王の証たる愚、神聖たる銀
耳鳴りが止まらない。
鳴り響く、きんきんとした音が割れそうな程の喧騒も打ち消し、修羅場の最中にぼうと無に目を向けて、呆けてしまうほどに。
その間抜けなほどの様子は、それまでの彼に見たことのない無防備さであり、少女はそれに不安そうに声をかけようとした。
瞬間、慌ただしい羽音と声が飛び込んできた。
クシーが声をかける前に、他の女性の声だ。
「……んな、旦那ァ!
よかった、いたよ!
いやもうえらいことだ!速く逃げねえと!』
「…セー、レ?」
その声でようやく正気に戻ったらしいイドは、がつんと自らの頭を二度ほど叩き正気付けてから、握っている少女の手に力を入れ直し、そしてまた剣を背負う。
「!ああ、よかった、クシー!
旦那、ようやく助けられたんだね!」
「…セーレ?なんであなたがここに。
それに、イドとも、もう話を…?」
「なんだい、元気そうじゃないか!あたし、心配してたんだ。まだ酷い目に遭わされて、心に傷を負ってたりするんじゃないかって!」
「え?…うん、その、ありがとう」
ちらりと、困ったように騎士に視線を向けるクシー。これは、どういうことなんだと、口よりも物を言う視線だった。そんな顔に少しだけ含み笑いをしてから、イドは話す。
「ああ、そうか。確か以前は会うことが無かったな、クシー。お前を助けるために、協力してくれたんだ」
「……ふーん、そう、なんだ」
「…俺が独力で助けられなかった事への不満か?」
「へ?いや、違う、ちがうよ!
その、なんていうかな…
私の為に、イドだけじゃなくてセーレとかも来てくれるっていうのは、なんていうか…思ったよりも嬉しいと思った」
それは、本当でもある。
だけど、それが全てではない。
彼女の中の、その喜びの中にあるどこか釈然としない感情の正体を、イドにはいまいち分析できなかった。
「よお、そっちも大体終わったか」
軽薄な声。言わずもがな、ニコだ。まるでただ歩いてたように無傷で、強いて言うなれば、埃が身体に付いているくらいの変化しかない。手の内には、異形の生首を持っている。
「こっちの首尾も上々だ。
んで、どうする。このままとんずらかい?」
そう聞かれ。
イドは横に首を振るう。
否定を表すジェスチャー、まだ、やることがあると言うことを表す動き。それにセーレは驚き、クシーはその様子をじっと眺めていた。
「未だだ。未だ、やることがある。
俺はこのまま、王城を攻め立てる」
「正気かい、旦那!?こんなぐちゃぐちゃの状況で、アンタだってボロボロじゃないか!相当無理して動いてるんだろ!?
それはまた次の機会にすればいいだろ!」
「いーや、違うんだよセーレちゃん」
「ああ、違う。今しか無いんだ。このような惨状、国を壊しかねん未曾有の大災害。なんとか事態を治める為に、兵士はほぼ全てそこにかかりきりになるだろう」
「だから、手薄になる。全部と戦うとなれば、勝てる理由は一つもない。だが、全部の手が空いている時、その時に、お飾りの王の首を刎ねれば、この国を運営する威厳は無い」
「それに、今なら幾つもある城の、どれに王サマがいるってのもわかりやすい。いつもは1番警備が手厚い場所なんだから、つまり、今この事態で1番多くの兵士が出てくる塔こそが、今王様がいる場所って事だしね」
ニコの補足に、苛立ったような顔をしながらもイドはそういうことだと頷く。そうした、腹立だしさを隠さない態度は何処か滑稽だった。
「ねえ、イド。
王さまだって避難して、るんじゃない?」
「いいや、王こそ、避難しないはずだ。あの城こそは最も固き砦。あれに篭れば、どんな魔物だろうと打ち壊す事は出来ない」
「へえ、すごい硬いの?」
「内側から魔術での障壁が…
と、説明してる場合では無いな。
また後でその辺りは説明してやる」
「時間が無い、俺は行く。
このまま逃げたい奴はそうしていろ」
引き摺っていた脚を、ごきりとはめ直すような動作をしてから、そのまま早歩きに向かい始めるイド。当然のように、クシーはその横を、小さな足でとてとて、とついていく。
ニコは、それを見て、手で顎を摩ってからスキップをするように付いていった。
「〜〜〜っ…わかったよ!もう、とことん付き合うったら!」
最後に遅れて、セーレの足音。
吸血鬼に襲い掛かる、虫じみた魔物をナイフで斬り避けながら、随分と先に行った3人を追いかけていった。
(……)
