エピローグ


どうしようもなく悲劇的な話の、蛇足。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「…それ、不思議な歌だね。

吟遊詩人さん」



「──うん?」




がやがや、と。人々の喧騒の中で一人の少女が詩人に話しかける。往来を行く、人々の中。ただ二人の間に喧騒から隔離された空間が出来た。

目を瞑り、歌を紡いでいた詩人は、そのまま少女の続く言葉を待つ。




「今、唄ってたもの。

私は初めて聞いたけど…有名なの?」



「ふふ。悲しい歌とか、気持ち悪い歌とは何度も言われたけど、不思議な歌って言われたのは初めてだな」



「…ごめんなさい」



「ん…ああいや」



ゆっくりと首を伏せながら、詩人は答える。

そうして、頭を下げた少女に、ああ、と焦ったように手を振る。

目はまだ閉じたまま。なにかの余韻に浸るように。




「いやいや、別に謝らなくていいよ。嬉しかったし、何よりあなたがそう思ったことにも理由があるしね。

それより、どうしてそう思った?」



「どうして?」



「うん。不思議だ、って思ったんでしょ?

それがなんでか気になって」



「…だってそれ百年くらい、ずっと前のお話でしょ?そうやって、その人たちの周りの人も死んだならお話が伝わるわけないじゃない」



「ああ、不思議ってそういうことね…

でもその答えなら、ほら。

一人だけ語れる者がいるだろう?」



少女の言葉に、落胆したような、ある種納得したように肩をすくめてから微笑み語らう詩人。目は、まだ閉じられたままで。

投げかけられた問いに、すでに答えを持っていたのか。

すぐに答える少女。



「生き延びた、竜の女の子」



「そう。その子だけは、語らうことが出来るはず」



「…本当の話なのかな。竜とか、不死とか。

もしそうでも、なんでその子がそれを伝えるんだろ」



「ふふ、そうだねぇ。

もしこれが本当の話だとして。本当にその子が伝えてるなら、の話で、その上での私の想像だけど。

竜の少女はそれでも、世界に騎士の存在を忘れて欲しくなかったんじゃないかな。彼がいた証を、彼の存在を、せめて話の中でも。それが例え、希代の大罪人としてでも遺しておきたかったのかもしれない」



「そうだね。

きっと、そうだったらいいなぁ。

そうだったら、だって…」



「だって?」



「…だって、その子があまりにもかわいそうだから。

それなら、少しだけでも救われてる気がする」



「…そうかもしれないね」




詩人は、まだずっと目を閉じたままだ。

少女はそれに、どこか引き込まれるような心地がした。ただしかし、その不思議な詩人を見てから、背を向けた。

もう話すことは無いと言うように。



「じゃあね」


「ああ、さようならお嬢さん」




陰鬱な雰囲気のの少女がそうして去っていく。

その背中をぼうと詩人が眺めていた。

くすり、と人知れず笑う。




「…なんだか、不思議な子だったな。

まあ、いいか。色んな子がいる時代だ」



消えていく少女の背中を見ながら、独りごちた。そうしていながら、人々の喧騒の中に、何やら慌ただしいものが入っていることを耳に捉えていた。武装の音、ぴりぴりとした警戒の音が。



「…そろそろこの街も潮時かな?

ぼちぼち、行かなきゃね」



よっ、と力を込めて身体を起こす詩人。

ゆっくりとハープを担いで隠れるように歩いた。








……






……不死者とは、恐ろしい存在だ。

そしてまた、竜とは、その中でも最上位の生き物。そこらの常命のものとは桁が違う、生物としての存在強度そのものが異なる生物だ。


それではなぜ、竜は姿を消したのか?

