さあ、全てをこわそう
その日の王都は浮かれていた。事実がどう、ということではなく、雰囲気が浮き足立つ。そのような風であった。
市民は皆、笑みを浮かべて、ある場所に向かう。
王城が直々に大々的に告知していたその場所に。
善良な人々が、一様に血生臭い場所へ向かう。
その笑みは少しずつ、皆、下卑ている。
ある一つのエンターテイメント。
ここ数年無かった催しが、開催される。
それが、号外でばら撒かれた情報。
それは、公開処刑。一人で玉座に潜り込み暗殺を図った隻腕の少女を、見せしめに処刑するのだと言う。
人の不幸は、周囲の者を幸せにする。
溜飲を下げる。高揚する。石を投げる大義名分がある罪人が死ぬ様を、市民も兵士も問わず、さまざまな人間が集まっていった。
心根が全て、善良な人間などいない。どれだけ清廉たる人物であろうと、そうあろうとしても、人は、その心に鬱憤と煩悶を溜めていく。それはヒトだけではないが、ただ、ヒトもそうである。
向かう人々の理由は、多々ある。
暗殺などを企てた少女の顔を見たい。
処刑される姿を見てみたい。
つまるところ、多かれ、少なかれ。
人は、何かが破滅する所を観たいのだ。
それも、自分に関与しない安全な場所から。
そうして向かう一人の市民は、混雑を歩く中で何やら不思議な声が聞いた。
仮面を付けた細々とした男。
その仮面の奥からですらわかるようなほどにぎらついた、爛々とした眼は、逸らさねばとわかりつつ、視線を向けてしまうようなものだった。
「うーん…なんでだ。何故急に、王はクシーの公開処刑なんて。僕から実験台を取り上げてまで、そうする必要が何処にある。何も説明せずにそう言われて、取り上げられる事自体はまあいいさ。だけどそれを公開処刑としてまで喧伝する必要が何処にある…」
ぶつぶつと、うろうろと頭を揺らしながら呟き続けるその姿を見て、物狂いであると思い、遠巻きに眺めながらも先に進み、それを見なかったことにする。
そうして辿り着く先は、闘技場。
現在は、もう本来の用途では使われない舞台。ただしかし、それでもその土に着いた血の匂いは新鮮である。その理由はただ、こういった処刑を、ここで行なっているから。
この闘技場は、変わらず、血を吸っている。
…
……
兵士の詰所。
その、ある場所にて。
一人、便所から戻ってきた者が驚愕に眼を見張る。
「な、これは…!おい、しっかりしろ!
一体何がごっ」
血まみれで倒れている自らの同僚。
身ぐるみを剥がされて、死にかけている。
何故、鎧も服も着ていないのか。
まるで、誰かに『入れ替わられた』ように。
声をかけようとした時。
兵は首筋に、燃え盛るような熱い痛みを感じた。
「…悪いね。あたし、最近まともに活躍してなくてさ。こういう時くらいは、引っ掻き回して役に立たなくちゃ、旦那たちに申し訳が立たないのさ」
ぞぶり、と果実が裂かれるようにダガーが引き抜かれる。下手人は、その流れる血を見て、舌舐めずりをして。そうしてから、ぐっと眼を逸らした。
…
……
「…刻限である。
それでは、我が王の名の下に。
今ここに、不届きなる罪人の処刑を行う」
朗々とよく通る宣誓が闘技場に響いた。蓄えられたひげに、豪奢な鎧を纏う高貴な姿は、とても処刑人とは思えないような姿だ。それは特別な執行人であり、それほどこの処刑は、特別なものであるのだ。
そしてその宣誓の背後に、磔にされた少女の姿。
片腕が無く、バランスを欠くそれを無理矢理磔にするために、片方の掌のみならず、両脚に杭を打ち付けてある。
