#3:これからみなさんに

 鈴飾りの少女がさらっと言及したように、この部屋はリビングとダイニングがひとつなぎになった構造をしている。そうして形成された長方形の一室の左右に、ベッドルームがそれぞれ配されるという簡単な造りをしていた。


 片方の寝室から出てきたアリスがダイニングを目視するには目線を横へ動かす必要があり、リビングにいた自分以外の少女たちに注意が向いていたアリスにとってそれは難しい仕事だった。人間の注意力はカメラのピントのように、実に狭い範囲にしか合わせられない。


 だからアリスは、ダイニングで呑気にチャーハンを食べている少女の存在を鈴飾りの少女に言われて、ようやく確認したのである。


「…………」


 チャーハン。


 言わずと知れた中華料理であり、男の料理の代表格。男はどういうわけか必ず自分流のチャーハンのレシピを持っていて、それは脳内の辞書の間に挟みこまれている。ナポレオンの落丁甚だしい辞書の間にだって、油汚れでクタクタになったレシピのメモ書きは挟まっている、絶対に。ナポレオンの場合は小洒落こじゃれたエビピラフの可能性もあるけれど。


 遠目にアリスが見る限り、そのチャーハンは実に簡便なものだった。炊いたご飯に溶き卵をあらかじめ絡めてから炒める方式を取っていると見受けられる。これを邪道と呼ぶか、簡単にご飯粒をパラパラにさせる術と心得るかで男は三派に分かれる。残る一派は大人しく冷凍チャーハンを解凍する。


 ダイニングでチャーハンを食べているのは三つ編みのふたつお下げが特徴的なメガネの少女である。文学少女がレンゲでチャーハンを食べている。その光景をアリスの脳は否定した。


 いやチャーハンを食べているのが問題なのではない。アリスはあの少女をいわゆる『文学少女』だと断じて認めなかった。三つ編みにメガネだ。個々の属性はなるほど文学少女然としている。しかし目がいただけない。あの陰険そうなクマのある瞳だ。あれを文学少女と認めるのはアリスの男子高校生としての沽券に関わる。たとえ今は愛すべきクソ乙女ゲー『アリスロマンス』の主人公の姿を借りているとしても、アリスの心はクソゲーを親しむ男子高校生のそれなのだ。ゆえに文学少女には一家言ある。チャーハンのレシピと一緒に、理想の文学少女像は箇条書きのメモとして脳内の辞書へ挟み込んでいる。


 あれを文学少女と認めてはいけない。


 あれを文学少女と認めてはいけない。


 文学少女とは外見的属性によって決定されるのではない。文学少女とは小柄で小動物的な愛くるしさのある先輩でなければならない。その明るさの裏に梅雨の曇り空のような陰りを持っていなければならない。そして本を食べることで人の紡ぐ物語と向き合わなければならない。だからチャーハンを食べているあれはただの陰険根暗メガネでしかなく、重ねてあれを文学少女と認めてはならない。


 それはともかく。


 あの根暗メガネ虫を文学少女と認めるか否かはアリスの個人的な問題である。したがって彼は本心を押し殺し、そのメガネと接触した。


「えーっと、お前は」


「お前と来たか」


 メガネは神経質そうな見た目や所作とは裏腹に、大柄な口の利き方をした。


「異世界転移で王様の前に突然連れてこられたくせに敬語のひとつも話せないなろう系主人公みたいな口調だな。どうせガキだろお前」


「…………」


 おびただしい偏見の数々だが、ガキであるという点は図星だったのでアリスは黙らざるを得なかった。ついでになろう系にもある程度詳しいのでやはり黙らざるを得なかった。


 アリスはクソゲーの素晴らしさなら語れるが、なろう系については擁護できるだけの論理武装を持ち合わせていなかった。その程度の付き合いである。


「また随分喧嘩腰だな、君たちは。剣呑剣呑」


 ひょいっと、キッチンの方からもうひとりの少女が顔を出す。金髪オールバックにサングラスという明らかにカタギじゃない外見の少女だった。フライパンを持っているので、チャーハンを作ったのは彼女だろう。考えてみれば、神経質ゆえに料理の手順にうるさそうなメガネが、ご飯を炒める前にあらかじめ溶き卵と絡めるという手順でチャーハンを作るとは思えない。豪胆さと手際の良さという意味ではなるほどカタギらしからぬ少女の個性らしい。


