戦火





手始めに、歩く。騎士がその手を引くままに、少女が歩く。

歩いているうちに、竜は幾度となく転ぶ。その度に身体を擦りむくが、その度に血が蠢き、肉が治る。クシーのその様子を無関心そうに騎士は眺めた。



「人の姿で歩く事に慣れていないか」



「…あまり、人の姿になるなと言われた。母に」



「なるほど、貴様の母は正しい。

人に成りすぎた竜は、人に馴染みすぎる」



「それは、だめな事なの?」



「…何にせよ、人らしくなりすぎるのだ。身体が人になるということは、その感情までもが人に近しくなるという事。

人の感覚と感情を得た不死の竜の末路は悲惨だぞ」



「どうなったの?」



「聞かない方が良い。ただ、そういうモノどもを狩るために、俺のような者が居たとだけ言っておく」



「そっか」



クシーは、かすかに芽生えた好奇心を仕舞う。人の心を得てしまった不死の生き物はどうなるのか。そしてまた、彼が一体何者なのか。それらへの好奇はしかし、そう長続きするものでもなく、また敢えて聞くようなほどのものでも無かった。



歩く。歩いていく。

また幾度も転びながら、歩く。



「着いたぞ、目的地だ」



ぶっきらぼうに言ったそれで、ようやくそこが目的地とわかる。竜はそれに、呆れたように口を開けた。



「……ここが?」







……




その村は、あまり栄えているとは思えなかった。

だが活気があり、ざわめき立っている。この活気は、人々の元気であるとかの健全なものでもないように見える。まるで、熱に浮かされているような、そうしないといけない理由があるような。



「お前はこの村をどう思う、クシー」



そう問われ、改めて周囲を見る。

活気に見えたそれは、慌ただしさに近い。慌ただしく、急いで何かをせねばまるで自分が死ぬかのような。喧騒は怒号が混じり、楽しそうな歌や声は聞こえてこない、煩雑とした五月蝿さ。


それに顔を顰めたのをどう思ったか、騎士が話す。



「忙しそうだろう。騒がしいだろう。

これは祭りでもなければ、商売の繁忙でもない」



「この村は、いわゆる戦争をしているのだ。近くの生息域から追い出された魔物どもとの、それぞれの生存を懸けた戦いだ」


「…そっか」



竜は無関心そうに呟く。騎士は、それを聞き少女の顔を覗き込む。じっと眺めたかと思えば、また興味を無くしたように顔を逸らした。


そして、出し抜けに言う。



「…ふむ、そこで待っていろ。

少し、買い物をする」



「?」



言うや否や早々に立ち去っていく姿をクシーはただぼーっと眺めていた。待て、と言われたからには待つ。

どうせ、竜にやりたい事であったり、そういうものは無かった。

ただ往来に立ちんぼになっていた。








……




「こんな所に居たのか。まったく、探したぞ」



騎士が、呆れたようにクシーに言う。場所は、先程までの往来では無く薄汚い路地裏。

そしてまたクシーの手を引くのは、騎士と、もう一人の男。


ついさっき、急にぐいとこっちの手を引っ張って来た身なりの窶した男。誰か、何故自分を連れていくのか。少し気になったが、少女はまあいいかと思い質問をしなかった。


それをどう思ったかは分からないが、男はこれから俺の家族になるのだと、そんな事を言っていた。

よくわからなかったが、この男はとても臭かった。



「……これからは、人攫いに出会ったのなら律儀に待たずとも良い。それは、言わなかった俺も悪かったな」



「うん」



「テメェ、何をばっ」



クシーの一つしか無い腕に込められていた力が急激に失われる。そのおかしな悲鳴は、血色に黒い騎士の手甲が顔面にめり込み、そのままおかしな音を立てながら倒れていた、そんな音だった。


