スリー・デイ・エンド
謁見から戻り、変わり果てた姿のままになったニコを見たそれぞれの反応はひどいものだった。
より一層怯えて、近寄ろうとしないクシー。もう二度と戻らないのだと淡い希望すら砕かれ、悲痛な顔をするイド。そして、もうもはや悲しげに顔を歪めることすらなく、ただぼろぼろと涙を流すゴイ。
「……俺たちが。
何をしたって、言うんだろうなァ」
ぼそりと呟いたその言葉にも。その日の夜中に、便器に顔を向けて延々と吐いていたその姿にも。何も言えはしなかった。
ただ、イドは見て見ぬふりをした。彼はまた彼で、この地獄を受け止めるだけで精一杯だった。
日にちが経って、それもまた日常になっていく。悲劇は過去になって、現在は通り過ぎて蓄積されていく。
狂ってしまったニコはただ一人で今まで通りに狩りに勤しみ、彼らと共にいる時間は少ないままだった。ただ顔を合わせる機会があろうとも、話など出来たのかどうかは怪しいが。
すっかりとやつれたゴイは、部屋の中でも兜を被ることが多くなった。その見姿が恐ろしい故か、クシーはまた彼に近づく事が少なくなった。
そうして代わりに自分の陰に隠れるようになったことが、嬉しくなかったと言えば嘘になる。だがそれよりもイドは、そんな浅ましい喜びを感じてしまっている自分自身が情けなくて仕方がなかった。
それでも。
彼女がまともにイドに話しかける事は殆ど無かった。
そんな日々の内に。彼らの居る場所が何やら騒がしいのだと否応無しに気付く。耳聡いだとか関係のないくらいに、慌ただしかった。
どうにも、ドラゴンが死んだという事らしい。それは以前に、彼とニコが見た、あの強大な竜。元々半死半生で意識を失って久しかったとのことだが、つい最近、ついにくたばったのだと言う。
その報を聞いた時に、イドはほんの少し何かを思って、横にいるニコをちらりと伺い見た。ただ何も変わらずに微笑んでいる姿を見て、そんなくだらない期待も捨てた。
いずれにせよ。
研究員達も兵士たちもそれについての対処で走り回っているとの事だ。彼らレムレス騎士団に構っている暇すら無い程に。
それは、イドにとっては好都合だった。最低限度の任は課されても、それから緊急で追加されることが無くなったのだ。軽んじられているが為に伝来に使う人員すら惜しまれるからだ。
それはつまり彼にとっての自由時間が増えたということであり、その事実は、彼にある事の準備を着々と進めさせた。
それは一つの、『計画』。
(………二人への、相談は…)
ニコへ話す事は論外だった。話したところで何かメリットが生まれる事自体が想像できなかった。
それこそ、過去の彼なら。イドの憧れた、あの寡黙な騎士にならばそうしたかもしれないが。
ゴイへの相談も、悩んだ挙句にやめた。
彼にこれ以上心労を背負わせたくなかったし、何より、もし『計画』が失敗した場合に知らされていなければ、110番の独断で、イドだけを罰すれば良いと出来る。
無論失敗するつもりはない。だがそれでも無用なリスクを彼に背負わせるよりは、そうしたいと考えたのだ。
(………後は…)
イドは、横目で幼女を睨み見た。
その視線に気付き、クシーは身体をびくりと震わせた。その様子にふっと微笑んでから、立ち上がり声を掛けた。
「クシー。立ち上がれるか。
訓練に出るぞ。用意をしてくれ」
「……!」
こくり、こくり、と2回頷いて訓練用の木剣をいそいそと持ち始める彼の娘は、それは明らかに『普通』などとは程遠い姿で。
(普通の暮らしを、させてあげて)
リフレインする、呪い。
目を閉じて涙を流す彼女の顔を思い出す。
どんな時でも、あの光景を忘れはしない。
忘れられなど。
(……ああ、分かっているとも)
イドもただ、その身の丈程の巨剣と木剣を持って外に出た。彼らのボディチェックをする兵士すらもおらず、ただ素通りをして。
このような、ざるな警備ならば。
もう少し早くこうなってくれれば、せめて最期に外の光景を君に見せてあげられたのにな。そんな意味のない事を考えながら。
…
……
「…さあ、どこからでも来い。
いつもと同じに、どこにでも当てればお前の勝ちだ」
「……。」
無言の首肯をしながら、クシーは短い木剣を構えた。
構えの基礎も何も無い、破茶滅茶な構えだ。ただ、それで良いのだと思った。イド自身そういう基礎などは学ばなかったし、きっとそれを無闇に教えればむしろ知識が足枷になるのだろう。
ナナも、イドも。そうだった。そういう、本能のままに闘う獣のような戦い方だった。その間の子どもも、きっとそうだ。
バッと、低い姿勢からの突撃。
足の腱を狙う一撃を足を浮かせて避けると、その勢いのままイドの背後に回り、そうして地を跳ねて首の後ろを狙いすまし、一撃を繰り出す。頚椎を狙い、逆手に突き刺さんとする猿じみた動き。
その速さは、異常なもの。この年代の子どもは当然として、人にすら出せないような力だ。それは彼ら、レムレス騎士団の力を受け継いだような。否、それよりも更に。
(…だが…)
その動きを目視したイドは咄嗟に武器を捨て、籠手のついたままの腕で飛びかかる少女の頭をがしりと掴み取った。
そうするだけでただ少女の手は届かず、ぶらぶらと、剣を振り回しても当たらない。苦し紛れの投擲も首を動かして避けた。
「……狙いが透けすぎだ。
それに、最初の低い打点から攻撃をするのはいい。どのような敵であろうと視線より下からの攻撃は想定しないし、対応しないからだ。だがその後に跳び上がってしまったら意味が無くなるだろう。自ら強みを消してまで攻撃をしてどうする」
これは仕方のない事だが、経験がまだ足りなすぎる。そう、感じた。本能のままに闘うにしても、敵や戦い方を見極める為の死線を越えなければそれは身に付かないのだから。
娘が産まれてから、彼女に対する出撃の命令は出ていない。また、イドに打ち込まれた、『栄養剤』も打ち込んだりと言ったことも無い。
何を考えているかは分からないが、それだけは事実としてあり、故に彼女はまだ殺戮に身を置いていないのだ。
ならば、何故戦闘の訓練をするのか?
それには理由がある。ただ一つ、シンプルな理由。
「…そう落ち込むな。前回よりは格段に良くなっていってるし、何よりあくまで俺は対応出来ただけだ。
お前は強いよ。自身を持て。俺の娘だろう?」
「……」
地面に降ろして、宥める。
臆病な割にはどうにも彼女は負けず嫌いで、こうしてイドに負けるたびにいつもいつも泣き出しそうなほどに拗ねてしまうのだ。
その頭を、いつもイドが撫でる。
その撫で方は、非常に下手くそで、髪に絡むような痛いものだったが、それをされるといつも少女は機嫌を直した。
「…それでも、もう時間は無いか」
ぼそり、と呟いて。
イドは、腰から短剣をかちゃりと抜いた。
それは先が二つに割れた音叉じみた剣。
彼がこの騎士団に配属された時。
初めて託された剣だった。
これまでを切り抜けてきた戦友であり、相棒。
「クシー」
「……!」
呼びかけると、クシーはその肩をまたびくりと震わせた。そうして怯えたように彼を見て、それでいて決心したように彼に向き直った。
「…そうだな。お前は、聡い子だ。
だから、既にわかってはいるのだろうな」
引き抜いた短剣を、少女に向ける。骨董品じみた鈍い輝きを放つそれは恐ろしいほどに命を奪ってきた証明。
刃を向けて。
そして、くるりと手の内で回し。
柄を、差し出した。
「これをお前に授ける」
その一言は、とても穏やかだった。
彼の過ごした人生で、誰よりも、何よりも。
悲しみも無い。怒りも無い。狂気も無い。
ただ静かに、そこには愛だけがあった。
「………」
おろおろ、と。
言っている意味がわからないようにイドの顔を見つめる少女。否。わかっているからこそ、泣き出しそうな顔で見ていたのかもしれない。
そうだ。
これで、もう思い残す事は無い。
クシーを、彼の娘を鍛え上げたのは、彼女だけになった後も自分自身の力だけで生き残る事が出来るように。本当は、もっと教えたかったが。戦いだけではない、もっと人らしいことを。
だが、それを教えるのは俺ではない。
それは、俺以外の誰かに任せてしまえばいい。
「俺には、お前の母さんが遺した剣がある。
だからお前は、これだけを持っていてくれ」
『計画』。
計画など、そんな大それた名称をつけれるものか。
そう思って、彼は一人自嘲した。
これはただの、彼自身の我儘だ。
我儘であり、駄々であり、遅れてきた反抗期だ。
(…このような場で、普通など望めるものか。
このような、愚帝が納める地で。
人以下の扱いをされた家畜未満のままで。
汚物のように扱われるこの有様で)
「クシー。俺の娘よ。
俺たちの、愛しい子。
お前には親らしいことはしてやれなかった。
いつだって、怖がらせるばかりだったな」
ならば、彼が。
父が出来る、最後のしてやれる事は。
娘に遺せる、唯一の幸福は。
『普通』の為の行動は。
(……壊す。)
(この、レムレス騎士団計画も。不死の計画も。
王都の暗部の全てを打ち壊して粉々にしてやる)
イドはただ、鎧の奥の掌を。眼を。歯を。
全てを。ぎり、と引き締めた。
そうだ。命を賭して。
彼女を普通で無くす環境を壊す。
この自分が作り上げられたものを、ぶち壊す。
それが。それだけが。
彼の、初めて。
そして唯一。彼の望んだ事だった。
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