#2:アリス覚醒
再びアリスが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
「ここは……」
上体を起こし、アリスは周囲を見渡す。ダブルサイズの豪奢な天涯付きベッドに彼は横たわっていた。おそらく寝室のようだ。ベッドの他にあるのはドレッサーやスツール、小さい冷蔵庫くらいとすっきりしている。寝ているベッドのシーツに触れるとさらさらと肌触りがいい。簡素なデザインだが、上等なものを使っていると伺える。
窓には厚いカーテンがかかっており、外を見ることはできない。ハイヒールの存在すら未知であるアリスは、しかしぼんやりとここはホテルのロイヤルスイートルームのような場所だと感じた。
起き上がる。いつまでも寝ていても仕方がない。
「…………ん?」
そこで彼はふと気づく。
冷蔵庫?
ベッドの横に置いてあったスリッパを履き、冷蔵庫に近づく。アリスはそれを冷蔵庫だと思ったが、はたして本当に冷蔵庫だろうか。『アリスロマンス』の世界は設定的には中世のはずで、当然白物家電などあるわけがない。それなのに冷蔵庫?
「……冷蔵庫だ」
飲み物を冷やしておく小さい冷蔵庫。間違いない。中に入っていたのはペットボトルのミネラルウォーター。ペットボトル! プラスチックもまた、中世にあるはずのないものだということは論を待たない。
ドレッサーにあるスイッチを押す。鏡面の上部にある明かりが灯る。アリスがドレッサーと冷蔵庫を探ると、コンセントとプラグを見つける。これで確定した。今、彼のいる世界は現代……少なくとも電気を利用した文化が一般的な世界である。
では彼は元いた世界に戻ってきたのだろうか。トラックに轢かれたというのは幻覚で、下校中にただ意識を失っただけ? そしてここに運ばれた? その答えはドレッサーの鏡が映し出す。鏡に映るアリスの姿は、『アリスロマンス』のパッケージに描かれた主人公の悪役令嬢、アリスそのままだった。
すなわち白い肌、黒い髪、赤い瞳。先ほどと違うところがあるとすれば、服装。先ほどスリッパを履いたことから分かる通り、もうハイヒールは履いていない。あんな無様を晒したのだから、そこはアリスがいの一番に確認していた。
今の彼の格好は、いわゆる女子高生の制服姿であった。セーラー服ではなくブレザー。リボンではなくネクタイ。丈の短いミニスカートにニーソックス。彼が今ゲームのキャラクターの姿をしているから様になっているが、現実の女子高生がこの姿をしていたら悪目立ちしただろう。そういう、現実にある制服ではなく漫画で描かれる制服のようなデザイン。
唯一、彼のよく知る『アリス』の姿と異なるのは、髪を水色のリボンで纏めているということくらい。その差異に意味があるとは思えない。
「ここから出るか」
状況がいまいち飲み込めずやや混乱している彼は、いちいち自分のすることを口にしなければ落ち着けなかった。部屋から出ると決めて、それを口にして、さて困ったのは部屋から出る扉は三つあるということだった。ふたつの扉は一方の壁に並んで配され、もうひとつの扉は別の壁にある。並んだ扉のひとつがすりガラスだったので、おそらくそちらは浴室なのだろうと思われた。
推測がつくからこそ、まずそこをアリスは確かめる。ダンジョン探索の基本は、行き止まりを先に見て宝箱を回収することだ。
やはりすりガラスの向こうは浴室である。正確には洗面所であり、その先にもう一枚すりガラスがあってそこが浴室になっている。必然的に、すりガラスの扉の横にある扉の先はトイレなのだろう。分かり切っているから確認はしない。
「トイレが作りこまれているゲームは名作」
益体のないことを呟いて、残る最後の扉へ向かう。当然、そちらが寝室から出るための扉である。