少女は、ぴくりとも動かない。
目を閉じて、覚めぬ眠りについたように。
「この罪人の名は、クシー。
見窄らしい姿に騙されるなかれ。この者は市場の無辜の市民を毒で殺し、そして、数週前。城下を火で焼いた極悪人である」
その内容に観客がどよめく。
その二つは未だ耳に新しい事件であり、ここに来ている民衆の中には、それらで大切な者を失った人も多かった。場の雰囲気に憎悪が増していく中、それでも少女は動かない。
「更に、調査により。
この少女は不死者である事が分かった。
故にこそ、同情も譲歩も要らぬ。
そして故にこそ!通常の処刑では罷り通らぬ!」
入れい、と、怒号で合図が飛ぶ。
耳が張り裂けんばかりの剛声だった。
「そして!つい一昨日の事。この処刑場に乱入をした、不届きがもう一匹!これも、不死者であるッ!」
また、どよめく観衆。
処刑人の背後から引き摺られて、ある人影が現れてくる。争う様子もなく連れて行かれているその姿は人らしく、故に人とは程遠い。
それは、また不死者が人に化けた姿。
不死の怪物、ドルイドの姿だった。
「この少女を助けに来たのであろうこの者は、暴虐の末に騎士団により敢えなく鎮圧。ここに捕らえられてある。我が王は多忙につき、一人一人の罪人を裁いている余裕は無い。
故に!この者を利用した処刑を行う!」
「此度の処刑は、この二匹の不死者を殺し合わせる物とする!
…以上。宣誓を終りとする」
宣誓が終わり、静寂が染みる。
そのような沈黙の内に誰かが、ぼそりと呟いた。
誰が、初めに口にしたのだろうか。
今となっては、わかりはしない。わかる必要も無い。
「……せ」
殺せ。
殺せ、殺せ。
誰かが言ったその言葉は、次第に伝染していく。
溢れんばかりと観客の、その全てに、伝染し伝わり、その大音声はびりびりと闘技場を埋めていく。
「…せ!殺せ、殺せ!」
「殺せッ!殺せッ!殺せッ!!」
それは、どちらかを応援するようなものではない。
ドルイドが少女を殺すように促しているのでは無い。
ただ、血を見たい。
ただ、死ぬ姿を見たい。どっちでもいい。
そういう、声だった。
そういった、歓声だった。
音は全て埋め尽くされ、そのコール以外は何も入る余地がないようなほどに、うるさく、どうしようもなく思えた。
しかし、その中で。
竜の少女は目を閉じたままにぽつりとつぶやいた。
そしてそれを、目の前のドルイドだけが静かに聞く。
「へえ、不思議だね。
あなたから、イドの匂いがする」
「……ああ。私はそやつに唆された。ただ一人でお主を助けに行けば…私はあの子に逢えるのだと…
やはり、嘘だったようだがな…」
「……そっか。あなたが彼のさきがけなんだ」
「ようやく。
ようやく、私は彼に出会えるんだ…」
…
……
ず、ずるずる。
ず、ずるずる。
足を引きずりながら歩く、赤黒い様態の男。
ゆっくりと、ゆっくりと、ある場所に向かう。
闘技場に、向かっていく。
動き方も、格好も。
逃亡した騎士にすら見えぬほどの見窄らしい姿。
彼は、遅れて此処に来たのだろうか。
処刑開始に間に合わず、寝坊をしたのだろうか?
便乗して何かを恵んでもらおうとする浮浪者か。
違う。
男は、この瞬間こそを待っていたのだ。
男は、騎士ですら無い。ただの、怨讐の鬼。
何も、言うことは無い。言えることも。
だから。
代わりに、ただ、口の端を歪めながら。
「爆ぜろ」
万力を込め、剣を握った。
…
……
ごお、おおん!
