恋と猛毒: 前



一つ、一つ、噛みほぐしていくように。

これも追想の一つ。

これもまた、ただ一つの思い出だ。




……




何個めの村だったか。

畢竟、覚える必要など無かった。どうせどれでも滅ぼしたという帰結に変わりはないのだから。だがその旅の中身に関しては覚えている。


そこは、武具生産などや鎧、鉱石やその精製を生業に成り立たせている村だった。

産業要所として名高い場らしく、実際にその村はそれまで辿り着いた村よりはよほど初々しい活気に溢れてはいた。

故にその兵士に補給される武器、防具の劣化の為にと、供給を断つためにここにきた。つまりはまた、殺す為に、だ。


だから着いて早々にイドが情報の収集と物資補給を行って、いつものようにそうするのかと身構えた瞬間にクシーにかけられた言葉は意外なものだった。



「妙だな。水が綺麗すぎる」


「…?」


予想外の言葉に、急に何を言ったのかわからなくなって暫く見つめ返す時間があってから、少ししてようやく言葉の意味を理解して聞き返す。



「…えっと。それで何か問題があるの?」


「いや、そういうわけでもないが…

単純な、好奇心だよ。どうせ遅かれ早かれだ。

この原因を調べてみてもいいだろう」


遅かれ早かれ、とはどちらにせよここの生死の沙汰は変わらないということ。全くもって、物騒な事だ。クシーにはそんな事はどうでも良かったが、ただイドがそんなことに関心を抱く事が意外で、だからこそそれに付き合ってみたくあった。

これはつまり、彼に染みついた、不死者の痕跡を探し抹殺するレムレスの怪物としての本能だっただろうが、この時の彼女には当然知る由もない。


水流を辿り、微かな痕跡を元に村から遠ざかって歩いていく。獣道をずいと進む騎士に着いて行こうとしてこてんと幾度も転び、その度に手を差し伸べられた。それにクシーはどうにもそれに頼りはしたくないと反発して立ち上がった。


そんな事をしている内に周囲の景色と、音はまるで別の様相に変わっている。黒い煙がもうもうと立ち込めていた空気はそれとは関係のなく見えるほど綺麗で、金床の音はただ木々のせせらぎと小鳥の囀りと、清水の流れる音になっていた。



そこにあるは、場違いなほどにみずみずしく青々とした緑草。鬱蒼とした木々の間から差す陽光が川の水をきらきらと反射して、とても綺麗だった。ほう、とため息をついたのはどっちのことだったろうか。クシーは、その時はまだあまり綺麗という感情を思わなかったから、イドの方であるかもしれない。



「あら、珍しいお客様」


その空間に似つかわしくもないような声。幾度も幾度も潰れたようにがらがらとした汚い声。聞き取れるかも怪しいような声だった。

腰がひん曲がり、ぼつぼつと吹き出物だらけの人姿がそこにはあった。

肌もぼろぼろと崩れ割れて、邪悪な魔女とはどのような見た目か、と童に聞いてそのまま描かれたかのような。そんな見た目をしていた。



「遠い所まで疲れたでしょう。

少し、ゆっくりしていきます?」


ただ、そんな第一印象とは真逆に物腰の低く丁寧な態度。それを聞いてイドは顎を摩った。何やら、納得したような状態だった。当然、クシーには何がなんだか分からず、身体を縮こませていた。


「ああ、そうさせて貰おうか。ただその前に、そちらも何か用事があったのだろう。それを済ませてからで良い」


「あら、ありがとう。

なら少しだけ待ってくださいね」



きっと、にこり、と微笑んだのだろう。ただその老婆の微笑は邪悪な企み事をしているようにしか見えなかった。

女性は、そうして袖と、裾を捲り上げる。

川の水にちゃぷりと浸かり始めた。


水浴びか、泳ぎでも来たのか?

そう怪訝に思った瞬間の事。


川の上流からどろどろと、溝水じみた汚れた色が流れてきて。その次には虹色に光る、てかてかと汚れた油水が流れてきた。猛毒だ。

この水は、間違いなく先ほどに居た村から流れてきたもの。



「……ふぅ、うううう……」


老婆はその水に身体を当てた。

素肌を当てて、通していく。

瞬間に水は全て、さらさらと清流になる。清水となった水の代わりに、魔女の肌はまたどんどんとどす黒く穢れていっている。

吹き出物が、ぶつぶつと増えていった。



呆気に取られ、クシーはそれを見ていた。

その呆気は、この光景や人ならざる行為とかいうわけではなく。

これを出来る者はつまり、人間ではない。そして喋る事ができる知能があるならば魔物でもない。つまり、この目の前にいるのは。


そして、そうでしかあり得ないのに、どう見ても人としか見えない。その、擬態の上手さに驚嘆していたのだ。



それが、不死者、ウンディーネ。

忘れられないその出逢いだった。




……




「まあ、竜!?

まさか本当に生き残りがいたなんて…」


「…私以外には、もう居ないのかな」


「うーん…ごめんなさい。もう暫くこの森から出てないからそういう事は分からないの。でも、もうずっと前に狩り尽くされちゃったとは聞くわ」


「そっか」


「ごめんなさいね、クシーちゃん」


「ううん、やっぱりそうだと思ってたから」



ウンディーネはそうしょんぼりとした顔をしながら、湯気の立つ薬湯を啜った。美味しい、とは言えなかったが飲むと不思議と力が湧いてくるような、身体が温まるようなそんな気がした。気に入ったらしいと見える、少女を見て老婆はにっこりと微笑む。



「そっちの、おそろしい騎士さんも気に入ってくれたかしら?」


「ああ。美味しいよ」



これまた器用に兜を脱がずに茶を飲むイド。ただ声音も、臭いからも、お世辞ではない事はわかった。



「さて、貴方たちは…私を殺しにきたの?」


「いや。ここに来たのはただの好奇心だ。数年前なら、そうせねばならない立場ではあったが…今の俺はそうではない」


「そう、よかった。私だって久しぶりのお客さんを殺したくはないもの。お水も汚れちゃうし」



そうした、少しばかりの不死の傲慢さが時たま、ああ、この人物は本当に不死者であるのだということを思い知らせた。だが逆に言うならば、それ以外は本当に、完璧だった。

どういった所作も全て、人らしすぎた。



何よりも。

彼女、ウンディーネは流れてくる工業用水、排水をその身体を通して、水を浄化している。

それがまるで不死らしくはない。

少なくともクシーは、人間の尻拭いなんて馬鹿馬鹿しいことをすることなど、同種以外はありえないと思っていたから。


「貴方は…あの村の人に囚われて、無理矢理そうさせられてるの?」


率直な疑問をぶつけた。するとウンディーネは、くすりと笑った。小馬鹿にするでなく、ただ可愛らしいものを見た微笑み。


「違うわ。私はただ、自分の意思でこれをやってるし、もう彼らは私の事なんて知りもしないでしょう」


「じゃあ、なんで?」


「そうね、それには色々と理由があるんだけれど…」


そう、過去を懐かしむように遠くを眺める。錯覚だろうか、瞬間、その横顔が水精そのものの、恐ろしい美貌に見えた。


「…そう、ねえ。もしよければ私の昔話を聞いてくれるかしら。こんなおいぼれの、愚かな過去の話」


静かに、話を聞いていたイドが少しだけ姿勢を正した。妙に静かだとは思っていたが、なるほど彼も気になっていたのだろう。

何にせよ、我が身を削ってまで人種族に貢献する不死者など、正しく奇行だ。精霊種ならばそれは尚のこと。



「…うん。聞かせてほしい、です」


「あら、畏まらなくていいのよ?私は本当に、お話が出来て嬉しいだけなんだから」


そう、柔らかに笑ってから水精は語りだす。

彼女をここに囚わせる、愚かな過去の事。

愚かな自らの罪の精算のように。

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