扉の先は、リビングルームが広がっていた。ゆったりとしたソファが2セットと、そこに挟まれるように置かれたローテーブル。大型テレビとスピーカー。ここでゲームをすれば面白そうだとアリスはなんとなく思う。
「や、やあ。起きたんだね」
「……ん?」
片方のソファには、ひとりの少女が腰かけていた。アリスと同じデザインの制服を身に着けたボブカットの少女は、少しおどおどした調子でアリスに話しかけてくる。小刻みに動くたび、頭についた馬鹿みたいに大きな花飾りが揺れる。
「これで全員かあ。ぼくたちこれから、どうなるんだろうなあ」
「…………」
その花飾りの少女の言い分は、まるでアリスと彼女以外にもこの部屋に人がいるかのようだった。そして事実いた。反対側のソファではもうひとりの少女が猫のように丸まって寝ている。
「ほら、起きてよ」
「ううん……」
花飾りの少女に起こされ、むずがりながら問題の少女が目を覚ます。アリスたちと比べて一回り小柄な少女は、やはり同じデザインのブレザーを身に着けている。長いひとつお下げを垂らし、その先端についた鈴飾りがしゃらんと音を立てた。
「おお、おぬしか。ようやく起きたようだの」
鈴飾りの少女はわざとらしい老人のような口調でアリスに声をかける。
「随分待たされてわしの方が寝てしまった。年を取ると眠くなっての、そして寝ている間にぽっくり行くわけじゃ。ま、今のこの姿なら老衰の心配はないがの」
「僕は寝ていたのか?」
「左様。叩いても揺すっても起きなかったのでな。どうしようもなくおぬしが目覚めるのを待っとったというわけじゃ」
「そういうことなんだよ」
花飾りの少女が同意する。
「ぼくたちも目が覚めたらこんなところにいてさ。他にも何人も。このホテルみたいな部屋に閉じ込められて出ようがなかったんだ」
「出口がない?」
アリスはざっと部屋を見る。自分が寝室から出てきた扉とちょうど対になるように、もうひとつ扉がある。それは出口ではないのだろうか。
「あれは寝室の扉じゃ」
アリスの内心を読んだように鈴飾りの少女が答える。
「寝室? 僕のいたところも寝室だったぞ?」
「じゃから、寝室がふたつあるのだな。この部屋はリビングダイニングを中心に、左右にベッドルームがある造りをしておる。おぬしのいた部屋は使用人向けの寝室、反対が主人用の一回り大きく豪華な寝室という具合だな」
「使用人を従えるような金持ちが泊まるスイートルームってことか」
「それっぽく仕立てたまがい物じゃな。本当にそれほどの金満家が泊まるなら使用人の部屋は別にある。旅行に来てまで顔を突き合わせるなど使用人の方が苦労するだろうて」
「詳しいんだな……」
「それなりに、な。もっぱらわしは
(まるで自分が金持ちのお嬢様だと言いたげだな……)
アリスは素朴な感想を抱いた。そして……。
(ん? ちょっと待て。僕と同じ制服を着た同い年くらいの少女だろ? だとしたら……)
頭をよぎるのはひとつの可能性。さらに、そこから類推されるある展開。
「しかしおぬしは出口を探そうとしないの。そこの小娘は散々わめいて探しおったが」
「も、もうっ! 恥ずかしいことをバラさないでくれ!」
二人の会話をため息ひとつでアリスは流した。
「探しても無駄なんだろう?」
「ほう……」
鈴飾りの少女は目を細めた。
「分かるか?」
「そりゃあな」
「わ、分かるってなんだよ?」
一方で花飾りの少女はうろたえるだけだった。アリスは無視して話を続ける。
「それで、これが面子全員ってわけじゃないだろ?」
「ああ。そら、そこにおるぞ」
老獪そうな少女がダイニングを指さす。そこに、ふたりの少女の姿があった。
(5人なら、まだ対応可能範囲だが……)
と、アリスは今後の展開を何やら思案するのだった。
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