#24:あまりにもありきたりな
結論を先取りして言えば、鐘楼院緑青は偽名である。
彼女――彼は日本を陰で支配する黒幕の一門、などではない。無論、鈴ちゃんとの血縁でもない。
緑青はどこにでもいるごく普通の、高校生だ。
クソゲーが好きな男子高校生のように。
女を風俗に売るヤクザな男のように。
ラノベを見下す傲慢な会社員のように。
女体化と見るや楽しまずにはいられない少年のように。
少年犯罪史上に残る事件を起こした殺人鬼のように。
緑青という少年は、どこにでもいる普通の人間だ。
勇気を買われヒーローの後継者に選ばれてはいない。呪いに耐える器ではない。人を殺すノートを拾っていないし、そんな物語を思いつく想像力もない。突然ドラゴンの血が目覚めたりはしない。幽霊が見えはしない。暗殺の才能はなく、謎を主食とする魔人にパシられることもない。家族総出で高校生をやったことも記憶喪失になったこともない。超人的な幼馴染はいないし、暗号解読を専門とする学校に入学はしない、ましてや女装など。
要するに、誰もが一度は夢見た個性的な誰かではない。緑青は、決して。たったひとつの冴えた才能を持たないただの普通人。
彼は猫背のまま虎にはなれない。背筋を伸ばしても、どこにも手は届かない。
「猫背のまま虎になる人がいたら、最初から虎だったというだけのことじゃない? 同じネコ科なのだから」
彼に対しそんなことを言った人がいる。緑青の所属する部活動――
「わたし、いわゆる
「それは、まあ……」
緑青としても、その人気アニメの楽曲に思い入れがあるわけではなかったのでしいて反論はしなかった。
そもそも、学年首位で多言語を使いこなし、料理もプロ級という完璧超人みたいな同級生相手に反論しようとも思わない。学力と創作物の批評能力は比例しないというのは理解するとしても……。その気にならない、というのは行動しない理由としてかなり大きい
「わたしはそのアニメを見たのだけど」
「え、見たんだ……」
意外だった。「趣味はクラシック鑑賞と海外の論文を読み漁ることです」と真顔で言いそうで、実際そう言ったこともある彼女がアニメを見るとは思わなかったからだ。
「勘違いしないでほしいのは、アニメ自体はそれなりに楽しませてもらったということ。とはいっても、わたしはあの手のジャンルには疎いから……。楽しみ方、というのがイマイチ了解できない部分があったのだけど」
「部長にきらら系アニメの視聴経験はさすがになかったか」
物事を楽しむには相応の
無論、そういう根本に切り込むのも鑑賞の楽しみではあるが……。それは中級者以上の鑑賞テクだ。初学者である部長様にはまだ早い。
「
「甘やかそうとする?」
「そもそも、娯楽作品は多かれ少なかれ鑑賞者を甘やかすものよ。わたしがエンタメ小説と純文学に無理矢理違いを見出そうとするならば、そこを重視するでしょうね」
言わんとすることは、緑青にも伝わる。
「鑑賞者に迎合し気持ちよくさせるか、鑑賞者を啓蒙し考えさせようとするか、ということかな」
「そういう言い方もできるかもね。当然、明確に区別できるものではないけれど。どちらにより傾いているかで作品の性質を規定する、ひとつの指針にはなるでしょう?」
言い出せばきりのないことだ。創作物ははっきりと区別がつくものではない。ゆえにここで注視するべきは、鑑賞者を甘やかす作品があると部長が規定したことだ。
「創作物はわたしたちを甘やかす。気持ちよくさせる。鑑賞者が作品の面白いポイントを探ろうとするよりも先に、何が面白いのかを露骨にアピールしてくる。キアヌ・リーヴスが銃を撃ちまくるだけの話なのに、そこだけがとにかくピックアップされるし、鑑賞者もそれでいいと思っている」
「まああの話はそれが全部って感じだからね」
「ええ。わたしもそれで構わないと思っている。わたしはキアヌ・リーヴスよりクリスチャン・ベールが好きなのだけど」
「CARシステムよりガンカタ派かあ。後世に残した影響は間違いないけどさ」
閑話休題。
「殺し屋が銃をぶっ放す映画がそれだけなのは、構わないわ。作者も鑑賞者もそれを前提にしているのだから。スタローンが帰還兵の哀愁を漂わせるより車を爆走させてヤティ・マティックを撃ちまくる姿を楽しみたいときもあるでしょう。問題は、だからすべての作品にランボーよりもコブラを鑑賞者が欲して、それが当たり前だと思ってしまうことよ」
すなわち。
「すべての男がマリオン・コブレッティには成れないように、すべての陰キャコミュ障は後藤ひとりには成れないのよ」
