レッド・レイジ
「…………」
「…露骨に、機嫌が悪くなるな。
そうされてもこちらとしてはどうしようもない」
「だって。だってだって、ずるい。
ずるい、ずるいよ。私が会う前にそんなの」
「…それに。【クシー】でもないまた別の人とキスをするなんて節操無し。恋人でもない相手と、そんなことするなんて…」
「…?何の話だ?…クシーが、俺の恋人の名前?
そう、言っていたのか?あいつが?ニコが?」
「…ぷっ。
アハハハ、クハ、はははっ!」
「何。何が、おかしいの?」
「いや、いや。すまない。
あまりにも間抜けで、笑ってしまった。
あいつは、あの人は、そうか。
最後まで理解できてなかったんだな…」
「…??」
「おっと、『契約』から記憶を読み取ろうとするな、無粋だろう。時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり、続きを話そうじゃあないか」
「そう。ゆっくり、ゆっくりとな……」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
件の不死者捜索任務から、また数週間経ち。イドは未だ、あの時の口付けの衝撃から戻っていなかった。
任務はこなす。
ただ目の前の命を刈り取り、スライムのコアを粉砕する時も、マーメイドの喉笛を潰す際もその命から目を逸らさず闘った。逸らす暇も無かったという方が正しいが。
ただ、そういう時以外。
ぼーっと、呆けている時間が明らかに多すぎた。
「……どしたィ、イド。最近様子が変だけどよ」
「…え!あ、ああ!すまない?声をかけたか」
「いや、ホントお前さん、どうにも変だぜ。
遅れてきた思春期かい?なんつってな」
「………」
「…え、マジかよ。
………マジかよ」
定期的に行われる『検診』の際に、そう言った不調があることが判れば、何かしらの不利益を生じる前にと殺処分をされかねない。ましてやまだ実績の少ないイドならば一層である。
それを見かね、ゴイはそれをサポートしてくれた。また一方でナナもまた『アタシに責任あっからさ』と同じように手助けを行なってくれた。
そうして、足を引っ張る事はイドにとっては非常に心苦しく、それでいて自らの内に秘めてある感情の暴走に折り合いが付けれず、それに頼るしかできない自らがどうにも疎ましく思えていた。
そうして日常が続いていこうとしてた頃。
それが崩壊する序曲が流れてきた。
「バンパイア退治だ」
数週間、ずっと姿をくらましていたニコのその発言こそが、序曲だった。ぱきぱきと乾いた血を鎧中にかぶりながら、そしてまたその手入れをしながらそう、最初に言い放った。
その、尋常で無い様子に笑いを浮かべていたナナは笑顔を収め、ゴイもまた日課の図鑑の読書をやめ、イドも急いで。
皆が古ぼけた卓に集まった。
「…まずは、謝っておく。
俺の手落ちだ、すまない。このバンパイアは以前、俺が一人で殺害しに行った個体と同じものだ」
「え、死体とか確認しなかったのアンタ?
って、んなわけないよね」
「ああ。首も等間隔に切り刻み、死体も滅却した。死体も持ち帰投したのだが…どうにもそいつが生きていたようだ。同じような手口で被害を及ぼし。そしてまた…」
「…『あの男を出せ』ってな風に暴れてる、とかかいィ」
「そういう事だ。…俺を知っている個体である以上何かしらの対策を講じてくることは考慮に入れておくべきだろう。故に、レムレス騎士団の全員でそれに対処してもらいたい」
「繰り返すようだが、俺の不手際により危険な任務に巻き込むことになってすまない」
しん、と空間が静まり返った。
全員が全員、感じ取っていた。この男が、ニコがここまで詳細に話し、そしてまた他に助力を頼るという事。それはつまり、この任務が、これまでとは比べ物にならないほどに危険であるということだった。それを感じ取り、静かになったのだ。
それをまず、破ったのは磊落な声。
太い、声だった。
「なァーに水臭い事言ってんのさニコ兄ィ。
そりゃつまり、これまでそんな危険なのをあんた一人に任せてたって事だろ?俺ぁ、むしろ、手伝えて嬉しいくらいだぜ」
どん、と自らの胸を叩きつけるようにしてアピールするゴイ。そう笑いながらがしゃりと大槌の手入れ、書物や事前情報の収集へと向かう。
「アハハ!そうそ。めんどくさそーではあるけど、アタシらはそもそもアンタに助けられてる身分だし、文句なんて言えないっての。そんじゃ、準備してくんねー!」
スキップをしながら、風のように通り過ぎていくナナはまた、目的地に着くまでの駿馬の準備をしに行った。
その場に残ったのは、二人。
ニコと、イドの二人だった。
「110番、もし恐ろしいならば一人残れ。
それくらいの口添えはしてやれる筈だ」
イドは、震えていた。
手先を震えさせている様子を見て、ニコがそう口走る。相変わらずまるで感情が感じ取れない声音だったが、故にそれは未熟な戦士の身を案じたものであると分かった。
だが、その震えは恐怖では無く。
「……いいや、俺も、手伝わせてくれ」
「そうか」
「ああ。
…こういう事は、どうかと自分でも思うんだが…」
「なんだ?」
「あんたを手伝えることを、光栄に思うよ」
「……そうか」
武者震い。
それに、近しかったのだと思われる。
…
……
「…つーことで、こいつらはまあ最悪の病害で。俗に、疾病の象徴とも呼ばれる事があるのさ。つまり、キズ一つ付けられちゃいけねェってわけさな。覚えたかィ、特にナナ」
「ちょーっとちょっと!なんでアタシだけなの!
