#34:ラストスパート
インターバルは挟まれなかった。脱落するべきプレイヤーはあとひとり、そして各人、瀕死の状態。ならば小休止なしでさっさと最後まで駆け抜けた方がいい。
明日は学校だけど、このゲームはエンディングまであと少しだからプレイしようとか、そういう感じ。緑青にもその気持ちは分かる。
なにより。
(あれを、30分も見ていたくはないですわ)
あれ。
リビングのローテーブルに飾られた。花瓶。
猪島牡丹の頭部が生けられた、花瓶だ。
「………………う」
緑青はこみ上げてくるものがあって、思わず手で口を覆い目を閉じて堪えた。腹の底からせり上がってくるものは口の中まで逆流したが、そこで止まり飲み下す。じりじりと喉を焼いて痛い。
猪島牡丹はたぶん、彼の犯した罪の花として生けられたのだろう。
首から上だけの死体を、花瓶に挿したグロテスクなオブジェ。口には花びらを押し込められ、目はくり抜かれうつろな眼窩だけがこちらを見つめる。頭部の花飾りは頭頂部へ丁寧に置かれていた。
「おや、緑青くんはスプラッタが趣味じゃない口かい?」
「趣味云々は関係ありませんわ」
ラブリィの指摘に荒々しく返す緑青。デスゲームと言い
だが猪島は違う。彼の頭部は今も血を流し、花瓶を伝いテーブルの天板を汚しているのだ。あたりにはあまり嗅ぎたくない生臭さも充満していた。
「れむさんのようにさっと消しては下さらないんですのね」
「もうこの空間も使わなくなるからね。汚したところで困りはしない」
ハウスキーパー、メイド長にあるまじき怠慢である。
「さて、猪島くんに引導を渡したアリスくんの手番は終了。次の手番は鈴ちゃんくんだ。どうする?」
「無論――」
鈴ちゃんは、指を差し示す。
「アリス殿を攻撃する」
(まあ、そうなりますわよね……)
緑青は順当にそう思った。
だがしかし、考えてほしい。残りの衣服を。
3名のプレイヤーの内、もっとも脱衣しているのは緑青で残り2枚。靴下だけを残した破廉恥な格好をしている。れむがいれば緑青の痴態に大いに沸いただろうが、もはやこの場に靴下を残し全裸の美少女を愛でようという頓馬はいない。読者がそうだというのなら止めないが。
一方、アリスと鈴ちゃんは残り3枚。いずれもブラジャー、スカート、パンツを残している。たった1枚の差だが、このいよいよゲームセットまで秒読みという展開で1枚の差は大きい。
「おい、待てよ」
アリスが口を挟む。彼が指摘したいのもそのことだ。
「ここは僕と鈴ちゃんで、緑青を攻撃するのが定石だろう? あとひとり落とせばゲームが終わるんだ。ゲームオーバーに近い緑青を狙うの――――」
「おぬしの定石だのは知らんよ。そんなものはワザップにでも書いておればいい」
(ゲーム情報サイトの
それはともかく。
むしろ緑青はやや驚いていた。そうは言っても鈴ちゃんがゲーム情報サイトを知っていたことを――では当然なく。
ここまで来て、アリスがまだ自分が有利だと思っていることを、である。
「思うんですけれど、アリスさんは個人的な好悪で猪島さんを裏切ったんですよ」
だからそのことを指摘した。
既にここまでのゲームを見ていれば分かる通り、この言葉に緑青の戦略はない。彼には人を出し抜いたり騙したりする経験が不足している。そんな戦略知略策略を弄することはできない。
彼にできるのは自分の想いを率直に、誠実に話すことだけ。
「だったら、自分もまた個人的な好悪に基づいて攻撃されると思わなかったんですの?」
「何を言っている?」
アリスが反駁する。
「僕は合理性に従って猪島を攻撃しただけだ。お前たちには感情的な選択に見えたのかもしれないがな。だとすれば、僕とお前で見えている世界が違う」
「ええ、そのようですわ」
この瞬間、緑青は理解した。
いや、理屈は既に把握していた。鈴ちゃんの言っていた、ドラマの主演になりたいという話。言い換えるなら、自分の筋書きだけを重視し、それ以外のあらゆるものがおろそかになる瞬間。
まるで幼児のままごと遊びだ。アリスがそういう人間であることを、緑青は理屈ではなく心で納得した。
「ではジャンケンを」
「待て。僕の言葉を――」
「だからさあ」
ラブリィがちょっかいをかける。
その目はにやにやと、笑っている。
「アリスくん、君はひょっとして今、説得パートを挟もうとしたのかな? 頭脳戦ものゲームものでありがちな、言葉で相手を翻意させて窮地を脱する的なあれ。言葉と理屈で相手を言い負かし自分の論理を通す。うーん実にカッコいい。でもね」
さっきのお返しとばかりに、ラブリィは突き刺す。
言葉の一刺し。
「君はカッコいい頭脳戦ものの主人公じゃないんだよ」
「……!」
「君は自分を主人公だとでも思ったのかな? このゲーム空間に拉致される前の、転生して乙女ゲームの世界にいるときから描写されたから? ゲームが始まるまで最初は自分の視点で物語が始まったから? だから君は自分が主人公だと思っちゃった? ついでにこの作品が掲載される媒体の読者は『犯罪者を罰する俺カッコいい!』って幼稚なやつの集まりだから猪島くんを適当に切っても失点にならない、どころか賞賛されると思っちゃった?」
全部言う。
もう全部言った。
「あまり笑わせるなよ」
ラブリィを? 鈴ちゃんを? 緑青を? 作者を? 読者を?
