燃え盛る命




壁を剥がし、床を捲る。

荷物を持ち、持てない分は燃やす。

剣の錆を落とし、鎧の関節部の調整。


買い込んだ食料を食えるだけ胃に掻き込んだ。

次にいつ喰えるかわからない。だから、ありったけ。どれだけ流してしまってもかまわないように、血を作っておく。


食べてから、暫く瞑目。

目を閉じて、また暫くして立ち上がる。


武器を確かめる。

常日頃メンテナンスはしているが、いよいよガタが来始めている。荒い使い方ばかりしてきたから、当然だ。


鎧を確かめる。

武器よりも酷い有様だ。鯖まみれ、ズタボロで、いよいよ何かの衝撃で壊れ果ててしまっても不思議では無い。仕方がない事だ。

どちらも、出来る限り役割を果たすようにする。


次に、大量に有る瓶を確認する。

その中一つ一つに、油が注がれている。



全身を伸ばす。

万が一にも全力を出せないことが無いように。万が一にも、この身体が思い通りに動かないなどということが無いように。

入念に、身体中を延ばしていく。

骨や肉が、無理を通したように幾らか鳴る。



はァ、と息を吐き。吸う。

大きく、何度も繰り返す。


自分でも驚くほどに冷静だった。何故なのか、自分でも不思議なくらいだったが、次第とその理由が分かりかけてくる。

きっと、そうだ。


これは、こうなるべくして、こうなったのだ。





「よお」




そのような状態だったから。俺はその声に、反射的に切り掛かったり、怒りに正気を失わなかったのだろう。




「なんか、思ったより冷静だな。

てっきり、怒りで何も見えなくなってるかと思った」



「…ああ。俺自身、そうなると思っていたよ。

今まさにキサマのせいでそうなりそうだがな、ニコ」



「はは、ならもうちょい隠れてりゃよかったかな」




目の前に立つ男から、出来るだけ目を逸らす。

こいつに構っている暇は無い。それでいながら、直視をすれば、怒りで身を焦がし、襲いかかってしまいそうだった。




「よく、のこのこと姿を表せたものだな、恥知らずが」



「おお、ひっでえ言われようだな」



「生ぬるい方だ。貴様さえ居なければ、クシーが奪われる事など無かったのだからな」



「それは、『どっち』のクシーのことだ?」



びきり。

脳内で、血管が切れていてもおかしくないような。

そんなような音が、耳の中でした気がした。



「……キサマ…」



「まあ、どっちもか。

で、今から竜の嬢ちゃんの方を助けに行くんだろ?」



「………」



「それ、俺にも手伝わせてくれよ」




脳が痺れるような感覚に見舞われながら、奴の顔を見やる。奴は、ニコは。いつもと変わらず、少しだけ口角を上げただけの平然とした顔で此方を見ていた。何を考えているかもわからない、笑み。




「貴様が唆し、貴様が捕らえたものへの救出を、今度は貴様が手伝うだと?世迷言もいい加減にしろ、屑め」



「…?なんか勘違いしてねえか?

俺は別に王城には属してないぞ」



「何」



「いやあ、だって意味も無くなったしな。お前ら居なくなっちゃったし、つまんねえと思ってとっくに抜けてきたよ」



その真意を確かめようとする。

これは、嘘か真か。

答えは分からない。

だが、恐らく、彼が王城に属していないのは、本当だろう。それは今の真偽が分かったという事でなく。こいつはそういった嘘は吐けないだろうという、信頼にも似た認識。




「…もしそれが真実だとしても、貴様が手伝おうとする動機が無い。俺を手助けして何の得がある」



「罪滅ぼし」



「…」



「知っての通り、クシーちゃんは俺のせいでお前から離れて、そこを捕まった。信じてもらえるか知らないが…」


「…本当に、そんなつもりは無かったんだ。

ただ俺は、お前らに会いたかっただけ。

それがああなったのは、俺にとって不本意なんだ。だからそれを正そうって言うのと、せめてもの罪滅ぼし。それが理由だ」




そうまで言うと、どうだと言わんばかりに押し黙る。

それを見て、沸々と、怒りが湧き上がってくる。

背負う剣の感覚が、克明になって行く。




「…罪滅ぼし?罪滅ぼしだと?巫山戯るなよ。貴様の罪が滅びる時は即ち貴様が惨たらしく、凄惨に、命乞いをしながら死ぬ時だけだ」



「っとと、そんなつもりで言ったんじゃ…」



「やはり、ここで死ね。

話を聞こうと思ったことが間違いだった」





がちり、と剣の柄に手をかける。

瞬間。ニコからすっと、笑みが消えた。

槍に手を掛けては、いない。




「…散々言った事だろう。『戦うべき敵を見誤るな』。

そんな簡単な事すら忘れたか、イド」



「…!」



「その反応からすると、忘れてはいないみたいだな。

なら感情をコントロールしろ。

昔からそれだけは下手だったな、お前は」



「黙れ…今更年長者ぶるな、反吐が出る」



「いいから聞け。…俺は王城に属していないし、お前に協力をするって言ってるんだ。事が終われば、俺はまたお前と敵対する事になるが…少なくともここで敵対するつもりはないし。

お前は、お前が1番欲してるものを得られる」



「……」



「クシーちゃんがどの塔に運び込まれたか。

俺はそれを知ってる。だからそれを教えてやるよ」


「…だがここでお前が俺と戦うことを選んだなら、最悪だ。お前はここで死んで、クシーちゃんも死ぬ。それはお前自身、一番望まない結果だろ」



「…貴様のその妄言を噛み砕くと、今戦えば俺が貴様に負ける、と。そう言っているように聞こえるが」



「ああ。間違いなくそうなるからな。

なんなら試してみるか?」




指先一つ。

どちらかが少しでも動かせば、それはそのまま殺し合いの合図となる。そんな状態。気配に触れた蝙蝠が、遠くへ逃げていく。




「……」




…そんな数分の後。


かあ、と、痰を切るような息を、思い切り吐く。

苛立ちを、怒りを、少しでも無くすため。

これから吐く言葉の、決心を付けるため。




「…………クソ、クソ、クソっ!

反吐を啜る方がマシなほどの屈辱だ!だが…」


「……ニコよ。クシーを助けるのに力を貸してくれ。あの子は何処にいる。どうすれば、助けられる」



「!…おうよ、教えてやるとも!」



ほっと、ニコが嬉しそうに息を吐いた。

安心したようなため息。

俺が最も苛立つのは、この男のそういう所だ。

餓鬼のように、ころころと表情を変える。

その、内に秘めた残虐性を忘れそうな程に。




「……しかし。やっぱり、違うなあ」



「…何の話だ」



「ああ、やっぱり違う。今までのお前とは、すごく違うよ。今までだったら、俺の話を聞かないどころか、とっくにどっかに突撃して、全部壊して、殺そうとして、のたれ死んでたろうに」




言わんとしていることは、わかった。

それは、さっきまで俺自身思い、考えていた事だ。どうして俺はここまで冷静なままであるのか。




「…なるほど。何かをぶっ壊す為じゃなく、救う為に戦うからか。好きな人を助けるんだったら、より確実にしなきゃいけないもんな。冷静に、キチンと計画立てなきゃいけねえもんなあ…」



「何も、違わないさ」




奴には何も言うつもりは無かった。

だが、一人で呟くそれに、つい口が出てしまう。

俺はそんな、立派なものではないのだと。



「殺してやる。壊してやる。

何もかもぶち壊す。それに、何も変わりはない」


「……だが、クシーも助ける。

それは、どちらかでは無い。『どちらも』だ」



「へえ?」



「…俺は、あの時約束したのだ。襲われたなら、すぐに呼べと。それに、すぐに駆けつけると」


「それは、それだけは守らねばならない。

例え、俺の全てが信頼を失っても。

あいつとの、約束だけは守ってやる」

 