ニコはともかくイドだって知んないでしょーが!」
「ゴイ。バンパイアが血を吸うということは、食事なのか?ならば食事を断てば弱体化できるんじゃないか」
「お、良い質問だねェ。こういうとこで差がついてんだぜナナ。…んで質問に答えるが、そりゃ意味がないさイド」
「前提として、あいつらは不死者なンだ。だから当然、血を飲まなくても死なないし、それに伴う飢餓なんてのも無い。だがそれでも吸わずにはいられない。むしろ死なないのに、生きる為でもなく、それでも吸いたくて堪らない。そうなってしまう程、奴らにとっての血液は常習性と中毒性があるってことさ。いよいよ、最悪だろ?」
「…51番。予習はそれまでだ。
そろそろ目的地に着くぞ」
皆で、同じ目的地に赴くに辺り。
ただ馬で並走するでなく、全員は馬車に乗り込みある街に向かっていた。馬車と言っても家畜を運ぶようなものとなんら変わりなく、人数もあって相当に窮屈なものだったが、そういう窮屈に慣れている4人には大した問題では無かった。
その中で、それぞれが話をした。
それぞれが先の死合に関係ある事、ない事、どちらも混ぜ合わせて語り続け。そして締めに、ゴイの吸血鬼知識を予習していた所に、目的地に着く。
彼らは、わかっていたのかもしれない。
こうして話すことが出来るのが、これが最期であるかもしれない事。だから、敢えて普通の、他愛のない会話ばかりをしていたのだと。
彼らがついた街は、かなりの規模の街だった。
…今や、生命の気配が、まるでしない。
…
……
「ヒッ…あっ、あっあっ…たす、たすけ」
「…助けてくれるって、言ったじゃない!
子どもを、その手で殺したら助けてって…なのに、あ、ああ!なんで!私が何をしたって、私、あの子を殺してまぎいいっ…」
喉が裂けるような絶叫が、断末魔に消えていく。
そしてまた、それを聞いた数人の子供たちがガタガタと震えている。元はかき集められ、数十人は居た児童たちは今や片手で数えられる数にまで減っている。
目の前で死体を裂き、血を殊更に散らす。吐瀉物はとっくに吐ききり、それでも過度のストレスで胃液を吐き出す子供の様子を見て、歪んだ笑みを浮かべる、『そいつ』。
そいつは、臓物に濡れた爪を研いでゆっくり、ゆっくり。恐怖を敢えて煽るためだけにゆっくりと歩いていく。
悲鳴が大きくなり、その度に笑顔が深まっていく。
深まり、遂には、笑い声が溢れる。
「よォ、楽しそうだなァ。俺も混ぜてくれよ」
『そいつ』の背に、誰かの声が投げかけられる。
太い声。
冷静で、かつ熱を帯びた音。
血塗れの戦士だった。鉄面皮じみた兜の奥から、唯一見える瞳は血走っている。身の丈よりも大きい鎚は同様に血塗れで、しかしそれは見掛け倒しではなく、実用性に重きを置いたものだとわかった。
『……ほう…』
『そいつ』…バンパイアは、仰々しく長い髪を手でかき上げて、そして敢えて目の前にいる子供を一人殺した。
敢えて作った隙に、その戦士は飛び込んで来ない。
敢えてのその挑発に、しかし戦士はぐと唇を噛む。
老齢のようにも見える吸血鬼の頬に、警戒の色が浮かんだ。
『そこなる小僧。儂に名乗る栄誉をやろう』
「51番。それだけ知って地獄に行きなァ」
ぴり、と見合う時間は瞬間だった。
次の刹那には蒼い炎が鎚を纏い、巨大な槍となる。
その色の炎を見て、老吸血鬼は笑みを浮かべ。
そして、戦士に飛び込んだ。
ボッ。空気が裂けるソニックブームの音。ゴイの鎚槍が迎撃すべく前方へ突き出された事に依る。
それを避けて吸血鬼が間合いの中に往く。臍のあたりから掬い上げるような襲撃を、ゴイは避けずに、むしろ近づく。頭蓋ごとぶち砕くようなヘッドバッドを繰り出した。
めしゃ、と鉄と骨が互いにひしゃげる音。
脳が揺れ、動きを止めた吸血鬼。
その地に伏した身体を鎚が狙う。
『…と、そう上手く行く訳はないぞ小僧』
