#28:秘密の話
『ジャンケンの結果が出ました』
『猪島、敗北。衣服を1枚脱いでください』
運否天賦のジャンケンも、このくらいの偏りは生じうる。あくまで確率の範囲内。それは分かっていても、どうして鈴ちゃんが負けないのか、理解できない。イカサマを使っているのかと何度も考えるが、それは無駄な思考だとすぐ誰もが気づく。
勝つべき時に勝つ。だから彼女は……。
(どのみち、わたくしは鈴ちゃんさんを相手取る必要がないのですから考えるだけ無駄ですわ)
緑青はここから先の展開を考える。
(流れで彼女とチームを組むことになりましたけれど、尋常の展開では鈴ちゃんさんと猪島さんが勝ち残るだけ……。鈴ちゃんさんは組んだと言っても、最終的に自分が生き残ればいいのだからわたくしのフォローをしてくれるわけではないでしょう)
ちらりと、アリスを見る。残り4枚という状況だが、ブラウスやスカートを脱いでいないため恥ずかしい姿にはなっていない。一方の猪島も、今になってようやく片方の靴下を脱いだところ。
(まさか鈴ちゃんさんを攻撃して脱落させるわけにもいきませんから、必然、落とすのはアリスさんと猪島さんということになりますわ。アリスさんは自滅圏内。このまま流れで脱落するでしょうからひとまず置くとしても、問題は猪島さん)
残機5枚の猪島を、どう脱落まで導くか。その戦略が緑青には求められる。
(自滅圏内なのはわたくしも同じ。手を打たずにズルズル戦えば順当に脱落してしまう……けれども)
そこで、緑青が気にしているのは一点。
果たして。
アリスと猪島のチームはいまだに健在と言えるのか。
(これはあくまで印象ですけれど、殺人犯である猪島さんをアリスさんが相方として認め続けるとは思えないんですよね……)
印象論、というより追い込まれた緑青の希望的観測を多く含むが……。
(希望的観測を事実へ変えなければ、勝ち目はない……ですわね)
どうせ攻撃対象にされる可能性の高い立場だ。ならば、悪目立ちのリスクなど今更気にしてもいられない。
「わたくしの知り合いに、それはもうすごいお嬢様がいるんですの」
「……何の話だ?」
アリスがいぶかしむのを尻目に、緑青は話す。
「わたくしの地元は愛知県でして、それで猪島さんのことも多少は記憶に残っていたのですが……。ともかく、そのお嬢様は平安時代から続く名門一族の家系だそうで、大抵のことはできる人でしたわ」
「愛知県の名門……平安から。
まさかの鈴ちゃんからの援護射撃である。しかも適当に話を合わせているのではなく、マジでそういう一族がいるという情報があるらしい。
「ぼくも聞いたことがあるよ」
猪島も反応する。
「不動産王の朝山家と数寄者の夜島家。風の噂では能力の遺伝というものが科学的に理解されていなかった時代から婚姻によって品種改良を行ってきた禁忌の一族だとか」
「そうじゃな。今はさすがに時代錯誤も甚だしく品種改良などしておらんが……。その一族のご令嬢となれば常人から隔絶した能力の持ち主じゃろう。わしも会ったことはないが……」
「さすが鐘楼院家の当主様。その夜島のご令嬢が知り合いなんですの」
(へ、へえ……。部長ってそんなとてつもない名家の出だったんですの?)
話が明後日の方向に飛びそうで冷や汗をかきながら、なんとか軌道修正を試みる。
「そういうとんでもないお嬢様でしたから、付き合う恋人もまたおかしな人でして。なんでも高校生探偵なんですって」
「何の話だ。お前の妄想小説のプロットを聞きたいんじゃないぞ」
「その高校生探偵さん曰く」
アリスの発言を無視して続ける。
「殺人犯もただの人、なんだそうですわ」
「…………!」
目を見開いたのは猪島だった。
「彼は探偵として多くの殺人事件を解決してきた。それは裏返せば多くの殺人犯と接してきたということ。その彼が言うには、殺人犯もただの人。人を殺した人間でも、他の人間と大した違いはなかったそうです」
「そんな馬鹿なことが――」
「そもそも」
やはりアリスの言葉を無視して続ける。
「殺人とは人間の営為ですわ。ゆえに、殺人を犯した者が人間でないはずがない」
ただ緑青自身、この高校生探偵の言葉を鵜呑みにはしていない。
殺人という行為が禁忌に属するのは直感的に分かる。一方、殺人が人間の営為だということも理解できる。狩りなどを理由にしない、生存欲求からやや離れたところで起きる加害行為は、人間の知性から導かれる行動だ。しかし……それを彼に言われても。
緑青は彼を知っている。部長の恋人である高校生探偵を。まるで背景に書き込まれた
「もっとも、わたくしはどうも彼の言葉に納得はしていないんですけど」
そういう超然的な態度の男が何を喋っても、説得力はない。それこそラブリィに人間としての在り方を問われても困惑するのと同じ感覚を、緑青は生前味わっていた。
ラブリィのように、明らかに人間を上回る存在だということではない。むしろ下回る。
