていることを実行するのは、非常にリスキーでね。そのリスクが人にブレーキを踏ませる。人間には合理性があるから、殺人という行為の結果として失うものを、どうしても勘定に入れるのだよ」

 その男は、捜査が行き詰った警察が呼んだ探偵だった。

 

 当人は「あくまでミステリ作家」だと言っていたが。後で猪島が調べると、その男――宇津木博士うつぎはくしは界隈では知られた名探偵でありミステリ作家なのだという。猪島はミステリに明るくないので、終始その男のことは「物腰の穏やかな紳士」としか思わなかったが。


「そしてフィクション作品も、そうした行為に対する社会的評価から自由ではない。というより、これは相互的なものだ。現実で悪だとされる行為だから創作物でも悪として描かれる。創作物で悪として描かれるからこそ現実でも悪と認識される」

「虚構と現実の区別に、意味はないと?」

「意味の有無ではなく、そもそもそんな区別はないのだよ。物語を虚構だと切り捨てたところで、その虚構を作る人間と、その虚構を楽しむ人間は現実にいるのだから」


「ならば、人殺しの物語を楽しむ人は悪なのでしょうか」

「そうでもないさ。現実と虚構の区別はなくとも、物語は物語だ。『殺人を描く物語』は決して『誰かの起こした殺人事件』ではない。さらにいえば、ミステリは構造上、殺人を悪として断じるものでね。そうでなければ探偵が推理を巡らせて事件を解決する意味がない。殺人が悪でないのなら、放置してもいいということなのだから」

 あるいはそれは、探偵小説を愛し探偵小説で生計を立てる彼なりの僻目ひがめというやつかもしれない。


「だからミステリを読んで『よし人を殺そう』と思う人はまずいない。社会的に悪であるという認識がブレーキとなり、そしてミステリは殺人を悪としているのだから。しかし一方で、探偵行為を悪だとは言わない」

「真実の追及は悪ではないでしょう?」

 男は断言した。

「間違いなく悪だ。しかも真実の追及という大義名分によって、悪であるという真実を総員から等閑視スルーされた

 探偵であるにもかかわらず、男はそう言ったのだ。


「僕はね。真実を明かして人を傷つけるくらいならたかが殺人事件の一件くらい放置してもいいと思っているよ」

「……それは」

「もちろん、極論だ。探偵として真実で人を傷つける僕の脆弱ナイーブな心が生んだ極論だ。そして事件を解決するのは何も、真実のためだけじゃない。殺人を犯した人間が放置されれば、殺人という行為が裁かれないという前例が生まれれば、社会は崩壊する。それを避けるためには関係者の痛みを無視しても、解決するしかない」


 男は目を伏せる。

「解決するしかない。分かっているよ。だから余計に、探偵ごっこで他人の心を乱す人たちが僕は、無視できなくてね。だというのに、僕がこうして探偵行為に勤しめば勤しむほど、探偵が事件を追うのはかっこよくて知的で素晴らしい正義の行いだという認識が積み重なる」

「…………」

「人は仕事をしないと生きていけないが、望んだ仕事に就けるわけじゃない。あるいは、望んだ仕事に就いても望んだ結果を得られるわけじゃない。とはいえ、僕はやりたいことと、やるべきことと、できることがある程度一致したから今の仕事をしているのだ。文句は言えないがね」


「ぼくもなれるでしょうか」

 猪島は尋ねた。

「望んだ仕事に就けるわけではない。就いた仕事で望んだ結果が得られるわけでもない。そんな困難を抱えても生きていく……そんな大人に」

「それは、君次第だ。そのためにもまず、君は――――」


 己の罪と向き合わなければならない。


 面会室のアクリル板越しに、宇津木は優しいまなざしを猪島に向けていた。


 猪島牡丹という名前は、基本的に公表されていない。当時15歳の中学生だった彼は未成年であり、少年法の保護下にあったため氏名の公表は控えられ、ただ『犯人の少年』とだけ呼ばれていた。


 ではアリスたちがなぜ猪島牡丹を事件の犯人と把握していたのか。明らかに常人とは異なる地位を持っていただろう鈴ちゃんはともかく、一介の高校生が知っているのか。それはもちろん、公表されたからである。


 少年法第61条によって、事件犯人の氏名公表は禁止されている。氏名に限らず、当人だと推測できる情報も含む報道――いわゆる推知報道も同様である。しかしことは報道の自由と市民の知る権利にも深く関わる問題であり、場合によってはこうした法律を踏み越えた報道が行われることがある。


 法律とは権力者が定めたルールであり、報道とは権力者を監視し批判するものだ。ゆえに報道において法律やその他ルールをあえて破ること自体は職業倫理の面から肯定されうる。問題は、その妥当性だ。


 猪島牡丹の名を公表したのは週刊誌である。ジャーナリスト気取りのゴシップライターは「市民には知る権利がある」「被害者の名前が公表されて加害者の名前が隠されるのは不平等だ」と熱く語った。しかしこの事件の被害者――太郎くんの名前や経歴を公表したのも他ならぬこのライターだったという事実は、あまり知られていない。つまりその程度の理屈でしかないということだ。


 すぐに批判を浴び、雑誌は回収されたが既に遅い。記事は写真を取られネット上にアップされ、一生残り続ける傷跡デジタルタトゥーと化した。


 人は罪に対する報いを受ける。しかし、では……。雑誌の売れ行きと個人の承認欲求のために氏名を公表されることが、猪島牡丹の受けるべき罰だったのだろうか。


 それは彼自身にも分からない。彼には、何も分からない。自分がこれからどうなるのかも。


 そもそも、彼はどうして事件を起こしたのかもまったく分からなかったのだから。

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