骸と死神のワルツ





夕方、薄暮に差し掛かる頃。

ある街に一人の旅人が入った。

白色の革鎧を着込み、背中に短槍を背負う男。

兜は被っておらず、髪は白く、顔は整っている。


流浪の騎士が一人、街を歩くということは珍しい事ではない。悠々と、口笛を吹きながら歩く事も何一つ異常ではないということだ。



ただ異常があるとするならば、その訪れた街の方にある。街に、生気が何一つ存在していないということの方にあった。

規模の巨大な街。それはしかし、誰一人、何一つとして生命が存在する気配を感じさせない。



「もしもし、少し道を聞きたいんだけど」



騎士は、道端で蹲る町人にそう声を掛ける。

刹那。



「…ご、あぁああぁ」



その町人はぐわりと立ち上がり荒々しく襲い掛かる。人の形と人の歯を持つそれは、飢餓状態の獣のように白い男に咬みつこうとした。



「ぁ」



だがその牙が届く事は無い。咬みつこうとしたその首から上は、騎士の首筋に到達する前に消え失せていた。寸断され、土に塗れた事に気付く時には、それは生き絶えていた。



騎士はいつの間にか鞘を取り、手に持っていた槍から血を拭う。その抜槍は、他に誰かが居た所で認識を出来たであろうか。




「…酷いことするな、ほんと。

俺だってこんなことしたくねえのに」



騎士はそう、ぼやく。

その様子は軽薄な様子を周りに伝えるだろう。

もしも周囲に生きている者が居れば、だが。



その騎士の名前は、ニコと言った。






……




幾つか街が滅びた、という噂を聞いた。

話はそこから始まる。


あの日、ゴーレムを殺し、そのまま風のように去り、行方をくらましてしまったイド。それを追わんとしていた時にそういった噂を聞き、彼はわざわざこの街へと足を赴かせた。


そのまま、その滅亡は、あの血錆の鎧を着た男が齎したものではないかと、急いでこちらに来たまではいい。ただこの街の様子を見れば、彼らによるものでは無い事が直ぐに判った。




…成程、街の一つや二つ、滅びるだろう。

この街はもう手遅れだ。

最悪の疫病が、巣食っているのだから。


むしろこの程度で済んで良かったとすら言える。

大陸が滅びてもおかしくは無い、最低のものだ。



「生きているのは…俺だけみたいだな。

じゃなきゃ、こんな盛大にお出迎えしないもんなぁ」



げんなりと溜息を吐きながら再び槍を手に構える。

四方八方。全方向から呻き声が聞こえてくる。


それは、生を喪った人間の呻き。

唯一生きる人間の、その血と命を啜らんと彷徨う死体。

疫病の眷属となった、おぞましいゾンビ。


生者の命を喰らおうと、喰らったものがそれを補填し、吸収できるわけなどない。であるのに、彼らはそれを求め続ける。

ただそれは、今や持たないモノを持っているという事実が、妬ましくて仕方が無いだけなのかもしれない。



「この街規模なら…ざっと300人とかかな。

それくらいの数なら、まあなんとかなるか」



顎を抑え、そう独り言を言いながら思案する。

ニコのそれは、思考の整理でありながら、また事実でもあり。そして、彼の本性を覆い尽くす為の嘘でもあった。



ああ、そうだ。

この街の人間は皆、全て、ゾンビに成り果てただろう。どうしようもなく、治す術も無く、ただ殺し切るしか無い。

生きている者は、自身以外には誰も居ない。


そうだ。

だから、どれだけ戦おうとも仕方がない事。

この街をいくら壊そうとも、仕方がない…


はぁ、と息を吐く。


ため息などでは無かった。

高揚に伴う、溢れる吐息。

熱を帯びた、興奮に塗れた息。




「……いいね。さァ、来いよ」



手で隠した、口元。

それが、どうしようもなく凶々しく歪んだ。

彼の金色の眼が、狂気を孕む凶暴な色に輝いた。







……





「ふー…はしゃぎ過ぎたなぁ。本当は返り血も浴びない方が良かったんだろうけど。まあ、これくらいなら大丈夫だよなきっと。昔から丈夫でさ、風邪にも罹ったこと無いんだ」




こつ、こつ。

手に持つ赤い布巾で、返り血塗れになった顔を乱雑に拭いながら、歩き近付く。日常の延長線上のように。何事も無いように。

その布巾はきっと、元は白かった。




「でも正直不安でさ。俺も何回かくらいしか殺った事ないんだよ、ゾンビも『あんた』も。しかもその時はちゃんとした鎧も着てたから、こんな軽装だと、ちと怖い」




こつ、べちゃり。

腑を踏みしだきながら歩き近付く。祭壇の後ろでがたがたと震える者に、あくまで柔らかく、話しかける。知人にでも話しかけるように。この惨状はきっと、彼が作ったものだった。



「…なあ、『あんた』はどう思う?

聞いてるんだから、答えてくれてもいいだろ」




ニコは巨大な十字架を眺める。

壮麗なチャペルは、鐘とオルガンを伴い、美しい。

否。美しかった。

今やその惨状に身を横たえ、古び、錆まみれだ。

狂い、穢れ、見る由も無い、神聖への陵辱。



「この町はあんたがやったんだろ。その責任を…とかは言わないけど。まあ、何にせよ出てきてくれ。そっち行くのめんどいんだ」



こつり。足音が止まる。

祭壇の裏より、立ち上がる姿を見た。

そちらに赴く必要も、無くなった。



「く、く、来るな。

殺すつもりか、お、俺を、それで!」



震えながら手を伸ばし、こちらを牽制する姿がある。それは声根も揺れて、まともな発声すら出来ていない。貴族が如く着飾ったような姿だったがしかし、震え、逃げ腰の様態が、逃げ惑う乞食のようにすら見せた。


誇り高き吸血の鬼がこのような姿になっている所を、誰か彼らを知るものが見ようものなら、自身の正気か現実を疑うだろう。それほどの、光景だった。


それをまた、ゆっくり眺めてから話す。

何事も無いように。




「バンパイア。血を嗜好品として好み、吸血を行う不死者。『最悪の病渦』、『疾病の象徴』…なんて、俺の元同僚がそんな風にあんたらの事を書いてたよ。その時は大袈裟だと思ってたけど」


「なるほど。最低最悪の化け物だよ、あんたら」



刺々しいその言葉にも、何も悪感情は無い。

凪いだ海のように静かで、そして不気味だった。




「う、うう、うるさい。

なら、お前はなんだ。

まるで人のようなフリをしやがって」



「傷つくなあ。

俺だってちゃんと人間だよ」



「は、はは、は。

ば、バ、バカめ。人間が、そんな眼をする訳ないだろう。そんな貌をする訳も、ないだろう!」



その男。バンパイアは、がたがたと震えが止まらず、膝を突く。それは、まさしく恐怖の発露だった。蹲るように、自らの身体を抱くようにしてなんとか震えを抑え、言う。




「…429のゾンビを傷一つ付かず斃すことなぞ。

人間には出来ないのだよ、この化物」



「い、300じゃなくて400だったか。

予測も実際に数えるのも下手なんだよなぁ、俺」




頭に手を置き、あくまでコミカルなように言い放つ騎士。

それを見た吸血の鬼は更に震えを深くする。


その発言内容に怯えたのではない。

この騎士は、ニコは。そうしておいて、感情があるようなフリをしておきながら、何一つ感情が動いてないままなのだ。

それが、おぞましく気持ち悪くて、怖かった。




「なあ、投降しなよ。

俺だってあんたを無闇に殺したい訳じゃない。

抵抗しないんだったら殺す必要もないんだ」



「……な、な、なにを」



「死ぬよりはだいぶマシだと思うよ。

ちょっとずつ痛いかもはしれないけど」




それを聞いて、恐れも怒りも忘れ、ただ笑いが出た。嘲笑。呆れ。それらに似た笑い。



「ハ、ハハ。嘘、嘘だ。

う、う、嘘をつくな、心にもない事実にもない。

私は見たんだ、我が同胞が粉にされている所を。

足先から焼かれ、治る側から灰に、粉にされて」



「おま、お前らは。そうだ。

我らを。不死者を、無限に採取できる、資源。

それくらいにしか思ってないくせに。

よくも、よくもそのような口をきけるものだ」



「……俺個人としては、そこまでは思ってないよ」




その発言に、初めてほんの少しだけ感情が揺れ動いた。その揺れには、ほんの少しの悲しみと…


……ああ、最早闘いが避けられないのだという悦び。


恐怖が、戻ってくる。




「ひぃ、は、し、死にたくない。死にたくない」



不死の矜持も何もかもを忘れ、そう這いつくばる。

生きたいのではない。

ただ、死にたくない。


彼にはまるで縁の無かったもの。それが目の前に提示されている事が、恐ろしくて仕方がなかった。だからただ、死にたくない。だからこの町に逃げ込んだ。それでも、死神は追い付いてきた。




「そんな死にたくないなら。あるよ、一つ。投降以外の選択肢。

俺と契約しない?」



芋虫のように這い歩いていた吸血鬼が、ぴたりと動きを止める。

そうした挙句に、ぎろりとニコを睨む。足は震えていない。恐怖を振り切っただとか、そういうわけではない。


恐怖も全て有る上で。怒りが勝っただけだ。




「……ふざけるな、ふざけるなッ!

そのような辱めを受けるくらいならば…ッ!」



「死んだ方がマシ、かい?」



「…」


「いや、すごく死にたくないみたいだから流石に可哀想だと思って。チャンスはやりたいんだ。支配下に置けるなら、殺す必要は無いし」



「という事で。契約するか、死ぬか、選んでくれ。」



「……」


「……その、二つならば」



「うん」



「…死ぬ方が、マシだ」




「そう。じゃあやりあおうか」




布で出来た鞘をそっと取る音。ただそれが、ギロチンが裁断する音よりも恐ろしげで。

柔らかに構える動き。ただそれが、悪魔の眼光よりもおどろおどろしかった。



「かあっ!」



近付けば、終わり。

それは本能で、身体で解った。

だから、腕を前に。そしてその腕をも分解して全てを眷属たる蝙蝠にして一直線上に放った。熱線のように、生き物の大群とも思えぬ勢いで。


身体を眷属に譲渡し、引き換えに底上げをする。

それは本来あり得ないことであり、禁じ手。


それらの蝙蝠は全てが血を吸い、バンパイアのエキスを持つ怪物の化身。その牙か爪がほんの少しでも皮膚にかすりでもしようものなら、そのまま生を失い、死にながら世を彷徨うリビングデッドとなる。




そう、かすりでも、すれば。



バンパイアは、そこに槍の煌めく姿を見た。光源が無く、光るはずのないその刀身は確かに、光を持って凶刃を振るっていたのだ。




「…はぁ、やっぱり、こういう繊細な動きは苦手だな。もっと戦いってのは、大雑把じゃないと」


「まああくまでこれはただの持論だけどな!よく言われたもんだよ。『それは貴様が適当な性格すぎるだけだ』なんて」



「馬鹿な」



数える事すら馬鹿馬鹿しい数の、無数の蝙蝠。その全てを悠々と叩き落としたのだと云うことは、ただ返り血のみを残し平然と口を回すその男から、明らかだった。冗談よりも悪夢のような真実だった。


相変わらずに口を回しながら、歩いてくる。

友人とでも話すように。

この命を刈り取る所業が、当然の事のように。



何も出来ない。

万策尽きた、訳ではない。

まだやれる事は幾つか残っている。

であるのに、その異様な全てに、身体が動かない。



槍が、蒼い焔を纏い始める。

それは魂を感光するような、命を凌辱するような。

黒に縁取られた、青い光。




・・

違う。

あれは槍ではない。



青い炎が形取る。

その、彼の持つ獲物のあるべき姿を。

槍と思っていたそれは、ただの柄だったのだと。


あれは、鎌だ。

命を、失われぬ不死すら刈り取る、死神の鎌。

焔の刃を持ち、全てを刈り取る死の光景。



月明かりが照らすチャペルの中。

霊魂のように揺蕩う刃の鎌を手に。

ただそこには、蒼い死を纏う死神が居た。







……





「……結局、ここもハズレなら。イドたちは何処行ったんだ?」



ずたずたに両断された不死者の身体を眺め、一人ごちる。そうだ。それが結局のところ、わからないままなのだ。振り出しに戻ってしまった。


うぅんと頭を抱えてから。

悔しそうに、仕方がないと云うように、息を吐く。



「……そうだな。あんまやりたくはないけど、『炙り出し』てみるしかねえかな」



そう言ってから、ニコは槍に姿を戻した獲物を背中にしまい、チャペルに瞑目をしてから、ゴースト・タウンを後にした。







……




……如何に不死者といえど。眷属のその肉の一片から再生することなど、絶対に有り得ない事。だから、蝙蝠の羽根の一片から、その意識が目覚めたという事実は、そのバンパイア本人にとっても、予想外の事だったのだ。




(…なぜ、俺はなぜ生きていられている。どうして)


(いや、関係ない。逃げないと。

早くあの化物から、死神から、死から!)



故にこそ、その飛翔は誰にも気付かれず、夜闇の淵へと消え混ざることが出来た。あの、軽薄な死神の目すらも擦り抜けて。


否、あるいはニコは敢えてそれを見逃したのかもしれない。その先にある未来を予想し、歪んだ笑みを浮かべながら。炙り出し、とはどういった行動を予期していたのか。今となってはもう解らない。




(死ぬ…死ぬ…死ぬ!嫌だ、死にたくない。死にたくない!治らない!再生しない!助けて!血を。血が欲しい、血が無いと…)


(近くの、近くの街に!ヒトが多いところに!

あそこはだめだ、生き物が少なすぎる。あそこもだめだ、人が不健康的すぎる。今の我が吸ったら死んでしまう!)




どれだけ、夜を飛んだだろうか。精も根も尽き果て、野生の蝙蝠にすら劣るほどの貧弱に身をやつした吸血鬼は、動かなくなる寸前に、一つ街を見つけた。



人々は健康的。

数も多い。何より、他に外敵が居ない。


バンパイアはただそんな判断すらもする余裕が無いままに、命からがらその町へと逃げ込む。





その町の中心には、遠き過去に枯れ失せた世界樹。

それの贋作が、堂々と根を張っていた。



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