「…そっか。そりゃあ、いいな。

ますますお前たちが好きになったよ」







……





「さて、話が纏まって早々に悪いんだけど…

俺は、お前とは一緒に行かない」



「…何だと?」



「そんな睨まねえでくれ!行けない理由があんのさ、どうしても。だが安心しなよ、俺より頼りになるガイドがいるからさ」



「貴様の案内ほど信頼できないものは無いからな」



「はは、俺もそう思う」



そう軽口を叩きながら、ニコは左手に付けた布手袋を外した。その外した手の先を、俺は驚きながら見ることになる。

その薬指が、存在しない。

本来あるべきところにあるもの、それは…




「……『契約』か」



「ああ。最近、ある不死者の子と結んだのさ。

…その子が、お前を連れて行ってくれるよ。何を隠そう、この子がクシーちゃんの顛末と何処に連れ去られるかを見てたんだ」




渾、と赤い契約の印が瞬いた。

瞬間に。周囲から幾つもの蝙蝠が集まり始める。


蝙蝠、蝙蝠。

そうだ。いつからか。

あの、無数の刺客達を殺した時。

クシーが立ち直ったあの時から、その辺り。


ずっと、何かの気配を感じていた。何かに監視されているような、それでいて見られてはいないような、奇妙な感覚。

その正体は、これか。



蝙蝠が集まり、姿を固め始める。人の姿を保ち始めるその不死者。俺はそれを、ごく最近に見掛けた。

血を吸う怪物。最悪の病禍。邪悪なる不死者。



……そしてそれに成った、哀れな人間を。





「…セーレ」



「……よお、しばらくだね、イドの旦那」









……







…時が、飛ぶ。

彼がニコと出逢った夜半のこと。

二つ月が、雲に隠れる暗闇の下。






「……おー、やってるやってる。

こりゃまた派手だなあ、さすが」



「っと、ダメだって。

伝令だとか援軍とか、無粋な真似はやめな。

折角のあいつの晴れ舞台なんだからさ」


「あはは、そんな睨むなよ。この塔にいたあんたの部下も先に殺しといたし、あっちでちゃんと仲良くできると思うからさ」




「ふー…真っ先に援軍を送れそうなのはここが最後だな。後はあの二人に任せるか。あー、疲れた」


「…さあ、やれる事はやったぜ。

精々うまくやんなよ、イド」







……





ただ火の如く、殺す。

ただ火の如く、壊す。

殺し壊し、また殺す。




「引くな!陣形を…ひぃっ!」


「う、あああ!なんだよ、なんだよこれ!

なんでお前、ひしゃげてるんだよ!ひひひ!」


「怪物…怪物だ…」




貴様らのような塵を相手にしている暇は無い。

立ちはだかるな。

その分、無駄な時間がかかる。



「ぎ、ああ、あああ!

燃える!消えねえ、なんだよこれ!」


「…なんだよ…

『焼け死ぬ』って、なんだよ!」




何かが、よくわからない何かを喚き立てる。

知った事か。

ただ、クシーを返してもらう。

その為に、お前ら如きが何億死のうと構うものか。



「……退けェッ!」



指の間にそれぞれ一本、合計四本。

油の詰まった瓶を取り出し、思い切り塔に向けて投げ付ける。火を得たそれらは爆発するように火勢を増させ、更なる炎を産む。




「イドの旦那ァ!やりすぎだよ!

クシーまで燃えちまったらどうする気だい!」



「あいつはこの程度で音をあげるタマじゃないさ!」



塔の内部に転がり込む。

兵達は既に臨戦態勢。外に居た有象無象とは違う、内部にいる者どもは、熟達の兵士たちだ。この数なだ。まともに戦えば、負けずとも相当に時間はかかるだろう。


だから、戦わない。

まともな戦いなどしてやるものか。



油瓶をありたけ投げ付けると同時に、剣から蒼焔を迸らせる。視界にあるもの全てが、橙色の焔、青色の焔、どちらもに埋め尽くされる。

その場にいる全てに、炎が燃え盛る。

当然、俺自身にも。


兵がその炎に反射的に、怯み、一歩退く。

その包囲網の合間を、炎を突き抜けて抜ける。


ついでに、わらわらと群がった者どものど真ん中で思い切り剣を振り回してやった。何個か、骨や肉を潰す感覚が手に伝わる。




「ハ、ハハハッ!全て燃やせ!壊せ!潰せ!

何もかもを根絶やしにしろッ!」



がらがらに乾いた喉で、我慢できずに叫ぶ。

流石、熟練の兵。既にパニックからは脱している。

だがもう、遅い。


燃え盛る炎が恐ろしい勢いで、その場にいる生き物全てを包み込んでいく。一度燃え始めた青い炎は、ただ生物のたましいを求めて蠢き続ける。風向きすら意せず、命を貪るように。

ただ、命だけが燃え盛る。



「ク、アハハハハッ!」



当然、俺の身体も焼けていく。

だが俺を燃やす火は、橙色の焔のみ。

当然だ。あの蒼い焔が、俺を焼くはずが無い。

身体が燃えていく痛みすら心地良かった。




「この先だ!行ってくれ、旦那!

アタシは少し足止めしてから、適当に逃げる!」



蝙蝠じみた羽を動かしたままセーレが叫ぶ。

その方向を見ると、まだまだと言わんばかりに兵士が姿を表していた。燃やされ、炭になった自らの同僚を見て、憤慨する姿。それに向かわんとした俺に気付き、セーレが再び絶叫する。



「今のアンタの目的は、暴れる事じゃないだろ!

