罅割




夜半の月明かりでのみ照らされてあるだけで白銀を放つそれは、どのような装飾を施せばそうなるのだろう。ただ僅かな光であろうと逃さぬ、輝きを集め、一所に。全ての美しさをその居に集めるような、途轍もない美。


美しく、壮大で、荘厳で華麗。

過剰なほどの礼賛が過剰で無くなるほどの物。

ああ、これが人の王が住まう場所。


魔性のような美麗が、その都にはあった。



初めて、それを見て。

少女の竜は顔を顰める。



「すごく、綺麗」



「ああ、だろう。

…だが、とてもそう感じたとは思えぬ顔だな」



「…うん。これは、全部、都合の悪いものを外に出して、押し付けて。周りのぜんぶの良いところを奪って、奪って作った綺麗さ」


「それならそれで、私はいいと思う。

汚いものは他に押しつけて、きれいを求め続けるのもまた、生き物として当然だと思うから」

 



終いには、その美麗から目を逸らしながら、クシーは続ける。擁護のような言い分をしながらも、顔は渋く、嫌悪すら浮かべている。




「だからこれは、私の感性の問題。

ただ、気持ち悪い」



「そうか」



ぐ、と繋いだ手に力が篭る事を感じる。握り潰されかねないほどのそれに痛みを感じながら、そっと奥底で微笑む。

微笑んだは騎士か、竜か。

或いはそのどちらもだったかもしれない。



「俺も、そう思うよ。

此処は美しい。だからこそ、俺は許せんのだ」



─こんな場所を。

少しでも美しく思ってしまった全てが。








……





王都に入り込み、まず二人がした事は地理の理解。

出来るだけ見つかり難い場所。何処からならば何を攻め壊し易いか。どうあれば逃げ易いか。どのように戦いを進めていくか。


中心に高々と聳える本城。

そしてその周りに幾つも幾つも小規模な砦と、城。点々と、幾何学模様じみて置かれたそれらはまさしく王を守る騎士のようで。





「まだ気付かれてない今のうちに、私が全部燃やしたら片がついたりしないかな」



「ふむ…そうだな。それは確かに、最も相手方に犠牲を出すことが出来る策かもしれないが、目的を達せられるかと云うとまた別だな」



「?」



「王都には、魔物と不死者との戦いに慣れている者が多い。不意打ちで最大火力をぶつける事は多くの場合最適解なのだが…こと、ここ王都に於いてはそれは次善策となりかねん」



その、妙に曖昧な答えに疑問符だけが浮かんできたが、イドの発言を何度か反芻して、噛み砕き、なんとか理解をした。



「えっと…闇雲に攻撃して、それが上手く行ったならいいけど、もし上手くいかなかったら対策されて意味がなくなっちゃう…ってこと?」



「ああ、そういう事だ。

王城を燃やしそれで全てが終わるなら万々歳だが…そうはならないだろうし、それで我らの存在を露見させることは些か危険すぎる」



曰く、本城の周りに城が幾つもある事は、それこそそういった『災害』への対策なのだと言う。点在させ、重大なものを定期的に移転。また、そもそもを情報、財家、それら全てを分散して置く事により、どれかの城が崩れようとも戻すことができるようになっているのだと。


どれかの城を焼く内に、他城では迎撃の準備が成り立つ。そうできるような構造であるからこそ、人という種族は死なずの怪物に負けず、繁栄を続けてこれたのだと。



「私、あまり役に立たない?」



「いや、あくまで『切り札』としての運用になると云うことだ。これまでのように軽々しく切れはしないというだけでな」



「なるほど。ククク」



ぎょっと、イドが少女の顔を凝視する。

そうまで驚くと思っていなかったクシーはその反応に驚き、互いに無言で見つめ合う時間が出来た。



「…イドの笑い方の真似、してみたの。どう?」


「…どう、と言われてもな」





…その日は、そのまま隠れ家にて終わる。

日が登り始め、簡易的な寝床で睡眠を取った。

夕暮れから行動を再開しようと、話し。




(そういえば)



寝床の中一人、クシーがふと脳裏に思う。



(『さあ、なんでも質問してみろ。

俺が答えられる事ならば答えてやる』)



あの日、世界樹の街での彼の言葉。彼のことを知る為の質問を、あの時以降、そんな暇がなくてすっかりしていなかったこと。そもそも、忘れていた事を思い出す。

色々と、聞かねばならない事もあるだろう。


彼の復讐の相手とは誰なのか。

彼は、何を生業としていたのか。

……以前の町にて刺客として来た女の、元となった『大事な人』とは、誰のことなのか。




次に彼と会えたら、それを聞こうと思った。



寝床をこっそりと抜け出す。


イドは、珍しく熟睡している。いつもは野生動物のように浅い眠りしか取っていない彼がそう疲れを取る事は、とても貴重で、覚ますべきではない。少なくともクシーはそう思った。


