離:それでも君を愛す





「ここまで来れば、誰も追ってこれないかな」



「…ああ、そうだろう」



敗残し、逃げたように二人は辺境に飛び戻る。目的を達成した者とは到底思えないような、そんな消耗の中で。

片腕の無い龍は少女の姿に戻り、顔から鱗が生えた不気味な騎士はその背から崩れ落ちるように着地をした。


遠く、遠くを見つめても王都はもう見えない。

ただ飛び去っていく最中、崩れ去る故郷が見えた。

音も聞こえない場所まで飛んできた。

ただ、脳裏に破壊と衰退の音が響き止まった。



彼の手には、三つの荷物。

一つは、白銀の騎士の持っていた剣。

そして残り二つは。



「…それ、どうするつもり?」



「……」




二つは、あの玉座で落とされた者たちの首。

白い死神と、吸血鬼の出来損ないの頭部だった。



「墓を、作ってやりたい。

俺は何もできなかった。だから、それくらいは」



虚を眺めながら、虚空に語りかけるように口から言葉を紡いでいく。初めは、セーレの動かない首に。



「…恋慕や情愛でなく、友愛だったが。それでも俺は、お前の事が好きだった。お前を巻き込むつもりは、本当になかった。すまない」



そして、もう一つの首にも。



「お前が憎くて憎くてたまらなかった。それはどうあっても変わらない。だが、それでも…こんな、死に方はないだろう」



すっかりと力が抜け、いっそ枯れ果てた老人のような気迫だった。薄くなりへろへろになった声は、病床の半死人よりもか細いものだった。



「だから、せめて墓を。

粗末なものでいいから作ってやりたい」



「わかった。私も手伝う」



「…ああ、ありがとう」



正直、クシーにはこの行動の意味がよくわからなかった。首を埋めてそこに目印を立てて何の意味があるのだろう。何を意味して、何の贖罪になるというのだろうか。

ただまあ、イドが求めるのならばそれでいい。

そう思った。


地面を掘り、岩を適当な形に削る中。

二人の間に会話は一つも無かった。




「こんなものでいいかな?」



「…ああ。これくらいでいい」



何もない場所。

墓を作ると言っても、何ができるわけでもない。

少しの後、粗末で簡素な岩の墓が二つだけ出来上がる。

イドは疲労か祈りか、その前に膝を折った。

腰には銀色の剣を身に付けている。




「それは、お墓用じゃないんだね」



「…ああ、これはただ貰ってきただけだ。

無くなった短剣の代わりにな」



「そっか」



「ああ。

…ふふ、しかし。持ってきた所で何に使うんだろうな?俺が戦う理由はもう、無くなってしまったんだ。何の為に俺はこれを盗ってきたんだろうな。ハハ、ハハハ」



「……」




イドの笑い声は、いつもと同じ哄笑。で、あるのに。その笑い方には力が無く、そしてまた嘲る対象は世界では無く、己自身だった。




「ねえ。これからどうしようか」



「……さあ。どうすればいいんだろうな」


「俺はいったいなにをすればいい?」



真っ直ぐに、復讐という怨嗟の道を進んでいた。ただその為だけに何を犠牲にしても地獄に歩を進める姿こそが、彼でありそれそのものだった。その姿だけを、少女は見続けていたのだから。


その道が途絶え、命以外の全てを失い、歩く事が出来なくなった姿。それはまるで、親元から離された赤子のよう。

何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、どうやって生きていたらいいのか。何一つ、もうわからない。


正気を失った。生きる意味を失った。生きていく価値も、まともな暮らしも、自らの命も投げ打って、ただそれに全てを賭けたものの末路はそんな、迷子になった童よりもどうしようもない姿だった。



「ひとつ」


「ひとつだけ、行きたい場所があるの」



そう口を開いたのは、少女だった。

意を結したように、笑いながら彼に語りかけた。

呆然とこちらを眺める騎士を尻目に、竜となる。その毅然とした態度に、ただイドはその通りに背に乗った。







……





「うふふ、懐かしいねー。

もう、すごく前のことみたいに感じる」



「…ああ、そうだな」




翼をはためかせ、どれほど経っただろうか。

クシーが着いたその場所は洞窟。人骨が地面に転がり、腐った竜の腕が転がる大きな、大きな洞窟。それは、彼らが初めて出逢った洞窟。無気力な竜と、狂った騎士が初めてその契約を記した呪われた場所。彼らが出逢ってしまった場所だった。



