#7:1人目の脱落者

 もし自分がある日、女の姿になったら? 


 変態――ではなく山森れむはそんな想像を紳士の嗜みとして欠かしてこなかった。そして今、現実に自分の身体が女のものになったから、そのシミュレーションを実行に移した。それは男として自然な行いで、だから他のプレイヤーが口にする「落ち度」というものが彼にはさっぱり分からない。


 いつもそうなのだ。みんなみんな、本当はエロいことが好きなのに「そんな下品なものに興味はない」みたいな澄ました面で生きている。だってそうだろう? 顔の見えない匿名の場所ではあられもない妄想を全開にする者たちばかりだ。みんな、エロいことは好きなのだ。


「それじゃあれむくん、早速脱いでもらおうか」


 ラブリィが宣言する。さっきまで興奮で搔いていたじっとりとした熱い汗は、今はさらりと肌を流れる冷たいものに変わっている。ブレザーを着て過ごすには少しうっとおしく感じるくらいの室温だったはずなのに、今のれむにはこの部屋は寒いくらいだ。


 命令に応じて、恥ずかしがりながら衣服を脱いでいく。そんなシチュエーション自体は、れむの好むところであった。行うゲームが野球拳と聞いたとき彼は喜んだし、自分が衣服を脱ぐのもそこまで抵抗があるわけではない。れむには今の女性としての身体が「自分のものである」という認識が薄いのだ。なにせ元は男だったのだから。ゆえに自分の乳房や臀部を「見ず知らずの美少女のもの」として興奮できていた。


 とどのつまりれむに被虐趣味マゾヒズムの気はない。旅の恥はかき捨てならぬ異世界転生の恥はかき捨て。本来の自分とまるで違う少女の身体だから、この姿で裸踊りをしたところで大して恥ずかしくもない。裸に剝かれると聞いてとっさにスカートを抑えたお嬢様とは根本的に思考ルーチンが異なる。


 ただしそれは、性的視線に対する羞恥心という一面においてのみ、だ。


(なんだよ……なんだよこれ)


 今、れむの前に立ってじっと彼の脱衣を見届けようとしているひとりの美少女。アリスと名乗った、切れ長の目が涼やかな黒髪の少女は、れむのあられもない姿を期待しているのではない。


 ただ単に、自分が攻撃した相手がきちんとダメージを負っているか確認しているだけ。倒れた死体を銃剣で突き刺す兵士のようなものだった。


 それはラブリィにしても、他の面子にしてもそうだ。全員が例外なく美少女。彼女たちが雁首揃えてひとりの美少女の脱衣を見守っている。


 しかし……。


(なんでこのシチュエーションで、誰もオレの裸に興奮してないんだ? 美少女を裸にしようなんて垂涎の状況で、誰もまるでそこに興味がないみたいな)


 おかしいじゃないか。

 おかしいじゃないか!


(こいつらひょっとして全員ホモか?)


「ほら、早く脱ぎたまえよ」


 ラブリィが再び催促する。


「ブラジャーの外し方が分からない? 君みたいな変態はググったことあるだろう? それでも分からないならパンツから脱いでもいいよ。順番は問わない」


 それは「早く脱いで裸を見せろ」という焦れではなく、ゲーム進行が遅れているからさっさとしろという極めて事務的なものだった。


「ぐ……ううう……」


 結局、言われるがままれむはブラジャーを脱ぎ捨てた。床に落ちたブラジャーはやはり、粉々に砕け散って使い物にならなくなる。


 プレイヤーの中では一番豊満な体形をしているれむの乳房は、もちろん大きい。それをれむは隠しもしないが、誰もそこに興味はないようでさっさとゲームは進行する。


「それで次のターンだ! 2番手は君!」

「お、わしかの」


 鈴飾りが前に出る。

 山森れむの前に。


「自己紹介をするんじゃったな。わしはそうじゃな……鈴ちゃんとでも呼んでくれ。それじゃあ、ださなきゃ――」

「おいおいちょっと待て!」


 れむが絶叫してゲームを止める。


「なんじゃ?」

「なんじゃじゃねえよのじゃロリ爺! なんでオレとジャンケンしようとしてんだ!」

「なんでって、そらおぬしを指名することにしたからじゃが」

「は、はあ……?」


 分からない。理解できない。

 対人ゲームにおいて致命的なのは、相手を理解できないことだ。相手がどの程度ゲームに精通していて、どのような戦術を取りうるか。相手の戦闘スタイル、好み、感情の動き。そういったものはゲームにおいて何よりも重視される。


 その点から言えば、現在のれむは絶望的な状況である。自身以外のプレイヤーが何を考えているのか、さっぱり分からない。誰だってエロいことは好きなはずなのに、誰もエロいことに反応しない。そしてさも当たり前のように、自分を標的に定めている。


「普通こういうのは指名をばらけさせて……」

「おぬしの普通などわしは知らんし。続けて同じプレイヤーを指名してはいけないというルールもなかったからの」


「いえーす。このゲームでは連続して同じプレイヤーを指名する行為を禁じていないよ」

 ラブリィからの補足が入り、鈴飾りの少女――鈴ちゃんの手口は肯定された。


「まあ実のところ、残り1枚のおぬしをあえて攻撃する理由もないのだがの……」

 鈴ちゃんは意味深なことを呟く。

「しかしわしとしては、ここでおぬしに脱落してもらって、敗北したプレイヤーがどのような末路を辿るか確認しておこうかと思ってな。あまり意味はないが、それでも敗者に行われる仕打ちを知っておけば臍下丹田せいかたんでんに力が入るというものじゃろ」


「それじゃあ鈴ちゃんくんVS山森れむくん。じゃんけんをしてくれたまえ! ださなきゃ負けよ、じゃんけんぽん!」


 二回目のじゃんけんは、あっさりと進んだ。


「は……はは」


 横隔膜が痙攣するような、引きつった笑いがれむの口から洩れる。


「勝ったぞ。勝ったクソジジイ!」


 れむの手はチョキ。鈴ちゃんのパーに勝った。


「なにが敗者の末路だ! 余裕こいてるからだクソが!」

「ふむ……ジャンケンは難しいのう」


 負けた鈴ちゃんはあっさりと、ブレザーを脱いで捨てる。


「ほれ、次は誰かの」

「俺だ。渚って呼んでくれ」


 入れ替わるように出てきたのは、サングラスの少女。

 当たり前のように、れむの前に立った。


「待て……待てよ」

「なんだ小娘……じゃない小僧だな? 小便なら後にしな」

「ちげーよ! いい加減オレ以外の誰かにしろよ!」

「俺の手番だぞ。お前に指名相手を指図されるいわれはねえな。この店は指名料タダって聞いたぜ? だったら一番エロい子で頼む」


 口ではそう言いながら、渚はれむの身体に一切興味を持っていないのは明白だった。


「というかいい加減気づけよ。こういう展開になるのは最初のターンで織り込み済みだ」

「な、に……?」

「そうだろ、アリスちゃん」


 悪役令嬢然とした少女はため息をつき、冷酷に告げる。


「ああ。僕がこの馬鹿を指名したのはふたつの理由がある。ひとつは、れむ自身の口からゲーム前に脱いだ衣服の扱いをラブリィに問い質させるためだ」

「どういう……」

「僕が聞いてもよかったし、それなら案外ラブリィは服を戻してくれるかもしれない。だがお前ならどうだ? ゲーム開始前に、この空間が一度脱いだ服を再度着用できない法則ルールに支配されていると気づきながら、性欲で我慢できず裸になったお前が厚かましく衣服を戻してくれと頼んだら? そんな馬鹿が呆け面するのを見てラブリィは楽しむタイプじゃないかと思ったんだ」


「おいおーい。私を知ったような口を利くなよ。元恋人カレのつもりかい?」

 ラブリィは少しだけ不満そうだった

「とはいえ、その推察は当たっているけどね。別に戻しても構わなかったが、そのままの方が盛り上がるだろう? しかしその場合、アリスくんもまた1枚脱いだ状態になるわけだが……」

「僕が1枚損をして、それで他プレイヤーの衣服を6枚奪えるなら十分なトレードだ」

「君ならそう考えるだろうね」

「僕を知ったような口を利くな」


 それがアリスの第一手、れむ指名という戦略の理由。


「そして衣服が戻らないと判明した。この時点で、僕はお前を除く他プレイヤーに対し衣服1枚分の不利を被るわけで、さらにジャンケンに負ければその不利は2枚分になる。今のお前がそうであるように、脱落レースで先んじてしまったものは集中攻撃されやすい。だから僕は、僕よりも注目ヘイトを集めやすいお前というデコイを作って序盤をやり過ごすことにしたんだ」


 このゲームに連続で同じプレイヤーを指名してはいけないというルールはない。つまり複数のプレイヤーから集中攻撃を浴びる展開も考えられる。一番手のアリスがジャンケンで負ければ脱衣の累計は2枚。1ターン目から他プレイヤーと圧倒的な開きができる。当然、それは攻撃対象にされやすい要因となる。だから「とりあえずこの変態をまず脱落させよう」という雰囲気を作り、ヘイトをれむに集めた。


 これにより、序盤の展開をアリスは切り抜ける。れむは残機2だが、肝心の勝負は運任せのジャンケン。上手く粘れば他プレイヤーを消耗させられるかもしれない。実際、鈴ちゃんはそれで脱衣しアリスと残り枚数で並んだわけだ。これでアリスの抱えた序盤の不利はほぼなくなった。


「なんだよそれ……なんでこんな場所に突然集められて、いきなり野球拳しますなんて言われて、そこまで冷静に戦略を考えられるんだよ……」

「こちとら、バグありフリーズありデータロストありのクソゲーをやっているんだ。突然ゲームが始まるなんて大したことじゃない。進行不能バグの方が怖いくらいだ」


 れむには、アリスが自分とは異なる何か別の生物のように見えていた。

 悪役令嬢の皮を被った何か。

 彼女の肌を針でつついたら、どす黒いものが噴き出して辺り一面を浸してしまうんじゃないかと。


「ださなきゃ負けよ、じゃんけんぽん」

「………………え?」


 アリスに圧倒されていて。

 れむは渚のコールを聞いてから、ようやく事態を知る。


 既にじゃんけんは始まっていたのだ。


「出さなきゃ負けなんだから、お前の負けでいいよな?」

「待てよ! オレの用意が……」

「用意だあ? 俺の手番を無理に中断させた上に今更何言ってやがる。今日生理だからヤれないが通用する状況じゃねえんだぞ」


「これは渚くんの言い分に理があるねえ」

 ラブリィが最終的な決定を下す。

「渚くんの手番を中断したのは君だし、その前の鈴ちゃんくんの手番も妨害してたからね。一度ならず二度もやっていたら弁明は通用しない。君の負けだ」


『ジャンケンの結果が出ました』

『山森れむ、敗北。衣服を1枚脱いでください』



『山森れむ、脱落』

『残りプレイヤー、6名』

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