始まるべきではなかった話の終わり





…それは誰もが知ることを拒み知らずを望む陰惨。

教訓話としても三流と眉を顰める、そんな昔話。

 

それは薄汚い洞穴から始まった。

始まるべきでなかった、騎士と竜の話。

始まるべきでなかった、昔話…








……





前へ、前へ。

引き裂かれた挽肉の山を泳ぎ掻き分けながら、魔物共を超えて先へ。

細びた腕を喰い千切らんとする鳥の口を裂いた。鱗の生えた顔を狙わんとする土竜を潰した。足をずたずたにせんとした豹を、逆にずた袋にした。


そうしていくたびに、クシーの身体には生傷が出来続ける。焼きただれ、人以外を魔として滅する魔剣のその痛みが彼女から力を奪っていく。そうされていく度に、イドを守る手は精彩を欠いていく。イドが剣を振るう度に、彼自身の生傷も絶えず増えていった。




……竜にとっては、失った孔を埋めるためだけの愛だったとしてもよかった。救うことができなかった娘の代わりとして、今度は救うことができた現実の楔として愛されて、自らを通して別の理想と真実を追い求める夢追い人でも。


なのに騎士は、ちゃんと竜を愛してしまった。

きっかけが、自らが助けたからという歪んだ自己愛でも。今度こそ助けることができた娘の投影先だとしても。それだったにせよ、目の前にある愛はただ真実で。それが父性愛でも恋愛であったにせよ愛してしまったのはどうしようもなく本当で。



「う、ううぅううう…ッ!」



「あああ゛ッ!!」




怪力を振るって列挙する命を薙ぎ払う。その少女の背中から、まずはこの邪魔をする者を殺そうと他の魔物が襲いかかる。竜の鱗から作られたドレスが牙を爪を防ぐが、ただそれでも人の姿になっている彼女にその衝撃は大きい。

潰れかけ、押しのけ、また薙ぎ払う。そうして周りを見渡して、その一瞬で左脚をもぎ取られたイドの姿を視認する。

悔やんだり、悲しむ前にまず助ける。そうすると、また身体に痛みが走る。




……愛とは、なんだろう。

こうして身を呈してでも相手を守ることか。

無条件に相手が欲しがる物を用意することか。

悪い事をしたら、それを叱ることか。

どれも愛からくる行動であり、愛そのものではない。


ではそのものとは何なのだろう。愛さえなければ後悔も失望も、いらないのに。

それでも必要になってしまうならば、この愛こそがきっと、全ての苦しみの素なのかと。

そうして説明がつくものではない。

そうして形があるわけではない。

だからこそ、何かの行動と言語で示さなければ気が済まないのだ。たとえそれが、契約という呪いに繋がっている者でも。


愛は、愛こそが失った苦しみの量こそが、むしろ愛を保健する、逆説的な証明。身体の中芯がすかすかになったような苦しみこそ向けた愛の証座となる。ただ確かに、愛していたことの。




「はっ、はっ、はッ…!」



考えれば、考えるほど気が遠くなるから。

ただ無心に目の前を薙ぎ続けた。

周りを殺して愛しい人しか見ないで、それを守り続けた。その騎士が振るう剣の輝きからすら目を逸らさないで、それで戦い続けて。

長い長い時が過ぎていく。血塗れで血みどろで、地面そのものが赤く染まり切ってしまうのではないかという程の久遠の時間だった。





「ぜっ、ぜぇ……げっ、うぉ゛え…!」



極度の疲労から、胃酸が逆流する。全身の体液が逆立って、目と耳から血が流れていく。切り裂かれた魔剣の傷が彼女に積み重なってどうしようもない疲労を積み重ねていっていた。



崩れ落ちるクシーを狙う魔物は、もう居ない。

人の姿のまま。

竜の姿とならないまま。

蒼焔の一つも吐く事なく。

彼女は地面を埋め尽くすような魔物の数々を全て、ただ単騎で殺し尽くしたのだ。

その姿はまさしく、この世の頂点。

生命体としての頂点を表す強度だった。





イドの姿が無い。


自らの体調の有無よりも何よりも、それに胸部が締め付けられるような息苦しさを感じて、無理くりに立ち上がった。


いつから彼を見失っていた?