ぴくりとも動かないそれは、放っておけば死ぬかもしれないし、そもそもこれで死んでしまったのかもしれない。ただ、それもクシーにはどうでもよかった。



「俺は、万が一にも貴様を失っては困るのだ。このような事でそうなるとは思えんが、それでも心配になる」



それを言うと、少し待て。とだけいい背嚢をまさぐり始める。しばらくして竜の目の前に差し出されたものは、素朴な服だった。



「この服を着ろ。可愛らしくはないが、今のものよりは幾分かマシの筈だ」



「…いらない」



少女はただボロキレを纏っているような状態だったが、それで全く持って問題は無かった。寒いとも思わないし、何より結局死なないのだから。



「この村ではむしろ目立たないが、これから先行くべき所ではそのような格好では目立って敵わんのだ。だから着ろ」



「………わかった」



そうまで言われて、渋々と言うようにそれを纏い始める。竜が人の姿になってから初めて騎士に見せた、感情らしい感情は、うんざりとするような怠惰な感情だった。



「目立つのが困るなら、貴方はその鎧を脱いだ方がいいと思う」



「む…そうだな。それはそうなのだが…

これには少し理由があるのだ。仕方ない理由が」


「…」




そう、少し気まずそうにそう言う彼を見て、クシーは少なからず失望した。私を殺すと嘯いたのは、このような男だったのか。服を買い与え、理由を誤魔化すような、普通の人間であったのかと。そう思った。



「まあ、それはいい。

用事は終えて来た。今から始めるぞ」



「服を買うこと?」



「それはあくまでついでだ。

本来の用事として、一つ確認しておきたかった。

そしてそれも今しがた、終えてきた」



「それで、何をするの?」



「戦場に行く」



戦場に行く。

それは、その意味はクシーにも分かった。

ただそこに行くだけ、と言う意味でないことは、その兜から覗く爛々とした目付きで解らざるを得なかった。



「…そう。どっちの味方を?やっぱり、魔物?」



そう、クシーが囁くように話す。

すると騎士は一瞬止まり。



そして瞬間に、爆発するように笑い始めた。




「はは、ハハハハ!ハハハハハハッ!」



「…殺すのだ。どちらも、一匹残らず」




竜の肌が、びりと震えた。

慣れない服の感触だとか、そういうものでは無い。底知れない、薄汚い情念。この世の全てに向けても尚足りない、徹底的な憎悪。

そしてそれを平然と隠しているように見せられる、この男の破綻ぶり。一瞬なりとも、普通の人間に見えてしまった、その擬態ぶり。破綻どころか、とうに狂っているのかもしれない。



本当ならば、竜はその非合理極まる脈絡の無い狂気に、怖気を感じて然るべきなのだったのだろう。


だが不思議と竜はむしろ、呆然と納得の混じったような目で眺めていた。ああ、成る程。私を殺すのは、こういう人なのだ。

竜を殺す人なら、こうでなくてはならない。


私を殺せる人はこんな、濁りを煮詰めたようなヒトでなければと。そう思うクシーの頬は、ほんの少し緩んでいた。







……




「さあ、クシー。殺すのはどちらがいい」



「面倒くさいから、殺さないっていうのは」



「駄目だ」



「…なら、魔物の方」



「ほう、何故だ?」



「人の悲鳴は、聞きたくない。もう飽きた」



「成程。ならそちらは任せるぞ」




ぐしゃりと、乱暴に頭を撫でられる。

その感触はお世辞にも拙く、そして痛いようなものだった。







……





「隊長ぉ!魔物共がどんどん死んでいきます!」



「そんな事見ればわかる!

ああ、クソ。冗談だろ。何を、何を見てるんだオレは!」



燃え盛る炎。革鎧の下でかく汗はその業火による気温の上昇と、狂いそうなほど動転した脂汗と、共にあった。

兵士たちの殆どは腰を抜かし、失禁をしてる者すら居た。

それほどに、あり得てはならない光景だった。


悪い事をするとオーガに喰い殺される。

嘘を付くとセイレーンに声を奪われる。

野良犬に噛まれるとウェアウルフになる。

そんな、子供騙しの、戒め。警告と忠告に箔を付けるためだけに、聞き伝えにのみいるような怪物。化け物。不死者。


それが、そんなものが。

悍ましき牙が生えた口腔から煌々と炎を噴き出し、目の前にいるのだ。否。正確にはその彼らの上空に。



「ドラゴン、竜だぞ!?馬鹿だろ!狂ったのかオレは!」


「俺たちにも見えてます!」


「ならこの場の全員おかしくなったんだな!はははっ!」



隊長と呼ばれた男の半狂乱の声に、返事は戻ってこない。

狂ってしまったのだろうかと振り返り見ると、さっきまで話していた一兵卒には脳天に錆びた手斧が刺さり砕き、死んでいた。


 

