とびきりの、愛色と呪いの花束





「後は、お前の知っての通りだ」



イドは、今度こそ口を閉じた。

全ての過去を話し終えて、もう語る事は無いというように静かに息を吐いた。


竜の少女、クシーはその姿を暫く眺める。

そうしてから、男の頭をぐいと掻き抱いた。

あやすようにとんとんと叩いて、それに抵抗するように込められたイドの力も、次第に諦めたように抜けていった。




語られし彼の過去。

それで、幾つか残っていた疑問もほどけた。


まずは竜をも殺せる蒼炎の正体。それは、魂を貨幣に使う事ができる人為的な共喰いの炎だった。だから不死を殺せた。

そしてそれを、そのようなものを自分が吹けるようになった理由。なんてことはない。あれは、元は竜の力だったのだ。

竜、クシーの母と呼べる存在。それから抽出された力。それから生み出された力。だから、その娘である自分が吹けるのは当然だ。


また一つ。

なぜ、少女の居場所を、洞窟を知っていたか。

あの日人間に追いやられた時のこの洞穴の位置をおしえたのも、また彼女を隠した母親自身だったのだ。だから、知らない筈はない。


そしてもう一つ。

自分をその名前で名付けた理由。

クシー、という名前の理由。

彼女にはそれこそが最も大事で、畢竟その前二つのことなどどうでもよかった。




「ねえ。そんなに、私はイドの娘に似ていたの?」



「……どう、かな。記憶が曖昧なんだ。

もう、彼女の顔が思い出せない。

だからあの時、失った孔をお前で埋めようとしていただけで、ただそう見えていただけなのかもしれん。それとも、本当に瓜二つだったのか。分かりはしないし、もう分かることもない」



「そっか…それなら、まあ、いいかな」





そう言うと、クシーはするりとイドの横から去った。

そして出し抜けに伸びをしたと思えば、腕を振るって。


ばき、めきり。

イドの血錆の鎧を。粉々に、壊した。




「………何を…」



「…わかってる。今の話からも、今のイドの動揺の仕方からも、これが大切なものだったんだってこと。

だから脱ぐのを嫌がったんだよね?無くしてしまったら嫌だから。この血錆を少しでも纏っていないと、足を止めてしまいそうだから」


「『だから』壊したの。私以外に執着するものなんて要らないでしょう。私以外の何かを残して、それに想いを残されてしまったらとても勿体無いし、結局私が死んだ後だってすぐに貴方は死んじゃうもの。…それに、なにより…」




くす。

そんな顔をしているイドも、かわいいな。




「………」




クシーは、当然ながら彼の語る過去の全てを聞いていた。もう一度彼の語った一言一句を全て再現して言うよう命じればすぐにでも、一語違わずに答えることができるだろう。それほど、熱心に。


その上で、クシーはそれをした。

それを言い、そう思った。


彼の過去は、血濡れた哀れな過去は彼の根に染み付いて、二度と取れない色なのだと理解した。ならばこそ、更にもっと。徹底的に漂白して、『彼を』失くしてから、全てを私への執着と怒りと復讐だけで染め上げなければならないと思った。

彼を突き動かし、血の残り一滴全てを流し尽くすまで消え去らない怨讐と狂気を記憶の上書きで消してしまって。そうしてから、生きてもらう。契約における竜の殺害を履行して。


それが『イド』の死になってしまうのではないかと思ったが、関係ない。竜は彼ならば、何がどうあろうと好きなのだから。彼がそのまま生きてくれるのならば、それに勝るものはないのだから。



それは、究極の独りよがりといえばそう。彼女がそうあるべきという思い込みに従わせる独善。

それは、献愛と言うならばそれもそう。愛の為ならばその恋人からの嫌悪も厭わない自己犠牲。

どちらの評価が正しいかはわからない。


それらの光景と、契約から流れ込む感情に。

イドはしかしただ別のことを考えていた。




(……未だ、だな。

まったくもって足りん)



もっと、もっと。

足りない何かを求めて、そうして粉となった鎧をぼうと眺めていた。そこに消え失せた追憶と薄まった怒りを再確認するように。そうしてから立ち上がり、粉となった呪いを踏みしだきながら。