最後の最後まで、見ていたはずだ。絶対にそれだけはしないようにと彼をずっと見ていた。

今の一瞬。

全て倒して緊張の糸が途切れて倒れてしまったその瞬間にだけ、彼を視認していなかった。

その一瞬に彼を見失った。

自らの愚かを悔いて、掻きむしる力すら無い。



身体を引きずりながら、過呼吸のように激しい呼吸をしながら周りを見渡す。首をばっと動かして必死に。


契約の残留、それは彼の生存を知らせる唯一の証。それだけが彼女の心は保たせていた。だけど姿がどこにもない。知らせるはずの烙印の共鳴すらもまるで動かない。



「…イド、イドォ!どこっ!?

どこにいるの!へんじをして、してッ!」




音はまるでしない。返事もない。

その静寂がクシーを狂わせそうになる。




「………ッ!ふぅっ、ふうっ…!返事をして…!おねがいだから!ねぇ…!」



「…!そうだ、そうだ…!」




焦りの極致の中、一つの案に辿り着く。唯一の彼を手繰り寄せられるもの、契約。もっと深くこの契約に潜り込めば、わかるかもしれない。そう、思った。それに集中していけば、場所を知ることができるかも、しれないと。



(そうだ、そうしよう!

そうすればきっと見つけられ…)




そうしよう、として。

びくり、と一瞬動きが止まった。

懸念が彼女の脳裏をよぎった。



もし。

この契約から、致命傷を負った彼が伝わってきたら?もし、もうどうにも死にかけで、どうにもならない彼の姿が明らかになったら。

竜と同化してる者すらどうしようもないくらいの傷を負ったイドの姿があったら。


例えそうであろうとそれをしない理由はない。どうせ彼を見つけなければいけないことは、何にも変わりがないのだから。


だけれど、疑念と恐怖がどうしてもよぎった。それが見えたら、こわい。

そういう思考が病のようにクシーを襲って。



コンマ数秒動きを鈍らせた。







ぶぢ。




その瞬間を、目が捉えた。

魔物の屍の内側から、金色の瞳が蠢いた。

その内臓の中から、肉が裂かれる音。

死体の内から糞と腑を撒き散らして姿を表す。


死体を被り、眈々と待った。イドの姿だった。

首が六割ほど千切れかけ、全身の皮膚も肉も魔物に剥ぎ取られ、骨が見えている腐乱死体のような姿。左腕がもぎ取られ右のはらわたも奪われていって、それでも死ねない姿。


ただただ、1つしか残ってない金色の眼だけがその前よりも一層輝いて、爛々と光っていた。





「………ああ、よかった。イ」



「ド」





クシーは、両脚を切断された。

瞬間にあるのは苦痛の苦しみではなく、愛しい人を見つけることが出来た安堵だけだった。




どちゃり、と。

返り血に真っ赤になったドレスの少女が、これまた赤い大地に横たわる。



ただ、暫く。

静寂だけがその地に鳴り続けた。









……





俺はどうなっているだろうか。

敢えて鑑みたくはなかった。

碌でもない姿になっていることが、いやでもわかった。糞塗れで、血塗れで、身体の至るところが痛みを放つ。普通の痛みではない、幻肢痛。失ったものだけが得られる痛みを。



剣をこつりと杖にしながら横たわったクシーに近づく。両脚の切断面からはじゅうじゅうと蒸気が湧き出て、再生はしなかった。


そうなった彼女の右腕を切り落とす。

ドレスを無理矢理剥いで、生の皮膚を切り裂いた。あっという間に四肢の無い、芋虫のようになった。


クシーは、抵抗もしなかった。

する力も無いのだろうが、きっとする力があってもこの切断に抗ったかどうかは不明瞭だ。




「…ふふ、えっち」




ぼおと意識が遠のいたように呟く彼女の姿は、夢うつつで、それでいて満足したような君。これで、ああ、ようやく。宿願が叶ってくれるのかという、嬉しさが滲む笑いだ。




「……すまないな。お前をこうしなければ、俺は復讐すらまともに、出来ないんだ」




復讐。

復讐だけが俺の生き甲斐になった。

あの日、あの二つ月が綺麗な日に。

全てを失ってしまった日に。



ではこれは、何の復讐だろう。

今こうした死合は何に対する、何への復讐だ。




「よくも、娘の血が染みた鎧を壊したな。

よくも俺を人外にしてくれた。

よくも…」



思い浮かぶ恨み節はいくつもある。

でもそれでいて、まだ足りない。いくつもあって、それでいてこの凶行に陥るまでの動機に足りはしない。


俺は、俺自身の中を見渡して。

過去を、今をすべて見返して。

ようやくあの時わかったんだ。

記憶が無為に圧迫され、過去すら忘れそうで自らすらわからなくなった中。

お前の悪辣が、俺の今が自分自身に依ってもたらされた自業自得だとなった時に。





「………なあ。思わないか。

俺は、どうしようもなく歪んでいる。俺が関わった全てが不幸になるんじゃないかと」



「私はあなたに逢えて幸せだよ」



「ああ。だから、今から不幸になるんだ」




ごう。

身体から『共喰い』の焔が溢れ出る。

正真正銘、最期の使用。

どれにせよ、これ以降はきっともう使えない。

それを、スティグマの銀剣に纏わせて。


じゃき。横たわる少女の頭に切先を向けた。





「……今からお前の脳幹を貫いて焼き落とす」



「そっか」



「ああ。そうして…」







「俺なんぞを忘れた生涯を送っておくれ」




「……………え?」





そう、発言を聞いて。

数秒固まり。




「………う」


「………あ、ああああああッ!!」




クシーは急激に全身をよじらせて抵抗を始めた。じたばたと、唸りながら全力で身体を動かさんとする。

だが四肢を根本から切り落とされた今となってはそうすることもできない。動くことも、竜の体に戻ることすら、魔剣の治癒阻害の力が止める。


彼女は、たったその一言だけで気付いたのだ。

俺の為さんとしてること。

それでいい。

それでこそ、いい。


それが愛したお前にできる唯一の。

そして、最期に俺が与える感情だ。





「やめて」


「やめて、やめてやめて…!」





…愛そのものに、定まった形も答えもない。

だが、愛の形の一つのありさまはある。


ああ、そうだ。

俺はあの時にわかったんだ。

クシーが俺を閉じ込めたいつかの時。



愛と復讐は同じだ。

同じ、ことの有り様なんだ。


復讐の本質とは、自分により相手に変化を齎すこと。それを、その姿を見ること。

愛もそれだ。

愛を持つ自分が、愛した相手に変化を齎すこと。愛した相手を変化させること。


愛した相手か。憎んだ相手か。それだけが違う。それすらも表裏の関係で、少しだけ足を外せば交わるラインなのだろう。


愛と復讐とはきっと、共に変化を求める事なんだ。互いの変化を、互いが生じる事こそが。




俺の復讐は、俺自身で相手に変化を齎せなかった。俺の知らない所で全ては壊れ、手を出せずに目の前で崩落していった。全ては俺が変化させる事すらできなかった。だから俺の復讐は、なにも得られない失敗だったんだ。



そしてお前への愛も、これで失敗になる。


復讐は、もう終いだ。

そうしてこれが、お前への最期の愛だ。

何も齎せなかった、無意味な愛として。




「それだけは、それだけはやめて。

それ以外なら、なんだっていい。

殺してくれたって構わないから。

だから、だからやめて。やめて!!」



「………ああ、そうだ。こうして、お前の脳を焼く。焼いて、そうして、記憶を司る所を、じっくりと喰らっていく。『共喰い』が、貴様の記憶を貪り喰らうだろうよ…」





結局。愛した者を殺す事などできない。

俺はお前を、どうしても殺せないよ。

復讐などできるか。お前に向けてなど。

殺しなどできるか。娘の姿が、フラッシュバックして未だに脳の一部が痺れるようだ。




だから、ああ。

これは、そう。唯一残っていた復讐心。

燻っていた復讐心の、唯一向く相手。



これは、俺への復讐なんだ。



こんな、糞みたいな世界をただ少しでも美しく思った、そんな思い違いへの復讐。そんな身勝手な何かのために何もかもを犠牲にした自らへの、こんな苦痛と虚無しかない人生で、それでも何かを愛してしまった自分自身への復讐。


その復讐を全うするように。

俺の人生の全ては無駄でなくてはならない。

俺の生涯は失敗だけでなくては、いけない。





「…お前の記憶を焼いて喰らって。

そうして、俺のことを全て忘れさせてやる。

俺を愛したその感情を全て無くしてやる。

俺なぞ関わっていない生を暮らせ。

そうして、誰かを愛してくれ……」




嫌だ。忘れてなどほしくない。

彼女に想っていてほしい。

だからこそ、この行為には意味があるんだ。

全てを喪っていく。愛も記憶も正しさも、何もかも。奪われ苦しみ消えていく。




「…ちがう!イドが、イドが復讐すべき相手はあなた自身なんかじゃない!違うでしょ!?」


「わたしを、わたしを恨んでよッ!

わたしを憎んで、怒って、殺して、想って、一生を私で埋め尽くして!その為ならなんだってする!あなたの娘の唯一の残滓である鎧だって壊すし、剣だって、記憶だって奪う!イドに恨まれるためなら、貴方の生きる意味になれるならなんだってするから!

だから、だから………ッ!」



「…ごめん。

それは、無理なんだよ」




そう、無理だ。

俺は、もうだめだ。

君に復讐なんてできない。

君を恨むことなどできない。

どうあっても、何をされても。



それでも、君を愛す。

どうしようもなく愛してしまったのだから。






「…やめてッ!私を思い出にしないで!

私を連れていって、連れていってよ…!」


「私は、私は!

私は貴方のおかげで私になれたのに!

クシーに、なれたんだ!イドがいなければわたしは、『私』になれなかったのに!」





「……ああ、だから、お願い……」



「…『私』を、殺さないで……」







どず。


剣が、突き立てられた。









……







「……ハァ、ハァッ…

まだだ、まだ、死ねない─」



「─まだ、償う為の罪が、足りない…!」




もっと、もっと。

ただ、何かをしなければ。

そんな無意味な焦燥感だけが騎士を動かす。

口にしてる言葉も最早、なんの意味もない反射にしか過ぎない。狂人のたわごとでしか、ない。






「ク、ハハハハ。死なせてくれ、死にたくない、死にたい、死にたくない」




破綻した独り言をけらけらと言い続けながら、彼は何処に向かって歩いていたろう。

ただ偶然か無意識か。

彼が歩き続ける方向はただ、王都のあった場へ向かっていた。家族も仲間も全てを失った場所。今や更地しか無い場所に向かって、どうしたいかは彼自身が一番わかっていない。




「死にたく、ない…まだ死ねない…」



『死にたくない、か。

貴様は、自身の命に、奪った数千よりも価値があるとでも思うか。笑わせてくれる』



自らの内側から声が聞こえた。

過去の自らの声。

いつ発した言葉だったか。

それすらももう、覚えてはいないが。




「……ああ、そうだよな」


「そんなおいしい話が、あるわけが無いや」




倒れる。倒れた時の音は、人が倒れたような音ですらない。中身の無い額縁が落ちるような頼りない音だけが、した。









……








…紅い大地で、私は目を覚ました。


立ち上がり自らの頭を触診する。

傷は無い。腕、足。全身についていたはずの傷はもう治っている。


そう、ついてた筈。確かに傷はあった筈なのだが、記憶が明確ではない。どこか定かではない記憶だけがある。立ち上がり、そっと全身を確認する。


左腕が無い。これだけは治らない傷だ。

なぜ治らないのだったか?

これは、確か誰かがやったものだった。

誰だろう。契約を結んだ。

覚えている。思い出せる。

誰かに切り落とされたのだ。

蒼炎に、追憶に、知らない誰かに。


知らない?

違う。それだけは絶対に違う。誰よりも深く知っていて、知らないといけなかった。


私の名前はクシー。

その名前すら、その人が与えてくれた筈、だった。




(………契約、は)



まだ動いている。

それが、対象の位置を教えてくれる。

そこには何か大切なものだけがある。

その確信と衝動が私をふらふらと歩かせた。



頼りない足つきでたどり着いた先。

そこに人の姿は無い。

あるのは、獣の姿のみ。

死肉を漁る肉食獣。魔物ですらない、ただの獣。

魔物に生存競争を追い出され、唯一生き延びてるものは死肉を漁るしかない。そんなような、ただの獣たち。





がつ、がつ。


それに、そんなものに。

愛していたはずの騎士は咀嚼されていた。




「………」




その光景に、ただ脱力をして。

そうしてから、ぱきぱきと首を竜体とする。

そうして、ただ息を大きく吸い込み。




「どけェッ!!」



一喝。ただ脅すつもりであったそれは、ただ音そのものの衝撃と爆音による内部の破壊で獣を殺した。


残った目の前の血錆にふらふらと近づく。


銀の剣にこびりついた血鯖。それ以外は死肉を漁られまともに残ってはいない。

骨に残った一片の肉片と剣にのみ残った血鯖。

それだけが、『彼』の。

クシーの想っていた男の遺った全て。



彼についての、全てがわからない。

それでも大切な人であったことだけは、わかる。それは胸の、永遠に埋まることはない孔だけがそれを証明してくれる。喪った跡だけが、その消えてしまった人への感情の全てを証明する。それが、こうなってしまったことはただ悲しかった。



そうして、悼んでいた瞬間に。

ぞっと、おぞましい事実に気が付いた。



はぁっ、と。

最悪を想像し、激しく息を呑んだ。

そしてその想像が、想像で止まらないことに気付いた。ひきつけを起こすようにゆみなりに背を曲げて、顔をくしゃりと歪めた。


無い左腕を宙で掻いて。

膝から崩れ落ちた。

頭を抑えて泣きじゃくる。





「……うああ、ああっ!」




あんまりだ。

これが、こんな残酷なことがあるだろうか。


目の前のほんの少しの肉塊。

剣に少しだけこびりついた血錆。

それをじっくりと見た。

そうしてから、薬指の契約を見た。

どうしようもなくこんこんと光る契約の色。



その色がどうしようもなく伝える。

『契約が切れていない』。

それはつまり、どういうことなのか。

契約は続いている。

つまり、呪いは解けていない。

解けるべき状態では、無いということ。



この男は、常軌を逸した不死の力と一体化した。

竜と、竜として完全となったクシーと契約を通して。


その、せいで。

彼はこの状態になっても『生きている』。

ゲル状の、血錆になっても死ねていないのだ。

それでいて、再生をすることもできない。これほどまでに損傷したら、例えどんな生き物だろうと元の姿に戻ることなどできるものか。



だんだんと、ぼうとしていた記憶が鮮明になっていく。私が彼を愛していたことは確かだった。それを知って尚、私の記憶を消し去ったことも、覚えている。私の感情を消してまで、消えんとした理由は、わからない。



肉片になっても、土塊になっても。魂が抜けきった、抜け殻になっても。どうしようもなく成り果てて、たとえ私のことを忘れたとしても。


どうあっても愛せるつもりでいた。

そうして、愛することはできるだろう。

記憶が消えても、貴方さえそこに居てくれれば。


だのに、だけど。

これは。

これはあんまりじゃないか。

愛した人の幸せを願うなんてありふれたこと。

じゃあこれは、どうなんだ。

これが、彼にとって幸せな姿なものか。

こんな、ただの血の汚れの姿になって。





「う、え」



「うえええ、ええええん……!

うああああああああああっ…」




泣いて、泣いて、泣き尽くした。

喪った全てに泣いた。

虚無感のままに泣きじゃくった。

喪ったものがわからない。

その、やるせなさに泣き続けた。


貴方の顔すら、わからない。

貴方の名前すらどうしてもわからない。

その事実が、何よりも辛かった。

喪ったものの価値すらわかることができない。愛した貴方を、知ることすらできないことがどれだけ辛いのか。


『悲しむことを十全にできない』ことが、何よりも何よりも悲しくてつらくて、どうしようもない苦痛だった。




…………それ、でも。

それでも。私はあなたを愛する。

私の騎士。

名前も思い出せないあなたを、愛し続ける。

きっと、もうそれはそれしか私には無いから。


名前もわからない。顔も二度と見ることも無い。

そんな貴方に私はずっと、ずっと…

ただ、褒めてもらいたかっただけなんだ。



だから。私は、クシーはあなたを愛する。

どれだけ消え去ろうとしても、どれだけ酷いことをされても。私の生涯の全てから消えようとするのが貴方の想いだったとしても。



それでも、君を愛す。

それが、最期の目論見をした貴方への。

唯一にして、最後の復讐だから。


その、愛と復讐だけが私の………

…私が、生きていかなければいけない理由だ。






「うあああ、あああああん……!!」



「ああ、あああああああああ…………っ!」








……






…これは、始まるべきでなかった話。

何の救いも無く、ただ、忌避されるだけの話。

凄惨で、曖昧で、血濡られた軛。

愛という、歪んだ呪い。


復讐を果たしたかった騎士は無意味となり。

死にたかった竜は、死ぬことも叶わない。

どちらの悲願も達せられることが無い。

憐れで無惨で、どうしようも無い話。



そんな話の、おしまいはこのようなもの。


それは、最期にはただの血錆となった騎士と。

ただただ、はじめて愛された、竜の話……



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