轟音が鳴り響いた。
音だけでは無い。大きな、大きな振動が観客を、警備兵を、処刑人を、不死者たちを、闘技場にいる全てを襲う。
地面そのもの。否、建物そのものが揺れている。
まるで、『何かが柱の近くで爆発したように』。
慌てふためき、どよめく観客の中。
皆が慌てて喚き立てている中。
ただ一人、仮面をつけた痩せぎすの男、エィス。
彼だけはただ落ち着き、立ち上がる。周囲の喧騒の中で、観客席の中で、ただ一人だけ冷静さを保っている。
その歯軋りは、悔しさか、予想があたった喜びか。
「やっぱり来たか!そりゃあそうだろうね、あそこまで喧伝してりゃ110番達に来いと言っているようなもんだ。…まさか、王サマはその為にこれを?こんな、不用意で馬鹿な真似を…?」
「…まあなんでもいい。僕はやれることをやるだけだ。まずは、『死混兵』達の兵列を並べて彼らに指示を出して、次に、この破壊の理由を究明して敵の所在を…」
「エィス殿、エィス殿!」
「ん…電令かい?
どうしたんだ。何か伝えるべき事かい」
「ええ、はい!侵入者の数が特定できました!」
「へえ。多分わかってはいるけど、言ってくれ」
「はい!数は、3人です!
蒼い炎を使う騎士と、吸血鬼!それに…」
どす。
「…ここに、もう一人」
「ひぃ…ひ、きゃああああああっ!!」
悲鳴が響く。
周囲の観客は、目の前で起きた刃傷沙汰に逃げ出し、その恐怖はどんどんと伝染していく。殺意よりも、凄まじい速度で。パニックは広がり、全てが壊れていく。
それすら意に介さず。一兵卒の姿をした目の前の男を、激痛と吐き気に襲われながら、睨み付ける。その顔に、余裕や笑みは無い。
エィスは、怒りに顔を歪めた。
「…おまえは…!」
「お前か…ニコ…25番!」
「おお、俺の事も知ってんのかい。光栄だね。まあ当然か。俺たちの『作成』について詳しいみたいだし」
懐に手を伸ばす。腹部を、槍が貫き鮮血が散る激痛の中、それでも懐に手を伸ばすエィス。それを見て。
「お、あったあった。それか」
ニコは、その懐に伸ばした手を蹴り上げ、へし折る。掌に収まっていた笛が明後日の方向へと飛び、床に乾いた音と共に転げ落ちた。
それは、幾度もクシーを止め、痛め付けた笛。竜笛だった。
足を上げ、今度は顔面を蹴り上げる。
エィスの仮面が砕け、地に倒れ伏した。
「ったく、これがあると困るのよ、俺も。
これでラスイチか?スペアとか無いよな」
そして、蹴り上げた脚をそのまま振り下ろすように、その竜笛をぱきりと踏み潰す。ぐりぐりと、二度と修復できないほど、粉々になるまで。
「…ふー。さて、エィス。トドメを刺しとこうか。
多分お前も、これくらいじゃ死なないんだろ?」
うつ伏せに倒れたエィスに、ニコが笑顔のまま話しかける。槍の先に、青い陽炎が揺らめき始める。
その炎が、刃の形に変形しかけていた。
瞬間。
「…ッ!おっと!」
しゅぱぁ、ん。
それは、音の壁を超える音。音の速さを超え、生き物が到達しうるそれを超えた音だった。
それを目で捉え、反射で避ける。人間業ではないそれはしかし、それでも、頸筋に傷を負う程の速度だった。
「てて、怪我するの久しぶりだなあ」
軽く手で拭いながら、その攻撃の方向を見る。
血は、すぐに止まった。軽い傷のようだ。
そしてその傷を負わせた、一撃。
それは、「尻尾」によるもの。
フェアリーが持つ、器官。
そして、それはつまり…
「…へえ。随分と、お友達にひどい改造をしたもんだな」
そこに居るは、スリー。
羽ばたき、ホバリングをするようにそこに止まる。
だが、ニコが、『それ』がスリーであったとわかった理由は、その背中の翅だけだ。いっそそれは、「スリーだったもの」と呼称した方が近いのかもしれない。