「…少し、休んでもいいか。疲れた」



イドはその場所に連れてこられた意も、彼女がそうしたいと言った理由すらも聞かず、ただそうして横になった。

疲れた、という言葉。それがその額面通りの言葉ではなく、そうありながらまた、極限にそうであるという状態。


その様子を見て、クシーがくるくると、上機嫌そうに、周りを懐かしげに見回すことをやめる。俯いて、横になった騎士に寄り添う。そしてゆっくりと、片方しかない腕で抱擁した。



「かわいそうに。

全部、空っぽになっちゃったんだね」



「…ああ」



「目的も、生きる力も、全部空っぽ。

今のイドは、もう死にかけだよ」



魂を削り薪にして燃やす青い炎の濫用。

もういくばくも残っていた無かった心の支え。

そのどちらもが消え、精神も身体もどちらからも、彼は死に向かっている。急速に、どうしようもなく。





「だから、ね。

その空っぽを、私で満たしてあげる」




そう言い、クシーが立ち上がる。

瞬間、イドの息が荒くなった。


それは、限界を迎えた身体の不整脈だろうか。

それとも不安定になった精神心的外傷を想起させたか。

ただ、どれにせよ。その縮み上がり方は、蛇に睨まれた蛙に近しかった。




「ねえ、イド。

もう、動けない?」



「…あ、あ。もう、一歩も動けん」



「そっか。よかったあ。」




びちゃ。

彼女からの鮮血に、イドの身体は塗れた。


彼女自身の爪が皮膚、骨に阻まれてへし割れて、指の骨がぺきぺきと折れていく。折れた骨がはみ出ながら、それでも腕を胸に突き刺し裂き続けて。肉が露出する。胸の肉。白い骨。赤い、ピンク色の、内側の肉。


クシーはそうして、自らの心臓を抉り出した。


それでも死なない。身体に血を送る器官が消え失せようとも、身体中の血が蠢いて、体内に生命活動に必要な栄養を送る。そんな程度で死ぬことは、できないからこそ不死者なのだ。

痛みすら浮かばない。

顔にあるのは、ただ微笑みだけだ。



「なにを…なにを、してる。お前」



「イドはさ。今、このまま死ぬつもりだよね」




質問に答える声はない。

ただ、申し訳なさそうに目を閉じる騎士。


その頬に、血だらけの掌を擦りつける。

うっとりと目と目を合わせて。血だらけの顔をとって。



     ・・

「それは、だめだよ。

契約はまだ終わってない」


「貴方の復讐は終わってない。

そして、その終わりに、私も殺してくれなきゃ。

それが私たちの契約だったでしょ?」




深い、深い口づけをした。

息ができなくなるような、舌が喉まで侵すような、肺の空気まで吸い出されるような、じっとりと毒々しいキスだった。


ぷはあ、と。

窒息の寸前に離れた竜は、うっとりと。

そして騎士は、喉を逆立てて、必死に吐こうとした。


『今、口の中に大量に流し込まれたもの』を。




「げぇ、えっ!げほ、げほッ!」



「えへへ、もう吐いても遅いよ。使い果たしていた分。きっときっと、私の血もいっぱい吸ってくれたから」



ごぐり、と身体が勝手にそれを飲み込む。

身体がそれを受け入れていく。受け入れないはずが無いだろう。それは、彼が愛した契約の者の、文字通り、血肉になるのだから。



ここでようやく、イドはさっきの悪寒の正体に気がつく。ぞっと、実感となって襲ってきた恐怖を何とか、逃れなければと、抵抗をしようと身体を動かさんとする。

指先一つすら動かない。ただ、口しか動かない。

ただ、恐怖だけが近づいて来る。




「や…っ!やめろ…やめろッ!」



「俺は、違う!こんな化け物になりかけてても、なりかけてるからこそ人のままで居たいんだ!普通の生き物のままでいたい!