横目で、咀嚼されている市民から眼を逸らしながら。流れていく血に惹かれる目を、意識的に逸らしながら。
…
……
ある程度歩き、城が見えて来る。
過剰なほどの礼賛が、過剰で無くなるほどの物。人の王が住まう堅牢。
以前はそう見えた城は、その城下でも起きている惨劇故か、既にこびりついている血糊がその景色を見窄らしいものにしているのか。
「……クシー、頼みがある。
俺とは別行動をしてくれないか」
「嫌」
おもむろに行われる発言。
それへの答えは、即答だった。
「嫌、ぜったい嫌。なんでようやくまた逢えたのに離れなきゃいけないの」
その答えを大まかに予測していたのか、しかし騎士は驚くことはなく、代わりに頭が痛いという風に頭を抱え、目を瞑りながら頼み続ける。
「頼む。別行動と言っても、そう遠くに離れるわけじゃない。長い時間でも無い」
「………わかった。内容にも、よる」
「やってほしい事があるんだ。それは──」
口で言いかけ、途中で止まり。
そして、その次からの言葉は契約の薬指を通して伝えた。明らかに他の二人に聞かれないようにするその動作に、セーレが少し眉を顰めた。
「……イドって、バカなの?」
「そうだな。俺は莫迦だよ」
「…はあ。知ってた。
でも本当に、そんな事になるかなあ」
「念の為だ。
ならない事に越した事はないが…」
もごもごと言い淀むような二人の会話に業を煮やし、何か意見を求めようとセーレがニコに目を向ける。
すると、そこには笑顔やにやつきが無いまま、ぴりついた視線を上に向けるニコの姿があった。笑顔も、にやつきも、退屈も無い。ただ、城を睨め上げていた。
「ふ…ん」
笑うようなその息の音も、笑みというよりは、納得であったり、把握に基づく声。
恐ろしい、『何か』への認識。
その反応は何か。おそらくきっと、それに似ている感情は、警戒であるのだと。
「……まったく。結局、イドの頼みごとなんて、断れるわけがないんだもの。ずるい人」
「ありがとう、クシー」
それを最後に、竜の少女がどこかに飛び去っていった。巨大な翼を勇猛に、勇壮に羽ばたかせる姿は、まだどこか危なっかしく、それでいて完成された飛翔だった。
「話が済んだとこで、いいかイド?」
「…なんだ」
「ああ、悪い。俺も別行動するわ。
セーレちゃんもこっちに来てくれないかな?」
「はぁ?旦那を一人にするの、色々不安なんだけどな…なんか、またバカみたいな無茶しそうじゃないか」
「ハハ、そりゃ俺も思うけど、必要な事さ。
だから頼むよ。イドもそれでいいだろ?」
「…断る選択肢は無いのだろう」
「そゆこと。それじゃ、行ってくるな」
先程までの真剣な表情は何処へやら、また何を考えているかわからないような軽薄な笑みで顔を隠してから、男たちはその場から去って行った。
その場に残るのは、イド一人。
(……随分と久しい気がするな)
兵による鎮圧が成功しているのか、はたまた人類が負け、喰らうべき獲物がいない魔物が帰りつつあるのか。
どちらにせよ、徐々に悲鳴が少なくなり、閑静が戻りつつある街の音を聞きながら。
城内に、歩を進める。
いつもは居る衛兵は、無人のままだった。
…
……
痛みを感じなくなってきた。
ついさっきまでは、右足が地に触れるたびに堪え難い激痛を感じ、まともに歩く事が難しかった。
だが今となっては、それすら感じない。また、普通に歩けるようになった。
それは恐らく、良くないことだ。
傷、消耗、疲労。それらの、根本的な解決は何もしていないのに、それでも痛みを感じなくなったという事は、痛みを感じる機能そのものがおかしくなったか、もしくは身体が、もう痛みを感じる必要がないのだと判断したか。
それでもどちらにせよ、やる事は変わらない。
むしろそれは、ありがたくすらあった。
気を抜けば意識が飛びそうであることも含めても、まだプラスだ。
生命を支払う炎。魂を焚べる相剋の炎をああも無駄遣いして、まだこの程度であるというのは、思ってもいない事だった。
身体が動く内に、出来ることをやらねば。
そうして歩いている内に、違和感、不自然を感じ取る。本来はもっと早く感じるべきだった違和感だが。
おかしい。人が少なすぎる。
少ないなんてものではない。侵入者である俺を見て声をあげる者すらいなければ、騎士、戦闘要員に至ってはどこにも居ない。
外の惨状はそれほど、出払う程のものであろうか。王の護衛を失くすほどに?
いいや、違う。そうであっても、そうであるからこそ、守る筈なのだ。それ程大事なものなのだから。侍女やメイドの一人すら居ない事もおかしい。既に避難させられたのか?
もしかしたら、罠だったか。
そういう事もよぎった。だがそれこそあり得ない。罠に嵌めるためだけに、より一層の危機に陥ってどうしようと言うのか。
やる事は変わらない。
考えることはやめろ。
ただ、前に進め。
それが俺だ。そうでなくては、いけない。
王座に繋がる扉に、階段を登る。
巨大な扉を、扉をこじ開けていく。
鍵すらかかっていない。
ただ、腕で押すだけで開いていく。
なんだろう、この感覚は。
何故、こうも簡単に進める。
どうして俺は、この扉を開けたくないと、思っているんだ。何を戸惑い、何を予感している?
一瞬止まる手を、気付けるように更に力を込める。痛みで気付けをしたかったが、痛みを感じない今となってはそれは難しい。
ごご、ごごご。
扉が開く。
その先の視線に、変わらず騎士は居ない。
人は居ない。一人を除いて。
玉座の上に座る、その影を除いて。
「!誰であるか、おまえは!」
声を上げ、狼狽するその様子を見て、イドは愕然とした。
これは、何の冗談だ。何をふざけている。何を見せられているんだ、俺は。
「……なんだ、貴様は」
玉座に座り、名乗るように喚き立てている男。身の丈に合わないビロードのマントと、重そうに片手で持ち上げる王笏は、長さを切り詰めて見窄らしい見た目になっている。
その座っている影は、ごく、小さい。
まだ、年端も行かない子どもだった。
「ぶ、無礼であるぞ!お主の目の前に居るは病禍にて亡き父う…先代王の長男にして、現国王にある!頭が高いぞ下郎!」
くらり、と目眩がした。これは、俺の身体の不調だろうか。それとも、誰かの奇襲か?
そうに違いない。そうでなければ、こんな後ろから殴られたような頭痛がするものか。おかしくなりそうな程、視界が遠くなるものか。
「………ハ……ハハ………」
分かっている。周りに俺を攻撃する影なんて無い。これが俺が見ている白昼夢でもない。
これが。この目の前にあるものは、忌々しいほどに現実なのだと。
「…ク、ハ、ハハハ」
ああ、なるほど。
俺はこの城に乗り込んでから、これを予期していたのだろう。
クシーを奪還する、この行き当たりばったりで、杜撰な作戦が成功してしまった時から。容易にこの城に乗り込めた時から。
それらは全て、このような事実を指し示していたじゃないか。
「ハハ、ハハ…」
「……ハハ、ハハハ!!通りで、こんな莫迦げた作戦がうまくいったはずだ!通りで、考え無しに公開処刑が行われたはずだ!エィスよ、お前はこれを知っていたのか!?知らなかったのだろうな!こんな、こんな、空っぽの玉座に、認めて、もらおうなどと……ク、馬鹿馬鹿しい……」
目眩に耐えきれず、頭を抱える。
自分を抱き抱えるように、身が縮こまる。
どうしてこのような作戦が罷り通ったのか?どうして、何も考えずに公開処刑などした?
答えはこれだ。
考え無しの幼い愚帝が、そうしたから。
まつりあげられ、まだ政治の何もわからない子どもを傀儡に、王としたからだ。
何故、城にこうまで人が居ないというのか?
答えは、また、こうだ。
傀儡どもも次々に居なくなり、それに伴い冷遇され、もうとっくに王の王たる体制は崩壊しかけていて。誰もが愚帝を見限ったのだ。
この、何も知らない。
この国の罪すら知らない、この子どもに。
「…これが。
こんなものが、俺の復讐の相手かッ!」
情けない声だった。
歩き始めた子どもが転び、泣き始めるような、そんなふやけきった声が、自分から発せられていた。
身体に篭っていた力が、抜けていく。全身を脱力感が襲い、どうしようもなく膝を突く。
その様子を見て、今更跪いても遅いと宣う幼き王の姿に、どうしようもなく嘔吐した。
「………う、うう…
違う、違う違う、違うッ!」
違う。そうだ、自らにそう言い聞かせる。
そうでなければ、止まってしまう。
そうしなければ、負けてしまう。
何に?これまで積み上げた負債に、これまで、見て見ぬふりをした命に、自分に、全てに。
「…俺は、殺すんだ。なんであっても…」
「ぜんぶだ、全部殺す。そう決めたんだ。それが子供だろうと、罪が無い子どもだろうとッ!今さら、子どもなら殺せないとでも言うつもりか?善人ぶるつもりか?散々にもう殺してきた畜生の分際で!分際がッ!」
「ああ、そうだ、そうだそうだそうだッ!知識や、地位を受け継ぐなら、罪も受け継がないと不公平だろう!そうであるべきなんだ!お前は王であるだけで罪なんだよッ!」
ああ、わかる。わかってしまう。
自分がどんな情けない姿なのか。
どんなに、気色悪い姿なのか。
それはきっと、稚児が我儘を言って、泣き喚く時のよう。狂人が、その当人の頭の内でのみ成立するふざけた理論で暴れるような。
癇癪とすら言えないような、根源的で、幼い。泣きだすような悲鳴。
わかっていても、止まれない。
止まる事が、許される訳がない。
今さら中途半端に、良識人になるつもりか?誰かに言い訳でもするつもりか?誰かに胸を張ってその所業を語るか。
お前は全ての犠牲を、復讐のためならばと目を瞑っただろう。散々に、女子供も鏖殺しただろう。
であるのに、その復讐の相手が子供とわかった途端に復讐を止めるのか?道中のものを轢き潰しても、その目的がそうであるというだけで、やめるのか?それが、『王』の名を冠しているだけの別人だったというだけで。
違う。
俺は、罪人で無くてはいけないんだ。
既に奪った全てに報いる為に。
罪に報いる為に、罰を受けねばならない為に。
それだけが、俺が俺である、ただ一つなんだ。
「…ハァッ、ハッ…
動くなよ、糞餓鬼。今すぐに殺してやる。
苦しめずに殺してやる…ッ!」
よくわからない男が、訳のわからないことをぺちゃくちゃと話しながらのたうち回る様子は、幼き王に相当に不気味な不安を与えていたようだった。だが、『殺す』という言葉が聞こえた途端に、むしろ安心したような顔をした。
なんだ、こいつも目的はそれかと、ほっとするように。この歳で、幾度その言葉を投げかけられたのだろうか。
「…ふん。なんだ、おまえも暗殺者か。
そうならそうと早くいえ!話を聞こうとして、損したぞ!」
発言し、王笏をぱちんと鳴らす。
瞬間。
ひりと、肌が焼き付くような痛みを感じた。いいや、違う。痛みは感じなくなった筈だ。
ならばこれは、痛みではない。脳の、痛みを感じる所以外が感じ取っている、もっと根源的で、根本的な。
『恐怖』だ。
王座の背後から、『何か』が姿を表す。
時計、歯車、演算機。
銀色の駆動する姿は、そういったものを思い浮かべさせた。システマチックに、決まった動きをする機械を想起させる銀色の鎧。
天の羽衣のように継ぎ目の無い、流動体じみた鎧が、剣を正中線に構える。
自然と煌めきを放つ純銀の片手半剣は、機能のみを考えた光。
緩慢でいて、何処も途切れぬ動き。
微動だに動かないそれは、人の形をした金属が目の前に立っている非生物感を与える。
「………」
敵意を、感じない。
構える剣から、殺意すら感じない。そういったものを、消し去った上で振るえる程の怪物。
ああ、俺はこの期に及んで、やはり莫迦だ。
一つだけ誤解があったようだ。
この城に、他に兵士が居ない理由。
それは冷遇もあるだろう。誰も彼もがこの王を守りたがらない、そういった理由も。
だが本当の理由はそれじゃない。
きっとそれは、こいつがいるから。
目の前の銀騎士の為にある現状だ。
ただ、この一人だけで、護衛は十分なのだ。
「いけ、『スティグマ』!
おろかものどもを全員、やっつけろ!」
「……」
王は、その奥の部屋に引っ込んでいく。それを追おうとしなかったのは、俺自身がそれを望まなかったからか、はたまた、目の前に居る白銀の騎士の剣閃が放つ威圧に足を止めたのか。
銀色の神聖、そのもの。
王座の権威そのものが動いたような神聖。
俺はそれを見て。
不思議と、安心していた。
何への安心だろう。
王に護衛が居ること?
玉座にまだ権威があったこと?
俺の復讐が、まだ正当なものに見える事?
どれであっても、おぞましい。
じゃらぁ、ん。
そんなものを抱いた自分を嫌悪しながら、背負った剣を抜いた。
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