#32:相容れぬもの
ここで来たか、と緑青は思った。
同時にここで来るか、とも思った。
「どういうことかな」
猪島が尋ねる。人殺しながらお人好しなところのあるような彼でも、さすがにアリスが薄々自分を切ろうとしていたことには勘付いていたらしい。驚いている様子ではない。
「どうもこうも、お前を切る、ということだ」
アリスは冷徹に答える。
「お前が犯罪者だと知っていたら、そもそも組んでなどいなかった。それをここまで裏切らずにいておいてやったんだ。むしろ感謝されてもおかしくないと思っていたが」
「分からないのお」
鈴ちゃんが煽るように言う。
「ここまで裏切らずにおいた、とおぬしは言うが……。ここで裏切るというのも合点がいかぬ。猪島殿の提案はおぬしにとっても理があったはずじゃ。それに、この終盤の展開……裏切りを表明するまでもなく猪島殿が脱落する可能性も十分あったはずじゃが」
鈴ちゃんの言い分の方が、緑青には理解できる。猪島の提案は鈴ちゃんを必ず打倒できるというものではない。というか、この場で鈴ちゃんを打倒する案を練られる人間が果たしているだろうか。しかし、猪島の提案は4人のプレイヤーの誰が脱落しても恨みっこなしという健全な状態を導くものではあった。罵り合いながら鈴ちゃん以外の3人で蹴落とし合うよりは、いくらでもマシだ。
勝てないかもしれない。生き残れないかもしれない。それでも敗北に納得はできるし、なにより脱落に際し晒すだろう醜態も少なくて済む。
(まあ、誰に醜態を見られるのを気にするのだという話ではありますが)
緑青は自身の中で最悪の予感として積み重なっているものが、いつの間にか確信に変わっているのに気づきながら、今はそのことを無視する。
「どうだか。案外、ひょっこりこの人殺しは生き残っていたかもしれない」
「だとして、おぬしにそれが何の関係があるという? 猪島殿が生き残るということは、おぬしが死ぬということじゃ」
「お前が脱落する可能性は考慮しないんだな」
猪島の案を呑むならば、最終的に誰が生き残るかは定かではない。集中攻撃を受けた鈴ちゃんがころっと脱落する可能性もあるし、順当に緑青ら3人の誰かが脱落し終わる可能性もある。ただどちらにせよ、アリスが猪島への敵意と翻意を表明する意味は薄い。裏切るまでもなく、その場の流れで適当に猪島が脱落し、アリスが生き残る可能性だって十分にあるからだ。
もし猪島が生き残ったら? 4人のうちひとりが脱落したタイミングで、裏切りを表明して猪島を攻撃し、脱落に追い込めばいい。そのタイミングなら鈴ちゃん攻略で猪島もさらに脱衣しているだろうし、他プレイヤーも余裕がなくアリスの攻撃に合わせるほかない、という展開もありうる。裏切りで発生する「悪目立ちして逆に自分が狙われる」というリスクは低くなる。
だから緑青には分からない。今、このタイミングでの裏切り表明に意味が無いようにしか見えない。
(なにか意図がある? アリスさんには何か考えがあって…………)
そこではたと、緑青の思考は止まる。
自分を過小評価するくせに、他人を過大評価する。
鈴ちゃんに言われたことだ。
「まさか……特に理由はない?」
「そう言ったところじゃのう」
その答えは、鈴ちゃんも思い至った結論だったようだ。
「裏切りたいんじゃよ、あの男は。利用して、裏切って、腹の底で舌を出して笑いたい。自分がそういうドラマの主演になりたい」
「まあ……流れで猪島さんが脱落する可能性もある以上、今を逃せば裏切りを表明する機会を失うかもしれませんが……」
「合理性がない。そう思うじゃろ? 合理性なぞ、とどのつまり自分の背中を押すために用意する言い訳じゃからな。理屈と膏薬はどこにでもつく。ある程度頭が回れば、合理性などいくらでも用立てられる」
「つまりアリスさんは猪島さんを裏切る理由を捏ねながら、本音ではただ裏切りたいから裏切っているだけと……」
問題は、彼にそれをさせるだけの動機だ。それこそ緑青には理解できない。合理性がどこにでもついてしまうというのなら、より漠然とした心情の話などそれこそどうとでもなりそうなものだが。
「ミステリにおいて
ラブリィが語る。
