不死を殺す
ゴーレム。
それは、不死の怪物。幾ら崩そうとその身を戻し、立ち上がる難攻不落の魔物。泥の人形にして、無敵の生物。
不死者としての冠を得る、伝説の上の怪物。
それが現実に居ると云う事など、普通なら、ただ誇大妄想の狂人としか思われない。
だけどここにドラゴンが。
…私がいる今となっては、それは最早、一笑に付されるようなものではない。
皮が剥がれて、鋳造された鎧を見る。
生皮を剥がれ、新しい皮を生み出して。
そのまま、ずっと。
死ぬ事が出来ないまま、同じ苦痛を。この街の衛兵全部に。この街の人間全てに、産業にさせられ、他の街の人にも。その分、ずっとずっと。
それを見てると、だんだん気持ち悪くなってきて。
げええ。
朝イドから渡された朝ご飯を、モドしてしまった。ただでさえまずかった携帯食糧の吐瀉は、最悪の味だった。
「…見ていて気持ちの良いものでは無かったか。すまない」
「殺そう」
「…」
「早く、殺そう。
ゴーレムも、ここの人間もぜんぶ」
だから、心の底からそう思って。
私はただイドに言った。
それに、一瞬呆けたような合間が有って。
「は。ハハハ。
良い面じゃないか。その顔の貴様は、好きだぞ」
彼はそう言って、笑った。
あくまで嬉しそうに、私の変化を喜ぶように。
「…うるさい」
かあっと、熱くなる。それは怒りかもしれないし、恥じらいかもしれない。何かは分からないままだ。ただ、最後に言われた言葉で一番熱くなった事は覚えている。
「安心しろ。貴様が言わなくても、そうするつもりだ。貴様が、不死の輩を殺す事に忌避を覚えるかと思っていたが…杞憂だったようだ」
そうして、そっと。
イドの手が私の片方しか無い手を取る。
それはいつも撫でるような乱雑な、手慣れていないものじゃなくて、優しくて、私を気遣うような。
私を丁重に扱うようなものだった。
そうしてまた、跪く。
「さあ、素晴らしき我が伴侶よ。
その翼を俺の為に使わせておくれ」
膝をつき、そう言う姿にまた心が熱くなって。
ぞくぞくと、恐れや不安、悪寒じゃない何かが背中を走っていったのだと思う。私の中にすら無いはずの、言葉が唇から迸る。
イドの、この人の言葉を受けて。
口が、震えながら勝手に動いていく。
「ええ、言われなくても。私の騎士」
瞬間に、契約の印が、赫く輝いた。
心臓が激しく鼓動を初める。それは私だけではなく、イドにも同時になった変化のようで、互いにその昂揚を受け止めていた。
喪った薬指に描いてある紋章が一つ、輪の数を増やす。契約が進行した音。更に、後戻りが出来なくなった証。
それを見て、私は…
「…クク。行こうか、クシー。
今の貴様と俺は、誰にも負けん」
珍しく平静を失ったような様子でイドが話す。
そうだ。それを見て。
更に進んだ契約と、嬉しそうな貴方を見て。
そうだ。私も嬉しかったんだ。
貴方が喜ぶ姿。殺戮の効率を高めた姿。
でも、そしてそれよりもさらに。
心に、何か嫌な気持ちが溜まっていた。
『…ええ、行きましょう、イド。
この醜い者たちを、早く視界から失くしたいから』
身体から魔術の神秘が溶ける音。
擬態していたヒトの体が消える音。
翼の感覚を思い出す。爪と牙の厚さを、喉に逆流する焔の熱を。そして、縦にぎらつく瞳孔が見せる、世界の醜さを。
竜の姿に戻った私は、騎士にこうべを垂れた。
恐ろしい、我が伴侶に。
貴方になら、背中に乗られても良い。
そう思えたから。
さあ。今から私の翼は貴方のもの。
…
……
「なんだ…なんだこれは!」
「嫌だ!せめて戦って死にたい!こんな、こん…」
「嘘だ嘘だ、こんなのあり得る筈が無ぎぁっ」
燃える。全てが燃えていく。私の焔に。
燃え失せていく。彼の憎悪の炎に。
灰になっていく。私たちの、怨讐に。
幾ら硬い鎧であっても、炎の前には関係が無い。幾ら固い装甲であっても、隙間に刺されば変わりは無い。
背に居るイドが、まだ生きている相手に何かを投げている感覚を感じた。取りこぼした死に損ないを、殺している音。
青空を飛んで、清々しい気持ちになった。
ああ、きれいだ。
この世の中は、醜い。
私はただ、死ねたのなら良かった。
それは本当にそう思っていた筈。ただ、この生まれてきた命が亡くなるならば、何に手を貸そうと、世界がどうなろうと、契約などどうなろうとも、知ったことは無かった。
だから、何も考えずに殺せた。
だから、何も思わず貴方に着いていった。
だから、私は今、此処に居る。
本当に、全てがどうでも良かったのだ。世界の事も、私の事も、貴方の事も。何が起きてどのような苦痛があっても、ただ死ぬ事が出来るならば、それでいいと思っていた。
でも、契約の深化の瞬間に分かってしまった。
分からざるを得なかった。
いや、きっと、心の底ではもう分かっていた。
私にとってはそれらは、もうどうでも良くないのだ。
それはいつからの事だろう。
死んでいく魔物の屍体をこの手で作った時か。
数百年ぶりに人の姿を借りる魔術を用いた時か。
生物の営みを侮辱するような産業を見た時か。
世界を憎む男の、憎悪を感じ取った時だろうか。
この世が、汚いものだと思うようになった。
無関心だけがあった世界が、醜く見えるようになった時。その中で唯一ただ、貴方だけが綺麗に見えた。
薄汚く、執念を持ち、ヒトのどうしようもなく短い命を無意味な復讐に用いるその姿。その、背中の。
ああ、なんと気高く。
愚かしく無様な事か。
私は、この醜い世界が嫌だ。
最早無関心ではなく、そう思った。
そして私は、綺麗なものがいい。
無様で愚かで情けなく。それでも迷い無く地獄に歩を進めるあの姿こそが、綺麗と信じた。ただそれだけが、美しいと信じた。
愚かな人を、この翼で支えたいと。
そう思ったんだ。
…
……
「この先に、『工場』があるようだ」
イドは、今や動かなくなった『情報源』を手から捨てながら私に話しかける。背中の剣を抜き放ち、また人の姿になった私に、ゆっくりと。
工場。つまり、そういうことだろう。
その、素材を取って加工しているところ。
ゴーレムの皮膚を、『採取』する所。
「……嫌ならば、ここで待っていてもいいぞ。
俺が一人で片付けてくる」
「…」
「どうする」
「…付いていく。私も居なきゃいけないと思う」
「そうか。なら来い。
貴様の判断を尊重しよう」
地下に繋がる階段。
重々しく、一歩を踏み締めながら進む。
心が重くなる。臓腑が潰れるようだった。
そっと、そんな私の背中を支えるイド。
見るからに顔色が悪かったのだろうか。
それとも、契約の印が私の不調を知らせたのか。
わからないけれど、それは確かに、嬉しかった。
階段を降りきった、大きな扉。
錆びつき、しかし開けるのは容易い。
幾度も幾度も、開けられていたから。
「…う……」
「…吐くなよ。地下だと匂いが籠る」
「…うるさい。もう大丈夫」
開けた先の光景は、ひどいものだった。
四肢のみでは、暴れた時に取れてしまうから。厳重に、厳重に身体に釘を刺して。
磔にしたその身体には、折々の『削る』道具が付いていて。削ぎ取れて腐りかけた紫色の肉が、まだ死ぬことを許さず、腐敗と傷を治し始めていた。全身で、肌が全て取れた身体中で。
これが、ゴーレムの姿か。
本当に、私が知っている、あの?
死なず、崩れず、倒されず。
それを体現した不死者の、末路がこれか。
「……」
「やはり、来ない方が良かったか」
「…いや。来てよかった。
これを見なかったら、後悔してたと思う」
「そうか」
これを、この目で見なければ、後悔していただろう。私の記憶に残る石の英雄が、私の憧憬だった種族が、ただヒトにこうなっている事を。そして、一歩間違えれば私もこうなっていたのかもしれない事。
そして、何より。
「ねえ。
この子も魔術を使って、私みたいになれないかな」
魔術。ここでは、一つのものだけを言う。それは今、私がヒトの姿に擬態している、これ。
不死の魔物が、世界に忘れ去られていく事だけを恐れて作り出した魔。
「それは無理だろう。
…こいつはもう、壊れてしまっている」
「……だよね」
「ああ。俺たちが出来ることは一つ。
介錯をしてやる事だけだ」
そう呟き、引き抜かれていた大剣。
その周囲に、青黒い炎がちりちりと燃え始める。
熱は感じない。燃え移る事も無い。ただ有るのは、蝕むような、全身が粟立つような光だけだ。
(…そうだ。そして、何より)
「だめ」
その、剣を持つ手を、抑えた。
そんなもの、簡単に跳ね除ける事が出来るだろうイドは、ただそのままに武器を置いて、こちらを見た。
「…何故、止める?」
心に、嫌な気持ちが溜まっていた。
ゴーレムの話を聞いてから。
全てを焼いている時にも、貴方が喜んでる時にも。
ずっと消えない、重々しいものがあった。
ヒトの姿の時も、竜の姿に戻った時も。
どうしてそうなっているかも、自分には分からなかった。
それが、今になって分かった。
この気持ちの、正体が分かった。
「私は、貴方に殺される」
「そうだな」
「貴方は、私を殺す契約を結んだ」
「そうだ」
「だから。
貴方が殺す最初の不死は、私じゃなきゃダメ」
……私以外の不死が、貴方に殺される事。
それが嫌で嫌で、堪らなかった。
貴方に、殺されたい。
この穢れた世界でなく。
この目の前の不死者のようでなく。
綺麗だと思った、貴方に殺されたい。
そう思った。
だから、貴方を支えよう。
その無謀と無様を、私の翼と炎と牙が守る。
そして、だから。
その貴方が殺すのは、私以外有ってはならない。
そうあっては、いけない。
私以外がイドに殺されるなんて、あってはいけない。
「なら、どうする。
この石くれを放っておくか?
壊れた、ただの屍を、殺さないままに」
その問いへの答えも、もう有った。
それはこの鬱々とした思いが新しく編み出したのか、数百年の惰眠の内に忘却していたものなのかは分からない。
「私が、ちゃんと殺す」
それだけを言い、私は身体を竜に変える。
ヒトの姿から、頭部と腕を。
牙と爪を、突き立てられるように。
「…『共喰い』か」
やはり、イドは知っていたようだった。
不死を殺す、たった一つの方法が在る。
それが、共喰い。竜が竜をその血を喰らう時。スライムがオーガを取り込む時だけ。マンドレイクがグリフォンを呪い殺す時だけ。不死はその身を死に横たえる。理屈も理由も解らない。ただ、事実だけがそこにある。同じ不死を殺そうなどという罪こそが、そうせしめているのかもしれない。
『……ぐあ…っ…!』
私は牙で、目の前の磔を噛み砕く。その鉄壁の皮膚が無いそいつは、驚くほど柔かった。その事実が、反吐を吐きそうな程気持ち悪かった。
血飛沫が散る。頭部を噛み砕き、呑む。吐き出しそうになりながら、無理やり呑み込んだ。
四肢を千切り、地面に叩きつけられた死体は、もう二度と再生する事は無かった。もう、苦痛に苛まれる事も無い。
はっ、はっ。
息を切らしながら、姿を戻す。
「………これなら、いいよね」
「ああ、良いとも。まさか、貴様がここまでやれるとはな。嬉しい誤算だよ、クシー」
「…ありがとう。
私も、ここまで出来るとは思わなかった」
そうだ。これをさせてくれたのは、貴方だ。
「ああ。
俺は、貴様を誇りに思おう」
貴方がそう、私を撫でる。
その下手くそなそれは、いつにも増して。
─さあ。次は何処に行く?
次は何を殺しに行けばいいだろうか。
貴方の思う場所に行こう。
貴方がやりたい事をしよう。
私の翼は、その為に使うから。
「…さて、この街にもう用は無い。
貴様が疲れていないなら、先に行こうか」
「うん、いいよ。早く、次に行こう」
だから、貴方の剣も。
ぜんぶ私の為に使え。
私の為だけに、使え。
それがきっと、私の思う全てだから。
血錆塗れの籠手が、私の手を掴む。
それをただ強く、強く握り返した。
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