ゆがめや、ゆがめ







「僕の故郷に、人形が恋をして人になる寓話があってね。その話は語る人によって細部は異なるが…結末はどれも同じ。人間になって幸せに暮しました、だ」


「人になった人形は果たして本当に幸せだったのか、それをどうにか確かめたい。人以外のものから人になるそれは、果たして幸せなのか。そうして人になることがどうして幸せなのか…」



「君のその、種族そのものすら変わるような変化というのは、そういう寓話レベルのものなんだよ。それをもっていよいよ種族の垣根を越えることの出来る試金石になるかもしれない」


「…だから、協力してくれると嬉しいんですが…」




「……げ……あ……」



「…ふーむ…どれだけ君を精神的に、肉体的に痛めつけても君はあの時のように怒り狂いはしない。確かに怒った時にだけあの時のような形態変化をするものではあるのだろうけど」


「ううん。やはり、彼も一緒に持ってこないとダメだったか。薄々そんな気はしていたけれど…あの場では流石に無理だったしなあ」



「う…ふ、ふふ」



「?」




「うふ、ふはふふ」


「えへへへ、へへ。あはははは…」




「…今日はもう、無理か。

仕方ない。今日はこれまでだ。

スリー、見張っておいてくれ」



「さて…誘き出そうにも、さすがに無策に突っ込んでくるほど馬鹿ではないだろうし…どうしたものかな。

しかしイドが居ないと怒らせる事は出来ない」


「…ふむ、待てよ?

怒り以外で、どうにかあの状態に変える事が出来れば…」


「もしくは、イドを居るように錯覚させる…

どちらも現実的ではないか…だが…」









……






エィスが姿を消し、スリーが私の見張りにつく。

暴れ、逃げ出さないかの監視。


ただ、こいつはただの木偶人形。

私が動き、暴れたら言われた通りに止めるだろうけど、それ以外は関与しないし、分かったとしても伝える事が出来ない。



だから、もう限界のフリを、しなくていい。


憔悴したフリを、する必要が無くなる。




「…ふう」



すく、と立ち上がり、傷を撫でる。

撫でた側からずるりと無傷の肌が現れる。





(…イドから貰った服、ボロボロになっちゃったな)



元々血の跡や傷だらけではあったけど、度重なるエィスの拷問でもう服とも言えないくらいの損傷具合になってしまった。

本当なら永遠に着ていたいくらい大切にしたいけど、それは多分、イドにも迷惑がかかるだろうから出来ない。



竜の再生能力としては、それは恐らく限界のぎりぎりまで私は痛めつけられたのだと思う。エィスが竜の解剖に馴れていると言ったのは、冗談や挑発では無かったようだ。


だから、今の私はきっと竜としても、異常なのだ。

あの時、ニコに怒りを覚えた時。

あの時、エィスが私を生き餌にすると聞いた時。

身体の中でぷつりと何かが切れた音がした。


それ以降、身体がおかしくなった。

竜としてでもない、不死者としてでもない。

『クシー』という私は、よく分からない存在になりつつある。それはきっと、陳腐だけれど、愛の力と言うべきなのかもしれない。




笛の音も、もぎ取られた痛みも、すり潰された激痛も、確かに辛かった。音の拷問、粘膜の採取、どれもつらかった。


でも、だけれどそれは私の心を壊すほどでは到底無い。

この程度の痛みなど私にとってはくだらない。


もっとひどい苦痛を知っているから。イドを疑って、信じる事が出来なかった時の方がよっぽど辛かったのだから。




(だめ元のつもりだったけど。

思ったより上手くいったな)



限界を迎えた、ふり。

エィスは意外とあっさりとそれに騙された。

それまでなまじ竜という存在と、その再生能力やキャパシティを熟知していたからこそ、自分が与えた傷が限界に近しい事を疑いはしなかったのだ。



それでも、下手くそなそれをちゃんと見ればわかっただろうに。それについては、エィスの弱みに救われたかもしれない。


あの男は、本質を見極めようとするあまり、目の前の真実をそこまで熱心に観ていない。だからこのように、私程度に騙されるのだろう。それはきっと、エィス自身の対人経験の少なさにも由来するのだと、そう思った。それ自体は私も大差ないのだけれど。




(………)



