転生令嬢デスゲーム:悪役令嬢にTS転移したクソゲーマーは「今からみなさんに殺し合いをしてもらいます」と言われたのでとりあえず無双する
紅藍
#1:ここは乙女ゲームの世界
「アリス、お前との婚約を解消する」
それは当然初めて聞く三行半だったが、少女アリスにとってはよく聞き馴染んだ台詞だった。
公爵とその婚約者アリスの顔見せとなるはずだったパーティ会場。立食形式に整えられているにも関わらず、なぜか会場のど真ん中には天に向かい伸びる階段。上階などあるはずもないこの会場のどこへ繋がっているというのか。階段中ほどの踊り場にアリスは立ち尽くし、ふもとには大勢の観衆。
ひとりは言わずもがな、アリスの婚約者であるはずの公爵。
もうひとりは、アリスの妹にあたる
「…………」
アリスは婚約者と自身の妹に視線を送る。それは彼女の中でただ「見る」だけの行為だった。しかし妹にとっては「にらみつける」に相当したらしく、縮こまりながら公爵の腕に縋りついた。
「怖いです……公爵様」
「大丈夫。私が君を守るから」
次いでアリスは周囲のギャラリーを見る。臆病な妹ほど震えはしないものの、
それもそのはず。アリスの肌は白磁のように滑らかで色が抜け、髪は艶やかに黒い。瞳は燃える炎のごとき赤。それらはこの世界では、いずれも不吉の象徴とされるものだ。
「聞こえていただろう、アリス」
今一度、公爵は観衆の前で宣言する。
「私はお前との婚約を破棄する」
公衆の面前での婚約破棄。これはあまりにも不自然だ。第一に、アリスに婚約を解消される心当たりはない。これは主観的にそうであると同時に、客観的にもそうである。アリスはいわゆる悪役令嬢という設定だが、本当にただの設定である。「アリスは悪役令嬢である」という一文は、「日本人は勤勉な無神論者である」という一文と同じくらい空虚な駄文に過ぎない。
仮に、婚約を破棄されるだけの妥当な理由がアリスにあったとしよう。それでも不自然には違いない。どんな理由があるにせよ、『婚約破棄』――突き詰めれば破談があったなどと知られれば、それは両家にとって汚点となってしまう。ゆえに縁談はしくじらぬよう細心の注意を払って行われる。万が一にも婚約が解消されるとなれば、それは秘密裏に、かつ世間体が整う言い訳を用意して行うものだ。少なくとも、婚約を発表するはずのパーティでギャラリーを前にして行うことではない。
この婚約破棄はあまりに不自然で、合理性に欠けていた。この場合、通常考えられるのは公爵および公爵家があまりにも愚鈍で世間体を考える知能を持ち合わせていないという可能性だ。しかしそれはありえない。そのような愚鈍が公爵という地位を維持することは不可能だし、アリスの記憶する限り公爵とその一族がそこまで愚鈍だったという事実はない。
では妹がなにか企んだのだろうか。無論、それもない。見ての通り妹は臆病で小心者だ。その小動物的な愛らしさが公爵の
それならばなぜ、このように不自然な婚約破棄など起こるのだろうか。婚約破棄はあくまで物語開始の合図なのだから、婚約破棄自体の展開や背景、整合性はどうでもいいと言わんばかりの、不自然な流れはなんだというのか。陸上競技者がスターターピストルの音を「なぜ開始の合図はこれなのだろう」と疑問に思わないように、誰も婚約破棄という物語の前提自体は疑っていないというのだろうか。
ああ。
実はそうなのである!
(僕は知っている……)
このとき、婚約破棄を告げられた悪役令嬢アリスは実に冷静だった。なぜなら、『彼』はこの展開をよく知っていたからである。
(これは『アリスロマンス』の物語だ)
『アリスロマンス』。
2020年のクソゲーオブザイヤーにノミネートされた栄誉ある乙女ゲームである。
ありきたりなシナリオ。フリー素材の背景。大手メーカーによるノベルゲームであるにも関わらず少なすぎる
会社役員が製作費を中抜きするために作ったとか、税金対策、はたまた
(しかし……なんで僕がこんなことに?)
アリスは回顧する。彼の記憶にあるのはいつも通り高校へ通い、教科書で隠しながらスマホでクソゲーレビューを読むなにげない日常。
いや。
(そうか)
そこで彼は思い出す。下校途中のことだ。実に古典的なことだが、道路にボールが転がりこんだ。それを拾おうと子どもが飛び出した。そりゃ来るよねと言わんばかりにトラックが迫り、それを見て反射的に、彼は飛び出した。
彼の最後の記憶は、突き飛ばした先で呆然とする子どもの姿だけだった。
(子どもは無事らしい……。無駄死にじゃないのだけは幸いだな。トラックの運転手には悪いことをしたけども)
自身の死という局面を思い出しても、意外にアリスは冷静だった。冷静ついでに、自身の状況はおのずと整理されていく。
(なるほど。いわゆる異世界転生……しかも男の僕が悪役令嬢に
「なにを、笑っているんだ?」
ふと顔を上げると、公爵は引きつった顔でアリスを見ている。彼は自分の口元に手を当てて、そこで自分が笑みを浮かべていたことに気づく。
「ふ……ふふっ」
人が死ねばどうなるか。これは定かではないが、記憶を保ったままの異世界転生は幸運の部類に入ると推察するに余りある。しかし転生先がクソゲーとなると話は違う。しかも『アリスロマンス』はただのクソゲーではない。稀代のクソゲーだ。どの選択肢を選んでも、次にどういう展開になるかは完全な運。この世界は乱数という神々が支配している。これならオリュンポスの神々を信奉してゼウスに寝取られる方がまだマシだ。
普通ならば。
あいにく、アリスは普通ではない。
(まさかよりにもよって『アリスロマンス』とは……。しかし面白い)
『アリスロマンス』がクソゲーだというのなら、当のアリスは稀代のクソゲーマー!
(いいじゃないか。クソゲーどんとこいだ。なにせ『アリスロマンス』はクソゲーでもシナリオ自体は平凡。つまり……)
悪役令嬢を主人公にした平凡なラブロマンス。すなわち、目の前の公爵と妹をギタギタにしてぶっ潰す展開自体は用意されている。
問題はそこにたどり着けるかどうか、それだけだ。
(ランダム要素さえ制すれば、僕はこいつらを見返せる。フリーズやデータ破壊がないだけクソゲーとしてはマシなくらいだ)
「失礼、公爵様」
そしてアリスは宣言する。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします。そして……」
踵を返す。
「目にもの見せてやる」
ところで。
これは余談なのだが。
『アリスロマンス』は背景にフリー素材を使うほどのクソゲーである。必然、ノベルゲームとして重要な文章面もお粗末なものになる。今が昼なのか夜なのか、夏なのか冬なのか、屋敷はどの程度の広さで使用人がどう動いているのか。攻略対象はどんな仕草をしているのかどんな感情が読み取れるか。
そういう描写の厚みが一切ない。
ゆえにアリスは失念していた……というのはあまりにも『アリスロマンス』に罪を負わせすぎだろう。100人殺した殺人鬼だって、殺していない101人目の罪を被る義理はない。
元は普通の男子高校生であるアリスには想像力と経験値が足りなかった。パーティに訪れる女性客はどのように着飾るにしろ、大抵はヒールのある靴を履くだろうということ推し量るだけの余地がなかった。
そしてこのパーティ、本来の主賓はアリス自身である。
これすなわち。
「あ」
アリスはつんのめった。
すっ転んだ。
ヒールのある靴など履いたことのない平凡な男子高校生にとっては、ハイヒールで振り返るということすら一大事業だ。ひとりでダムを建設する方がまだ楽かもしれない。
加えて思い出していただきたいのだが、アリスは階段の中ほど、踊り場にいた。
要するに。
彼は階段からすってんころりんと落ち……。
頭を打ち……。
騒然とするギャラリーに見守れながら、意識を失った。
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