一見しただけで、まず、図体が縦に横に、ぐちゃぐちゃに巨大になっている。死角を無くすために、身体中に複眼がへばりつき、尻尾は背中に至るまでに何本も何本もうねり、仮面の下からする音は、明確に人の姿を保っていない呼吸音だった。
「ハハっ。気持ち悪いなあ、退けよバケモン。
俺、虫嫌いなんだ」
そう言いながら軽薄な笑みを浮かべる、ニコ。
槍は既に、不死を刈り取る鎌と成っていた。
そしてその横で。
エィスは這いずるように、何処かへと向かう。
…
……
「…なんだ…これは、まさか…」
さっきまでの様子が嘘のように、闘技場全体に広がる恐怖とパニック。ドルイドが、驚愕と、戦慄を隠そうともせず口を開く。
ああ、そしてそれすら聞こえなかったように。
少女は酔ったように、虚に、空に、呟く。
彼女は目を開く。遠くを、眺めていた。
「…聞こえる。あの人の声。
匂う。あの人の、匂い」
髭をたくわえた処刑人が、持っていた剣を引き抜いた。これは貴様らの仕業か、と怒り、不死者たちに向かって来ていた。
「あの人の足跡。あの人の心音」
次第に、その剣の向かう先が不死者達では無くなる。近づいて来る外敵に、その処刑人が危機感を覚えたのだ。
殺気などですらない、ただ、危険だと。
そうわかるような気配を。
「…あなたの傷。あなたの恨み、怒り」
ずるずる、と脚を引き摺りながら歩く一人の男。
そいつは、巨大な何かを背中から引き抜いた。
それは剣と形容するには、相応しくないもの。ただ、騎士らしきその男がそのように背負い、振るおうとしていた為に、初めて剣として認識が出来る。そんな物だった。
そのようなほどに奇怪で、滑稽で、がらくたのような鉄塊。柄の先に、二本の鉄が屹立している、音叉じみた剣だった。
「ぜんぶ、ぜんぶ。聞きたかった。
見たかった。ずっと待ってた。信じてた」
処刑人は、優れた剣士しかなることが出来ない神聖な職業。戦えば常勝無敗であったと語っていたこの男も、譫言や虚言ではなく、正しく真実だったのであることを窺わせる実力だった。
だからきっと、この騎士は人では無いのだろう。
がらくたを振るい、肉塊にするその男は。
「…聞こえなくなっても、待たされても。
ずっとずっと、この瞬間を待ってた」
磔の土台を壊す。
十字架のようなその木磔を、一振りで壊していく。
落ちる少女を、ただ、その腕が受け止めた。
柔らかく、静かに。
ただ、その瞬間を待ち侘びていたと言うように。
二人の目が、そっと見つめ合う。
そして、ただ、一言。
「待たせすぎてしまったな。クシー」
「ううん。大丈夫だよ。イド」
そうして、二人は、ただ抱き合った。
言葉も何も要らなかった。
ただその瞬間だけは、永遠のように二人の失った時間を埋め合わせ、初雪のように軽やかに溶け消えていった。
…
……
荒い息遣いが、うつ伏せに這いずりながら動いていく。
段々とその傷は治りつつあるが、それでもまだ深い。
声のする方に向かう。
衆愚の悲鳴では無い。落ち着いた声。
奪還に成功した男の方へ。
「感謝するぞ、ドルイドよ。貴様が捕まったおかげで、あの派手好きな王族の莫迦どもは、貴様らを殺し合わせんと闘技場での処刑を決めてくれた。散々に破壊工作をした此処以外で処刑をされるとなれば、この計画は台無しだったからな。クク」
「俺とニコがいる限り、俺たちをあわよくば捕らえようと、クシーの公開処刑をして俺たちを誘き寄せる事はわかっていた。実際に俺たちを見たことのない王族の大莫迦どもだ、捕らえればまた使えるとでも思っているのだろう。だから先んじて破壊工作をしたわけだが…それが確実になったのは、貴様の手柄だぞ?