改めて。


ずきずきと幻肢痛を放つ左腕を、抱き締める。

愛おしくて愛おしくてたまらない、痛み。私が世界で一番愛した人が付けてくれた傷が、私に痛みを与えてくれる。これが、愛と言わずしてなんだろう。



「は、ああ…イド、イド、イド…」



うわごとのように彼の名前を繰り返す。

汚い空気を吸った肺の、口腔の浄化のように。彼の名前を何度も何度もくり返す。一言一言、彼を呟くたびに、その想いが深まるように。彼の名前、その響きすらが、私に快感を与えるようだった。




少し前まで、私はあの人の愛を疑った。彼が向ける愛は、代用品のそれであり、私自身を愛してくれてなんていないんじゃないかと、恐怖していた。



なんて、恥ずべき事だろう。

今となっては、愚かが過ぎて反吐が出る。


転機はやはり、あの時。

私を助けに来てくれたイド。再び、連れ去られようとした私を助けようと、肉を壊し、骨を砕き、躊躇なく飛び降り、私に手を伸ばしてくれた時。


あの時の、鬼気迫る顔。

あの時の、私以外を考えていない表情。

その、感情の濁流。



ああ、私はその時に漸く実感した。

私は彼に愛されているんだ。

私が彼を恋するように、それと同じくらい。

イドは、クシーを。私を、愛してくれている。


言葉を弄したり、『契約』に頼る必要も無い。

もう二度と、疑う必要もない。

疑う余地も、理由も、存在し得ない。

あれだけで全てがわかった。



連れ去られる私は、彼の慙愧に歪んだ顔を見ながら、法悦に歪んでいたのだ。



そんな姿を見たら、彼は私を軽蔑するだろうか。

いいや、絶対にしない。彼は私を愛してくれている。何をしようと愛してくれる。だって私がそうだから。



捕らえられ、無意味な拷問を受けていたさっき。『契約』を通して彼の声が聞こえて来た時、飛び跳ねてしまいたくなるほど嬉しかった。つい、笑い声が漏れ出るほどに。



生きていてよかった。

助けに来てくれてありがとう。

私を好きになってくれてありがとう。

大好き、大好き大好き、大好き。

そう、伝えようと思った。




だけどその時に、少しだけ邪念がよぎった。

もっときっと、貴方の愛を感じ取れる事。



私は、心身共に苦しむ、『真似』をした。


ああ、ああ。苦しむ真似をするだけで、あんなにも心配をして、愛を向けてくれるなんて。あんなにらしおらしい姿も見せてくれた。


そして一番は。私に、愛してると言ってくれた。ただそれだけで、この無意な長々とした生涯を十回掛けても到底足りないくらいの喜びと、絶頂にも似た快楽があった。



(愛してる。愛してる、だって)



なんと月並みで普通すぎる言葉。それなのに、貴方が発してくれたその言葉は、どんな宝石よりも輝いて聞こえた。脳内で何かがぶつかり、きらきらと光る錯覚まで見た。



ああ、もっと、ひどい贅沢だけど。

あれを面と向かって言われたい。

そうしたら、私はどうなるだろう?

心の声を伝えられただけで、こうだから、きっともっともっと嬉しく、気持ちよく、最高の気分になるんだろう。



うれしい。

うれしいうれしいうれしい。うれしい!


脳内が、エクスタシーにループする。

ぞくぞくと、背筋がうめき立つ。


私にだけに向けてくれたもの。あの顔も、愛してるという言葉も、信頼も、血涙も、貴方の素顔も、何もかも。

『私』にむけて、あなたが渡してくれたものなんだ。



私が、私の名前が、『クシー』が、誰かのものであろうと構うものか。その始めが、代用品であっても、もういい。きっとそれが、最近に至るまでずっとそうだったのだとしても、構わない。


だって今。

イドは、『私』を愛してくれてるのだから。

それは、間違いない事実なのだから。

私が彼を思う事よりも、ずっと重く。

私が彼を愛するよりも、もっと深く。





ああ、だから、いっそ。

もう一つ、わがままを言いたくなる。


一つ満たされると、更に求める。

それは、人としての感情を得たから、なのかな。



ああ、そうだ。

私は彼の事しかもう考えられない、のだから。




「イドの気持ちもぜぇんぶ。

私『だけ』に向くようにしたいなあ」




独牢の中、不気味な少女の笑い声がこだまする。




「うふ、ふふふふ」



「あはははは、はははは…」




ただ、愛が無垢を歪めていく。

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