だからその気配に気付いたのは、竜のみ。


獣臭。

恐ろしく張り詰めた、それでいてどこか軽薄な。

それは、弱い者であると擬態するためだけに出している軽薄さであるようにすら、感じた。



隠れ家を、一歩出る。

深呼吸をして、腕に怪力を込めた。

目を閉じて、もう一度息をする。


…その、気配に近付いた。




「よお!」




そこには、待っていたと言わんばかりに白鎧の騎士が、軽薄な笑みを浮かべて立って居た。




ぎりと、死神を睨む。









……






「……何の用」



「お。会って早々襲い掛かってくるかと思ってたけど、意外と理性的なんだな竜のお嬢さん。よかったよかった」



ニコは微笑みながら、空いた掌を上向きに、両手を差し出す。殊更に、敵意が無いことを示すように。そうしながら、これ以上寄るなら殺すと云うような距離は残している。それが、矛盾しているようで気味が悪かった。



「警戒するのは最もだけどさ、別に君らを殺しに来たわけじゃないんだ。少なくとも、今日は」



「何の用か、聞いてるッ!」



「あ、ごめんごめん。

嬢ちゃん、初めてこの町に来て、すぐだろ?」


「もしよかったら、俺が案内するよ。

んで案内がてら、少しだけ話さねえかい」




眉を顰めて、男の顔を見る。

耳で、肌で、鼻で。全ての感覚を使ってこの男を推し測ろうとする。何も読み取れない。微笑み、困ったように首を掻き、手を差し伸べておきながら、この男からは何も感情の揺らぎを読み取れない。


これは、罠であると考えるべきだろう。

当然だ。竜と、騎士を離す為の虚偽。




「……分かった。行く」



「だよなーやっぱり信用できないよな、それは仕方…

…って、えっ、良いの!?マジか、サンキュ!」




だからこそ、クシーはその提案を首肯した。そうして、こいつをイドから遠ざけることが出来たならば、それはそれで良いと考えた。

何より、この時間、周りに人は居ない。

ならば、闘うことも出来る。

勝つことが出来ずとも、逃げる事は出来るだろうと。




そうして、街の散策が始まった。

少女と、白い騎士の、奇妙な散策。


夜は、怪物の時間。

怪物の二匹が、ゆっくりと歩いていく。







……





「…やー、わかってくれないかな。前さ、イドに『今度会ったときには死ぬまでやり合おう』なんて言った手前、あっごめん今はナシ!って逢うなんて恥ずかしくってさ」



「知るか」



「あ、そう。ひどいなあ。

まあ、だからキミにだけ気付いて欲しかったんだ。

質問の答えはこれでいいかな、お嬢さん?」



「…答えは、いい。

だけど、私はお嬢さんなんかじゃない。

彼が付けてくれた名前がある」





いつ、仕掛けてくるか。

警戒を緩めないままで、散策を続けた。

だが本当に、ニコは仕掛ける様子が無い。


だから、何故此処にまで来た。

何故、敢えて私だけを呼んだ。

クシーはそう質問した。


白い騎士はそれに笑顔のまま答え続ける。




「んで、来た理由だっけ?

簡単なことだよ。俺は、君らが好きなんだ。

だから逢いに来たってだけ」


「…あいつは俺のことを殺したいほど恨んでるだろうけどさ。俺はあいつのことを弟みたいに思ってる」




ぴくり、とクシーが眼輪筋を動かす。

初めてこの男の感情の揺らぎを感じた。

それは悲しみによる、心の揺れ。

憎まれている事が、悲しいのか。



「竜のお嬢さんについても、ホントはちょっと前まではウザく思ってたんだ。キミが居て、イドがどんどん甘くなってくみたいだから、勿体ないと思ったし…」



「キミが死んだらイドは前までみたいに戻るかなって」





臨戦態勢。

放たれた殺気が竜の心臓に届きその手足を萎縮させる前にクシーは身体を動かし、武器を造り構え、歯を食い縛っていた。汗が全身に滾り、臓腑が爆発しそうに、高まる。


それを見たニコから、すっと殺気が消える。

代わりに、嬉しそうな笑み。それは、それまでのような見た目だけのものでなく、心の底からの笑顔だった。




「…って、ちょっと前までは思ってた。はは、ごめんごめん、そんな警戒しないでよ。冗談のつもりだったんだけど」


「むしろ、今は逆。俺ぁキミのおかげであいつがもっと良くなってくれるんじゃないかって期待してるんだ」



「……良く?」



「あいつ、キミのことをほんっと大事に思ってるみたいだ。キミらは、共にいるほどに強く、強固になってく。

そんな所を見て、俺はすっかり、イドだけじゃなくて、お嬢さんとイドの二人を、一緒に好きになっちまったんだ」




どこから、どうやって。その様子を見たのだろう。

そんな様子を見る時間が何処にあったのだろう。もしかするなら、先の街、彼にはとっくに位置がバレていたのではないだろうか。


ぞっと、背中が粟立つようだった。



人知れず青ざめる竜をどう思ったか、足を止めながらも、ニコが話を続ける。

足を止める理由は、どうと云う事は無い。イドとクシーの隠れ家。その目の前に、街の散策を終えて再び戻ってきたからだ。




「しっかしまさか、あいつがこうまできみを大切に扱うとはなぁ。しみじみするよ。その『名前』を付けるくらいだ、よっぽどだと思う」




クシーが、足を止める。

理由は、目の前に自分達の隠れ家があるから。


そして、今の言葉の意味が、分からなかったから。




「……今のは、どういうこと?」



「ん?ああいや、ほら。

クシーって、その名前をつけるくらいだもん。

よっぽどイドにとって君は大切な存ざ…」



「………どういうこと?」




クシー、という名前。

それに一体何の意味があるというのか。

その名が付けられることは、即ち大切になるのか。

何故それを、この男は知っている?

惑わす為だけの、虚言か?


そう疑いながらも、竜は聞かずにはいられなかった。

身体が警鐘を鳴らす。聞くべきではないと。




「あれ知らない?

キミの名前、クシーって名前の由来」



「それ、イドの昔の恋人の名前だよ」





……。


………





……は?





「…あっやべっ…

もしかしてこれ言っちゃいけなかっ…」




そう言って、さっと青ざめて口を抑えるニコ。

竜にその感情は、読み取れない。

それは男の感情が動いていないからではなく、それ以上に、竜自身の感情が乱れ、乱れて、まともに観察出来なかったから。



「いや、違くて。いやほら、これはなんていうか…冗談冗談!小粋なジョークだって!さっきもだけど俺冗談へったくそでさ!その、一つだと思って…」




みしみし、べきべき。

身体が変化していく。

可憐な少女の姿が、竜の体へと。




「…くだらない、嘘を…」



ただ、いつもとは違う。それは、白銀の美しき竜の姿への変化では無く、凶々しく、瘡蓋のように赤く濁った色の竜の腕。恐ろしく、爆発した力がそのまま形を固めたような、不均衡な竜体。




「…吐くなァッ!!」




破壊。

撲滅が撒き散らされる。

赤黒い、暴走した竜の腕が四方八方に振り回され、床の石畳、目の前にある建物、土そのもの、全てが抉り取れて消えていく。

粉砕という言葉でも足りないほど、細かく壊される。




「…殺す、殺すッ!絶対に殺してやるッ!」



周囲の全てを焼き壊さんとする。

口から出ていた筈の熱息は、今や全身から放たれんとしている。壊す、殺す。なんでもいい、あの男を殺してやる。逃げ回るあの男を、未だ無傷の奴をどんな姿になろうとも。どれだけ身体が、軋み、激痛を蝕もうと!





「…クシー、クシーなのか!?」



…その声に竜はびくり、と破壊の手を止める。

そこで初めて、クシーは自分の身体を見渡した。


ぐちゃぐちゃに崩れかけた身体。

赤く、気持ちの悪い色をした竜の体。

ぐつぐつと湧き上がる溶鉄が、害意を持って動き出したかのような醜い姿になっている事に、ようやく気付いた。


姿を恥いるように、身体が収縮しはじめる。




「…ハッ、はっ…はぁっ…!」



…徐々に、少女の姿に、戻り。

頭を抑え、ぼろぼろと泣きじゃくるクシー。

過呼吸となり、息が激しく前後する。


それを抱き止めるように、血鯖の騎士が横に座る。


イドは何も聞きはしなかった。代わりに、いつものように彼女を撫でる。ゆっくりと、少女が息を整えるまで、そっと寄り添った。


最後に虚な目で周囲を見るが、ニコの姿は何処にも無い。





「…大丈夫か、『クシー』」


「……ッ、…ごめん、なさい」



謝る必要などない、と慈しむ男の姿。

イドは、疲れの残る顔で、強く少女を抱きしめた。

そっと、優しく。静かに。



ただ、竜にはその名前を呼ぶ声が。

いつもよりも、遠くに聞こえた。










……






あの男は。


ニコは、知らない。

そのクシーと云う名前は、イドが私を大切に思ってくれる、その前に付けられたこと。


ニコは、知らない。

イドが、私をまだ、ただの兵器として見做していた時に付けた名前だと言うこと。




私は、知らない。

彼がどうしてあの時にその名前を付けたのか。


私は、知るのが怖い。

何故私に、クシーという名前を付けたのか。その名前の由来を、私がもし質問したらあなたはちゃんと答えてくれたのだろうか。




…ただ、暴力装置として見られているなら良かった。


貴方の愛が、貴方が向けてくれるそれだけが私を形作ってくれたのだ。例え、それが利用の為だとわかっていても。その愛が、私の力を自由に使用するための、鎖だとわかっていても、それでも幸せだった。


私を見てくれるなら、それだけで幸せだった。

私を見て、私を愛してくれるなら嬉しかった。

私を、この哀れな竜を愛してくれるなら。



だのに、それなのに。

だったのに。

なのに。



ねえ、教えてよイド。

なんで私に、『クシー』を名付けたの。

なんで私にその名前を付けたの?

私はその恋人に、似ていたの?

私を『クシー』と同様に使おうとしたの?

私は、代用品なの?ねえ。






────ワタシハタダノ代ワリ?






……違う。違う。

絶対に違う。


そうなものか。

そんなものであるものか。


イドが、彼が。

私をそんな目で見ている、ものか。





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