だから、やめろ、やめ…」



「………やめて、くれ…」




哀願の姿を眺め、竜は照れ臭そうに笑う。

ただ、珍しいものを見れた、と言わんばかりに。




それは、いつのことだったか。

彼自身が言ったことではないか。ヒト以外の考える『愛』と、ヒトの考える『愛』は、根本的に別物なのだ、と。


それを、忘れたつもりは無かった。

それは、十全にわかっていたはずだった。

であるのに、クシーだけは別と思っていなかったろうか。

この少女と、人の姿をしている彼女と旅をして、頭のどこかで、彼女だけはそうでないと区分してしまったのではないか。



今、目の前に立つ少女の眼を見る。

それは疑うまでもなく、怪物の眼だった。

人にはあり得ない、縦の瞳孔。人外の眼だった。


その手には、まだ鼓動を放つ心臓が、ある。



「心配しないで。血がいっぱい馴染んだし、これもちゃんと貴方のものになるから」



クシーの血塗れの腕が、今度は横になった騎士の胸元に触れる。そっと鎧を脱がして、下の衣服も脱がす姿。ただその姿だけ見れば多感な少女が早まっただけの行動にも見えた。

その実態は、そんなものよりずっと、愚かしい。




「ごめんね、イド。すごく痛いだろうけど…」




ぷつり。

指が、イドの胸に突き刺さる。

そうして、少しずつ、裂かれていく。




「少し、我慢してね」




洞窟に、断末魔が響く。








……






私を色々していたエィスが、一人で勝手に言っていたこと。不死者の身体にはただ、死なないとはもっと別の、概念的な不死としての強度があるんじゃないかって。


だから、まぜ、まぜ。

貴方の空になった容器に、私を混ぜて。




「おはよう、イド。よかった、元気そう。

これでもう、死ぬ事は無くなったね」



頭を抱えて、悲鳴で裂けた喉を抑える彼。抑えたその傷が、どんどん治っていくのを見て、満足に笑う。人間ではあり得ない、再生速度。

よかったねエィス。あんたの言ってた事、上手くいったよ。




「これで、貴方は私と同じ。

契約を終えるまで、『死ねなく』なった。

死んで、一人で逃げようなんてだめ。

そんなのずるいよ」



がりがりと、追い詰められたように頭を掻きむしるイド。こんな姿の彼を見る事は初めてで、新鮮な彼の姿を可愛らしく思った。もっともっと、色々な姿を見たいな。


身体を寄り添わせて、抱える頭を上からハグする。

それに抵抗も反応もしないのは、少しつまらない。




「…いつかイドが言っていたこと、だよね。ヒトには生きがいが必要って。それも、今できたでしょ?」



「ほら。復讐しないと。

イドをこんな目に合わせた奴に。人のままで居たかったのに、無理やり死なない身体にしてきた化け物に。血を呑ませて、心臓を埋め込んで、痛い痛い目に合わせた、ひどい魔物がここにいるよ」





死ぬ。

冗談じゃない。

貴方に死なれてたまるものか。


終わり。

冗談じゃない。

私から貴方が去るなんて、許せるものか。


だから私は、人である貴方を否定する。

だから、一緒の痛みを感じ合おう。

死のうとしても死ねない痛み。死ねないのに抉られ続ける痛み。

同じ快楽を感じよう。

愛し合う人がずっとそれでも居てくれる喜び。互いが互いに向ける感情が、互いにしか向いていない喜び。


ずっと、ずーっと、殺し合おう。

ずっとずっと愛し合おう。



(ああ、ああ。その眼)



彼が初めて顔を上げる。

すっかりと顔色が良くなったそのかっこいい顔は、今は私しか見ていない。私以外を考えていない。ぜんぶぜんぶ、私を考えている。


そしてこれは、私にはこれまで向けてくれなかった目。

怒りと憎しみの目。憎悪、殺意の目。

私を痛めつける時には、いつだって貴方の目には狂気だけか、もしくは少しの労りがあった。だけど今は、そのどっちも無い。

それに、ぞくぞくとお腹の辺りが疼いた。


わたしは貴方を人間から逸脱させる痛みを与えた。

だから貴方もこれからずっと、私に痛みを与えて。同じ気持ちを。同じ痛みを感じ合おう。同じ快楽を味わおう。



まぜ、まぜ。

私を貴方にまぜていく。

二人が一緒に、一つになっていく。




「うふ、ふふふ。かっこいいなあ、イド。

私、ほんとうにほんとうに、大好き」



好きで、好きでたまらない。

あなたがもう、何をしても私は貴方を好きになってしまう。心が折れた姿も可愛らしい。許しを乞う姿もいじらしい。そうして私を睨むその姿まで、まだ見ぬあなたで、綺麗で綺麗でしょうがない。




私と貴方は一つになる。

おんなじものを壊し続けよう。

ずっと互いを殺し合おう。

殺し合って憎み合って、慈しみ合おう。

そうして愛し合って二人でまぐわって。

そうしてまた、殺し合おう。


それが愛するということ。なのだから。






ね。



ずーっと、一緒に居ようね。









……





竜の伝承には、一つある。

竜は宝を自分の巣に溜め込むのだと。


少女の竜にとっての宝物はただ一つだけ。

それ以外の全てはみんな、醜い。


だから、殻に閉じ籠る。

一つの洞窟に、ただ一つの宝物だけ入れて。









……







愛とは、呪い。

契約という呪い。

さかしまの呪怨は、二人を離さない。



これは、陰惨な話。

愛という呪いに囚われ、囚えた竜の話。

竜の呪いは、そうして始まった。



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