「しかし、動機こそもっとも動かしがたいものだよ。理屈をこねれば『恨んでいるから殺す』とも『恨んでいるから殺さない』とも言えるけど、根底の恨んでいるという部分だけは変えようがない。人の心は簡単にその形を変えないのさ」
それはこれまでのゲームを見れば分かる。不可思議な空間に閉じ込められた状況ですら、山森れむは脱衣し自身の身体を貪ることを止められなかった。それが元で死んで転生したにも関わらず、渚は女を襲うことを当然とした。プレイヤーの大半がそうでありそんな者たちに負かされていても、メガネは特定ジャンルの小説読者を見下し続けた。
その人の魂にこびりついた感情は、転生し肉体を入れ替えても変わることはない。
だからこそ、所詮妄想なのだ。
死んで異世界に転生したくらいで、現代日本を何の努力もせず平凡以下の評価で生きただけの愚鈍が大活躍などできるわけがない。その愚劣さは魂に刻まれ、転生しても変わらないのだから。
「アリスくんは変わらなかったんだ。変わる気もなかった。殺人犯ながら普通の青年としての振る舞いで接してきた猪島牡丹を見ても、人殺しもつきつめれば同じ人間だって結論に達しなかった。彼の中では依然、犯罪者は自分たちとは異なる生態系に属する生き物さ」
「人間の転生者がその権利を賭けて戦うデスゲームに、虫けらが混じって権利をかすめようとしている。これに我慢ならん……という感じじゃの」
「御託はどうでもいい」
言葉による交流の拒絶。それは実質的な首肯と同じだ。
「僕は猪島を対戦相手に指名したぞ。さっさとジャンケンをしろ」
「ああ、分かっているよ」
アリスと猪島のジャンケン。
『ジャンケンの結果が出ました』
『猪島、敗北。衣服を1枚脱いでください』
「これが答えだ」
アリスが語る。
「僕は勝った。お前は負けた。それが答えだ」
「まるで勝った自分に理があるかのような言い分だねえ」
ラブリィがくちばしを挟む。
「どうだろうな。ただ、これで僕が負けて猪島が勝つなら、神はいないってだけの話だ」
「君の勝手な理屈で神様をいたりいなかったりするものじゃないよ、それに――」
彼女は腰にぶら下げていた鍵を一本、取り出す。
「私のデスゲームを君の正しさを証明するために使うなよ? 殺すぞ?」
次の瞬間。
空間からあらゆる凶器が顔をのぞかせ、狙いをアリスに向けていた。
デスゲーム運営の十八番、私情に基づくゲームへの介入。これもまた不条理が支配するデスゲームなら、あって当然。ラブリィがこれをしない理由はない。
だが、アリスは泰然としている。
「お前は僕を殺さない」
「どうしてそう言えるのかな?」
「偏執的なデスゲームオタクだからな、お前は。序盤なら見せしめになるが、この終盤で介入してゲームを崩壊させるのはお前の好みじゃないだろ」
「知ったような口を利くなと言ったはずだが?」
「僕はクソゲーオタクだからな。お前の思考はある程度読める」
「……………………」
しばらくラブリィはアリス睨み。
それから。
「まあいいか」
鍵を仕舞った。空間から飛び出していた武器も雲散霧消する。
「ゲームを再開しよう」
「……いいんですの?」
緑青はおそるおそる尋ねる。
「いいもなにも。デスゲームは何かの正しさを証明する舞台じゃない。それはこのゲームを組み立てた私にとっても、だよ。気に入らないやつが生き残ることもあるだろう。それもまた不条理、不条理ならデスゲーム、だ」
「わたくしは、そうは思わないんですがね」
緑青は語る。
「デスゲームについては、わたくしは存じません。ですから他ならぬラブリィさんが言うことなら、それが正しいと思いますわ。ただ……人と人とがぶつかり、何かを通して互いを理解し合うという営みはデスゲームに限らずどこでも行われることです」
「…………」
「デスゲームは何かの正しさを証明する舞台ではなくとも……。わたくしたちプレイヤーはこの不条理の中で何かをつかむことがあるでしょう。それが正しさなのかは別としても」
ラブリィは、そっぽを向いて腕を組む。
「……ふうん」
そのときの態度と雰囲気は、上位存在だとかデスゲームの運営などといった立場を無視して、見た目相応の少女らしく見えたのは緑青の勘違いだっただろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます