血騎士の述懐
「言い残すことはあるか」
「無い。早く殺せ」
「そうか」
ただ言う通りに、ぱん、と首を刎ねた。
刃の無い剣でのそれは、どちらかというと千切るようなものだったが、この男にとっては変わらず一瞬の死だったろう。
「…ウゥ、う…」
…殺す事は、決して許されぬ罪。
だからこそ、殺す。罪を重ねるために。
この身に罪を刻む為に。
俺は、血と糞尿の匂いを見て、嗅ぐ。
己の犯した罪から逃げるなと、殺戮と血肉に悦ばんとする己を咎めるように、口からは意味のない呻き声が出る。
「…クシー。こっちは終わった」
『私も。今から、そっちに向かうね』
失った、左の薬指にそっと語りかける。すると脳の後ろの所に、彼女の返事が聞こえる。
あの時に深化した契約の力は、距離を無視して俺たちの意思を共有するまでとなった。これはとても、便利なものだ。
(…さて)
剣を背に仕舞い、目を瞑る。
改めて目の前の死体に心を向ける。
最早首が消えた、恰幅の良い男だ。
…見事な男だった。
その生き様や性格など、知ったことでは無い。名前すら分からない。だが死に様は、その人間の人生を物語る。
この男の死に様は、見事だった。
「…お待たせ。
言う通り、奥に居た魔物は全員殺してきた」
そう、瞑目をしていた背中に、先程脳裏に響いた声を更にか細くした声が響く。それは栄養の足りない少女の声。
紛れもない、我が契約者、クシーの声。
「ああ、ご苦労。これで目的は達成したか。
数はどのようなものだった」
「大した事無かったよ。ぜんぜん平気」
「そうか。頼りになるな、クシー」
そうして、少女の形をした竜の頭をまた撫でる。初めは、こうする事で少しは彼女の気持ちを和ませてやることができるのではないかと思ってのそれだったが、最近は段々と自分が落ち着くようになっている。
「……相変わらず、下手。痛い」
「む。下手。…下手だと?」
「うん、下手。籠手まで付けっ放しだし」
その言葉は、自分が思うよりもかなり衝撃的だった。クシーはいつも無感情に、何も顔に出さない為に気付かなかったのみで、いつもそう感じていたのであろうか。
がん、とショックを受けた様子を見て。クシーが笑った。
「ふふ…でも、イドのそれ、嫌いじゃないよ」
「……なら、いいが…」
「でももっと上手になった方が嬉しい」
「…善処する」
笑う。
そうだ。クシーは、笑うようになった。
段々と会話ができるようになってから、それまでも不快であるとか、怒りであるとかの、そういった感情は見ることは出来た。しかし笑顔を見ることは出来ていなかったのだ。
それが最近、笑うようになった。
何か彼女の中で変化が起きたのか。
もしくは、彼女の中で何か踏ん切りが付いたのか。
ゴーレムを殺した時、彼女の中の一線が切れ、狂ったのではないかと不安にもなった。だが、どうにもそういう訳ではないらしい。ならばきっと、その身体にふさわしい感情が生まれただけだろう。
それは不思議と、心から喜ばしいと思えた。
「…この人が魔物と共存しようとした人、か。
もし私たちが邪魔しなければ、本当に出来てたのかな」
首の飛んだ死体を見て、竜の少女が話す。
ぽつりと質問をする様子に、答えを考える。
少し間を置き、答えを彼女へ。
「さあな。俺にはわからんが、ただ…」
「ただ?」
「…ヒト以外の考える『愛』と、ヒトの考える『愛』は、根本的に別物だ。成功にせよ失敗にせよ、いつか破綻はしていただろうよ」
「…そんなものかな」
「そんなものだ」
話しながら、小屋を背にする。
背中に、よたよたと歩く音。その歩調はいつもより数倍頼りなく、ただでさえ倒れそうな彼女が一層、貧弱に見えた。
魔物を懐柔する男を殺せ。
最寄りの村で受けた、依頼だった。それをすれば、路銀と軒を貸してやると言われ、ただ、そうしてきた。
「さて…疲れて居ないか、クシー。無理をするなよ」
「ぜんぜん、大丈夫」
「そうか。ここ数日寝ずに歩いたが…流石は竜か」
ゴーレムを殺し、街を燃やし尽くした話は直ぐに広まった。疲れ果て、戦った後に追手と戦う事は、あまりにも無謀。
何より、ニコが来たら間違いなく全滅だ。
故に、寝ずの移動をした。
時には馬を奪い、使い潰すまで走り。
時にはクシーが翼のみを展開し飛び。
何とか、追手を撒く事が出来た。
「…いい加減に、俺も限界に近い。
だから、貴様もゆっくりと休むといい」
通ってきた道のりを回想しながら話す。
…返事が無い。
付いてくる足音も無い事に、そこで気付く。
「クシー?」
振り返り、名前を呼ぶ。
返事は無い。
代わりに、前のめりに倒れた少女の姿があった。
灰色の髪、片腕の無い、痩せこけた少女の。
「…何が、『大丈夫』だ。
言ったことではない…ッ!」
少女を抱えねば。背だと剣が邪魔をする。
仕方がなく、保父のように、前に持ち担ぐ。
その重さは、霧のように頼りのないものだった。
(……軽いな)
その重さに、ただ、目を瞑った。
…
……
ぱちり、と目を覚ますその様子は、人の姿でありながら、人よりもどちらかというと蛇などのそれに近いようだった。
横倒れのままに、ぎょろりと周りを見渡して。
「目が覚めたか?」
覚醒したクシーが、声を掛けた俺に目を向ける。
その目には、まずいことをしてしまった、とでも言いたげなような、卑屈そうな、びくついた光があった。
「…ごめんなさい」
「何を謝る」
「倒れて、迷惑を掛けた。イドはもっと、もっと殺さなきゃいけないのに、なのに私が足を引っ張って」
「…まだ意識が朦朧としてるようだな。
横になっていろ」
立ち上がらんとした頭を、出来るだけそっと抑える。そうして、できるだけ力を入れずそのまま撫でる。下手とは言わせないように。
何か言うことはなかったが、そのまま立ちあがろうという力が抜けていく様子を感じると、今度は上手くいったようだ。
「……う…」
「落ち着いたか?」
「…うん。ここは、さっきの村?」
「いや。あの後、貴様を担いで少し歩いた。
少しでも信頼の置ける場所がいいと思ってな。
…倒れた理由は、曰く、過労と心労だとさ」
「過労?…あんな、くらいで?そんな…」
竜の身体であるならば、この程度、どうということは無かったのだろう。だが、人の姿であったが故に、その、彼女にとってはくだらないレベルの疲れにその身を蝕まれ倒れたのだ。
枕の横で果実を剥く。クシーが食べるかどうかは知らないが、折角置いていかれたのだから、剥くくらいはしてやろう。
「二度と心配をさせるな。二度と、だ」
「…ごめん」
「疲れなら、言え。こちらからも疲れてないか幾度も聞いただろう。言えば休みを取ったとも。…それとも貴様にとって俺は、少しでも止まれば貴様をそのまま置いていくような人間だったか」
「違っ…」
「…そう、だったのだろうな。
だから貴様はこうした無茶をしたのだから」
自省と後悔を込め、そう言う。クシーは、責められていると思っているのか。ただ俯いて、悲しそうな顔をしていた。
空間にどんよりとした空気が漂う。
それは俺としても本意では無かった。
「…そんなつもりじゃなかった。ごめん」
「良い。…いや違う。これについては、俺が悪い。
俺が、無闇に威圧をしてしまっていた事。
人の姿に慣れていない貴様への配慮の欠陥だ」
皿に乗せた果実をすいと前に差し出す。
彼女はそれを受け取り、しかし皿上のものは口にしない。
そしてこの時に。
俺は余計な事を思ったのだ。
そんな事思うべきでは無かった。
契約がそんな事を思わせたのか?
今となっては分からない。
だけど俺は、こう言ったのだ。
「…ふむ。今日、明日はもう移動しない。
代わりにゆっくりと、話をしよう」
「話?」
「ああ、話だ。他愛の無い話でいい。
少しでいい、貴様の事を教えてくれ。
代わりに、俺の事を教えてやろう」
「…思えば俺たちは、互いの事を全く知らんのだ」
………ああ、これだ。
思えばこれが俺の、不仕合わせの最初だった。
これが無ければ、俺はただ何も知らずに居られた。
こうしなければ、俺はお前を知らないで良かったのだから。
…
……
「さあ、なんでも質問してみろ。
俺が答えられる事ならば答えてやる」
「なんでも…本当に?」
「ああ。…ただ、無制限に答えるというのもつまらんな。
1つだけ、にしよう」
「……ケチ」
「そう言うな。これから先、度々機会はやる」
「本当に?じゃあ」
そこまで言い、一瞬静かに、黙る。
ただそれは、彼女の中で悩んでいるというよりは、なんと質問をしたら簡潔に伝わるかということを考えているように見えた。
数秒の後、意を決したように口を開く。
奴は、こう言った。
「じゃあ。
…イドの顔って、どうなってるの?見せて」
それを聞き、呆れるような気持ちになる。
もっと他にあったのではないか。
そんなどうでも良い事で、いいのかと。
思い、実際にそう聞いた。
「それが、気になるの。
いつも何かで隠してるじゃない。見せて」
「ふむ…拒否はしないし、この開示が俺に不利益を与えるなぞという事も無いが…秘密と云うわけでは無く、本当に、ただ見せるようなものでないから隠してるだけだぞ。それでも良いのか?」
「早く」
…そうまで口早に言われれば断る必要も無い。俺はただ、出来るだけ大仰に、期待を裏切らないようにゆっくりと兜を外した。
期待に満ちていた彼女の目が、だんだんと訝しむような物になっていった事をよく覚えている。
「…『それ』は、なんでそうなったの?」
「昔の仕事での古傷だ。こっち側の耳や目は殆ど機能しないが、もう片方ずつがあるから、生きるには苦労せん。
ただ見た目は悪い為、こうして隠している訳だ」
「へえ。戦う時に目とか片方無いのって難しいんじゃ?」
「難しいには難しいが、なんとかなる。
見えないからこそ見えてくるものというのもあるのだ」
「?なにそれ。…まあいいや。
そんな傷を受けた、『前の仕事』って?」
「それから先はまた、別の質問だな。
今回はここまでだ」
「……」
「…何だその目は」
「…べつに」
明らかに不満そうな目付きを隠そうともせず、ただそれに拘泥するわけでも無く、クシーが諦めるような声をあげる。
「しかし、本当にこんなものでいいのか。
もう答えておいてなんだが…つまらん答えだろう」
「いい。
だってこれから先も、一緒に居るんでしょ」
「そうだな」
「なら、これから幾らでも知っていけるから」
「…そうかもしれんな」
これからを期待するような、それでいて希望を見据えてはいないような。そんな彼女の虚ろな目を見つめ返す。縦に光る金色の瞳孔は、その奥に人らしからぬ獰猛性と、智慧を感じさせた。
それに、ぞっとするような心地がした。
「代わりと言ってはなんだが。
俺からも一つ、質問をしてもいいか?」
ぞっと、背が震え。それでも、その目に酔いしれたのかもしれない。だからそうして、そんな事を聞いた。
彼女は無言のまま、こくりと頷き許可を出す。
「感謝する。
…貴様は、きっとこれまで何百年も生きてきただろう。きっと、俺が予想してるよりも遥かに長い時を」
「…私はまだ子どもだけれど。
でも人から見たら、そうだと思う」
「だろうな。そしてその間、幾らでも世界を憎む事があったはずだ。他の種族を、生き物を、魔物を、愚かな人間を」
「うん。有った」
「お前は、その憎悪を、どうやって収めた。
参考にまでに聞かせてほしい」
そう聞くと、クシーは一瞬ぽかんとこちらを眺め。
くす、くす。
そして、嘲るように嗤った。それはその質問をした俺よりもきっと、嗤う自分自身をこけにしたもの。
「イドも、そんな勘違いするんだね」
「勘違い?」
「うん。私は諦めただけ。
憎むことも、好きになろうとする事も、滅ぼす事も。全部から全部、ただ逃げて見なかったことにしただけだから。だから憎しみを収めてなんか居ないし、そもそも立ち向かってなんかない。イドみたいに」
「……そう、か」
「…だから、私は参考にはならない。イドは、そんな事はしないと思う。何かから逃げるようなことは」
「………」
くすくす。
「…ううん。『逃げれない』んでしょ」
びきり。
その一言を聞いた途端に脳の中で、そんな音が聞こえた気がして。はっと正気に戻る時には、この腕は少女の細首を絞め上げていた。
慌て、その手を離す。力の篭ったその腕は、死後の硬直をしたように、絞めた手の形を崩そうとしなかった。
「…か、げぇ、げほッ、げほッ…」
「……すまない、大丈夫か。
…こんなことを、するつもりでは」
「…う、ふふ。大丈夫。
私は死なないんだもの。死ねないから」
寝台に座り直し、息を整えるクシー。
そうしてから、彼女はまた無表情に戻る。
さっきまでの笑顔は、消えてしまった。
「…怒らせてごめん。
今の言葉は、イドを褒めたつもりだった」
「…」
「想いやウラミから逃げれないまま、この世界を燃やし尽くさないと気が済まない。心根は優しいのに、それすら無くして何かを殺さないと気が済まない」
「…そういう姿を、私は綺麗だと思ったから」
クシーに、手を伸ばす。
びくりと彼女は身体を震わせたが、それに構わず、ただ頭を撫でる。力が上手く入らない。身体が、思うように動かなかったが。
「…まだ、疲れて錯乱しているのだ。貴様は。
もう少し寝て休むと良い」
そう呟くと、クシーは素直に頷いて、またうとうとと目を閉じ始める。その姿は、間違ってもさっきのような事を言い放つ姿には見えない。ただの、見窄らしい少女だった。
「俺は、見張りをしてくる。
万が一にも奴らが来ないようにな」
そう、自分に言い訳をするように建屋の外に出る。
外はいつの間にやら、すっかりと暗かった。
その暗がりの中で、独りごちる。
「……綺麗だと。優しい、だと」
クシーは俺を綺麗だと言った。
それは、俺が計画していた彼女の好感そのもの。好感と愛を利用し、協力をしてもらうというそれにおいて、何も問題は無かった。
だから、問題は俺の方にある。
奴の発言にぞっと、胸が高鳴った。
怒り。悲しみ。殺意。
どれでもあって、どれとも違う。
これはなんなのか。
これも、契約の影響なのか?
ただわからない。
分かってはならないもののようにすら思えた。
邪念を晴らすように空を見た。
そこには二つの月がまた、煌々と光を照らしていた。
殺。
殺殺殺
殺殺殺殺殺。
月を眺める度に、思考が埋め尽くされる。
そう、なるたびに思うのだ。
二度と俺は、この復讐を止めることは出来ないのだと。
どれだけ罪だと解ろうと。
どれだけ罪人になろうとも。
それでも殺し尽くしても、まだ足りないのだと。
そうだ、俺は、罪深い人間でなくばならない。
罪と罰の、帳尻を合わせなければならない。
殺してきたモノに。既に課された罰に。
全てに、報いる為に。
俺が、俺自身であるために。
それを、綺麗だと?
クシー。
貴様は何を言ったんだ。
何を見て、それをそうだと言った。
「ハハ…ッ」
「ハハ、ハハハハハッ!」
胸にある気持ちがわからないまま笑う。
奔流が、胸を、喉を、口腔を。
全てを焼き尽くすように、溢れ出して笑う。
感情が、全てが、ただ傷口から膿が溢れるように。
幾らそうしようとも、その感情は消えはしなかった。
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