横たえていた身体が、ぶわりと蝙蝠の軍体となりばらばらに弾けていく。視界を守るべく片腕で顔を庇うゴイ。
「クっ…!」
背後に、バンパイアの身体が再構成されていた。
『ほれ、一本』
「…なんてッ!そう上手く行く訳ないよねぇッ!」
更に、その背後を取った声。
快活な女の声は、隠しきれない凶暴性を纏っていた。
一撃は、青い炎のそのままに蝙蝠の群れを薙ぎ払った。
『!ぐ、むぅ…ッ!』
老吸血鬼は、その不意を突かれた一撃をすら喰らい、しかしまるで傷を負っていない。その様子を見て、ゴイ。
…そして今奇襲を仕掛けたナナがそれを分析した。
「なるほどねぇ、攻撃当てても、そこを別の部位に変えちゃって、無傷なとこを代わりにしちゃう訳だ。首や心臓を壊しても、腕やらなんやらに肩代わりさせて、そんで生き延びれるって感じだね〜」
「オーケィ、それなら全身グッチャグチャにしてやりゃァいいって事だ」
「ク、アハハ!わかりやすくていいね!」
自らを品定めする蒼炎の騎士二人を眺めて、バンパイアはそれでもまるで余裕を崩しはしない。臨戦態勢を解くようなまでにリラックスをして、また長い髪を静かに掻き上げる。
『…フム。
あの死神以外ならばと思っていたが…
流石の儂でも二体一は分が悪そうだ』
その状況判断は正しかっただろう。
ナナとゴイの、熟達の騎士二人が息を合わせて戦うならば、それに勝てる不死者など全土を探しても居ない。それは、この歴戦の不死者であるバンパイアも同じ事だった。だからこそ。
『ならば、片方を減らそうか』
老紳士は、自らの勝ちを悟っていた。
それは、相手が人である故に。
バンパイアは、がたつき震え固まっていた子の首筋を掴み上げ、それを思い切り投げた。
「!」
「…へえ!」
そして、その着地先を狙う蝙蝠の群れ。
避ける事は容易な、飛来する少年。
だが避ければ、それはこの子供が背後の家々に当たり、そのまま肉の染みに成り果てる事を意味する。
ナナは、蝙蝠の群れを避ける事が出来た。
子が、彼女の方に飛んでこなかった為だ。
だが、もう一人は。
ゴイが蝙蝠の攻撃を受ける。片腕でなんとか蝙蝠を全て受け止め、もう片方の腕で子どもを受け止めた。
そして即座に。
ゴイは自らの片方の腕を切り落とした。
蝙蝠が入り込み、牙を突き立てられた腕を、床に突き立てた自らの鎚槍で。
その判断は、最善であった。
そのまま傷を残しておけば、そこから彼はゾンビに成り果てていた。そしてまた、蒼炎以外でそこを切っても、患部からの感染は止まらなかった。故にそうする事が、最善策だった。
たとえそれで、もう二度とその腕が付かないことが確約されたとしても。
『かははは、はは!愚かな勇者よ!これで貴殿は片腕を失ったというわけだ。
どうだ。それで儂を斃せるか?』
「バカ言えよ。てめェみたいな蛭野郎、小指だけで十分だってェの」
ちらり、と視線をナナの方へと向ける。
居ない。
戦略的な撤退をした、だとか子供を避難させたとかそういう事ですらない。姿が消え失せ、居なくなっていた。
ゴイは、それに動揺を隠せない。
『そぉら揺らいだ。
勇者よ、貴様は余りにも未熟すぎる』
視線を、毒蛇が絡め取るように捕捉する。それを誤魔化すように、片腕の勇者は吸血鬼に襲いかかった。
「………おおおおおッ!」
『ハハハハハハッ!』
…
……
『ぐ…うう、流石だな、死神よ』
「…」
離れた場所で。
ニコは一人、老吸血鬼と戦っていた。
実力の差は歴然。
如何に不死であろうと、彼の敵では無い。そう、あった。故に、110番には不測の事態と増援を考慮して遠巻きに待機させておく。それは彼が与えられた情報内で言うならば最適解であった筈だ。
倒れ、自らを死神と呼び、それでも余裕の表情を崩さない。そんな敵を眺めながら、ずきり、ずきりと頭痛に耐える。
違和感が、どうしても拭えない。
以前の此奴はここまで、呆気無かったか?
答えは否。
以前とは明確な差異がある。
まずは動きが比較するまでも無いほどに鈍い。
何より、眷属が襲い掛かって来なかったこと。
蝙蝠、黒蜥蜴、鼠に、腐死体。
以前に皆殺しにしたからか。
その答えも、否。この大規模な街を破滅に追いやり、そうしてまで作ったはずの莫大な数のゾンビはどこに行ったのだ?
「…!」
ようやく、考え付く。
ぞっとするような、妄想にも近しい推理。
それはしかし正しく、的確で。
それでいて致命的に、辿り着くには遅すぎた。
「110番ッ!!」
感情を忘れた者には有り得ない怒号。
だが、その声は、コンマ秒遅い。
そうした時には、死に伏していた筈の鬼は、イドを背から掴んで、ずるりと、足元の血の中に沈んでいった。血の中に沈むそれをばちゃりと地を這うように追おうとするが、ニコはその中に入っていく事は出来ない。
「……ッ!」
…
……
二手に別れて、捜索をしよう。
そういう話だった。
二人、二人の二組に別れてから、吸血鬼をまず見つける。発見した者たちは即座に戦闘に移り、もう片方の組もまた莫大な数のゾンビどもと戦っているだろうが、手が空き次第その交戦場に向かい、撃破する。
その案はイドが出したもので、それで良いと、皆は特に否定することもなく、そうすることになった。
故に、それが失敗である事が分かった時。
彼はその心に、深い深い反省と恥を思い浮かんだ。
気付けば、イドは謎の空間に落ちていた。
べちゃり、と上から落ちてきた落下を受け身でいなし、周囲の確認。そこはただ赤くて黒く、暗くて眼を細めねば先が見えない空間。
足元には血溜まり。否。浅瀬のように、血が張り巡らされている。
なんだ、ここは。
類推の為に、さっき自分に何が起きたかを考える。
自分は確かに、何かに背から掴まれて引き摺り込まれた。どこに?誰に?どちらも分かる事だ。前者は、その『血の中』。そして、後者はつまり、その空間を作り出した者。
(…無理だ、不可能だ。あり得ない。
不死者と言えど血の池の中を自らの結界にして『新たな空間を作り出す』なんて、世界の法則に弓を引くような事は出来ない)
(…と、感じるのは固定観念か。
実際に、あり得ない事が起きているのは、事実…)
何故、毒が通用しないかが分からない動物がいる。海豚のように、およそ物理的にあり得てはならない直立水上運動を行なっていく生き物もいる。世の理に迎合しないように見えるものが、ある。
人の理解も研究も未だ追いつかない存在は、夥しく存在している。それはシンプルに、事実なのだ。
ただそれが、目の前の。好々爺にすら見える不死者が、そうであったという事だけだ。
『…フム。貴様らはこの空間に驚かぬのだな。
ふためく様を、楽しみにしていたのだが…』
バンパイアの片方の腕が、ぞぶりと足元の血の池に突っ込まれた。そして何かを持ち上げて、イドに投げて寄越した。
その質量はがしゃりと、鎧の音を立てる。
剣をそれでも握り、立たんとし、そのまま倒れる。
ナナの、変わり果てた姿がそこにはあった。
『その女傑も、恐ろしかった。少しでも何かが間違えば、儂がそのまま死んでいたろう。しかし、だが、そうはならなかった。それが現だ』
無言のまま、ナナのまえに跪くイドの姿をどう思ったか、吸血鬼は話し続ける。綽綽と、ゆっくりと、優雅に。
焦る事なく、必要もなく、ゆらりと近付いていく。
『儂のやらんとすることは変わらん。
一人ずつ、この空間に引き摺り込み殺してやる。そうして貴様らを眷属にすれば、あの死神も打倒できるであろう。の?』
「逃げて」
「……」
「イドじゃ敵わない。
このままじゃ全滅する。ニコを、呼んで」
自らを置いて逃げろ。
そういう意味である事は明らかだった。果たしてそこから逃げる事が出来たか確かでは無いが。
彼女についた傷は、全て焼き切られていた。
それは彼女自身によるもの。
眷属にならぬ為の自傷行為による、上書き。
それ故に、彼女は立ち上がる事が出来ない。
「アタシが時間を稼ぐ。
その間に、何とか逃げて。いいね」
「全滅?ゴイは?」
「…死んでは、ない」
その言葉を聞いて、ただ、死なないだけ。
それくらいの傷を負っている事が分かった。
ぷつり。
瞬間に、イドは立ち上がる。
そして剣を杖に立たんとするナナを横たえて、その手に握り続けていた大剣を取り上げた。
その剣は、驚くほど弱々しい力で握られていた。
ナナはそれに反応もしない。
出来るほどの、力すら残っていなかった。
イドが、大剣を担いだ。
そうしてまた、腰に差した自らの短剣を抜いた。
それぞれの手に、大剣と短剣。
奇怪な音叉じみた剣を、両手に持って。
「二つ、質問がある」
まず、声を出した。
震える声。裏返りそうな、頼りのない声。
向かい来る吸血鬼が、少し足を止める。
『許可しよう。どうせ、時を持て余した身だ』
「…さっきまでニコが戦っていたお前は偽物か?」
『否。本物さ。ただし、儂の半分だけだがな』
半分。それはつまり、自らの半身を、そのまま言葉通りに『等分』して、そうしてから動くように戦っていたということだ。
恐らくは、三等分。
ゴイと戦っていた個体。
ニコに殺された個体。
そして、その戦いの最中に小賢しくナナとイドとを引き摺り込んだ個体。
それに納得をして、もう一つの質問。
「なぜ、こんな事をする」
『ほう。こんな事、とは。何を指す』
「不死者が、命を奪うことの意味をわかっていないわけではないだろう。それを、何故生きるためでも無く奪う」
『これは、おかしな事を言うな。
貴様ら人間もハンティングをするだろう?弱い子鹿から狩って、それを守る父や母鹿を狩るような、楽しいものを』
『それと同じ。娯楽よ。
娯楽に、楽しさ以外の意味があるものか?』
「そうか」
質問の答えを聞きながら。
イドの脳内にはそれとは別のものが浮かんでいた。
それは、ある会話の想起。
それはここに着く前の、ニコの発言だった。
『…110番。いや、イド。
お前は感情の制御が下手だな。
恐れ、呆け、劣情、そして怒り。
どれもこれも、表に出し過ぎだ』
『いいか。戦うべき相手を見誤るな。
感情をコントロールしろ。
今回お前が殺すべきは吸血鬼。だがもう一人ある』
『お前自身だ。
自身に眠る愛憎を殺せ。痛みを殺せ。
それが、戦いだ。どれだけ自分を殺すことが出来るのかが、戦いなんだ』
ごめん。
心の中で、ニコに詫びた。
何故なら、それはもう二度と守れそうになかった。
こんな事をされて、抑えられるものか。
この激情を、殺し切れるものか。
それだけが他の感情も、思考も殺していく。
呆けも、撤退のそれも、なにもかも。
恐怖など微塵も無い。
小さく芽生えたその火種も、嵐がかき消していく。
そうしてまた、もう一つの想起。
ゴイの言葉を、思い出す。
『この炎はなあ。謂わば、命の灯火なんだよ』
『おうさ。俺の仮説はそれさァ。
俺たちの、魂とか、命そのものとか、そういう何か。曖昧だけど、そうとしか言えない『何か』。それが犠牲になった炎なのさ』
『…結論を言え?なんだい、つまんねぇなァ。
まあ要はだ。生命力を犠牲に、身体に混じらせられた不死の力と、この武器を利用して、擬似的に『共喰い』を発生させてる。ってわけだ』
『やっぱりさ、魂とかに紐ついてるからだと思うんだ、お前みてェのが多いのは。キレたり、怖がったり、悲しんだり。そういう時に焔が出やすくなったり、勢いが増すのはな』
ゴイ。
やはり、あんたの仮説は合っているんだろう。でなければ、これほど、身体中から力が溢れるものか。これほどに、蒼炎が滲んで、身の前が怒りで滲むものか。あんたを、あんたの傷を想って。これほどに激しく燃え盛るものか。
最後に、ナナの言葉が脳裏に浮かぶ。
『アタシみたいに、せめて人間らしく生きたいか。それともニコみたいに生きたいか…すぐに決めなくていいって、言ったよね。
でもホントはさ、アタシ、本当はイドが人らしく生きるって言ってくれるの、期待してるんだ』
『なんで?って…当然でしょ?』
『エヘヘ。好きになった人にはさ。
幸せになって欲しいじゃん?』
君から見て、この今の俺は人間らしいだろうか。
この感情は、人らしくあるのだろうか。
わからない。
だけど、これが人じゃないのなら。
俺は、ただ人でなくていい。
そしてもし、この姿こそが人であるならば。
俺は、君の言うように人のままでありたい。
ごう、ごう、ごう。
気付けば、自分の身体が蒼炎に炙られている。
全身が、余す事なく。
剣から滲み、目の端から溢れて。
短剣は焔を纏い、形を変えていく。ダガーのサイズに過ぎないそれは、身の丈程の剣となった。
そしてまた。もう片方の腕に担いだナナの剣。それは姿を変える所までは行かずに、サラマンダーの舌のごとく燃え盛るに留まる。その灯は煌々と、そして彼らの周囲とこの赤黒い空間を照らし出す。
周囲には、夥しい数の眷属。
腐敗したゾンビの姿。
圧倒的な物量が、ある。
だがそれへの恐怖なども、何一つ無い。
あるのは、ただ一つ。
「…よくも、俺の大事な人たちを傷つけたな」
からがらに、口にする。
口にする事すら難しいほどの怒り。
焦がし尽くさんばかりの激情。
怒りと、その言葉で表すには心許ない。
狼男と闘った時のあれの、比ではない。
丹田から弾ける溶岩。溢れてくる怒石流。
激怒。激憤と、表してようやく近しい。
左手には、短剣。その剣は炎を纏い、大刃を作り出し、新たな大剣となった。そして右手に、77番の大剣。ただ炎を纏うのみにとどまるそれは、故にこそ怨嗟と怨讐の青い人魂のようで。
戦いを生き延びる者には二種類。
一つは、何物にも変化を齎されないもの。
何を行われようと、どう揺さぶられようと鉄のように変わらず、変化せず、自らの力を突き通すもの。
ニコや、この老獪な吸血鬼がそうだ。
そしてもう一つは。
己を、戦いの内で極端なまでに変容させるもの。
では、『極端』とは。
どこまで行けば極端なのか。
そのような指標はどこにも無い。
曖昧で、いい加減なそれ。それを満たしたか否かは、ただ、結果でのみわかる。その人物が、死合いで生き延びられるのか。ただそれが。
紅に染められし空間の中。両手に、身の丈ほどの剣を持った蒼き鬼は、その結果を指し示した。
(死ね)
ゾンビの海を割いていく。
海を割り、切り裂き焼いて前へ、ただ前へ。
道程の死体など眼中に無い。
ただ前へ。
(死ね、死ね)
蒼い竜巻が意思を持ち、殺戮をする。
両の腕にある大剣に振り回されるように、むしろそれをこそ計算に入れたように、びゅ、ごうと振り回し、回転しながら更に切り刻みながら突き進む。無論、計算などない。ただ赴くままに切り裂いているのみ。
(死ね、死ね、死ねッ!)
裂き、割り、殺し、見えた。
目の前に居る吸血鬼。
二人を傷付けた憎々しい屑。
その表情は、驚愕に引き攣っていた。
「キアアアアッ!!」
『…おのれ、小僧め!』
喉が裂けながら叫んだ声は、獣のよう。
それに相対するバンパイアは、動揺を隠す。
どちらが怪物なのか、分からない有様だった。
両腕を同時に振るう。
X状に青い軌跡を残したその二剣は、急激に片方の軌道を変えて不規則的な動きを生み出した。
中空で剣が剣を撃ち、その度に青い火花が散る。
その度に軌道は直線的で、且つ読めない動きを取る。
一撃一撃、全身全霊で放つようなものを、途中で無理矢理に怪力で止めてから更に無理矢理動く。自身を引き裂きの刑罰にかけるかのようの戦い方は当然、長持ちするものではない。ぷちぷちとイドの筋繊維が千切れて、骨が軋み続ける。
故に、吸血鬼は退いてその攻撃を過ごさんとする。
ただ残る眷属で、壁を作って。
どんどんと割り裂かれていく眷属達。
そうしている内に、気付く。
この空間内に、結界に居る全てのゾンビが。
目の前の小僧一人に殺されている事を。
『…馬鹿な。こんな、馬鹿な事があるか』
何故止まらない。
何故に、まだ動く。動ける。
違う。なんだあの戦い方は。
ヒトが、あのような事をするものか。
生き物が、あんなような闘いをするか。
動揺。
老獪な鬼が誘い、その感傷を狙ったもの。
それが今や彼自身の心に来訪していた。
「グ、オオオオッ!!!」
結界が、砕けた。
青い炎の大刃が、炎を飛ばす。斬撃がそのまま飛来したようなそれが、遠巻きに動揺していたバンパイアの首筋を切断したのだ。
それを、確認した瞬間に。
イドは、ただ倒れ込んだ。
指先一つも動かない。
息をする為の体力すら、無い。
気道が、喉が痙攣し、吐瀉が喉に詰まる。
目が霞み、目の前にあるはずの地面すら見えない。
焔を使い続けた副作用。
怒りに全てを忘れて暴れたその負債。
その、どちらもである。
『…小僧が、小僧が、小僧が!
貴様の面は覚えたぞ。
貴様にこれから先、眠れる夜が来ると思うな。
貴様をまず殺してから、ゾンビにもせずに殺す!そうしてから貴様の大事な全てをぐちゃぐちゃに…』
「口数が多いな」
その声は、当然吸血鬼ではない。
しかしまた、イドでも無い。
落ち着いた、感情が欠落した声。その声が響くと共に、刃が閃いた。胴体が裁断され、その上で縦、横、斜めに顔が割れる。最低でも4度切った筈のその斬撃をイドにはどれも認識できなかった。
「……前を生き延びたのもこれか。眷属の蝙蝠に自らの意思と中核を譲る事で、命だけは存続させたんだな」
ぐちり、と。ニコが寸断された小さな蝙蝠の死体を丹念に踏み潰した。そうしてから槍を背に、イドらの元へと駆け込む。
「…イド、無事か。裂傷は受けていないようだ。
ゴイのように、焼き切る必要は無さそうだな」
「……ひゅっ、ぜっ…」
声も出さず、指も動かせず。
ただ、視線だけで他を示す。
自分はいい。だから、ナナを。と。
それを汲み取ったニコが頷き、ナナとゴイの手当てを始める。ゴイには片方の腕と、そしてまたその後の戦いで無くなったのだろう。片脚が欠落していた。
「…う……ニ、コ…あんたが、たおした…?」
「いいや。俺はただ、止めを刺しただけだ。
…まさか。まさか、イド一人でここまで…」
そう答えた時には、もうナナには意識は無い。
ニコはただ、それを。それらを。
意識の無い自分以外と。
そして、無傷の自分を鑑みて。
ただ一人、唇を噛み締めた。
…
……
緊急:バンパイア討伐任務
請負人: 全員
任務結果:
殺害完了。但し、街は一つ壊滅。
51番の左腕と右足が損傷。再生は不可。
77番の胸部、腹部共に破損。再生は不可。
110番の生命力の不足。急ぎ補充されたり。
25番は負傷無し。上記3名の補填を行わせる。
備考:
街を守ることも出来ず、再起不能となる傷を半数以上が負うなどという、任務の結果としては最低の部類である。レムレス鎮魂騎士団の存在意義を問う。また、役立たずとなった二名を殺処分してはどうかと打診アリ。
追記:
代替案が無いため、他計画への移行は拒否。
しかし、別計画の着手を進める次第である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます