その蒼きを纏うは死





「ぐ、う、ああ……!」



うめき声を上げながら、絞り出す。

剣から、身体から、青い炎がまろび出る。その勢いは最早、消えかける蝋燭の火のように頼りなげなものだった。



「…か、はっ、はっ…」



「今日はそれくらいが限界だな。

それ以上出せば死ぬぞ。

副作用とか関係なく、単に身体の負担で」



兜を失い、鎧もその相当量の鉄が剥げ、それを無理くりに使えるようにした為に、イドは今までとは段違いなほどに軽装となった。身軽に、黒い外套を羽織るようなその動きは、しかし、重装であった頃よりも、ずっと、鈍いものになっている。

疲労、生命力の減衰、身体の限界。



「斃れないさ。完遂するまで、クシーを助けるまで…」



「自分の性能も現状も把握せず精神論にすがるな。その炎を使う度に衰弱していく、それはお前自身が一番よく分かっている事だろ」


「エィスはもっと厳重に装備や警護を固めてくるだろう。それこそ、前より。そうなったら、お前が突っ込んでも無駄死にだぞ」



「わかっている。だから『これ』をしているんだろう」



「…まあ、だから止めないんだけどさ。

正直バカみたいだと思うぞ、俺」



「……セーレは、何処だ」



「今日は別行動。外に出てるよ」



外。

その言葉が表す事実は、シンプルに屋外という事ではない。もう一つ、イドの語った『計画』に必要なことをしに行っているということの証座だった。



「…俺もそっちに行こう。嫌な予感がするんだ」


「おいおい、なんだよそれ。もしその嫌な予感が正しいとして、今のお前が行って何ができるんだよ。話し合いでもすんのか?」


「何にせよ行く。止めたいなら止めろ」




身体を引き摺るように、ゾンビのように、ゆっくりと身体を動かして歩き始めるイド。その姿を見て、ニコはほぞを噛む。

そして一言、言う。

いつもの軽薄な様子は、少し鳴りを潜めて。



「なあ。もうやめたらどうだ」



「何をだ」



「全部さ。お前のやろうとしてること全部。

復讐ったって、そうしなくても生きていけるさ。お前は違う生き甲斐をみつけたんだ。復讐も過去も諦めて、そっちに熱中することもお前なら出来る、だから…」



「それは、命乞いのつもりか」


「本心だよ」



「フン。…なんにせよ、やめないさ」


「そりゃまた、どうして」




ぴたり、と足を止めて。

イドは首を動かしてニコの顔を見た。

露わになったその顔の表情は、怒る分の力すら残っていないのか、穏やかで、どこか遠くを眺めるようなものだった。



「悪夢を見た」


「俺が、のうのうと、幸せに暮らしている夢。世界樹の生えた小さな村で、俺は小さな宿の用心棒として、慎ましい暮らしをするんだ。少しだけ、感謝をされながら」



「…ひどい悪夢だな」



「ああ。この期に及んで、余りにも恥知らずで、都合のいい。なんともまあ、おぞましい夢だよ」


「…俺は、救われるべきじゃない。救われようとも思わない。俺は、俺の全てをこの覚めない悪夢を失くす事に費やすんだ」



ぎり、と歯軋りの音が聞こえる。

ぼうと呆けていたような表情に、みるみる怒りが、恨みが、憎しみが、充満していく。その憎悪は、彼が復讐せんとしている全てに向けてあり、それが存在する世界全てに向けられてあり、そして何よりも、自分自身に向けられてある。



「何かを殺した者に救いはない。俺に救いなぞ無い。殺したからには進み続ける。そうするために俺は殺し続けるんだ。この世界を壊すまで、全てを失くし尽くすまで」


「俺に生き甲斐は要らない。

そうなるべくして、今ここに居るんだ。

だから、やめるものか」



「…そうか。ままならねえな」




その返答には答えないまま、イドはゆっくりと、蛞蝓が這うように先に向かって歩いていく。セーレの元に、歩いていく。それはきっと、自らに言い聞かせる為のものだったのかもしれない。


ニコがその背姿を、ついていかずにじっと見ていた。

その赤黒い外套の後ろ姿を見つめ、目を瞑る。

そうしてからため息を吐いて。

後、破顔一笑。



「そうか。何かを殺した者は救われない、か。

お前がそう言ってくれてよかった。

俺も、安心して…」



「……先に、進むことが出来る」




その小さい声は、不吉な風に攫われて消えていく。

ただ、誰の耳にも届く事が無く。







……




セーレがいる場所、『外』の近くに彼らは来ていた。


『外』とは壁の外を表す。王都として、人が住む壁の、その内側にある都市とはまた別の領域。人の住まない、魔物の領域。そういうところに、彼らは居た。


門扉に近い所には警備の兵がいる。魔物も駆除されている。万が一にも、市民に危害が与えられないようにされているのだ。

だか彼らがいる場所は、もっと遠く。



ざわ、ざわ。

樹木が、『蠢く』。

明らかに理を外れた動きをするそれは、何か不気味な力を得た何かしらであると否応無しに解る。そこを、なんとか斬り払いながら前に進んで行くイドと、ニコ。

途中、特にイドは転びかけ、その先にある不自然なトゲに喉を貫きかけた。それはまた、蔓や梢が蠢き、そうするように仕向けてあったことが大きい。



「…この辺り、こんな自然が豊かだったか?」


「少なくとも今目の前にある木は全て無かった筈だ。

特に、こんなにも動き回るくらい活発な木はな」


「んなこた分かってるよ。

嫌な予感、ってこれのことかよ、イド」




返答は、また無い。

しかし今度は、悪意があるわけでも、敢えて無視したわけでもない。目の前に、話をしている場合では無いような光景が在ったのだ。


目の前に、身体が穴ぼこだらけの、倒れ伏した姿がある。何か尖った物が、爆裂するような勢いで飛んできたようなもの。その穴から、次々と血が流れていく。

そして、イド達はその倒れた者に見覚えがあった。



「う…、なんで、来てるんだい…

こっち来ちゃだめだ、ニコ、旦那!」



流れた血が、そう滴りきる前に黒い霧と蝙蝠に姿を変えていく。そうであっても再生に時間がかかるような、致命傷。

からがらに、忠告をしてきたセーレ。

その喉、頭にも、容赦無く穴は空いていた。



「おいおい、これは…」


「…動くなニコ。

お前ならなんとかなるかもしれんが…

俺と、セーレが死ぬことになる」



「…こりゃ何もんの仕業だろうな?」


「どれ。姿を表してくれるようだぞ」




ぱきぱき、と樹木が蠢く。

蠢き、歪み、動き、型取り、姿を作っていく。

めきめきと、樹が、人に似た、それでいて何処か人とは大きく違う二足歩行の生物の形になっていった。




『…オマエ達、か』



声が遠くから届くようで、それでいて脳に直接聞こえるようなもの。人の、獣の、声帯を通していない声音。

魔物とも、家畜とも、人とも違う。

人智を越えた力を持つ生物の音。不死者の、声。




「…驚いたな。ドルイドか。

まさかこんな王都の近くにいるなんてな。俺たちが騎士団にいた頃は、この辺りにゃなんも居なかったよな?」


「ああ。何処かから移り住んで来たのかもしれんな」


「へえ、不死者も引っ越しする時代かねえ」



そう、ニコが軽口を叩く。そうしながら、ぴりと気配を張っている。通常なれば、不死者だろうと斃す程の実力者である両者だが、それでいて尚不死者のテリトリーに無策に入り込む事というのは、無謀で自殺行為に等しいのだ。



『何故、魔物達の住処をいたずらに奪う。

何が目的でそのような真似をする。

どのような理由があれど、私は…』


『…オマエ達のような、劣等種どもを赦さん』




炸裂するような、怒りを感じる。

そしてまた、全方向から弾けるような殺気。ひりひりと熱線を当てられたように、気に当てられた場所が痛む。


それから、分かる。

セーレが全身にぽっかりと穴が空いた理由。

今、既に彼らは全身に砲身を向けられているのだ。


木々に当然存在する種子。

それを、放つように。方向性を持って飛ばすように。

その勢いを増幅して外敵へ貫かせるようにしている。

それら全てが、ワイバーンすら射ち倒すほどに。

セーレは、それに撃ち抜かれたのだ。


そうすることが、このドルイドには出来る。

木々を操り、木々を愛する不死身。

生物を、魔物を愛する森の賢者。

戦闘は好まない種族ではあるが、生体圏を脅かす存在を抹消する為にならば、苛烈な本性を露わにする。




「クッ…クックック…クハハハ…」



その緊迫を解いたものは、笑い声。

銃口を向けられた、騎士の一人の声。

イドは、ただ哄っていた。

狂気にまみれた顔で、ただ笑う。



「ドルイド、か。

予定外の事、ではあるが…クク、好都合だ。

天運はどうやら、俺に味方しているらしい」



イドは、そう呟くと。手にしていた大剣すら背に戻しながら、ドルイドに歩み寄る。隙だらけのその姿を、無防備に。




「不死者よ。お前に提案したい事がある」




返答は、種子の発射。

イドの片耳が削ぎ取れて無くなった。

眉間を狙っていたものを、辛うじて避けた。


その痛みを感じながら、イドは勝利を確信していた。

本気で殺すつもりならば、今の程度で終わらせる筈がない。全てを斉射して、ただの死体に変えてしまえばいいのだから。

このあまりにも絶望的な状況で、死の恐怖に怯えた人間がどのような無様を晒すか、この目の前の不死者は見ようとしているのだ。


それこそが、彼にとっての勝算。




「なあ、ドルイドよ。

お前の同族の一人が、行方知らずとなっていないか?」



ぴたり。樹全体が一瞬だけ止まる。

ああ、やはり。と。

ただでさえ歪んだ顔が、更に歪んでいく。

骸骨の半身が、その面をおぞましく見せる。



「数年前、ここに俺たちが来る用事があった時。貴様は此処には居なかった。ドルイドは特に住まう場に愛着を持つ者。生半な理由では元居た場所から移住することなぞ考えられん…」


「仲間。…いや、貴様の子かな?それが、失踪してしまったのだろう?死んでいないことはわかる。だが、死ぬよりももっと酷い目に遭っているのではないか。心配で心配でたまらない。

だから貴様は此処に居る」



『……図に乗るなよ、ヒト擬きが!』




ぢゅん。音を立てて、イドの頬の肉が削ぎ取れる。

だが、今度は避けるまでもなく、致命傷では無い。


ドルイドは、賢しい。

何を言いたいのか。

このイドの言葉が何を意味しているか、分かっている。

例えそれが、自らを言い包める罠だとしても。




「…クク。ああ、そうだ。

その行方の先を、俺が教えると言ったら、どうする。

貴様はその対価に、何を支払う?」



明らかな動揺。どうやら、行方知れずになった者が、この目の前にいる不死者の子であることも合っていたようだ。

ざわざわと、周囲の木々が揺らぐ。ドルイドの精神的動揺により、呪による支配が解けて行く事を表す。


倒れていたセーレが立ち上がる。

再生しきり、体勢を立て直すほどの隙。

それが産まれるほどの動揺は、もしこのまま戦闘に移行したとしても、彼らの勝利が揺るがないことを示している。


だが、戦わない。

そんな事が、目的ではない。



「なあ、好都合ではないか。

貴様は俺たちが魔物の住処を荒らしていくのが気に食わなかった。だがドルイド、貴様がいるならもうそうする必要もない。そして貴様はそうすることで探し人の行方も知る事が出来る」


「いい事づくめだ。そうだろう?」




木々がまた、ざわめく音。

臨戦体勢であったニコが、その槍に鞘を被せる。

もう、万が一にも戦いは無いと、判断した。



『………何を、私に。してほしいんだ』



そうだ。

そう、言うしかない。目の前の人間が果たして本当に我が子の行方を知っているのか。大嘘である可能性の方が高い。真実であろうとも、ただ良いように使われてしまうだけではないか。

不死者としてのプライドも、ずたずたになる。


それでも、自らの子がいるかもしれない。

ただ、その事実がドルイドにそう言わしめる。

可能性がある限り、断る事など、出来ないのだ。

どんなに悪質で、阿漕であったとしても。




「いいか。俺に協力しろ。

貴様ら、役立たずの不死どもが、王都を滅ぼすのに。

俺の、大切なヒトを取り返すのに」








……





「いや、助かったよ旦那。あのまま共喰いされて、あたし終わっちまうもんかと思った!」



「…結果的に助けることになっただけだ。

感謝は要らん」



「しっかし、すげえ悪辣さだったなイド。お前、いっそ王様相手に狂言誘拐でもやったらあっという間に復讐達成できるんじゃねえか?」



「黙れ。死ね」



相変わらずに、ゆっくりと、なんとか歩き続けるイド。その周りを、吸血鬼のなり損ないと軽薄な男が茶化しながら歩く。

けらけらと、笑いながら歩き続けるその一軍が、国家の中心を滅ぼさんと企む極悪人だと誰がわかろうか。


否、むしろ、そうであると分かるかもしれない。いつだって、平然とした顔をしながら人を殺せるものこそが、大罪を犯すものなのだから。



壁の内側に戻った3人は、いよいよ計画を練り込む。

脅しあげ、無理矢理に協力させたドルイド。

彼の存在が、更にそれの強度を高めていく。




「………いよいよ、やるのかい…」


「あー、やっぱ怖いかい、セーレちゃん」



「…ああ、ニコ。正直、怖い。本当に怖いよ。

イドの旦那は、ほんとにこんなことを…」



「ああ、やるとも。

殺す、殺す、殺す。絶対にやるとも」




有無を言わせない、強い言葉。

狂った言葉。

ただそれに、吸血鬼は口を噤む。

軽薄な死神が、目を細める。


血錆の騎士が、唇を噛み切る。


青い炎。

怨讐の炎が、その眼に宿っている。

その蒼きが纏うは、死。

その眼が見据える先も、ただ死。




静かな、夜の一日。


翌日に、その都は滅びる事となる。

ただ狂った一団の仕業に、依って。





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