 少女は外見こそカタギらしからぬ物々しさだが、気さくなところはむしろこの面子の中では一番だった。軽薄とも言えるが、不可思議なこの現状においては彼女のフランクさは好ましい部類である。


「しかしなろう系……? 異世界転生? とかなんとか、オレの知らない言葉が出るなあ。こりゃどういう状態なんだろうな」


「知らないなら幸運だな。知識として蓄えるだけ脳が腐る」


「腐ったミカンかよ」


「Web小説の主なジャンルだよ」


 たまらずアリスが解説する。


「主人公は現実世界の人間だけど、ある日死んでファンタジー世界で生まれ変わるって話があるんだ。生まれ変わる場合もあれば、元の身体のまま転移……ワープすることもあるけど」


「ふーん。そういやそんな話、前に読んだことがあるぞ? ああいうのかあ……」


「それならぼくもよく読むよ」


 花飾りの少女が口を挟む。


「と言っても異世界転生系は一昔前ほど流行のジャンルじゃない。今は追放ものっていう、主人公が元いた組織を追い出されて成り上がったり復讐するジャンルが人気だ」


「そりゃまた欲深いドラマもあったものだな」


 サングラスの少女は肩をすくめる。


「わしもひ孫がその手の話を好んでおったので聞いたことがあるよ」


 今度は鈴飾りの少女だ。


「なんじゃったか……ひ孫は悪役令嬢あくやくれーじょーとか言うのが好きじゃったな」


「乙女ゲームの悪役令嬢を主人公にした、追放ものの亜種だ」


 メガネにバトンが返る。


「やっていることは冒険者パーティから追放されるファンタジーと大差ない。なんなら悪役令嬢が婚約破棄された後は冒険者になる話もある。なろう系しか読んでないクソガキがなろう系を書くから、恋愛ものに発展させられなくてどこかで見た別ジャンルの展開をそのままなぞるんだ」


「それでも本になって売れるんだろ? オレの知らねー世界があるんだな」


 サングラスの少女は鷹揚な反応だった。


「それで……ここにいる面子で全員か?」


 アリスが尋ねる。


「この部屋にいるのは俺たち5人だけ、なのか?」


 すなわち花飾り、鈴飾り、メガネ、サングラス、そしてアリス。


「いや」


 サングラスが答える。


「もうあと2人……」


 彼女がそう言いかけたとき。


 勢いよくベッドルームに続く扉が開かれる。アリスが出てきたのとは反対の扉だ。


「いやーほんと、最高だこの体!」


 出てきたのは。


 あられもない下着姿の少女だった。


「ええ……」


 思わず鈴飾りは素の声を出した。


「おぬし、寝室に消えたと思ったらお楽しみじゃったか」


「そりゃ当然だろ! TSだぞTS! これで楽しまないやついないだろ」


 その少女は他の面々より肉付きがよく豊満だった。鈴飾りが小柄なこと以外、他の面子は体格にあまり差はないように見えたが例外もあるらしい。それがどういう意図によってそうなっているかは定かではないが。


「見ろよこのパイオツ! 生きてた頃は触れもしなかったのに今じゃ自分のものだぜ! なあ誰かレズプレイしようぜレズプレイ」


「誰かそいつを人生からBANしてやれ」


 メガネの発言に珍しくその場の全員が内心で同意した。


 実際のところ、アリスも普段からもし女性に生まれ変わったら「そういうこと」をしてみたいと妄想たくましくしたことは皆無ではない。しかしいざ自分がその立場になったら落ち着いてお楽しみする暇などなかったし、こうして実際にお楽しみしているやつが目の前にいると男のアリスでもドン引きしてしまうのだった。なるほどこりゃエロ本をコンビニに置くなって言うわなという話だ。


(しかし……この部屋は暑いのか?)


 不可解な状況に放り込まれたための動揺も原因かもしれないが、アリスは思い出したように部屋が暑いことに気づいた。いや、蒸し風呂のように暑いということはない。ただブレザー姿でいるのは少し居心地が悪く、全身にうっすらと汗をかき始めていた。目の前で痴態を晒す変態が下着姿なのは、単にお楽しみの邪魔だから脱いだというのもあるだろうが、行為の最中に暑くなってしまったという理由が大きいようだ。現に変態は汗だくである。


「気色悪い声が聞こえたのだけど、いったい何の騒ぎですの?」


 そしてもうひとり、寝室から出てきた。今度はアリスがいたのと同じ寝室からだ。


「……って、この部屋で変態を飼っているなんて初耳ですわ。ここはペット禁止のホテルでしょう? 捨ててらっしゃい」


 わざとらしいお嬢様言葉を喋る少女は、金髪碧眼のいかにもなご令嬢だった。腕に身に着けた古ぼけたバングルだけが不格好だが、それ以外は実に均整の取れた立ち姿。この場の全員(除く変態)の身に着けたブレザーは、彼女が着ることをまず想定してデザインを起こしたのではないかとアリスは思った。


 しかし……。


「やーお嬢様! どうかなオレとしっぽり夜のプロレスごっこなんて!」

「お黙り変態。今すぐ警察に突き出しますわ」

「そんなこと言ってお嬢様もお楽しみだったんだろ? ハンカチで手を拭いてさ」


 変態の言うとおり、お嬢様はレースのハンカチで手を拭いていた。


「馬鹿言わないの。トイレにさっきまでいたから手を洗っただけですわ!」

「嘘だー」

「誰もかれもあなたと同じで頭がピンク色に染まっているわけじゃありませんわ」


 アリスは思い返す。確かに、彼は寝室を出る前に浴室を調べたが隣の扉はトイレだろうと早合点して調べていなかった。どうやらそこにお嬢様は入っていたらしい。まあ、反対側の寝室を変態が占領している以上、そっちのトイレは使えないから当然だ。


 誰が悲しくて用を足すのに変態の変態を見なければならないのか。


(これで、7人か)


 変態はさておき、アリスは冷静に人数を数えた。部屋の広さや会話の端々の表現から、今度こそこれで全員だろうと思われる。


「夜のプロレス。いいねえ私ならぜひお相手させてもらうよ」

「お、話の分かるやついるじゃーん!」

「その代わり君が負けたらこのサングラスをかけてもらうよ。こいつは人間に擬態した宇宙人が見える特注品さ」

「なにそれ?」

「おいおいカーペンター知らないの? 『ゼイリブ』はさておき『ハロウィン』は知っているだろうブギーマンは? それとも日本人は貞子かい私はあれ好きじゃないんだよ公式がネタキャラにして遊ぶのがさ」

「…………え?」


 そこで。

 変態が素っ頓狂な声を出す。

 アリスも気づく。

 変態の会話の相手が、部屋にいるはずの6人の誰でもないと。


「な……」


 同時に、残りのメンバーも気づき、驚く。


 8人目。


「まったく最近の若いやつは。映画を見なさいよ映画を。『ゼイリブ』なんて前作特撮戦隊ヒーローでパロディされたんだから絶対リバイバル来ると思ったんだけどね。元ネタに対する敬意ってものが足りないよ君たちは。どうせ君たちはYouTubeでハートマン軍曹の罵倒切り抜き集を見てほくそ笑む悲しい趣味の持ち主なんだろう」


 8人目は、唐突に湧いて出た。リビングの一角に、まったく脈絡もなく出現したのだ。もちろん、7人全員が出現の瞬間を捉えていたわけではない。しかし物理的に、原理的に「湧いて出た」としか考えようがなかった。変態のように寝室にいたわけでもないし、お嬢様のようにトイレに隠れていたわけでもない。


 気づいたらそこにいた。


 クラシカルなエプロンドレスを身にまとったメイド姿の少女が、いた。


「まあいいや。それじゃあね……」


 そしてメイドの少女は宣言する。


「えー今から……――じゃなくて野球拳をしてもらいます!」

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