執念に代わるものの名






「本当にここでいいのか」



騎士が呟く。彼らが、一人の騎士と二人の不死が立つ場所は、悠に三日、馬を走らせたとしてもどの街にも辿り着けない。そのような、辺鄙な荒地だった。


理由も無く、そこに来たわけでは無い。ただ不死の一人。セーレが、そちらに行きたいと言った。そしてまた、同行はここまでで良いとも。




「ああ。ここでいい」



「…ねえ、セーレ。

もし良かったら、その、一緒に」



「いや。……しばらく、一人にさせておくれよ」



「…」



「ごめんな」



呟き、ただ目を瞑りながら歩いていくセーレ。

『成り立て』の彼女には、日光は眩し過ぎた。

その眼は光に潰れて、再生をしている最中だった。

その喉は苦痛の悲鳴に荒れて、掠れている。



「どこにも、生き物の気配が無い。

こういう場所で、放っておいてほしい。

あたしの今の望みは、それだけさ」




「…クシー、行くぞ」



「でも」



「彼女が望んでいるのだ。もう何も、言えることなど無いだろう。それとも力づくで連れていくか?」




名残惜しげに手を伸ばしかけ、そっと手を引いた。それぞれが、その声に背中を向ける。ゆっくりと、ただ陰鬱に歩いていく。



『ねえ』




一人、少女にのみ声が響く。

ヒトの可聴域を超えた、彼女にのみ届く声。




『あんたは悪くないよ、クシー。

弟たちを看取ってくれて、ありがとね』



「……う…ッ」



…彼女には、弟たちを潰して、殺して来たなど言えるわけが無く。ただ、ゾンビになる前に死んでいたと伝えていた。そんな、虚偽を信じているセーレに対する負い目と、あの光景のフラッシュバックが、彼女の腑をぎゅうと締めつけた。




「…気分が良くないか、クシー。

だか悪いが、休む時間は無い」



「…大丈夫。

ちゃんと歩けるから…」



蒼白の顔で、口を抑えながらふらふらと進む少女の姿を一瞥し、無言で先を進むイド。最後に一度、後ろを振り返る。

そこには、生き物の姿は欠片も存在しなかった。




「そうか。なら、行こう」







……






次に。

辿り着いた先は、華やかな街だった。巨大な門と外壁に防がれ、それでいて尚分かる綺麗と豪華。白を基調としたその防壁すら、一種の芸術美を兼ね備えているようだ。


門には、十数人程の兵士。

あいも変わらず、ゴーレムの鎧を着た男達。


反射的に、少女の身体が固くなる。

これらに止められるのだと。

ならば力づくで突破せねばならないのかと。



だがそんな懸念を嘲笑うように、その門はすんなりと開き、その綺麗な街は彼女達を和やかに受け入れた。




「すんなりと入れるんだね」



拍子抜けをそのまま言葉にする。



「この身なりだ、多少は目立っていたがな。それでも、『ここ』は様々なものが入ってくる場所だ。俺達程度の奇怪には慣れっこなのだろうよ」



仰々しい音を立てて門扉が閉じ、改めて街を眺める。

そこは美麗さのみでなく、不思議な場所だった。


その日は、快晴だった。

であるのに、この街を照らす陽は少ない。

陽の当たる場所が少なく、影が多い。


その原因は、あれだ。


先程通った壁よりも、更に巨大な壁に、厳かなる門。

それがまず目に付いた。それが目の前に屹立している。

この都市は、壁と壁に挟まれているような、妙な場所に存在しているのだ。それこそが、陽を遮っているのだと。言葉も知らない赤子だろうと直感的に理解できるほど奇妙な場所だった。




「クク、ここが何か気になって仕方ないという顔だな」


「そんなこと…ある、けど」



「ここは、関所だよ。多くの人が訪れ、多くの人が堰き止められ、故に多くの人がこの場所で金を落とし、長きを暮らす。交易都市に近いが…どちらかというと交易の副産物で産まれた都市、かな」



クシーは、少し眉根を顰める。

いつもよりも幾らか語調が柔らかいというか、彼らしくもなく、少し楽しそうにこの場所の紹介をしていたように見えた。




「そして、俺たちが通って来た方では無い、大門。

あの向こうに、王都がある」



「……えっ」




その衝撃は、さらりと言われたからこそかなり遅れて、竜に届いて来た。今いる場所が、そんな場所だと思っていなかった。

王都と言えば、イドが口繁く言う場所。彼の怨念の向かう先であり、彼の目標。それが、ここまで近い場所にあるとは思いもして居なかったのだ。



「えっ、と…

少し待って。2つ、質問がある」



「なんだ」



「王都に近い所は、殆どが制限されるんじゃなかったっけ?前行った、あの街みたいに」



「あれは『なまじ』近い故だ。こうまで膝元にあるものなら容易に制御できる為、かなりの自由を得ているのだ」


「何より、王に近しい場所が貧しく汚らしければ、その権威にも傷が付くというものだろう?」



成る程、王一人が豪奢な装飾を着飾り、その侍従がおんぼろしか着込んでいない光景を見て誰がその王に敬意を払うだろうか。



「…じゃあもう一つ。

こんなに急に来てしまってよかったの?」



「…ああ。貴様が言わんとしてるように、準備が不完全なのは確かだ。だが予定外の事が起きたせいで寧ろ今しか無くなったのだ」




予定外の出来事。

間違いなく、あれの事。

また光景がフラッシュバックする。




「世界樹の町は有名だった。

そこが無くなる、となると相当に目立つ。

ニコ達がこちらを嗅ぎつけるのも時間の問題だろう」



「…そんなに、あの男は強いの?」



「忌々しいがな。

勝つ事が出来たとしても、その時は俺も瀕死だ」




さらりと言い放たれる一言。しかしそれが嘘では無いのだろう事は明らかだった。それほどまでにあの軽薄な男は強く、そしてしかしまた、イドもそれを殺せる確信を抱いている。




「だからこそ今しかない。王都に入り込み、姿を眩ます。もはや捕捉されかけている姿を、その体内に隠れる事で再び見失わせる」



「そんなことができるの?」



「やらねばならない。そう、するしかない」



彼が、ただこれまで喋っていなかった事や、いつだって余裕を残しているような飄々とした態度を取っていた為に気付かなかった事。それに初めて気付く。現況は、緊迫し、余裕のないものなのだと。




「…ところで、質問を質問で返すようで悪いが…

一つ、どうしても貴様に聞かないと行けない事がある」



「?なに」



「今の貴様は、竜になれるか」




それは、間の抜けた質問だった。

竜になれる、なれないの問題では無い。彼女は竜であり、成る、のではなく、ただ姿を『戻す』だけなのだから。


ただ竜には彼がそれほど間抜けな事を言うようには思えず、だからただ首を傾げた。




「何を…いいたいの?」



「言葉通りだ。

そうだな…今、火を吐く事は出来るか?」



「………え、今?」



「今だ。やれ」



「…でも、他の人の目が」



「やれ」



「わ、かった」




不思議に思いながら、言われた通りにする。

否、しようとした。


だが刹那、口をばっと抑えた。


息が荒く、脂汗が彼女を纏う。

疲労や脱水による息の荒れでは無い。

似通ったものを言うなら、過呼吸だ。



「……あ、ぐっ…」



「もうわかった。止めろ」



「……ま、待って。出来る。やれるから」



「無理だ。もう、これ以上無理をするな。

さもなくば、貴様がそのまま壊れかねん」



そう言われると、するりと身体が楽になった。

その事実にまた、困惑していた。ただ、火を吹くように言われた事がまるで呪禁のように彼女の心を潰さんとしていた。




「…もう一度問うぞ、クシー」



「今のお前は竜になれるか。

無慈悲で、野蛮で、残酷なまでに冷徹な。

お前はあれらを経験し、尚、竜となれるか」


「優しい人々。無辜の市民。

生きている人々の美しさ。

それらを学び、そしてそれらを喪って。

……まだ、竜になる事ができるか」







……






火を、吐こうとしたんだ。

いつものように、これまでやってきたように。

なんともないこと。

イドはなにを言っているんだろうとすら思った。



往来に、はしゃいで歩き回る少年を見るまでは。

目が、彼とあった。




その瞬間に、頭に、心に、身体中に、焼け死んで炭になった亡骸と、同時にダンティ達が脳裏に浮かんだんだ。


潰した感覚。焼き殺す感覚。貫き、殺して、殺して。

吐き気のするような感触。

だけどそれは、初めて味わった訳では到底無い。



そうだ。私は、なぜ気付かなかったのだろう。

違う、気づいていた上で、視界にも入ってなかった。



私は、子どもを殺したんだ。ダンティみたいな、私の仲間になってくれた彼のような人も、沢山沢山。


私は、人を殺したんだ。セーレのような、私を守ってくれようとした人も、いっぱい。



私は、村を、街を、滅ぼしたんだ。

人を、生き物を、家畜を、草花を。

全て全て否定して焼き尽くして殺して失くして。

幾つも。幾つも。それを知らないまま亡くしていた。


薄汚いと思ったそれらを。

穢れていると思った世界を、焼いていた。


それを、当然だと思っていたんだ。





「……あ、ぐっ……」




息が止まる。

細胞が全て石になったように、身体が重い。何も考えられない。思考が止まって狂いそうになる。全身が軋むように不快な汗をかく。



もういい、と止めた彼は、そんな様子の私を鑑みて、速やかに宿を見つけた。中々に広く、豪勢なその部屋のベッドに転がり込む。

鉛の棘で突き刺されるように、脳がずきずきと痛い。




「…そういえば、お金は?」



「世界樹の枝と葉を持ってきた。

これを売り払えば、当面の駄賃になる」



「……はは、火事場泥棒だ」



「ふふ。有り体に言えばそうだな。

だが、そうするしかないのだから仕方ないだろう」




力無く、私が笑うとイドもまた少し抜けた笑いを出す。

仰向けになって、片腕で目を隠して彼に聞く。

この都市に来てから、質問してばかりだ。




「……これが、人の身体を得た竜の末路?」



「…ああ。俺の知っているものも、お前のようになっていたよ。竜の頃にした殺戮を、人の感覚で堪えきれなくなり、狂い死ぬ。だが不死故に死ぬ事も出来ずに暴れ狂う」



「悲惨だね」



「…そうだな」




しん、と沈黙が場を包んだ。

それに耐えられずに口を動かす。

ずっと気になっていたことでもあったけれど、静かであると気が狂いそうだった。ずっとずっと手に残っている感触が忘れられなくて、悲鳴が脳に鳴り響いて。




「ねえ。なんで、セーレを殺してあげなかったの」



「急になんだ」



「答えてよ。彼女は苦しんでた。私みたいに、死ねない事を嘆いてた。そして、それを貴方なら殺せたのに。

私を殺さない事は、目的の為だとわかる。

じゃあなんで、セーレは殺してあげなかったの」



「…貴様が、他の不死は殺すなと言っただろう」



「もうあの薄汚い吸血鬼を殺した癖に。

私を都合よく言い訳にしないで」




頭で考える前に口が動く。

言葉が光となり、目の前がちかちかする。

どうにかなりそう、では無い。

きっともう、どうにかなっているのだと思う。



「なら、言おう。

それはしたくなかった。ただ単に、それだけだ。ヒトとして死んだとしても、生き延びた彼女には、そのまま生きていて欲しかった」



「…あはは。

あんなに殺しておいて、あんなに沢山殺して。

それなのに、生きていて欲しい人にはそうなの」



「ああ。そうだ」



「…………そっか」




ずっと、反証を探していた。

彼の為にならない『これ』を、なんとか否定しようと、さっきからずっと考えていた。でも、答えが出ない。

どれだけ考えてもこれを否定する何かが無い。

だから貴方に、否定してもらいたくて、声にする。




「…私は、何かを殺す事が嫌いなんだと思う」



「だろうな」




否定して、くれないの。

イドなら、私のそれは駄目だと否定してくれると思った。否定をして、答えを出してくれるなら、私はそれで安心できたのに。そんな事を思うのは良くないと叱責してくれさえすれば。


ただ、貴方に従っていればいいのだと、

そうして自分を慰められたのに。




「何かの殺害を、好んでやる者など居ない。

いるとするなら、そいつは生物として欠陥品だ」




嘘吐き。


貴方は、そうな癖に。

貴方が、誰かを殺す時の、嬉しそうな事。

それとも貴方は、自分を欠陥品と言いたいの?




「だがそれでも。何を踏み躙り、壊したとしても。それでも死にたい。それでも成し遂げたい何かがある。お前はそう思って契約を結んだ筈だろう」




嘘吐き。



「…私が、何も分からない子供とわかっていたからそうした癖に。契約の、何も分かっていないからこそ、無知を利用しようと、私を選んだんでしょ」



「違う」


「それは違う。俺の心のどれが嘘なのか分からなくてもいい。俺が心の底からの嘘吐きなのだと、そう思ってもらって構わない」


「だが、それだけは違う。

俺は、御しやすいから貴様を選んだのではない。

ただ貴様が必要だったから、貴様と契約したのだ」




ずきん、と心が痛んだ。彼がそれを、本気で言っている事などすぐにわかった。契約の力や、何かを感じ取る力でもない。その声が、その目が、ただ真実を語っている事など、容易に分かったから。




「……今の俺が何を言っても、薄ら寒いか」



「……そんな、こと…」



「そうだな。まあ、その、なんだ。

…席を外そう。一人の時間が必要だろう」







「イド。私は、貴方が怖いよ」



「そうか」




ばたん、とドアが閉められる。相変わらずあの重い甲冑を着込んでいるとは思えない程、足音は静かだった。




(……『こわい』)




……イドが私以外を殺したらいけない、という勝手な執念は消えた。あの悪夢の中で、彼がバンパイアを殺したときに。


彼だけが綺麗なものだから、彼を手伝いたいという執念も消えた。綺麗な人間は、きっとこの世には沢山いるから。





……なのに、イドに向ける思いの量は変わらない。

何か狂おしいほど、彼に向けている自分がある。

それだけが狂わない指針のように。


これはなんなんだろう。


咄嗟に口から出た言葉は『こわい』だった。

だがこれは違う気がする。

これが含まれていても、これが全てでは無い。



これは、持っているそれは、恐怖ではない。

あの美しいと思った憧憬も。

彼に殺してほしいと思う願いも。

何もかも埋め尽くし、塗り潰すようなそれは。一言で何かと言うのには、難しすぎる。でも、しかし、だからこそ、これはなんなのか。気になって仕方が無かった。



貴方の言うことなら従える。

貴方がそれだと言ってくれれば安心できる。

貴方の横に、それでも居たい。

貴方を美しく思った。

貴方を理解できない。

貴方の理解をしたい。


それは、全て恐怖から来た感情なのだろうか。

それだけは、ぜったいに違うと言い切れる。



じゃあ、なんなのか。

この心にある、執念に代わるものは何だろう。

一人きりの沈黙の中。

ただそれだけを考えていた。



それを考えている時だけ、悪夢を見ずに済んだ。


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