人間としては明らかに欠陥製品だ。ただ探偵としての機能が他より隔絶しているから、社会に置いておいた方がいいと判断されて人間扱いされているだけ。田舎の駅に住み着いた猫に駅長の肩書を与えるのと大差ない。
そんな男の言葉など、意味はない。だがそれは高校生探偵を知る緑青にとってはという話。彼を知らないアリスには、ただただ神経を逆撫でする正論にしか聞こえない。
アリスはじっと、緑青を睨みつけていた。車通りのない横断歩道を信号無視して渡り、それを咎められた小学生のような目をしている。
(これで少しは苛立ってくれれば、それでいいですわ)
いわばこれは挑発。アリスが猪島を切りたいと思うための感情の揺さぶり。
元々アリスは猪島を切りたがっている。ならば理由があればいい。
緑青の発言への反論。その証明としての猪島切り捨て。殺人犯は人ではない、許されざる存在だとアリスが言いたいがための、性急な切り捨て。それを煽るための挑発。
(まあ、これでうまくいけばいいんですけども)
もっとも、この挑発がそんな効果を生むのか緑青には定かではない。彼に人心のコントロールはできない。攻撃が緑青に向く可能性の方が高い。
とはいえ何もしないわけにはいかない。そして、これはあくまで前振り。
「わたくしのターンですわね。猪島さんへ攻撃します」
「……ああ」
緑青の本当の狙いは、猪島集中攻撃の流れを作ること。
無論、今の緑青に猪島以外を狙う選択肢はない。鈴ちゃんへの攻撃など論外。自滅圏内のアリスと緑青が互いを攻撃しあっても、鈴ちゃんと猪島を利するだけ。勝った場合のリターンを期待し、猪島を攻撃するほかない。
だから先ほどの挑発は、第一に鈴ちゃんへの意志表明だ。自分は猪島を攻撃するからできれば一緒に攻撃してほしいという目配せ。乗ってくれるかは分からないが、意志を示さないことには始まらない。
そして、アリスにも意志表明。これから緑青鈴ちゃんペアは猪島を攻撃するという合図。もし猪島を切り捨てるなら今がチャンスだと思わせるための発言。
「ださなきゃ負けよ」
「じゃんけんぽん」
かくして、緑青の決死の誘導戦略、その先行きを占うジャンケンは。
『ジャンケンの結果が出ました』
『猪島、敗北。衣服を1枚脱いでください』
「ふむ……緑青殿は男を見せたというところかの」
「美少女の体で男気もなにもないけどねえ」
鈴ちゃんの呟きをラブリィが拾う。
「しかしこれでアリスくんも猪島くんも残りは4枚だ。鈴ちゃんくん以外、ずいぶん脱落に近づいたねえ。猪島くんはどう動く?」
「ぼくは……」
猪島は悩む。さすがの彼も、現状が自分に不利だと気づいているはずだ。まだ確実ではないが、自分が集中砲火を浴びる流れに傾きつつある。
「緑青を狙え」
と、そこで。
思いがけない指図がアリスから飛んだ。
「え?」
当然、猪島はいぶかしむ。
「どうしてこのタイミングで、自滅圏内の緑青さんを?」
(猪島さんの言い分ももっともですわ)
別段、献身の気質はないが自分が狙われるものだと思っていた緑青も戸惑う。
(わたくしは自滅圏内。放置しても数巡、手番が来たら死にかねない。ならば狙うは鈴ちゃんさんでしょう。ただし、これは……)
そう。鈴ちゃんを狙うのが合理的。ただし、それはチーム戦を前提にした場合だ。
アリス猪島コンビと緑青鈴ちゃんコンビの戦いであると想定した場合にのみ導かれる合理性。
(これはつまり……。アリスさんを猪島さんを蹴落とそうとしている?)
アリスはチーム戦を想定していない。だから猪島に緑青を狙わせた。アリスと緑青が戦い消耗し合うのは無駄。だから緑青は猪島を攻撃した。だが緑青が勝利し猪島の残機を4まで削った今ならまた異なる。
アリス、緑青、猪島が3人で削り合えば鈴ちゃんだけを利する。それが今の戦局。
「ああ、自滅圏内だな」
アリスは猪島の発言を肯定する。
「緑青は自滅圏内だ。僕たちと同じ。だが、実はそれ以上だと言ったら?」
「それ以上?」
猪島はまじまじと緑青を見た。そう見つめられると今になって羞恥心がこみ上げてくる。なにせ今の緑青は上半身裸である。ブラウスもブラジャーも脱ぎ捨て、スカートとソックスを履いているというともすれば全裸より怪しい格好だ。
「緑青くんの残機は4枚のはずだろう? そうだよねゲームマスター?」
「緑青くんがここまでジャンケンに負けて脱いだのはブレザー、ネクタイ、ブラウス、ブラジャーだね」
ラブリィはどうにも遠回りな答え方をする。だが確かに脱いだのは4枚……。
いや。
ゲームマスターである彼女が胡乱な言い回しをするということは。
「……!」
「そうだ、猪島。気づいたな」
アリスが笑みを浮かべる。
「緑青はゲーム開始前、既に1枚脱衣している。具体的には……」
思い出すのは、初めて緑青がアリスの前に現れたとき。
彼女はトイレから出てきて、ハンカチで手を拭いていた。
「こいつはトイレでパンツを脱いで、そこで再度着用できなくなっているはずだ」
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