もっと喜んだらどうだ。クク、ハハハハ!」
「そのような、くだらない事の為に、嘘をついてまで私を送り込んだのか。この下等生物が」
「…む…イド。こいつ、誰なの。
私、二人で居たいのに凄く邪魔なんだけれど」
「…すまない、少し静かにしててくれクシー。
…ともかく、だ。嘘?俺は嘘など一言も言っていない」
「これ以上戯言を重ねるか、この外道め」
「いいや、一言も嘘は吐いていないとも。
見ろ。『あれ』が、俺の知っているドルイドだ。
あれこそがお前の探していた者だよ」
「……何?」
そっと指を指すイドのその先。その先をドルイドは目を凝らして見つめる。
すると、そこには。芋虫のように、這って歩く、砕けた仮面を付けた男。重い傷を負った、エィスの姿があった。
「よくも、よくもやってくれたな110番。
いいや、イド。この、気狂いめ」
「おお。その姿。ニコにこっぴどくやられたようだな。
だがそれでも死なないあたり…
やはり、貴様も『そう』か」
兜が壊れ、剥き出しになったイドの顔。
その表情が、優しく笑った。クシーは彼の腕の中でそれを見ながら、それは今まで見た彼のどのような怒りの顔よりもおぞましいと、思った。
「エィス。貴様自身、死体との混生体なんだろう」
「黙れ」
「『エース(1番)』、か…名の通り、お前が、その死者と生者を掛け合わせる計画の最初の実験台にして、最初の成功作だったわけだ。ツウとスリーはお前に次いで作られた奴ら。だからお前は、奴らを友人などと呼んでいた。そしてだからお前は、奴らを嫌っていた。なるほど、薄っぺらい同族嫌悪か」
「黙れ、黙れ」
「誰からも愛されなくて悲しいか。寂しいか。
良かったな、エィスよ。お前は、少なくとも、お前の混じっている半分の不死者の部分は、まだ親に愛されているようだぞ?ハハ、ハハハ」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
「…と。ボクが怒ったらキミは満足かい、イド」
エィスは、憤慨のふりをしてから、冷静に感情を整えた。そして、よろよろと立ち上がっていく。それは、以前に見た。貫こうと立ち上がったツウや、スリーの姿そのもののように。
死が遠ざかった存在、そのもののように。
「…僕を解った気になるなよ、失敗作が。
ボクの生まれだとか、キミのなじりだの、何をしに来たかなんてどうでもいい。ボクはただやらなければやらないことをやるだけだ。つまり、キミ達を捕らえて、実験の為の礎にする」
「そうさ、実験と実証を。君たちから作り上げ、その変遷と変化を科学として証明して再現可能とすることにより、ボクたち人間は更に先の段階に進むことが出来る!不死者などという歪みに、屈服する事も二度とない!超越した、天敵の居ない存在となる!」
「そしてボクは、そうした環境で全ての謎と、ただそうであるとして実証されていない全てを解き明かす!それがボクのやるべき事だ!」
「その、必死にヒトの役に立とうという努力は、半端者である自分がヒトであると認めてもらいたい承認欲求の表れか?」
「…………ッ!だ、まれ…ッ!!」
最後の一言に、ずきりと顔を動かし。
衝動的にエィスは右手に仕込んだ装置を起動させた。
すると、そこからは妙な音が鳴り響き。
「!…これは…!」
「…また、数が増えた。
イドと二人きりになりたいだけなのに」
四方八方から、兵士が集まって来る。それは明らかに真っ当な兵士では無い。目は虚で、肌の色は土気色。イド達を囲むように身体を撚りあわせ、腐臭を漂わせている。
「…ああ、ボクらを作ろうとして失敗した作品どもさ。ただそれでも、命令を下してある程度戦わせることは出来るんだ。便利だよ。飯も眠りも必要無く、恐怖に怯える事も無ければ裏切りを心配する事もない」
死混兵。
そう、呼ばれる輩だった。
それが恐ろしい数、集まって来ている。そしてそのそれぞれが、異常なほどにタフ。死体が元であるが故に、その身体を無くさないと死にはしない。
「如何に、一騎当千の兵であろうとも、この大量の兵相手に、君はどうしようもない。クシーに戦わせるかい?だが、それも難しいだろうね。ボクはあの笛を持っているのだから!」
これは、ブラフだ。既にエィスが持っていたあの笛は、先程、ニコに粉々に砕かれた。だがその真偽を確かめる方法が無いイドたちは、それを疑う事はないだろう。何より、イドがクシーに二度とあれを聞かせないようにと、戦わせようとはしないだろう。
その、感傷という弱点を突く。
竜と、混合生命体の騎士。それらの圧倒的な上質に打ち勝つには、質量と物量という、何も覆しようがない現実を与える。そして、愛という欺瞞から生まれる弱点を突き、それを否定する。
それが、彼の狙いだった。
そんなエィスの期待を裏切り、聞こえて来たもの。
それは。
「ク、ヒヒ、ヒヒヒ。ヒヒヒハハハ…」
血錆の騎士の、一層、狂気を深めた笑い声。
口を抑えてまで、笑い続ける、イドの姿。
「………何が可笑しい」
「……爆ぜろ」
会話は、無い。代わりに、イドが一言吐き捨てるように放った言葉。瞬間、また大きな爆発音が聞こえた。
だが、今回は。
蒼炎の爆発が、エィスの眼に映った。
その蒼い炎が、炸裂し、爆発したのだとわかった。
初めは、それだけだと思った。
だが、次第にエィスは青ざめていく。
それは、自らが置かれた状況下でも、イドの勝利を確信した笑みを見てのものでもない。
目の前にいる男の、言葉は通じるのに、言語や理屈が通じない。そんな、人のフリをした獣のような気色悪さを目の当たりにしたからであった。
犬よりも知能が低くなければ、こんな事はしない。
もしくは、そうなるほどに、頭がおかしいのか。
「…バカな…お前は…お前は『どれだけ』あの炎を使った!?まさかお前、あれが、どういうものか分かっていないのか?」
「…分かった上で、使ったのか!?無機物の破壊など、人間の殺戮など、そんな無駄な事の為だけに!」
「失望したぞ、110番!君はもう少し賢いものと思っていた。なのに、まさか、こんなことを…!」
愚策を極めれば、上策を壊す。
愚かさも極まれば知性に勝る。
ただその、奇跡と称するにはあまりにも愚かでおぞましく、汚らしいそれが、この血錆そのものだった。
何よりそれは、彼から計算したものでは無かった。
「……ク」
「クククク、フフフ、ヒヒ…」
「…クハハハハハハ!ハハハハッ!
アはははハハはハッ!!」
「燃えろ。喰われろ、狂い死ね。
鏖だ!皆殺しだ。はは、ハハハハ。
ヒはははははははッ!」
笑う姿。それを遠巻きに眺め、ぞっとする。
エィスは、己を恥じた。
賢者ぶり、どれだけ己が愚かだったかと。
あまりにも、気付くことが遅過ぎた。
勘違いをしていた。
理性的に話す姿。
竜を助けに来る姿。
きっと、幾分かは正気なのだと。
そんな、勘違いをした。
・・・・・・・・
そうではないのだ。
大間違いも、いいところだ。
純度100%。全て、何もかも。
この男は、狂っているのだ。
比喩や、暴言や、讒言ではない。
本当に、本当に。『狂って』しまっているのだ。
足音が聞こえて来る。鳴き声が聞こえて来る。
血に飢えた怪物どもの声。
四足獣、二足の何か。羽音も聞こえて来る。
それは、そうだろう。
この男が、あの蒼い炎を爆弾のように使い壊したのは、壁だ。王都を守る、分厚く、壊れない。無敵であり、最高の城壁。この王都が建てられてから一度たりとも崩れた事のない、白亜の城壁。
堅固で、巨大で、鉄壁。
それは魔物から国を守るためのもの。不死者とはなりきれなかった、獰猛なる魔物から、人々を守るためのもの。
そんなものを壊す為に、どれほど大量の炎を使ったのか。どれだけ、あの蒼炎を身体から絞り出したのか。
そして何より。
それが壊れたならば、どうなるか。
「………ォォォォォォオオ……」
「オオオオオオオオッッッ!!!」
死が。
死が、流れ込んでくる。
大量の、血に飢えた魔物が壁の穴から入り込む。闘技場に開いた穴を見つけてくる。中に、たくさんの人間がいることを見つけていく。たくさんの餌を見つけて、舌なめずりをする。
恐怖から逃げ出す悲鳴は、断末魔の悲鳴となっていく。大量であったはずの死混兵、その質量すらも、更なる質量に押しつぶされようとしていた。巨岩のような体躯を持つ肉食獣。鳥とワイバーンが混じったような身体を持つ獣。数えれば、数えるほどキリがない。
地獄だ。
ただ、それだけがそこには有った。
すべてが、こわれていく。
「………負け、か……」
エィスがぽつりと、脱力したように呟く。
その、主語はなんだっただろう。
何が負けたのだろうか。誰が、負けたのか。
『ボク』か、『王都』か。
はたまた、『人間』か。
「……せめて、最期まで足掻こうか」
エィスはふと、静かに笑った。
諦め、諦観から出た笑顔。
もう、何も背負う必要はないという笑み。
悔しくは、あった。
ただそれは意外と、彼にとって、晴れやかだった。
「……どうせ、死ぬんだ。
なら、ボクも精一杯、やってみないとなぁ!」
エィスの身体が、バキバキと崩れていく。
否。
これは、彼の身体では、もう無くなったのだ。
ドルイドの力。
それは、物との同化にある。
植物との同化。岩との同化。鉄との同化。
同化し、それそのものよりもその強みを引き出し、更にそれらを手足のように自由自在に動かし、触手のように伸縮自在となる。
エィスは、もはや人の姿には戻らない。
もう、戻ることが出来ない。
それが半端者である彼の限界だからだ。
彼は、土に同化していく。
この地獄に同化していく。
闘技場に、その全てに。
『………フ、はっはははは!
さあ、やろうよ、イド!クシー!
出来るだけ無様に、キミ達を道連れにしてあげる!』
彼はもう、エィスではない。
闘技場の、それでもない。
その二つに境目など、最早ないのだ。
これを殺すには、最早。
この、闘技場ごと、全てを壊し焼くしか。
「……クシー、我が翼よ」
「う、ふふ。やっと私を見てくれた。
ええ、イド。私の愛した人」
イドはただ、少女の手を繋いだ。
クシーはそっとそれに、頷いた。
存在しない左腕の、薬指。契約の印が、もっと。もっともっと赫く、光を増していく。深化を、続けていく。
「行こう」
「ああ、行こう」
少女の身体が、変形した。
それは、いつもの白銀の竜の姿でも無く。
そしてまた、以前の赤黒い変化、でもなく。
透明な鱗は、全てが透き通る。
ただ、その光が、彼女を白く見せていた。
彼女こそは、白竜。
全てを薙ぎ払う、最高にして至高の竜。
口からは、炎。
だがその焔の色は、今までと同じ橙色でない。
それでいて、彼女が見慣れた、焔の色。
その焔の色は、蒼かった。
白竜は、狂騎士にこうべを垂れる。
恐ろしい、彼の伴侶。
彼になら、背中に乗られても良い。
そう思った。
言葉は要らなかった。
だけど、ただ一言。符牒のように。
クシーは、呟いた。
『そう。今から、私の翼は貴方のもの』
「ああ。我が翼よ」
『「さあ、全てを壊そう』」
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