「コブレッティはそんなにかっこよくないよ。刑事のくせにルールを無視して銃を撃ちまくるマッチョなんて、憧れているのは80年代のアメリカ白人だけだ」
「でもぼっちちゃんには憧れるでしょう? ギターどころかリコーダーも投げ出すくらい音楽センスがなくても。というより、憧れやなるならないという話でもないのかしら」
底知れない同級生は、緑青の目をじっと見据える。星の輝く夜空をいっぱいに押し込んだような、燦然と輝く瞳が彼を捉えて離さない。
「憧れでもない。なりたいとも思わない。なぜなら、自分は既にそうだから」
「……!」
「物語の鑑賞者は、自分と主人公を同一視する。自分はかっこよくカルト組織と戦うコブラ刑事だし、天才的なギターヒーローだと思い込む。憧憬ではなく同化。一足飛びの
小説や漫画、映画は鑑賞者を主人公と同化させる。そこまで極端でないにしろ、憧れの存在として主役たちを輝かせ、そんな存在への変身願望を与える。
あくまで空想の中の存在である彼らになることは容易い。基準も評価も鑑賞者の中にしか存在しないのだから。妄想の中で自己を肥大化させれば、主役と肩を並べる偉大な人間になれる。
スーパーヒーローになるためには、毒蜘蛛に噛まれる必要も叔父が殺される必要もない。もちろん、強大な悪と戦うことも不要。大いなる力に伴う責任は感じるまでもない。心の中でスーツに身を包めばその日から、親愛なる隣人になれる。それを誰も否定しない、値踏みしない。
「ロールモデル。行動規範。模倣対象。物語には『人とはかくあるべし』という手本を見せる側面もある。でもね、鑑賞者たる人間の大半はそんなに上等じゃないの。努力を放棄して、物語を楽しんだだけで自分が素晴らしい人間であるかのように思い込む」
「…………」
「猫背のまま虎になる……どころか、虎の威を借る猫ね。しかも実際には借りてすらいない」
普通の高校生はトラックに轢かれて転生すらしない。
転生が神様のミスだと謝られてチート能力など貰わない。
異世界に飛んだところで大活躍などしない。
たかが高校生の知識でマウントなど取れない。
現実で評価されない人間が、異世界で評価などされるはずもない。
「猫背のまま虎になれるなら、それは最初から虎なのよ。3年間8時間ギターの練習をしたらそれなりのものになる、順当に。でもわたしやあなたはそうじゃない」
「それでも、物語に甘やかされるくらい大目に見てほしいところだけどね」
「高校生にもなって許されるはずがないでしょう? 魔法学校からの入学案内を待っていいのは11歳の9月まで。そこから先は現実を生きる時間なの」
「待ってたことあるんだ……」
「組み分け帽子を被ってみたいって、誰しも思うもの」
打ち明けた話、緑青には部長の言っていることがすべて理解できているわけではない。頭がいいから……というよりその才色兼備っぷりからそれこそ甘やかされているところがあるお嬢様なので、部長さんに相手を慮るという機能はない。彼女の幼馴染の恋人がツーと言えばカーと察しが良すぎるのも問題だ。忖度されるというのはこの上ない特権である。
この話を緑青が思い出したのは、それが最後の会話だったからだ。この会話をした帰り、彼は死んだ。不良がカツアゲをしているのを止めに入って突き飛ばされ、転んだ先で頭を強打しぽっくり逝ったのだ。
実につまらない死に様。トラックに轢かれるのと同じくありきたり。死の間際に善良さを見せつけているのも、いかにも異世界転生して無双する前振りの、免罪符みたいで気持ち悪い。
(物語なら、そうですわね)
しかしこれは現実だ。鐘楼院緑青というどこにでもいる普通の少年の、第二の生という現実。
デスゲームとは不条理。人生とは不条理。すなわちデスゲームとは人生――などと言うまでもなく。
現実はただそれだけで現実だ。緑青にとって、わざわざそれが現実であることを立証する必要などない。
『ジャンケンの結果が出ました』
ゆえにこれもまた、現実。
『メガネ、敗北。衣服を1枚脱いでください』
「ぐ…………ぐうっ!」
「いよいよ後、2手で詰みじゃな、メガネ殿」
「いいえ、これで王手ですわ」
(自覚しろ。理解しろ。覚悟しろ)
今から自分が、人を殺そうとしていることを。
「メガネさんの次はわたくしの手番。わたくしは、メガネさんを指名しますわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます