キュート・アグレッション





自身に擦り寄る竜を見て、イドは顔を歪める。

その感情が何であったかは、彼にしかわからない。


数瞬の後。彼は剣を置き、クシーの頬にゆっくりと触る。

為されるがまま、触れられるままにしていた少女の目の周りから血潮を拭く。そしてそっと彼女の頬にへばりついたままの臓物をぬぐい取り、床にべちゃりと捨てた。


そして、言う。




「まず、兜を返せ。

そこから、この部屋に飛び散った肉片を焼く」



無表情に、歩きながら話す姿。

それを見て、またクシーが笑う。

彼の挙動の全てが愛おしい、という事ではない。

そうではあるかもしれないが、笑った理由はそれではない。ただ『無表情であろうとしている』その姿がいじらしかった。




「へえ。

私を褒めるより、そんなものを優先するの」



「妙な言い方はよせ。

この場で俺が死ねば永遠に誉める事も出来ないだろう」



「ふふ、うふふ。冗談。

ごめん、わかりにくかったよね」



「ああ、全く」



投げ返された兜を乱雑に受け取り、それを再び頭に嵌めるイド。その横でクシーが彼に拭われた頬を恍惚と撫で触れていた。


青い焔が大剣からまろび出る。

その恐ろしい焔はしかし、部屋の調度品を一つも焼き汚す事なく、部屋中の血化粧と臓物のみを焼きしだいて行く。

…その、未だに蠢く肉片達を。



「そこまでしなくても、元の人の姿に戻るのは無理だと思う」



「そうだな。だが、そうでないかもしれない。

不確定要素は出来るだけ消しておきたい」



これもまた嘘。少女の口元が歪む。少し前から、彼女には騎士の嘘がすぐに分かるようになった。それは薬指の契約から伝わる情報や、竜の持つ能力だとか、そういうものではない。ただ個人として。その事実が彼女にまた、悦びを与えてくれる。


だから、そうだ。これもただ、肉片だろうと、今の女刺客が目の前にある事が許せないから、した行動だと分かった。何故かを説明する事や、詳に理由を話すことは時間を食うし、何より言いたくないから、不確定要素を消すなどという苦しい言い訳をしているのだと。




「……そこでだらしなくにやけているくらいなら、こちらを手伝ってくれ。もしくは『次』への準備をしておけ」



「…だらしなくにやけてなんか無い。

にやけてはいたとしても、だらしなく無い」




そうぶつくさと言いながら、彼女は言われた通りに『次』の準備をすることにした。さっきまで横たわっていた寝床を退かし、部屋の隅にあった非常用の棒を手に持つ。


今また、自在に竜に戻れるようになった今必要無いものではあるが、彼女自身、試してみたいことがあった。



「……ッ、ぐ、う…っ」



念じる。人の身体、竜の身体のイメージ。

竜の身体から、人に変わる時のように。

この棒を自らの身体と錯覚するように。


そうだ。竜体から、人となる。そんな、天地が返るほどの変化すらが可能ならば、この程度、出来て当たり前の事なのだと。そう語るかのようにクシーの試作は、あっけなく成功した。



その変化は、棒の先にあるもの。そこに、白銀に輝く刃が形取られている。竜の鱗が分離、固まり、斧の刃として成立している、少女の大きさには少し見合わない一振りの斧だ。




「…ほお、そんな事も出来るのか。

いや、出来る様になったのか?」



「初めて試してみた。

出来る事はやれるだけ増やしておきたいから」



そう返事をすると、イドは満足そうな声をあげる。カカ、というような、クク、というような不思議な笑い声。




「その向上心は嬉しいな。

…さて、そろそろ来るぞ」




次。

そうだ。まだ、気配がある。

今さっき、クシーが潰した存在と同じような気配。

否。ような、ではない。

『全く同じ気配』だ。


複数人の、全く同じ気配。それが意味する事は、おぞましく、禁じられた行為から生まれた戦士達。

ドアが開くその直前。

大剣を握る音と同時に声が響く。




「ああ、そうだ。これだけは先んじて言っておく」



「うん?」



「…良く立ち直ってくれた。

お前が、どうあろうと関係ない。

ただそれだけが嬉しいよ、クシー」



「……!」



刹那、扉が乱雑に蹴破られた。

入り込んで来る外敵は複数。

どれも同じ見た目と同じ声。

一人の持つ武器が既に血に濡れている。

邪魔であるからと、この宿の主人を殺したのかもしれない。ただ、今それに気を揉む余裕は無い。


それらは。

その、女刺客達は同じ武器を持ち、言う。




「「イド、みっけ」」



同じタイミングで、同じ言葉を。


それに言葉を返すことはなく、返事の代わりに武器を構える。今にも襲い掛かりそうな程の、獰猛な構え。


ただ騎士と竜は眼を交わす。

声を、交わす。




「行くぞ、俺の竜」


「もちろん、愛しい人」







……




灰色の刺客が飛び込んで来た。

それを一刀の元に、両断。

だがその脇からそれぞれ2人ずつ、同じ姿が襲いかかってくる。同一の存在の血と脳漿を浴びながら、怯む事無く。


しかし同じ存在ということは、同じような状況下において、同じような行動をしようとする、という事。

故に、イドは身を沈める。すると、飛び掛かってきたその2人は中空でぶつかり合う。痛みで怯んだその一瞬を逃さず、大剣が二つの胴を薙ぎ払い、4つの肉塊を生成した。



ばりん。

背後から窓が破れる音。

気配が無数に感じるが、そっちに構う余裕は無い。扉からまだ何人も、何人も入ってきている。



「…ッ!どれほど…!」



踏み出して再び薙ぎ払おうとした瞬間。

がくり、と踏み込みを止められる。横に両断し、殺したはずの死体が彼の足に纏わり付き、掴んでいた。


ならばと剣を一度引き、その場で突く。

一人が串刺しとなり、そしてそのままの状態で大剣をぶん回す。頭蓋が、肉が、槌となって周りを壊していった。


足元に纏わる死体を踏み潰し、背後の気配に剣風を振るう。ばっくりと、体内の赤色が空気に触れた。その確認もしないまま、再び剣を振り回す。



(…まずいな)



何が、まずいか。

今の対処に、時間を使いすぎた。

次々に来る軍勢を即座に殺さねば間に合わないほどの数。それにほんの少しでも手間取れば、それはつまり。



部屋を埋め尽くす程の刺客の数。

全てが同じ顔で、全てが同じ存在。

どれもこれも同じ声で、同じ武器を持つ。

それが、所狭しと入ってくる。



(…クシーは)



咄嗟に声を掛けようとした。

が、その瞬間をも狙いダガーが首元に飛来する。

それをすれすれに避けて。右から、左から、上から。三度に渡る流麗な剣戟。その度に、血潮が舞った。


この部屋では狭すぎる。彼女は竜になることは難しいだろうし、何より密集されれば、その分こちらが不利となる。




「私を…」



「イドから遠ざけるなッ!」




そう思った時の事だった。

恐ろしい剣幕。紙吹雪のように人が飛んだ。

ぱん、と。弾けるように、部品が飛んでいく。

精巧な飴細工を高くから落としたように、ばらばらに、滑稽なほどに、人が「撒き散らされた」。



全身を赤色に染め、白銀であった刃すら黒赤色にしながら、それでも人の海をこじあけ、裂き開いていく姿は、人の姿には有り得ない力。心の中で、問いかける。脳に響くように、彼らだけの対話がされる。



『無事か。

竜の姿にはなっていないようだが』



『うん。平気。

力が溢れてきて堪らないの。今なら何でも出来そうなくらい。なんであっても、出来ちゃうくらい』




若しくは本能が、この女達を殺せと言ってるのもしれない。


そう最後に呟いてから、クシーが再び斬りかかる。切るというよりは、叩き割るような斧撃が敵を刻む。


間違いない。

クシーが、人の姿のままに竜の怪力を使っている。それは今まででは出来ない事であったし、例え出来たとしてもその弱々しい皮膚や骨格が保ちはしなかった筈だ。壊れる度に治っているのか、はたまた壊れる事のない身体となっているのか。


どちらにせよ。『それ』が出来るようになったきっかけは、やはり。


 



横目で竜を見る。

瞬間、目が合った。

違う。彼女はずっと、こっちを見ていたのだ。


イドが兜の奥で再び顔を歪めた。




「オオッ!」



奇剣を床に突き立てる音。

瞬間、二つの棒の隙間から焔が溢れ出す。溢れ、全てを焼かんと、噴火のように青い炎が噴き出た。


まだ五体が残っている刺客は、それを避ける。だが床にのたうち回っているそれらは回避の手段なぞなく、そのまま焔に焼き焦がれた。そして残った者どもを、火を纏う剣が裁断した。




「…最初からそれをやれば良かったのに」



「出来れば使いたくは無かったんだ。

これは、非常に疲れる」




呆れたように話す少女と、肩をすくめて話す騎士。

話す余裕が出来たという事。

それはつまり、もう敵は居ない、という事だ。


血の匂いと、赤く染まり切った部屋。

ただそれだけを残し、戦いが終わった。







……






「もう、此処にも居られないな」




しんみりと、呟く。

そうだ。もうここには居られないだろう。

無数の『彼女』が送られてきた事実。

音、匂い、破壊。

全てが、目立ち過ぎだ。



「此処も、一度来たことがある場所なの?」



そう、クシーが俺に質問をした。

…膝の上、その身体を撫でられながら。

戦いが終わった直後の事だ。竜の怪力で俺の手を掴み、今度こそちゃんと褒めてと、そう言ってきた。

断れる筈もなく、今こんな状態になっている。


殺戮の後の部屋。血生臭い部屋で、ただ彼女の言う通りに手を動かしながら質問に答える。




「ああ。昔、一度世話になった。

店主は恐らく俺のことなぞ覚えていないだろうが」



「何かと戦った後の話?」



「いや、子どもの頃の話だ。…そうか、言っていなかったな。この街は俺の故郷なんだ」



「そうなの…!?」



「ああ、うん。

だから此処に来た、という訳でも無いが」



「なるほど。…だからこの街の説明をする時、少しテンション高かったんだ」



「…む……高くはなかった。はず」




無意識にそうなっていたのだろうか。

そんなつもりは無かったが、自信は無い。

俺は、感情を抑える事が非常に苦手だ。だからこそこんな無意味な復讐に身をやつしてるのだから。

そうしていると、膝の上の少女がくすくすと笑う。鎧が無ければ、身をよじる彼女の髪が身をくすぐったかもしれない。




「…そんなに可笑しいか?」



「え?…ううん。

ただ、イドを少しでも知れて、嬉しいの」



「…そうか」



再び沈黙が空気を包む。

籠手を外して、彼女を愛撫する。

ぱたぱたと、上機嫌そうに足を動かす様子は、これまでよりも一層、ただ人間の小さな少女にしか見えない。


気が狂いそうだった。




「いいよ」



びくり、と手が止まる。内心を見通したようなたった一言は、ただそれ故に身体を凍り付かせた。



「私は、貴方の言うことなら出来る。

貴方のやる事なら、全部受け入れるよ」



クシーには、分かっているのだ。

この胸にある感情が。

到底、解られるべきではない渦巻が。

今此処にある、破壊衝動が。


震える手を、抑える。

代わりに、口を動かした。




「…なら言葉に甘えて、一つ質問だ。…ヒトには生き甲斐が必要だ。お前はヒトでなくとも、ヒトと同等、それ以上の智慧を持つ知的生命体だ」



「?そうだね」



「そしてお前は、俺の為になら何でも出来ると言った。それは、生き甲斐と言ってもいいだろう。お前は一つ、生き甲斐をみつけたという訳だ。生きるにあたっての目標、意味が」



「…そう、かな。うん、そうかも」



「それなら俺に協力をして、俺に殺される必要もないのではないか。生きる事に意味を見出したなら、お前は死ぬ必要なぞ無いのではないか。

…俺に着いてくる必要も、無いのではないか」





びたり。

撫でられていた彼女の身体が止まった。

その硬直に、昏い喜びが溢れる。




「…どうして、そんな事を言うの?」




地響きのような声だった。

先ほどまでの、浮かれた声とは違う音。

呪いの魔法を掛けられたような、重々しい。



「…私は出来る限りイドと共に居たいし、その為ならなんだって出来る。だから付いていく」


「貴方がどうなるかを見たい。

復讐の末にどうなるかを最後まで見届けたい。

その為に貴方の為になりたい」



吐き出すように、嘔吐するように一気に言葉を流していく。さっきまでゆったりと身を預けていた身体は今やこちらを向いて、泣きそうなような顔で目線を合わせている。その小さな片手は、心苦しげに胸を抑えて。




「何より…

…私は、貴方に殺されたいの。愛した、貴方に。

貴方が言う生き甲斐は、きっとそれなの。

だから、そんな事、言わないでよ……」



嘆願するように、踞る。人を紙切れのように破り捨てる無双の竜の姿とは、到底思えない姿。

俺はそれを見て満足をして、その涙を流している後頭部に、またそっと触れた。




「すまん。今のは、ただの意地悪だ。

お前が可愛らしくてな。許してくれるか」



「…うん、許す」




…その時は気付けはしなかった事。彼女は悲しみながらもただ、呼び方一つに、喜んでいたのだと。


『お前』。それまでは、『貴様』であった呼び方が無意識の内に少しずつ砕けて、そうなっていっている有様は、今の彼女には何よりも喜ばしいことだったのだと。



その時は気付けはしなかったこと。

何故俺はこんな事を聞いたのか。何故このような質問でいたずらに彼女を傷付けて、それを見て満たされたのか。


愛おしく、愛おしく思えたから。

故にこそ壊したく、傷付けたくなった。

ただ、壊れた衝動だったのだと。





「さあ、そろそろ此処を出よう。

…まだ足りないというなら、続きはまた後でだ」



「…うん。とりあえずは、十分。

でも、もっとずっと、私を褒めてね。私を見て」



「ああ。そうするとも」




そうして、宿を出た。まだ関門が開くまでにはもう少し掛かる。それまで気付かれぬ場所に身を移さないとならない。まずはこの血塗れの身体も、汚れを落とさなければ。







……






「イド」



「?今度はなんだ」



「…私ね。貴方が私に抱いてる想いが、私のそれとは別のものでも、全然構わない。それでも、さっきみたいな事を言われたら耐えられないから。伝えておきたいの」


「私は貴方のことが大好き。愛してるし、恋をしている。この世の全てに代えても、そばに居たい。少しでも離れたくないし、終わりまで貴方と居たい。だから貴方にちゃんと終わらせてもらいたい」




「…釣れないことを言うな。我が翼よ。

お前が持つ想いは、俺と同じものだよ」


「だって、そうだろう。お前に俺がわかると云うことは、即ち俺にも、お前がわかると云うことなのだから」




「……っ!……ふ…うふ、ふふ。

そっか。そうなんだ。嬉しい。愛しているって言葉に、同じだ、って返してもらえることがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。私、ほんとに幸せ」



「そうか」



「うん、これ以上無いほど。

………例えそれが…」




──私を利用する為の言葉であっても。ね。





「……」



「う、ふふ。貴方に私が解るって事は、私にも貴方がわかるって事、なんでしょ?」




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