一言、切り出した。




「…なあ。少し外に行かないか」



「行くっ!」




即答だった。

何かの含みがある提案ではあったろう。

だが、そんなことはクシーにはどうでもいい。それはつまり、彼が出掛けを誘ってくれたと言う事の前には些事そのものなのだから。




「おや。誘っておいてだが…いいのか?お前はここから出たくないというか、俺を出したくないんじゃないのか」



「ううん。貴方と一緒なら、どこに行ってもいい。

それに、さっき話を聞いてから憧れてたんだ。

『デート』っていうの、素敵だなって…」




そう、うきうきと身体を躍らせながら無垢な笑顔を浮かべるクシーの姿は、まるで本当にただの少女のようにただ可愛らしくて純粋で。何も混じり気がない美しさを湛えていた。


そのような顔を見て、イドも、ふっと笑う。

張り詰めた顔に微笑を浮かべる。

眉から力がふと抜けて、そうして手を差し伸べた。




「…はは、そうか。

ならば改めて提案しよう、我が翼、我が伴侶」


「俺と一緒に、デートをしよう」




膝をついて、手を差し伸べる。エスコートを行う紳士じみた所作に、心から湧き上がる笑みを浮かべ、元気いっぱいに手を取った。




「…うん、うん。喜んで、私の騎士!」




 




……





どれほど、彼は幽閉されていたのだろう。幾年、十数年では済まず、数十年単位であったかもしれない。

最も近くにある町の様子は、辺境であるはずなのに、驚くほどの人の気配があった。近くに寄るだけで活気が溢れて、さまざまな嗜好品の店があることが見てとれる。面影など残っていない。



そしてなにより目を引いたのは、華やかな街の、その様子。道端には花びらが舞い散り、路傍に立つ鉄製の棒の先には妙な光源がついてあり、それが照らすことにより幻想的な明るみが全体を照らしていた。浮かれた町民が、旅人を歓迎している様子まで映る。

踊り、踊る往来の影の姿。

陽気な歌声が流れる足音の軋み。




「ほお、これは…」


「へえ、すごいね。

何かのお祭りかな?私たちを祝福してるみたい」



そう言って、くすりと二人で笑った。

自分たちがしてきたことを思えば、もしされるとすれば祝福などではなく弾圧と排除であるべきだろうと、思いながら。




「ね。せっかくの、デートなんだからさ。

二人ともドレスアップしよう!」



町に入る直前のこと。

クシーがそう、興奮気味に提案をした。ある程度服らしいものは用意したが、それではまた足りないと。


えい。

つん、と指先でそれぞれの胸元をつついたと思った次の瞬間には。クシーはしゃなり、と綺麗な真白いドレス姿に。そしてイドもまた、真白な正装となっていた。おあつらえ向きに、彼の鱗塗れの右半分の顔を隠す仮面まで付いて。


イドはそれにぎょっと、驚いた。これは幻術か、魔法の一つかと。

答えは否。これは彼女が編み上げた、クシー自身の鱗より何かを作り出す製造技術だ。稚拙で、義手や斧など単純なものしか作れなかった筈の彼女は、今や糸のように細かく操ることすら可能にしたのだ。

指先で触れば、その素材が世界の何よりも硬い、無敵の竜の鱗から作られたものだと言うことがわかる。この服はきっと、どのような鎧よりも強固であろう。


イドが驚いたのは、クシーのその成長速度の恐ろしさ。生き物として完璧になりつつある彼女の恐ろしき万能さ。そしてなにより、今させられた格好そのものについて。




「…なんだ。この衣装は目立ちすぎだろう。

まるで物語の中にいる王子だ」



「それくらいでいいの。

イドは世界一かっこいいんだから、似合ってる」



「そういう問題じゃなく、これでは悪目立ちを…

…いや、まあ、いい。

せっかく用意してくれたんだ。これで行こう」



「うん。ちゃんと連れて行ってね。

ずっと、私の手を離さないで」



ぎゅっ、と。

片方しかない腕で、クシーはイドの腕を組んで手を繋いだ。その姿と、初めて会った時の。あの、人攫いに連れ去られても抵抗一つしなかったクシーの姿が少しだけ重なった。

随分と、様変わりしたものだと。

あの時は、ただ虚無そのものの顔。

今ある顔は、弾けるような笑顔だった。



そう眺めるイドと、クシーの目が合って。

緩慢に視線を逸らした。気恥ずかしさか、罪悪感か、ただ町の様子を見る為だけかもわからない。




「さあ、俺に君を幸せにさせてくれ。

……せめて今日だけは、全てを忘れて」




そう言って、町へと繰り出した。何の祭りだったかは、結局二人はどちらとも聞きそびれてしまった。皆が皆、ただ楽しんでいた事は事実でそれを聞けるような雰囲気では無かったし、何よりも。


