火の如く
ただ火の如く、殺す。
ただ火の如く、壊す。
殺し壊し、また殺す。
罪だの、なんだの。知るものか。
そんなもの、この怒りの前にはどうでもいい。
これは、ただ怒りの言い訳で、暴れたいだけなのかもしれない。彼女を助けないとという思いも、それに託けてるだけであるのかもしれない。
むしろ逆に、復讐なども忘れ、彼女を助けたいのかもしれない。
なんであろうと構わない。どうあろうと。
ただ、破壊する。
俺の為に。彼女の為に。
助ける為に。壊す為に。
ただ、火の如く。
…
……
「やあ、お目覚めかな?」
「……ええ、おかげで。よく眠れた」
次にクシーが目覚めたのは、薄暗い檻の中だった。
ただ、周囲を見る限り衛生状態は悪くは無い。
あの荒々しい捕らえ方とは裏腹に、その環境そのものはある程度整えてくれているようだ。
「それは良かった。睡眠不足は、不死者であっても体調を崩す要因になる事は実証済みだし、それは困るから」
あの時、顔は見えなかった。
だが声が、目の前の男を、あの時自身を連れ去った男だと認識させる。仮面を被り、長々と口上を垂れた、エィスと名乗る男。
その顔は、遠目に見ても明らかに細身で、貧弱な青年だった。
身幅の広い服を纏い体格こそ分かりにくいが、ただ背丈がひょろりと高いのみで、風が吹けば飛んでいきそうに頼りない。唯一、その目だけが爛々と、獣のような輝きを据えている。
「…確か…エィスだったっけ。ここはどこ?」
「おや、名をお覚え頂き光栄の極みです、クシー。
その質問についてはしかし、答えません。
知った所で彼に伝えることは出来ないけれど」
クシーは、ぎりと視線を鋭くする。それは今の問答に於いてエィスを睨んだのでも、クシーという名前を呼ばれた頭痛でもない。その、彼の後ろに居る2つの気配にむけた視線だった。
「…ああ、そうか。貴女はこの二人を認識していなかった。デカブツの方がツウ、小さい方がスリーです。
精々仲良く…というのも難しいですかね」
紹介に、それぞれが無言のままに軽く頭を下げた。
その動作に紐づいて、ふうわりと何かが香り、竜はそれに顔を顰めた。何か、臭いが『混じって』いる。
何が何と混ざった匂いだろうか。
これは…
顔を、歪める。
「…なんて、悍ましい」
「ええ、僕も常々思いますよ、ドラゴン。こいつら程気色の悪い奴らは居ない。でも、それでも僕の友人なのですよ。唯一の」
何やら、煩雑とした棚と机をごちゃごちゃと動かしながら、興味が無さそうに語るエィス。こちらには全く目もくれていない。
その隙を見て、檻に触れようとした。
「ああ、その檻には触れない方がいい。それに触れると…ええと、わかりやすいように言うと…そう、雷が君の中に流れ込む。筋肉だとかをずたずたにするから、強制的に身体の動きを全て止めることになる」
「もし君がそれでも止まらないならば、その隙に僕があの竜笛を吹く。こちらとしても無意味に苦痛を与えることは本意では無いので、出来れば止めてほしい」
びく、と、クシーの手が反射で止まった。
苦痛は恐ろしくない、はずだった。
その『雷』もどきすらもきっと自分は耐えられる。
「……ッ!」
だが、笛という一言で恐怖がもたげる。
あの時の、気を失うに至った笛の音色。
「…へえ、すごいな。あれを聞いて尚、歯向かう気概を保つのか。恐ろしい眼を向けてくるものだ、恐ろしい。素晴らしい」
「文献に曰く、竜笛を聞いたドラゴンは、その殆どが二度と逆らおうとはしなかったと言う。そもそもの用途が苦痛による調教を目的としたものだったらしいしね。そんなものを受けて、それでも僕に燃えるような殺意を向ける君は、やはり尋常じゃない」
エィスは、自らの頭を両の手でぐりぐりと挟みつぶすような奇妙な動きをしながら、自分に言っているのか、ツウとスリーに言っているのか、クシーに言っているのか。分からないように呟く。
「まあ、どちらにせよこれは吹くけれど」
何の前触れも無く。
突拍子もなく。
竜の笛の音が、部屋中に響いた。
「〜〜〜〜…っ! ……ぁッ……!!」
悲鳴が、言葉にすらならない。
苦痛を表す悲鳴に必要な空気が喉に到達することも許さないほどの、気が狂いそうなほどの痛み、痒み、倦怠。脳に通う血が、全て針になったかのような抗いようの無い苦痛。皮膚の下を油虫の翅が走り回るような痒み。千年岩が腑を潰すような体の重み。
