信仰と慈愛: 後









は、とクシーが目を覚ました時。

そこは綺麗な礼拝堂の中だった。

立ち動こうとして、ぴくりとも手先足先が動かない。ぎゅうぎゅうに雁字搦めに束縛されて動かないようにしてある。



「おお、お目覚めになられた!

竜さま、竜さまのお目覚めだ!」


「本物なのか!?本当に不死者なのか!?

くれ、見せてくれ!

ただの少女と変わらぬではないか!」


「不死者様!不死殿!竜様ァ!」


「おお、ありがたや。ありがたや…

我らが教団に救いあれ…」



目覚めた瞬間に、周囲に居た人間からそれぞれに、乱雑に、自らに関する言葉が飛んできた。それらは全て白色の小綺麗な服を着ていて、無感情に見せるような面を付けていた。


その内の一人に、ああ、と。

竜の返り血が付いた服を着ている者がいた。

つい先ほど、少年を場当たり的に殺そうとしていた男がその存在を密告したか。

状況から鑑みるに、あの少年がクシーを眠らせてから。この男がずっと見張り、追ってきていていてクシーを横取りしたのだろう。


ちやほやされる、というのは、正直に言って、嫌な体験ではない。だけれど、ではこれは良いものかと言われると、そうでもない。クシーはただ、厭そうにため息を吐いた。


これは、好かれているのでない。

ただの崇拝だ。盲目的な神格化。

個人や個体を見ていない理想の押し付けだ。



「おお…美しい…無謬なる身体だ…

ああ、喰らいてしまいたいものだ」


「出しゃばるな、まずはこの私が味見をだな」


「何を!竜様を見つけたのは私だぞ!」


「どうせ肝を喰らうのならば、その前にこの少女の姿を堪能しても良いではないか。

なあに、何も変わらぬさ」



いや。もっと、もっと下らないものか。

こいつらはどうにも、そういう教会らしい。

聖職者のふりをして街の中枢に潜り込み、そうして私腹を肥やす歪んだ、蝗じみた不死信仰者ども。

竜血を信じる教義を持つ者も実際にはいるかもしれないが、そんなものよりずっと、それを建前にぶくぶくと太り肥えることを目的にした者が多い。変態性を隠そうともしない者もいる。当然だろう、隠さなくても咎められないのだから。


ああ、醜い。

本当に醜い。

栄光を我が身にせんと私を殺そうと、洞窟に入ってきた者たちは、私が思っていたその何倍も高潔な方の人類だったのかもしれない。

そう、思った。


だから拘束のまま服を剥がれている中も、顔を顰めてはいたが無気力に力を抜いていた。そのまま待ちきれぬと、生き肝を取り出そうと短剣を取り出した者にも、同じ対処をしていた。


どうでもいい、何においても。

と、そう思っていたが。

ただ一つ、期待する事があった。

それは、私を殺さんとしてくれた、あの男。

私の騎士が、こんな情けのない私を見たらそのまま殺してはくれないだろうかという期待。



瞬間。


ふっ、と屋中の蝋燭が全て消えた。

急に。誰かが、仕掛けをしていたように。

真夜中であったその中に、目先のものさえ見えないような暗闇が訪れた。



「な…なんだ!誰か、明かりを、がっ」


「!なんだ!?誰だ、誰かいるのか!

くそっ、この不信心者めぇっ」



ほんの少しの、争う音の後にぐいとクシーを担ぎ上げる感触がある。

それに少女はがっかりした。

なんだ。彼ではないのか。


だったら良かったのに、と。そう少しだけ期待していた自分に、少しびっくりした。自分にとってはあの騎士は、ただの殺合の契約を結んだだけの、汚い人間の一人なだけのはずなのに。



「…なっ!竜が、あの小娘がいないぞ!」


「追え、裏口からだっ!

絶対に逃すな、こんな舐めた真似をする不信心者を、裏切り者に、神罰の報いを…!」



ばぁん。


緊急の明かりがついて、狼狽している信者共の興奮と錯乱冷めやらぬ、その内に。

巨大な正門が打ち壊れた。

開けるというアクションをすらせず、切り壊して破壊する姿は正しく。その教団の行く末を、その壊した者によるそれを、表すようだった。



ハァ、ァ。


深い、息を吐いた。

苛つきと焦り。

そして、怒りの混じった吐息。

激しく吐かれたそれが、血錆塗れの兜の合間から蒸気のように漏れ出た。



「…ここにはいない、が。

ふむ…直前まで此処に居た、という感じだな。ならば丁度いい」



なんだ貴様は。と、言い放とうとした男の脳天から錆びた手斧が生えた。竜の返り血を浴びた、教団員だった。それにどうなったかを誰も認識できていない内に、ただ。


イドは。

その狂った形の剣に蒼焔を滾らせた。

兜の下の貌は見えない。

だが、その声から滲むものは。

吐き気がするほどの、激怒だ。



「貴様らを疾く皆殺してから追うとしよう」







……





「はっ、はっ!」


「…ねえ、いい加減にしてほしい」



半裸のまま、拘束をされたままのクシーを背負って、ふらふらと裏路地を歩き続ける者がいる。それは、彼女を騙して眠らせて、今こうなる状況を作り出した件の少年だった。


月光に照らされるその顔は、青痣と切り傷塗れだ。きっと、横取りをされた時に必要以上に痛めつけられたのだろう。

だからどうという、こともないが。



「貴方が連れてきて、貴方が逃して。

それで許されると思ってるの?

身勝手で、気持ち悪い」


「…そうだと、自分でも思うんだ。

それでも、頼む!少しでいいんだ!」


「……はぁっ、はあっ!

君の、竜の心臓をくれ!頼む、たのむ!

かあさんはもう、限界なんだ!

だからもう、こうするしかないんだよ!」



救い出したクシーを、道に置いて。小さな包丁を取り出して脅すようにそれに突きつけた。もうこの少年の頭骨には血が溜まって、まともな判断もなにも出来ないようになっているのだろう。



「なあ、死なないんだろ!?

痛いかもしれないけど、でも、でも…!



ああ、くだらない。

本当にくだらない、と目を逸らした。

そのクシーの動きをどう思ったか、少年は絶望をした顔をした。

別に、騙されたからそれを許さないだとか、そういうことではないということを、教えてやろうと思って。クシーは口を開いた。



「…別に、いいよ。痛さも慣れてるし、私の心臓なんていくらでも持ってけばいい」


「!本当に!?本当だよね!?」


「いい。

でも、私の心臓に何かを治す作用なんてないよ」



「…え」



口を、開いて。

涎がぽた、と垂れた。

身体から、顔中から力が抜けていた。



「嘘だ」


「嘘じゃない。そもそも、ただ生き物の肝を食べるだけでなんでも治すなんて、あるわけないでしょ。それこそ…」



それこそ契約のように、身体や精神を超えた呪いでもない限り、は。

そう言おうとして、口をつぐんだ。またそれを言おうものなら、面倒くさそうだから。



「……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!それなら、お前の心臓を喰わせてからその嘘を暴いてやるっ!そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃッ!」


「…僕が、ただ、君を。命の恩人に嘘を吐いて騙しただけ、じゃないか…!」



そうして錯乱しながら、半裸のクシーに包丁を振り上げた、少年の背に。



どず。



短剣が、突き刺さる。

続いてもう一つ、二つ飛んで。

そのどれもが背中を貫いた。


投擲された錆びた剣。

それは後ろに立った、蒼い焔を纏う、騎士から投擲されたものだった。




「……イド」



「クシー!よかった、無事か!?

何もされてはいないか…!すまない、遅くなった!俺が、お前に行くことなど薦めたから…!」



「……くす。大丈夫だよ、イド」



いつもとは様相が違く、慌てふためく様子に少女は少し笑ってしまった。

すう、と彼の匂いを嗅いだ。

彼からはいつだって、真実の匂いがする。真新しい血だらけの匂いだけど、ただ嘘の臭いよりはずっと、ずっと爽やかな匂いだ。



「…頼む、頼む…

俺は、いいから、かあさんを…


「かあさんを、助けて……」



少年は、もう目も見えてなかった状態のまま。そううわごとを言い続けて、ただそのまま、這いずって何処かへと行こうとして。

そのまま、惨めに息絶えた。


それを見て、ぽつりとクシーが口を開く。

拘束具を裂いて、服をそっと着せてくれる騎士に、問いかけるように。



「…私にとっての母は、私が産まれて、ただあの洞穴に捨てただけの存在にしかすぎなかった」


「だけど、『これ』は誰かを蹴落としてでも助けようとした。やっぱり、母親っていうのは普通は、大事なものなのかな?」



「そう、だな。

母、とは特別な者のはずなんだ。

…少なくとも、人間にとっては当然に」



「イドもそう?」



「ハ。ははは、当てつけか?クシー。

聞かないでも、わかるだろうに」



服を、着せ終えて。話も終えて。

イドはただ静かにクシーを抱き留めた。

それには邪念や邪気はなく。

ただ謝意と安堵の滲む抱擁。

少女もそれを突き放すでもなく、不思議とそのまま受け入れ続けた。それまでの、吝嗇からくる諦めではなく。珍しく、自分の通りに。





……





「それじゃあ、どうするの?」


「ああ。そこの小僧の、そいつの遺した言葉通りにしてやろう。小僧の母親を助けてやる」



「皆殺しだ。死して、この糞たれの村から、病魔から、世界から解放して救ってやるのだ」



結局のところ、またそれか。きっと彼はそんな遺言が有らずとも、何かしらの理由を付けてここを滅ぼしていたのだろうと思った。だけれどそれを断る理由も特段無かったし、何よりも。



「……」


「クシー?どうした」


「いや。…なんでイドは私に、村を、街を見せようとしてるのかなって思ったの」



ただその質問の中にある疑問は、それだけではないことに騎士はとうに気付いていた。真なる質問はつまり、何故。何故まだ貴方は、人間の善性を信じているのか。そういった、こと。



「……俺を、助けた人がいた。

命の恩人が、二人いるんだ」


「へえ。二人も」


「ああ。だから俺はまだ少し、人の綺麗さを信じたかったのだと思う」



「…クク、莫迦な事だよ。

ヒトが本当に綺麗な存在ならば、俺がこんな道行をすることなど無かったというのにな。

はは、ははははッ、ハハハハハ…」



哄笑。

泣きながら、するような嘲り。

その笑いは何に向けられてたものだろう。



「…さて。貴様、その…なんだ。

別行動をするなとは言わない。ただ、気をつけてくれ。今回のように、何か仕込まれている場合ならば抵抗をしてくれないか。

それに、気付いていたのなら、だ」


「…でもそうした方が死にやすいかも」


「……頼む…」


「…わかった」




頭を下げて頼まれた後には、渋々と承諾した。その必死な様相は、また少し面白かった。



「…今回は俺も、あまりにも迂闊だった。

助けに来るのも遅れてしまった。

本当に情けない限りだよ」



「ただ、なんだ。

本当に、無事でよかった」


「…うん」



私もそう思う。それはこの男がほっと、安心していてくれてるからという事。私に何もなくて、彼が安心してくれるならば、それは良いことだと、そんな事を思った。


この頃から、だ。竜はきっと、彼のその矛盾性と残虐性。そしてその奥に秘めた、童じみた純真に惹かれ始めていたのだろう。


ふと、渡された花束を思い出した。

きっと、少年と仲良くと渡されたこの小さな束。


燃え尽きていく教会の亡骸たちに、ぽいと投げた。

哀れで醜い人間に、祝いあれ。

騎士の哀れよ、燃え消えてあれ。





……



追想は、終わる。

ただ一つの街の思い出。

陰惨で、救われないそれは、ただそれでも。

竜には貴重な、馴れ初めだったのだから。

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