敵。

敵襲か。

そう感じ、武器を構える瞬間。身体が警告を発した。

左方。そっちから、上にいる怪物ほど恐ろしいものが来ると。




彼は見た。

陽炎の揺らめきから、魔が。禍々しい赤い黒色がゆらりと歩いて来ている。その死の焔を、炎天の狭間を進み、こちらを睥睨する姿を見た。その分厚い兜から覗く目を、血錆に塗れた鎧を見て。


ああ、あれの本質は人ではない。

魔物よりも、魔物だと解った。




(俺はここで死ぬんだろうな)


そう、思った。悲観では無く、ある種の確信だった。


舌を噛み、気付けをする。

せめてもの抵抗。他の部下だけでも逃したい。



「はは、ふざけんなよ。

魔物如きが人サマのフリかよ」



「最期の言葉にしては品が無いな」



「驚いた。喋れんのかよ魔物野郎」



挑発にもならない軽口はしかし、時間稼ぎにもならなかった。がしり、がしりと容赦なく歩を進める血錆の騎士を見て、一歩前に出る。手にあるハルバードを前に構える。


騎士が構えるは、身の丈程の大剣。あのような物を振るうには、予備動作が必ず出る。その瞬間を突き、脚を裂く。

そう考えて槍を中段に構える。そのまま牽制とするように。


そいつは、牽制をものともせず、進む。

脂汗が、目の当たりを垂れる。



「ハッ!」


短い気合いから、そのまま中段の突き。

そしてそれにぴくりと反応した騎士を見てから、槍を引いて足を狙う地擦りの斬撃。突きは囮だ。




…隊を率いる者として、その者は相応に強かった。否、むしろこのような小規模の、辺境の村に居るには不相応な程、強くあった。


熟達が放たせたのか、追い詰められた決死が絞り出したのか。この槍の一撃は完璧なものであり、人と人同士であるならば、この戦いは確実に彼の勝利で終わっていた。



だから、この騎士は人では無いのであろう。



ただ、大ぶりに手に持つ剣を袈裟を架けるように振るった。ただそれだけで、その軌道上に有った槍は砕け、そしてそれを握っていた躯体もぐちぃ、という音と共に斬り潰れた。無慈悲で、残酷だった。


闘いは、終わった。



「…逃すなよ、クシー。全員を隅々まで追いかけて殺せ」



『今、やってる!』



「なら良い。俺は今終わらせてきた所だ」



炎を吐き続ける中空の竜と会話をしながら、ただの肉片になった男を、騎士が見下す。


軽口に、戦い。此奴ほどの実力があるならば自分が勝てないとは解っていただろう。その上で戦ったのは、他の者を逃す為。

その思いを理解はする。だからこそ、哀れだった。もう自分こそが最後の生き残りだと気付いていなかった事。それが全て無駄であった事が。


どんな感情を思ったのかは分からない。

ただしかし、その昂るままに騎士は高らかに叫ぶ。

不気味で、無機質で、故にこそ感情の篭る慟哭だった。






……




「初陣でこれとは、素晴らしい戦果だ。

流石は伝説上の生き物だな」



「…別に大したことはしてない」



「貴様には大したことでなくとも、俺には違う。

ただそれだけだ。クシー、貴様は素晴らしい」



「……貴方の方が仕留め切るのが早かった」



「慣れや、数の問題もある。

実際、魔物の方が圧倒的に数が多かった」



「……」


「そう腐るな。何にせよ、お前が居てくれて良かった」



また、ゴツゴツとした、血錆塗れの薄汚い小手が彼女の頭を撫でた。先ほどのそれよりも些か柔らかいそれは、それでも不慣れで少し痛かった。その上で、少しだけ心地良かった。