だからさっさと行って、助けてきなよ!」



「…!

済まない、礼を言う…」




胸に燻る殺戮衝動を何とか引っ込める。

剣を握りながら、案内された道を通っていく。走る、駆けていく。立ち塞がるものは壊して、無理矢理に。



『研究室』は、そこにあった。

仰々しくも無く、地下などに奥ばった訳でも無く。

華美でなければ、殺風景でもない。

ごく普通の部屋のようにすら見える、空間。



「…はッ!」



短い気合いに、扉を鍵ごと乱雑に切り刻む。

轟音と共に開いた部屋に、声が響く。



そこに在るのは。

見窄らしい、銀の髪をした、少女の姿。




「……ッ!イド!イドぉっ!」



部屋に似つかわしくもないような大層な牢から、弱々しく、血を吐くような声が聞こえてくる。俺の、聞きたかった声。

明らかに憔悴した声に、姿に。それでも安心する。

 


「クシー…!

少し待っていろ。その汚い牢から出してやる」


「だめ、イド、来ないで!来ちゃ、だめ!

これは、貴方を呼び出すための…ッ!」




「おや、それを言えば再び笛を吹くと脅したのに…

それでも忠告するとは。二度と聞きたくないような苦痛の筈であるのに。やはり、愛の力というのは、凄まじいのかな」




ねとり、と耳に纏わりつくような不愉快な声。

涼しげでいっそ匂うようなそれはしかし、腐った果実のように、妖しく

それでいて忌避感を抱くような音調だった。




「ふむ、痛みを知った生き物は意志によってそれを無視し乗り越えることができるのか…非常に興味深いな」



「…っと失礼、挨拶を忘れていました。

ようこそ失敗作たち。僕はエィス。

月も見えない素敵な夜に、ようこそおいでませ」




部屋の影からそろりと現れた男は、妙であり、異質。細く、貧弱で、ひ弱。ひょろひょろとした姿は、しかしその身体から異常な気配を醸し出している。不健康、不摂生のその様は、ある種の不吉さを予感させるようだ。慇懃無礼な態度も、また異常な感覚を匂わすに由来している。




「しかし…これまた素晴らしいお客さん達だ。片や、不死者の出来損ない。バンパイアの貴重な生殖例として是非とも逢いたかったが…今、此処に来ないのが残念です」


「そして、『失敗作』イド。

私は貴方に会いたくて会いたくて仕方がなかった。何しろ、あの研究の文献は、何もかも焼けて無くなってしまっていますからね」




「……貴様か。

クシーをこのような目に遭わせた塵は」



「ええ、そうです。因みに先程クシーが言っていたように、貴方を誘い出す為のものですよ、イド」


「それとも、こう呼びましょうか?『110番』」




そっと、挑発するように言われたそれには何も反応を返さない。今の俺には、それはどうでもよかった。そんな事は。




代わりに、ゆっくりと牢に近より。

檻越しにそっと彼女に語りかける。

心配そうな顔に手を差し伸べる。

絶望に塗れた顔を、少しでも和らげるように。

助けに来たお前に、ほんの少し話せるように。




「…なんとか、無事そうでよかった」



「イド、イド…!わたし、私…」



「…クシー。お前は、何も心配しなくていい。

すぐにそこから出してやる。もう少しの辛抱だ」




─だからもう少しだけ待っていてくれ。

奴らを、一匹残らず殺すまで。




「…ふむ、問答無用、ですか。折角ならば貴方の話も詳しく聞きたかったんですけど…仕方がない」


「来い、ツゥ、スリー。

あの恐ろしい怪物から、僕を守れ」




エィスを名乗る男が指を鳴らした瞬間に、部屋の何処に居たのか、二匹のヒト型が姿を表す。

一人は、無駄に図体だけが大きい木偶人形。

もう一人は、羽虫のように飛び回る目障りな虫けら。



さあ、何もかもどうでもいい。

じくじくと、怒りが視界を侵食していく。

赤い世界。

俺の目に映るものは、ただ殺すべき敵のみ。



ああ、なんとシンプルでわかりやすい。

怒りを。忿懣を。怒号を。

殺意を。悪辣を。残酷を。


ただ、目に映るこいつらにだけ向ければいいのだ。




「死ね」



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