#33:生き残った先に

 猪島牡丹には、生き残らなければならない理由がある。

 それを言い出したら、どのプレイヤーだって負けたくはないし死にたくはないのだが。


 とはいえ、ここまで見てきたように、猪島牡丹の性格は人殺しという経歴に反しむしろ温厚である。どうして人殺しをしたのか分からない、というのは彼の率直な心情であり、また彼を知る人間なら誰もが抱く疑問だ。

 

 そんな彼だから、ともすれば他人に勝ちを譲り自分は死を受け入れる、ということもありうるのだ。そもそもデスゲーム――生存をかけた殺し合いと表現すると勘違いしそうだが、彼らは。死んで、本来ならあり得ない第二の生を異世界転生で獲得したところを、ラブリィに拉致されているのだ。


 本来は絶無のチャンスが舞い降りた。それを獲得するための戦い。裏返せば、そんなチャンスが巡ること自体奇跡なのだから、それを放棄したところでマイナスとは言えない。精々ゼロ地点。勝負を捨てても、死という当然の結果が順当に処理されるだけ。


 だから猪島には、死を受け入れるという選択肢があった。彼の性格ならそれを選択する可能性も高かった。だが、彼は今、生き残ろうともがいている。


 猪島が戦いを諦めそうになるごとに、彼を奮い立たせるものがある。それは彼の頭に飾られた、重たいくらいに大きな花飾り。転生先で出会ったある人との、大切な思い出。


『ジャンケンの結果が出ました』

『鈴ちゃん、敗北。衣服を1枚脱いでください』

 ラブリィとアリスの衝突から、ゲーム再開は恐ろしく静かだった。


 鈴ちゃんの手番、指名したのはアリス。ジャンケンの勝敗は、アナウンスされた通り。

 鈴ちゃんがついに負け脱衣したという状況にも関わらず、各人のリアクションは薄い。


 なんだかんだ、運営でありガヤ要員であるラブリィがゲームの空気を作っているところがあったわけだ。


「さて、次は緑青殿の手番じゃが」

 靴下を脱ぎながら、鈴ちゃんが語る。

「結論は出たかの?」


 結論。言うまでもなく、猪島の提案だった鈴ちゃん集中攻撃という作戦に同調するか否か、という点についての結論である。


「念のため言っておくが、わしはおぬしが何を選択してもとやかく言う立場にない。共闘していると言っても、なし崩し的なものじゃからな。わしを攻撃したとして裏切りとは言えまい」

「それは、ぼくにしても同じだ」


 猪島も、緑青に再び宣言する。


「ぼくの提案に乗って鈴ちゃんを攻撃する義理は、君にはない。八百長で君に一度勝ちを譲ったが、それも気にしなくていい」

「…………」


「そうだよねえ。緑青くん、今君の考えていることは私でも簡単に分かるとも」

 ラブリィが割って入る。

「この状況、どう考えても鈴ちゃんくんを攻撃するよりアリスくんを攻撃する方がいいものねえ」


 露骨な誘導である。が、ラブリィの言っていることは事実だ。

 アリスの裏切りを大義名分にして集中攻撃を開始すれば、アリスを落とすことは容易い。それを分かっているから、先のターンで鈴ちゃんはアリスを攻撃している。緑青と鈴ちゃんでアリスを攻撃すれば、さしもの猪島もアリスを攻撃した方が利点は多い状況になる。


 無論、鈴ちゃんからすればアリス集中攻撃は好都合この上ない。猪島の作戦はひとり勝ちだった鈴ちゃんを削り合いの土俵に導くものだったが、ラブリィの提案はむしろ逆。アリスにヘイトが向けば残機で優位を保つ鈴ちゃんはまず脱落しない。そして緑青にとっても、鈴ちゃんを敵に回すリスク無く、共闘の建前を保ったままにできるのはなんだかんだ言ってもメリットだ。


 猪島からすれば、身銭を切ってまで流れを作った作戦なので緑青には乗ってほしいが、それを言えるほど彼は図太くないのだ。

 だが。


「わたくしは、鈴ちゃんさんを攻撃しますわ」

「……それは」


「確かに、アリスさんへ攻撃する方が得は多いでしょう。ですがわたくしは、八百長を受けてまで作戦を通そうとした猪島さんへの誠意に答えることにしましたわ」


「誠意、だと?」

 アリスが嘲笑う。

「殺人犯に誠意もクソもあるか。そんなことで勝機を逃すのか?」

「別に負けるつもりもありませんし、それに……」


 緑青は毅然と言い放つ。

「わたくしはアリスさんより猪島さんに味方した方がと思ったので、そうしますわ」

「……馬鹿が」


 アリスが自分の感情に左右され行動したのなら、緑青も己の心に従う。


「それでは勝負成立マッチアップ。さあどうぞ」

 勝つことこそ、生き残ることこそ至上のデスゲームで、勝機よりも道理を優先した緑青、その果てに待つものは……。


『ジャンケンの結果が出ました』

『鈴ちゃん、敗北。衣服を1枚脱いでください』

「……これは!」


 猪島は驚嘆した。鈴ちゃんの二連敗。これで彼女の残機は4枚。いつの間にか、残りの衣服が他プレイヤーとそう大差ないところまで近づいてきている。

 天高くそびえると思っていた牙城は、しかし手を掛けてみれば思いのほか低かった。


「どんな難関も、挑まなければ乗り越えることはできない。案ずるより産むがやすしとも言うしね? まず一歩を踏み出してみることさ。そうすると、恐れていた大きなものが、意外とそうではないことに気づくものだ」

 ラブリィも、徐々に口数が戻り始める。


「さて、猪島くんの手番だけど?」

「ああ。ぼくも鈴ちゃんへ攻撃する」


『ジャンケンの結果が出ました』

『鈴ちゃん、敗北。衣服を1枚脱いでください』


「……揺り戻しかのお。これだから運否天賦は怖いものじゃ」

 ついに鈴ちゃんはブラウスに手を掛ける。

 残り、3枚。


「浮かれているところ悪いが、本当に無駄な手番だったな」

 だが、次の手番はアリスである。

「今更鈴ちゃんの残機が減っても意味がない。緑青と猪島が削り合うというのならともかくな。まあ、僕がダメージを負わなかったから何でもいいが」


 猪島提案の鈴ちゃん集中攻撃は、当初は半ば自棄の作戦だった。3人の泥沼を避け鈴ちゃんを削り合いに引きずり込む道連れ戦術。提案した猪島はもちろん、乗った緑青も対象になった鈴ちゃんも、誰も彼女を落とせるとは思っていなかった。

 この作戦の意義はあくまで、削り合いの恨み合いの抑制。恨みっこなしの状態を作ることにあった。


 だが、ことここに至り、鈴ちゃん脱落の芽が出てきた。3人の集中攻撃が敢行されれば十分、脱落圏内。しかし肝心の3人目、アリスの足並みがそろわない。


(ここで個人的感情を抑えて鈴ちゃん攻撃には……回ってくれないよな)

 猪島もそれは、諦めている。なにせ彼の残機は1枚。アリスが引導を渡したくて仕方なくなる状態。


「僕は猪島を攻撃する」

「受けて立つ」


 ここは乗り越えるべきだと、猪島は考える。

(ぼくがここでアリスくんに勝てば、鈴ちゃんがどう動くかは分からないにしても緑青くんとぼくでもう一巡、鈴ちゃんを攻撃できる。そうなれば、鈴ちゃんを倒す可能性は……)


 当然、ここを生き残っても次の一巡でアリスが再び猪島を攻撃するだろう。そこで死ぬかもしれない。鈴ちゃん集中攻撃の先陣を切り、その背後をアリスに撃たれた時点で、彼の生存は絶望的である。


 それでもあがきはする。だがそれは、溺れたネズミが足をばたつかせるのとは違う。生存本能による反射的な肉体反応ではない。己の意志と信念に基づく抵抗だ。


 人間の行いだ。


「お前は自分が更生したと思っているかもしれないが、うぬぼれるなよ」

 アリスが言い放つ。

「普通の人間は人を殺さず、悪いこともせず生きている。更生なんて必要ない。お前は間違えたんだ。勝手に間違えて勝手に反省しただけのくせに、偉そうにしているんじゃない」

「誰のことを言っているのかな、それは」


 猪島は語る。

「ぼくは君に、事件後のぼくについて話したことはない。ぼくが更生したのか、更生してどう過ごしたのか、偉そうにしているのかしていないのかなんて君は知らないだろう? なにせ、君はぼくが少年B、『トイレの太郎くん』事件の猪島牡丹だと気づいてなかったんだから。そのくらいの興味で、ぼくの今を調べているはずもないからね」


 アリスは猪島について喋ったのではない。彼の中にある、『更生した犯罪者』の姿を思い浮かべているに過ぎない。そこに実体はない。


 雨に濡れた子犬を拾う不良などいないように。義理と人情に厚いヤクザなどいないように。頭のキレる優秀な独裁者などいないように。


 アリスの中にいる猪島牡丹は、。存在しないものに準じて喋られても、どうしようもない。


「だしたら負けよ」

「じゃんけんぽん」

















『ジャンケンの結果が出ました』

『猪島、敗北。衣服を1枚脱いでください』

『ここで脱落者が出たのでお知らせします』

『猪島牡丹、脱落』

『残りプレイヤー、3名』

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