何よりも、そうしている暇があるなら、その、時間すらももっと伴侶と共に過ごす時間としたかった。




道端で売られていた飴菓子を、二人で分け合った。初めての甘味にクシーは目を見開いていた。

酔った女性が、彼らに花冠を被せた。呆れたようなイドに、クシーは照れくさそうにはにかみ身体を揺らした。

実年齢はもう、と酒を呑んだ。意外だったのは、イドが一口で顔を顰めてしまったことだ。

ある広間に出た。そこでは二人一組で踊りをする者たちが沢山いて、イドたちもそれにすっかりと巻き込まれてしまった。当然、二人ともダンスなんてまともに出来ず、あたあたと周りを見てそれらしい動きをすることが精一杯だった。転んで、周りから囃し立てられた。悪意のない、ふしぎと暖かい声だった。


何もかも、わからなかった。

何もかも、知らなかった。

閉じ込められた期間になにがあったろう。

どれほどの時間が過ぎたろう。

それでも、この瞬間だけは構わなかった。



二人が笑い合ったのは、事実だった。

二人が、ただ狂気も歪さも無く。

笑い合うことが出来た。



全てを忘れて、幸せになれる泡沫。

その一瞬が、そこにはあった。

泡とは、弾けるからこそ幸福であるのだけれど。







……






「………それで?

この町も全部壊すの?」



「いいや。そんな殺伐としないでいい。

さっき言ったじゃないか。

せめて今日は、全てを忘れようと」



「……うん!」




…イドが何かを企んでいることはわかっていた。何かを企てるためのこのデートであることも。何かを成し遂げんために、彼女の愛をまた利用したのだということも。

それでもよかった。何かの計画や企みがあっても、この時間は永遠だ。ここにある愛しさは何にも変えられない、同じものだ。



二人が今居る場所は、高い高い、魔物から町を守るための壁のその上。誰もいなければ、鳥以外は誰も見すらしない場所。

誰も見てないうちに、二人で飛んで登った。


空は太陽の支配から逃れて、代わりに二つ月を空に捧げる。二つの月は、泣き別れた女神の現世の姿だと云う。

下を眺める。町はまだ明るく、暗い中に確かに灯る光達は蛍のような儚さと不思議な暖かさを感じさせた。


この光景を、ただ二人で独占をしていた。

二人きりの時間を、ただ、二人のみが行ける場で。

そうしてイドが静かに花束を渡した。

ただ、素朴な花が集まった、慎ましやかな花。

それを受け取る。

どう反応するべきかもわからず、ただ受け取って。

そうして、くしゃくしゃな顔で笑った。




「私、わたしね。誰も殺さないデートが。こんな楽しいなんて思わなかった。本当に本当に、大好きだよ」



「…………ああ。俺もだよ」


「この世の全てが憎くて堪らない。

だが、お前は好きだ」




そっと、口付けをした。目を瞑り、星と月の光に白い衣装が一層輝く、ロマンチックなキスだった。

花束から花びらがはらりと散った。

ゆっくり口を離す。

二人はそのまま至近距離で見つめ合った。

互いの心は分からない。

敢えて、契約の力に頼る事はやめていた。

先を読んでしまったら、つまらないから。




私を初めてアイしてくれた人。

私が唯一愛した人。

私を見初めてくれた人。

私に全てを捧げてくれた人。だから私も貴方に全てを捧げたい。私を愛してくれたのなら、その分、私も愛さないと。


なんて哀しくて、哀れで。

愚かで、情けなくて。

愛らしい、人だろう。

なんてかわいらしくて、美しいものだろう。





「ね。わたし、この事、一生忘れない。

あなたに殺される時まで、ずっとずっと」



「そうか。是非とも、そうあってくれ。

俺も、絶対に忘れはしない」




祭囃子の音が足下から聞こえてくる。

それを二人で聞きながらゆっくりと座っていた。

うっとりと花束を眺める私を尻目に、彼がどのような事を思ったのだろう。口から小さな唄を紡ぎ出した。


歌詞があるようなものではない。

小さな、小さな花唄。

優しいような、子守唄のような。

それでいて、ひどく、ひどく悲しかった。

ああ、と涙がわけもなく出るようで。





「………クシー……」




その、声が。この、逢瀬こそが。

最期の正気の残滓だったのかもしれない。


もしくは、その逆。

狂気に溺れたからこそ。正気が消え失せたからこそ、このような残酷を平然と行えたのかもしれない。その声は、狂気を抑えられなかった自らを憐れんだのか。



愛した。

憎んだ。

呪った。

怨んだ。

想った。

愛した。

愛して、愛して、愛した。



だから、この、とびっきりの愛を渡した。

だから、この、とびっきりの呪いを遺した。

このとびきりの、愛と呪いの花束を。

一生忘れることのない記憶を。



愛という、どうしようもない呪いを。



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