生物界の頂点にあるべき強度と存在感は、どうしてその玉座に座らず、表舞台から姿を消してしまったのか。なぜそんな無双が、人程度に生体圏の頂点を奪われたのか。



答えには幾つも理由がある。

不死として生きていくにあたり変化を嫌い、故に変化に弱かったこと。人という存在の悪意の悍ましさ。人化を覚えてしまったこと。


だがもっとも大きい理由は、人間にのみ持つものの存在だろう。

人間という生命体の、その、逞しさ。

全てに順応しその場所で繁殖をしていく強さ。

周りに合わせて自分たちを変えるのではなく、自分たちを軸に世界を変化させていく、傲慢さ。

他の生物にそれは与えられなかった。




詩人は往来をそっと歩いていく。

口笛、口笛。軽快に鳴らしながら。


この街は、一昔前、呪われた地として扱われていた。

栄華を誇った王都が、一晩で潰え、ただ一人たりとも生きた者がいなくなった殺戮の巷。何かに滅ぼされた王の住む破城。

それが今ではどうだろう。

そんなことは忘れられて、ただ人々の営みに賑わう周囲。皆が慌ただしそうに、日々を暮らし続ける日常を送っている。



詩人が歩き続ける。

どう歩いているのか、目を瞑りながらゆっくりと。

口笛、口笛。軽やかに奏でながら。




詩人がくるりと振り向いて、端に放置されている銅像を見た。誰も鑑みず顧みず、清掃をするものすらいないぼろぼろの像。

都を私利私欲で滅ぼしたらしい、と伝え聞かれる愚帝と、それに全てをなすりつけられた哀れな幼帝の像。

今となっては、それらの顛末どころか、名前すら知るものはいない。



詩人がゆっくりと道を逸れていく。

口笛、ため息。息を口から逃しながら。




「……なーんだかなあ」



人通りなど一つもないところを探してふらふらと歩いてはみたものの、そういう場所は結局何処にも無くて。

代わりに詩人は明らかに誘導された場所にその身を置いた。こればかりはもう、仕方がないのだと思って。




「はー、残念。

下手くそな詩も、いよいよ歌い納めかぁ」



詩人が、その片方しか無い腕で髪をかき上げた。

短く切り揃えられた銀色の髪が少し浮いた。

ずっと閉じたままだった目を開く。

その目の色は、眩いばかりの金色だった。



「…こちらE地点、ターゲットを視認。

付近の部隊全てを動員して戦闘を開始する。

方陣を組め。一個人と思うな。

相対しているのは災厄だと思え」




がちゃ、がちゃ、がちゃ。

詩人の周りに集まった軽装の戦士たちが変わった形の武器を彼女に向ける。技術の精錬技術の高まりにより作られた火筒。蒼炎が打ち出され、当たった者の身体を抉る恐ろしい武器だった。

量産されたそれを皆が持ち、その口全てを向けられて。




「…どうも。貴殿は私を知らないでしょうが、私は貴女を知っています。竜の詩人殿」



「へえ、そう?

私のファンかな?なんちゃって。

あんな独学のうたもどき、好きにならないよねぇ」



「…いえ。私は、酒場で聞く貴殿の唄が好きでした。だからこそ、こうして銃口を向けねばならないことを無念に思います」



「そう?それはありがとう。

でもごめんね。ぜぇんぜん、嬉しくない」



「……」



「ああ、勘違いしないで。こうして、殺そうとしてるからとかいうわけじゃないよ。君が誰とか関係なく。私は誰に褒められても嬉しくないんだ」



「私が褒められて嬉しいのは、たった、一人からだけなんだ。もう、顔すら、名前すら思い出せない、たった一人…」



詩人が手にした銀色のハープが、しゃらりと粉のように姿を消して。そうして代わりにその銀色の粒子は巨大な剣となった。透明で透き通る、竜の鱗から作り上げられた剣。

それを構えた瞬間が合図となって。



栄えた都のその郊外。幾度となく銃声が鳴り響いた。切り裂く音とその破裂音が、幾度となくデュエットとなり続けた。

ただそれが、ある詩人の最後に歌われる唄となり。









……







ぜひゅー、と、肺から漏れる空気。

微塵たりとも、治る気配のないその風穴。


自らを囲む兵士全てを殺した。

しかしそれでも、彼女が負った傷は尋常ではない。

血塗れのままに、歩いていく。

洞窟へ。彼女の、ただ一つの行き場。



人間は発展と開拓をこの辺境へと進めてきた。

その度にそれを全て皆殺しにして止めてきた。

だからこそ、竜はこうして死を願われている。



「……はっ……はっ……」



酸素も血も足りずに、ぼうと歩いて着く。

そうしてまず、真っ先にある場所、突き立ててある2本の剣の元へと急いだ。

片方は音叉じみた形の大剣。

もう片方は血錆がこびりついた銀色の半剣。

その麓には、花束の跡がある。

枯れ果てた、通り越している残骸だ。



「…ああ…」




きっと、これでも死にはしない。

それがこの身体のどうしようもない不死性故に。

だから彼女は今、その剣の前に跪いた。

全身から流れていく血はその剣の錆を上書きしそうになる。そうはならないようにと、そっと銀の剣を手に取った。


きっとこのままでは、彼女は死なない。代わりに、生きることも無い、ただ死んでないだけの不死が続くのみ。

その狭間になってようやく踏ん切りがついた。



「はっ、はっ…」



彼女には、ただ一つだけ命を絶つ手段があった。

それでいて絶対にできなかったこと。

この、生死の狭間でまで、決断できなかったこと。




彼を、食べた。

血錆の彼を一滴も残さないように。

自分がいない世界に、彼が残らないように。

残ってなどしまわないように。




…それは、喰らったものの存在を彼女のものに出来る力。彼女がゴーレムの力を喰らってその力を身につけたように、人を喰らい、その身体になることも、可能だった。


だがそれは、彼女の認識の問題。

彼女にとっての『人』とは、ただ、クシーと契約した、一人の男のみだった。だから、出来なかった。

無辜を喰らう事は彼女を人たらしめず、そうしてまた、騎士を喰らう事は彼女には出来なかったからだ。



それでも、ただ。こうして、契約を通してこの世界にただ死ぬ事なく二人が現世に残り続けるならば、二人で共にこの世から去ることを選んだ。それは自らが死を望む衝動に耐え切れなくなったのか、もしくは自分のせいでその状態に残り続ける伴侶を憐れんだのか。

それは彼女自身、わからなかった。



ただ、ただ。

丁寧に舐め取って、ゆっくり嚥下した。





「……ああ、やっと。

やっと貴方の名前を思い出せた」



「ああ、イド、イド。大好きだよ。

ずっとずっと、大好きだった……」




人となった自らの身体から消えていく体温。

左腕に刻印された契約が、砕け散った。

片方が死んでしまったことの証座。

ようやく、彼が解き放たれたのだ。

ようやく、彼を思い出すことができたのだ。


だから、こうして涙が出るのも、きっと嬉し涙なのだと。

そう思いながらただ血と命を流し続けた。もう、ただの非力な人となったクシーは、ただ一人。



目を、瞑った。




(愛してたよ。誰よりも何よりも、ずっと──)











……







私は気が付けば、光一つ無く暗い所にいた。

そこが何なのかもわからない。

ただ私は私として、そこに立っていた。


ああ、とそこが何処かはわからないまま、それでいて何か納得するように立ち尽くしていた、その時だった。




「はいやーっ!」




けたたましい、声が聞こえてきた。




「そらそら!どうどう、ひひーん!

次はー地獄〜、地獄〜、地獄の一丁目〜!」



「……」



下手くそな馬の物真似をしながら、ただ一人だけ妙に興奮して目の前に現れた女性。髪は銀色で、目は金。竜の力を宿した人間の色だった。それはきっと、竜の胎内から産まれた。

不死を殺すための騎士団の、一人。




「はじめまして、ナナ」



「うん、はじめまして!『クシー』?く、アハハ!なんか、へーんな感じ!娘とおんなじ名前を始めましてってしなきゃいけないんだもんねー」



彼女の姿を見て、今ここにいる暗い場所がどのような場所か、わかった。それを確信して、安堵と、何処かうら寂しい気持ちが入り混じったような。そんな、気持ちになった。



「それじゃ、さっそく行こうよ!あとその道すがら色々話させて?あたし、貴女とも話したくてうずうずしてたんだから!」



「行くって…何処に?」



「ん?あはは、決まってるでしょ!

あのサイテーな男に逢いに行くの。

あなたを利用するだけして捨てたあの男!」




ナナはからからと、笑顔を浮かべながらそう言う。

いつもならばそう言われれば、激怒をしたであろう竜の少女は、しかしの屈託のない、親しみを持ってからこそ言えるナナの言葉にくすりと笑ってしまった。



「ひひ、まあジョーダンだとしてもさ。

言いたいことの一つや二つあんでしょ?

だから、ほら。おねーさんに着いてきな」




そうして、黒い世界を歩き続ける。

その最中、少しだけ他愛のない話をした。

彼のどこを好きになったのか。

彼のダメなところの、愚痴。彼が幸せになれなかった、愚痴。いつだって、女性同士の話は愚痴の方が盛り上がる。




「…さあさ、この先だよ。

クシー、あなたが一人で行ってきて」



「え?」



「あなたが、会ってあげて。

私はここで、もう、帰るから」




諦めたような、淋しい表情を浮かべて。

ナナはただそう足を止めた。

それまで歩いてきた方向に向いて、ゆっくりと歩き始める。その足元はだんだんと暗く、黒く、彼女の身体を埋め尽くしていっている。



「ま…

…待って!彼、イドは!

ぜったい、貴女にも逢いたがる!だから、だから…」



「私は、いいの」



「……!」



「きっと、イドを本当の意味で幸せに出来るのは貴女だけ。私たちでは過去にしかなれないし、過去に囚えることしかできない。あいつに会って何を言っても、この奥底で苦しませることしかできないから」


「ほんとは会いたくて、仕方ない、んだけどね。

ね。クシーも、ね」



クシー。

この時に指した人物は私ではない。

それはきっと、私にはもう見えない。

それでナナにだけは見える、彼女の、彼女たちの娘。



瞬間に。



どん、と。

二人分の手に背中を押された。

片方は、ごつごつとした荒い腕。

片方は、たおやかな流水のような手。


衝撃に目を向け背後を振り向いたけど、そこには誰もいなかった。だけれど代わりに、声が聞こえた。

一人の声。もう一人はきっと、寡黙で。



「なァ、頼むよ」


「……」




……そうして、残滓たちは消えた。イドを取り巻いていた騎士団はもう、二度と見えないし聞こえなくなった。

ただいるのは、私だけ。

そうする決断に、どれほどの力が要るだろう。

私はただ、彼女たちに鎮魂を捧げた。

レムレスの騎士に、ただ、祈りを。




そうしてから、意を決して、進む。

足を進めていく。

暗闇の中をどれだけ歩いただろうか。

あの人に逢いたいとどれだけ思っただろうか。

貴方に焦がれて、どれだけ居ただろうか。

そこに行きたいと、どれほど願っただろうか。




歩いて、歩いて、歩いて。

その先に、貴方がいた。



ちょうど歩数にして、あと二十程。

そこでぴたりと足を止める。




「……」



「……」




言葉が、出てこなかった。

言いたいことも言うべきことも、無限にあってどれから言っていいかと悩んでいたはずなのに。その目の前にするとどれひとつとして出てこなくなってしまって。


だから、最初に声を出したのは、貴方だった。




「ごめん」



「…!」



「……許してもらう気なんてさらさら無い。でも、それでも。俺はお前に酷いことしかしなかった。ただ、お前から俺を失わせようとしたのだって、本当に、本当に。俺さえいなければ、例え苦しんでもその後を幸せに生きていけるんだと、そう思っていたんだ…」



「……ちがう」


「わたし、わたしこそ、謝らなきゃって。

ずっとずっと、ごめんなさいって言いたくて。あなたのためになんでもしてあげたかったのに、あなたの為にやったことが全部、どうやっても不幸せにしかならなくて。どうやっても、私はあなたを不幸にしてて」


「…貴方が、ああなった後も。それでもし、わたしが死んだら、あなたがいた意味さえなくなっちゃうから。だからずっと、がん、がんばって。貴方だけでも、少しでも遺したくって…」




とりとめのない、まとまりのない言葉を二人ともつらつらと言い続けた。それは、喧嘩をした幼児が仲直りをする直前のような。感情を御し切れない、まとまってない会話だけがある空間のように。



一歩。

貴方が歩いた。

また一歩。

今度は私が歩いた。


互いが、互いに歩み近寄る。

手を伸ばせばぶつかる距離。



その距離で、ゆっくりとイドが私を抱擁した。




「…う、あああ、ああ…」


「なか、ないでよイド。

そんな、そんな顔されたら、わたしもさ」


「…う」




「ええええん…!」





ただ、ただ。

私たちは抱き合って泣いた。

寄り添って、ただ泣きじゃくった。

二人とも、どちらの声かわからないほど。

後悔も何も全てを出し尽くすまで、ずっと。


イドは、ずっとそうだったんだ。

そういう風に見えていただけで。

ずっとずっと、大人になり切れてなんていなかった。

大きい、少年のままだったのだと。

歪に身体だけ育て上げられた、子どものままで。

それを証明するように、泣き続けた。


二人でずっと、泣き続けた……








……







「………ねえ」



「うん?」




「…これは、幸せな夢かな」



「さあ。俺にはわからない。

ただ、そうでないと願いたいよ」



「そうだね。私も、そう。

でも私はもう、それでもいいや。

私はもうこれで、いい」



「貴方が地獄に行くなら、私も地獄に行きたい。

そんな、贅沢な夢が叶ったんだから」



「……そうか。俺も、そうだ」



「……これは、君を利用する為でもない。

契約のせいでもない。

ああ、ようやく。ようやくただ、普通に言えるよ」








……







……暗闇の沙汰、光の無い奈落の底。

ただ二人は永劫に寄り添い合った。

救われない旅路の先は、そのようなもの。

地獄の奥底に至る、惨めな末路。


だけれど、それは。

ほんの少し、彼らの救いになった。

救われない大罪人の、ただ少しの救い。


二人は、誰からも赦されはしない。

誰にもならず、変わることもない無間の地獄。

永劫にそこに居続けねばならない闇。

だからこそ、奈落の底で寄り添い合い続ける。

ただ、ずっと、ずっと。

二人は、ただ寄り添っていく。

これからも、ずっと先も。





これは、蛇足。

どうしようもない殺人鬼は血錆となって死んだ。どうしようもない人殺しの竜は、その愛によって身を滅ぼした。自業自得の、悪党どもに相応しい死に様。



だけれど、ただ少し。傷だらけの少年と、初めて愛された少女が、ただ、地獄の底で、ほんの少しだけ幸せになれた。


これはそんな、無粋な蛇足の話。






おわり

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