「ねえ」



その、よくわからない感覚を誤魔化すかのように声を挙げる。

丁度、気になっていた事が幾つかあった。



「なんだ」



「一つだけ、聞きたいの」


「どうして、あの村だったの。

さっき、上に飛んだ時、他にも村はあった」



「……どうしてわざわざこの村に。どうしてわざわざ、着く前に魔物の巣を壊して、住む場所を壊してまでこの村に戦争を起こさせたの」



そう。

あの時についた目的地。それはあの村では無く、魔物の群生地だった。洞窟を壊し、森を焼き、川を穢し。

堪らず逃げ出した魔物は生きる為に、あの村を襲った。




「何の理由もなく、鏖殺したと思ったか」



少女はこくり、と静かに頷く。



「か、はは。貴様は正直だな。まあ、確かに衝動が有ったことは否定せん。だが、この村はただ辺鄙な村ではないのだよ」



そう言いながら、背嚢から騎士が何かを取り出す。

それは、一房の草だった。



「これを煎じ、薬にする。すると多幸感に襲われ、痛みを知らぬ兵の完成というわけだ。あの村は、こういったものを、売り捌いていた。それを利益に食い繋いでいた」


「一番のお得意様は、王城。あちらも戦争まみれだ。下らない内戦も、守るべき戦いだろうと。そんな場所に、痛みが無くなる薬など、どれだけ高く売り付けられると思う?」



「…ふうん」



そこまで聞き、しかしあの戦場の様子を思い返す。騎士に殺された人間も、炎が燃え移り死んだ兵士も、魔物に殺された者も。身体が燃えて苦しんでいた。切られて、そのまま倒れていた。咀嚼で悲鳴を上げていた。



「でも、あの人たちはそんな様子がなかった」



「それは、そうだろう。

このような剣吞な厄物を、誰が好き好んで摂取する」



「…?」



「地元の商人以外は、避けて採らないようにしていたような程だ。奴らはこれが何か、知っていたのだ。間違っても飲みはしないだろうよ」



その返答に、少し考え込む。

この村は、それを売ることにより生計を稼いでいたという。それを、摂取できる状態に煎ずることにより。

それを、間違っても呑まないとはどういう事か。



「…それを売り捌いていたんでしょう?」


「ああ」


「…採らないくらい、危ないものだとわかってたのに?」


「ああ」



「……へえ」



返事はそれしかしなかったが、その声には何か、重々しい感情が沢山、詰まっているようだった。



「滅ぶべきだった、とでも思ったか?」



「さあ」


「クク。可愛げが無いな、貴様は」



「……」



「何にせよ、俺は村を一つ無くした。そしてこれは、俺の目的である王都にとっては打撃になる。少しならず、相当のな」



「他の場所にはこの草は群生してないの」


「当然しているとも。だからこそその上で、この薬草を使う者はこうなるのだと示したのだ。ああまで執拗に『散らして』な」



「…趣味じゃなかったんだ」



「ああ。これから先、あの薬草に手を出そうものならば竜が現れ、凄惨に全てを殺していく。それが噂となれば殊更に採ろうとする者は少なくなるだろう。迷信深い辺境の村人なら特にな」



「やったのは私じゃないのに」



「ハハ。悪いが、恐怖のシンボルになってもらう。

それも貴様が必要な理由の一つだ」




なるほど。この男は憎悪と情念に狂っている。だがそれは、知能を捨てたというわけではないのだ。彼は何かを追い詰めるべく、何かを滅ぼすべく、理性と知性を残した上で、狂っているのだ。


何に、そこまで恨みを抱いているかはそこまで興味が無かった。もっと関心がある事が一つあったからだ。



「ねえ」


「今度はなんだ」



「これが最後。…貴方の、名前はなんて云うの」



「俺か。…ふむ、名乗って居なかったな」



「俺は…イド、と呼ばれていた。

そう呼びたいのなら呼ぶといい」



「…イド。イド。わかった。そう呼びたい。

貴方の事を、名前で呼びたいと思った」



「そうか。ならそうしろ」




騎士、イド。

竜の娘、クシー。

そうして二人は、片方しか無い手と、血塗れの手を結び、また歩く。歪に、よたよたと歩いていく。



さあ、次に行くぞ。

また、次に行く。

これから歩いて行こう。


次々に、出てくる戦の火。

そこへ向かう。また、向かう。




二人はただ、殺戮を歩き続ける。




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