あるいは、この世に存在するすべてを、か。
「ただの平凡な高校生――能力や生まれが平凡というだけでなく、その心根からして平凡な高校生が主人公になんてなれるわけないだろ。平凡に帰宅部でダラダラ過ごし、勉強も適当にしかやらず、青春を頑張る同年代を横目で馬鹿にして、犯罪者と見るや自分の人生と関係なくても愚弄したくて仕方ない平凡な君が、主人公?」
もう一度言った。
「あまり笑わせるなよ、ただのガキが」
「僕は――――」
「じゃんけんぽん」
「あ――――」
鈴ちゃんは既に、手を出していた。
『ジャンケンの結果が出ました』
『アリス、敗北。衣服を1枚脱いでください』
「おい、待て、まだ準備が」
「その流れ、れむさんのときにもうやりましたわ」
緑青がアリスの前に立つ。
言うまでもなく、対戦指名。
「ださなきゃ負けよ」
「だから待てって!」
アリスは声を荒げ、中断を要求する。
「おかしいだろ! なんで僕なんだ! 残機が一番少ないのは緑青――」
「それはさっきまでの話じゃのお」
鈴ちゃんが鷹揚に答える。
「年寄りのわしが言うのもあれじゃが……今を生きるのじゃよ、少年」
「だが……」
「そもそも今は緑青殿の手番じゃし。緑青殿が緑青殿を指名するとか訳分からんじゃろ」
実際その通りで、アリスの「緑青攻撃」という合理性は今この瞬間に限り何の意味も持たない。
「ああそれとな、若造」
「なんだ?」
「おぬしは自分を、間違いを犯さなかったと言ったが、それは違うじゃろ」
「…………え?」
「おぬしは、何もしなかっただけじゃ」
何もしなかった。
正しいこともはおろか、間違ったことさえ。
「人間、動けば間違うものじゃ。裏返せば、間違いは動いた者にしかできん。過ちとはな、そのリスクを負いながら一歩を踏み出したものに与えられる称号でもあるのじゃ。だが、動かなかったものにはそんな頑張ったで賞も与えられん」
元不良の武勇伝を聞かされるのがうんざりだ、という話は枚挙にいとまがない。確かにうっとおしいことこの上ないのは事実だ。だが、それが武勇伝として機能するのには一定の理がある。
なぜなら、間違いは動かなければ犯せないから。武勇伝を聞かされる身の居心地の悪さは、そんな努力賞すら持たない、動かなかった自分を責められているような僻目も一部、ないではない。
「無論、間違わないのがいい。理路を正して動けば間違いようのないこともある。しかしの、間違うことさえしなかった臆病者が、一歩を踏み出さず安全圏でただぼうっとしておるだけのやつが、間違ったものを笑うのは何様のつもりなのかの」
「犯罪を肯定し――――」
「ところでさ」
アリスの言葉へ被せるように、ラブリィが声を出す。
同時に、彼の足元に冊子が落ちる。
それは……ゲームの説明書。
ではなく、暴露大会の際、ラブリィが読んでいたアリスの経歴書だ。
「こいつを見てくれ、君の経歴さ」
「僕が自分の経歴を見て、何に……」
「君、クソゲーマーだってね。でもさ、見てくれよ」
もう一冊、同じものをラブリィは持っていた。それを鈴ちゃんに見せる。
「これはこれは」
鈴ちゃんの反応に引っ張られ、アリスは自分の冊子を見る。
そこには。
『趣味:ゲーム実況鑑賞。特にクソゲーのプレイ記録がお気に入り。いつか自分でもプレイしたいと思っている』
「エアプ勢乙」
「ちが……嘘だ、こんなの……」
「いるよねーエアプのくせに自分が一人前の趣味者だと思い込むやつ。マジ迷惑」
「だから……」
必死に冊子をめくる。
そこで、アリスは、見た。
『死因:歩きスマホによる信号無視』
「え………」
おかしい。
だって、アリスの記憶では。
トラックに轢かれそうになった子どもを、庇って。
「じゃんけんぽん」
「――――――」
ださなきゃ負けよ。その意味は、文字通り。
「その場で駄々をこねて床に転がっていれば状況が少なくとも膠着するというのは、幼児だけの特権ですの」
『ジャンケンの結果が出ました』
『アリス、敗北。衣服を1枚脱いでください』
「ただ押し黙っておっても、時計の針は進むものじゃな。一秒一秒を有意義に……というのは無理にしても、もう少し流れる時間に自覚的であるべきじゃの」
緑青と鈴ちゃんは、アリスの前に立ちはだかる。
黒幕の一族。日本を裏で支配する影の一門だとか、そういう設定はもはや意味がない。
目の前で自分に銃を突き付けている人間がふたりもいる。抵抗する手段がない。だから怖い。アリスが感じる恐怖は、それと何ら変わりがない。
「さあ最終バトルだっ! アリスくんは誰を指名する?」
ラブリィのナレーション。
アリスは動けない。
「ふむ。さすがに手番のアリス殿が動かぬとどうにもならんの」
「じゃあ、わたくしたちが同時に手を出しましょう。」
まるで百貨店のレストラン街で昼食を何にしようか悩む夫婦のように、ふたりは平然と言葉を交わす。
「アリスさんは手を出した後で、わたくしたちのどちらを指名するか選んでも構いませんわ」
「それでいくかの」
「じゃあ……」
「ださなきゃ負けよ、じゃんけんぽん」
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