不快感を煮出した汁を、更に煮詰めたような。
底知れない、苦痛だ。
牢屋の中で崩れ落ち、ぴたりと軽い音を立てる少女。その姿を見ながら、何やら不満げに手元に何かをメモし始める痩せ細った青年。それが目に入った筈であるのに、何の反応もしない大男と、浮遊する少年。
なんとも、まあ。
気持ちの悪い不自然が、部屋中に充満していた。
「……ぃ…が…
…さ…っき…」
「ん?…ああ、なるほど。確かにさっき、無意味に苦痛を与えることは本意ではないと言いましたね。僕の発言のムジュンを気にかけてくれるとはどこまでも優しいのですね、クシー」
「大丈夫、これには意味があります。今、竜笛を吹いて貴女に苦痛を与えた、ちゃんとした理由」
クシーは無論、そんなことを言いたかった訳ではない。だが、この会話が成り立たない青年は、脳でそうだと早合点をして、淡々と、ハイペースに、語り続ける。
それを声で否定する力すら、今のクシーには無い。
「僕はね、実証したいんですよ。どうしてこれはそうなるのか。どうなればそれがあれになるのか。研究と実践とロジックで、すべてのモノを語れるようにしたい」
「不死のメカニズムとは何か?どうして君たちのような存在が居るというのか?何故、この笛が君たちにのみ、苦痛を与えるのか?今回はそれの実証の為の実験というわけだったのですよ。
だから、『無意味に』苦痛を与えた訳ではない」
にこりと、笑いながら倒れ臥したままの竜に話しかけるエィス。その姿は、小賢しく、悪辣で、知恵者で、何より残酷な。悪魔のようだった。
「成程、分かりかけてきた。例えば…音に、波のようなものがあると仮定して。またその波が幾つもあるのだとしたらどうだ?その内の一つだけの波がドラゴンにしか聞こえないものであって、それが彼女らに不快感を送っているとしたら」
「…そうだな、次は君から鼓膜を採取しよう。人の姿になっている竜も苦痛を感じているのだから、恐らく耳は関係なく脳の何かがその波を感じ取るのだとは思うけど、可能性は潰すに越した事は無い。採取したものから擬似的な鼓膜を作って、それを通した実証をもう一度…」
ふと、猛烈に動いていた、メモをする手。
ぐるぐると動く、目。
ぺらぺらと話す口。
その全てが、止まった。
それは、弱々しく、しかし毅然たる意志を持って立ち上がる、牢の中のクシーの姿を見てのものだった。
「……凄い。もう、回復したのか。この回復速度は竜故か?いや違う、肉体的ダメージじゃない、精神がここまで強靭なのは種族云々ではない、個体としての…」
「くたばれ」
よろよろと、今にも倒れそうな身体で。
そのままに、鎖を引きちぎる。それを見てツゥが顔を上げたが、エィスはそれを手で制した。
「恐ろしいね。人に化ける魔術を行使したままの、不死者としての怪力の使用。バンパイアなどは元々ヒトと姿が似通っているから得意としていたそうだが…竜がそれをしたなんて記録はただの一つも残っていない。世界で唯一の快挙かもわからないよ」
「それも、これも。
ぜぇんぶ、愛の力って奴なんだろうかね」
ふらつく視界で。クシーがまた、眉を顰めた。
それは身体や精神の傷や、何かを睨んだわけではない。
今の発言。
それをした、青年の瞬間の感情に怪訝を向けた。
今まで、まるで一つ次元を隔てたように、他人事が如くこちらを眺めていたエィスが、初めてこちらに感情を剥き出したように見えたのだ。
「…ようやく、あんたの中が見えた」
「ほお?」
「…う、ふふふ。あんた、気に食わないんだ。
私達のことが。私たちみたいなのがムカつくんだ」
ぴくり、と肩が震えた。
消耗しながらも、クシーはそれに笑みを浮かべる。
ああ、やはりそうかと。
その身体からほんの少し。
『怒り』の感情が見えたぞと。
「…ええ、ええ。まあ、正解ですよ、クシー。僕は諸々の事情から、愛が何かを強くする、なんてものを否定したくてたまらないんですよ」
「へえ」
「ええ。正直言うとね。僕が君らを狙う理由は…
当然、依頼されているからというのもそうなんですが」
「単純に気に食わないんですよ。
何かへの怒りだったり。何かへの愛だったり。そんな不確かなものが、力を出してるような面をして暴れ回る君たちがね。実証もされない、そんな思い込みをしている事が」
相変わらずに、べらべらと饒舌だ。
だがその饒舌さに、先ほどまでのような悦楽と、恍惚は無い。耳かき一掬い程度の苛立ちと、ごそりと大きな、見下し。
「そんな君たちを、僕は否定したくて堪らない」
がしり、と。
檻の合間から、クシーの頭を鷲掴みにするエィス。
膂力こそ大したものでは無いが、その鋭角的な爪や指は、柔らかな少女の姿であるクシーの皮膚を傷つける。
「…さて、そろそろ肉体は完全に回復しましたか。なら、他の実証実験も行おうかな。以前の不死の実験台はうっかり共喰いさせすぎて死なせてしまったから、今度はちゃんと気をつけないと」
「死なないよ」
「ん?」
「私はあんたにどれだけ切り刻まれても、いじくり回されても、死なない」
「ああ、再生能力の過信はよしたほうが良い。
それは思ったよりも抜け道が…」
「そういう、ことじゃない」
「私は、彼に殺されるまで死なないの」
憔悴し切り。
苦痛への根源的恐怖で震えが止まらないクシーは。
それでも、挑戦的に。そして、嬉しそうに笑った。
「……へえ。好都合だな。
手荒に使っても壊れない実験台なんて、最高だ」
悪魔の、発言の瞬間の、事だった。
どごぉ、おん。
世界が揺れた。
違う、部屋が、衝撃に揺れたのだ。
爆発の衝撃。何かが、燃えて爆ぜる衝撃。
「…なに、これ…?あんたの実験…?」
「…っく。まさか」
かつかつと、早歩きでエィスが外を見やる。
ツウとスリーがそれぞれ、両端を守る。
エィスが見たもの。外に弾けたもの。
それは、蒼い。蒼い炎の爆発だった。
『……エィス殿!
て、敵襲です!敵襲!そちらに向かっているものと…』
『…ひっ、ぎゃぁあっ!
なんだこれは…なんだこの、蒼い焔はぁっ!』
エィスがポケットから取り出し、手にした小さな端末から、音が聞こえる。見張りの伝達の声。そしてそれが死んでいく、断末魔の声。
「…ああ、ああ。見えてるとも、僕にも」
返答は、もう相手には届かない。
その端末の向こうにいる相手はもう、死んだのだから。
がらん、とそれを床に放り投げる音。
頭をぐいと、挟むように両手で抑える。
「おいおい、マジかよ。もう?フ…」
「…フフフハハハハっ!すごいな、どうして此処だとわかったんだ?
クシーの契約は動かないようにしてある。じゃあどうやったんだろうな、あれ。当てずっぽうか?だったら運が良いなあ、彼!」
爆発したかのように笑うと思うと、次の瞬間にはするりと、顔を真顔に戻す。そしてまたその次の瞬間には、先ほどまでのような、微笑みに戻っていた。
「何にせよ、よかったね。クシー。君が彼を想っているように、君は彼にとても大切に思われてるみたいだ。素晴らしい両想いだね」
「……ッ」
どんどんと、衝撃が近くなっていく。
爆発する音。熱が篭る感触。
建物が紫色に照らされる。蒼い焔と、火薬の爆発で起きた普通の炎が混じり合い、魂を奪うような怪しい紫炎と化している。
火が、全てを呑み込まんとしていく。
「ハハっ。まさに火の如く、だな。
全部全部、壊さなきゃ気が済まないのか。
とんでもない気狂いだ。予想以上だ」
嬉しかった。
心の底から、このイドの救助が、嬉しい。
だがクシーの顔は晴れない。
理由の一つはここに囚われる前に芽生えた疑念。
これは、本当に私だから助けてくれたのか。
そしてもう一つの理由。
(…エィスは、私を『生き餌』にすると言っていた…!)
そう。これは、既にエィスが予期していたこと。
むしろ、こうなる為に、クシーを捕まえたのだ。
ならばこの状況に、イドが単身来る事。
それは、非常にまずいことではないのか。襲撃されたというのに崩さない、このエィスの余裕も不安を煽る。
『…エ…ィス…どの…』
「ん…ああ、君まだ生きていたのか。焼け死にかけて苦しいだろうに、もう眠ってもいいよ」
床に落ちた端末からの、弱々しい声。
さっきまでの声とは異なる。
恐らく、あちらで誰かが拾ったのだろう。
そうでもして、伝えねばいけないことだったのだ。
『さいごに…伝えないと…』
『……侵入者は、「二人」です…!』
「…二人?」
通信は、途絶した。
エィスの顔に、初めて。困惑が浮かぶ。
だがそれも束の間。
エィスはまた笑うと、静かに呟いた。
「…ハハッ、こりゃあまた。
失敗作が『二人』か…」
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