3月27日    幹島 平人

「ふっ、愚民を見下して飲む葡萄ジュースは格別だ」


 タワーマンションの最上階で窓際に立ち、夜景を眺める。

 格好はもちろんバスローブ。

 二十畳の巨大な寝室にはキングサイズのベッドのみで殺風景を極めている。寝るためだけの部屋に、ここまでの贅沢。

 これこそ勝ち組のあるべき姿。……らしい。


「満足されましたかな、平人様」

「毎日やっていると流石に飽きる」


 振り返ると、ドア付近で頭を垂れている執事兼、運転手の珠金がいた。


「形から入るなら、せめてワインかブランデーの方が良いかと」

「酒は好まん。あんな不味いもの仕事以外で口にする気はない」


 食事会で出たときは飲むしかないが。


「ここまで来たか」


 アイドル、政治家。他人がうらやむ栄光を手にしてきた。

 しかし、俺の心が満たされることはない。


「どん底だった人生がこれほど好転するとはな」

「そうですな。濁流の者は奴隷……いや、家畜扱いでした」


 珠金も俺と同じく濁流出身だったが集落から追い出され、村で暮らすように命令されていた。

 あの村はそういった者が集まって誕生した村だ。

 本流には決して逆らえず、意見を口にすることも許されず、ただ従うのみ。

 アイドルとしてのデビューも俺の意思ではない。たまたま顔が良かったから本流のヤツらに命じられただけ。


 芸能人になれば多くの情報を集めやすくなり、横の繋がりも増える。

 集落と繋がりのある権力者の力を借りたので人気操作も思いのまま。曲は当たり前のようにヒットして、ドラマや映画も話題になる。

 その流れで政治家としても有名となり、順風満帆な生活が保障された――表向きは。


「今の生活を捨てることに、ためらいはなかったのですか?」

「何度も言っているだろ。微塵もない」


 敷かれたレールの上を無理矢理に歩かされるだけの人生に嫌気が差した。

 その結果、前々から秘めていた熱い想いを解放した、それだけの話だ。


「集落では小間使いのような立場だった。本流の一家に仕え従う日々」

「確か書庫を担当する一家でしたか」

「そうだ。七下上一族にまつわる歴史書や、日本や各国から集めた書物。様々な研究や実験結果を書き残した秘蔵の書。そういったものを一手に預かる重要な役目を担っていた」


 屋敷内の掃除も担当していたので、俺は濁流で唯一書庫の出入りが許されていた。

 といっても巨大な書庫を清掃することで手一杯で、書物を読む時間はなかったが。


「ある日、書庫にある書物をデータとしてパソコンに保存するようにと命じられた。本来は濁流が目を通すことは許されない貴重な物だというのに。俺がそれをやることになったのは仕えていた家の愚息のせいだった」

「傍若無人なバカ息子として有名でしたからな。親は優秀だったのですが」

「英雄の子が英雄とは限らない、という顕著な例だ。そいつは自分に与えられた仕事をすべて俺に丸投げをした」


 そのおかげで貴重な書物を咎められることなく読むことが可能となったのだが。

 一族の歴史。ありとあらゆる実験内容と結果。表には出せない裏取引の契約内容。怪しげな儀式。魔法書。その全てを知ることとなる。


「歓喜したよ。濁流には秘匿されていた情報、知識が自分の物になったのだからな。その知識や情報を利用して金を流用、村でゾンビパウダーの開発を進めつつ、従順なふりをして政治家としての地位を固めた」

「そして、用済みになった集落の人々を焼き殺した、と」


 他人事のように話しているが、あの火事は珠金も協力していた。

 村人を率いて指示を出していたのは、俺ではなくこいつだ。


「虐げられていた濁流の者たちが、こちら側についたからな」

「皆が現状にうんざりしていましたからね。ヤツらを扇動するのも容易かったですよ。アレも使いましたし」


 アレとは、ゾンビパウダーを作り出す過程で生まれた失敗作。

 人々を高揚させ、理性を狂わせる薬。それを使わなくとも従っていただろうが治験も兼ねていた。

 その薬の開発を一手に担っていた研究者が珠金だ。


「通様に関しては、残念でしたね」

「そうだな。ヤツも同じ志かと思っていたのだが」


 通は――親友だった。

 濁流と本流。本来なら交わることのない二人だったが通は変わり者で、身分差など気にせず何かと俺を気に懸け、いつしか友と呼べる間柄に。

 表向きは立場をわきまえた素振りをしていたが、二人きりになると互いに呼び捨てになり、暗くなるまで無邪気に遊んでいた。


 少年から青年になっても関係性は変わらなかった。ただ、話の内容は子供じみたものから、大人の会話へと変化していったが。

 通は現状を良しとせず、集落の悪しき行いを止めさせようと努力していた。

 俺は濁流側の不満や改善点を忌憚なく伝え、共に考え知恵を出し合う。

 意見が衝突することなんて日常茶飯事だったが、それでも俺たちの友情が覆ることはなかった。


 ――あの日までは。


 長となり集落に改革を起こそうとしていた通を老人たちが排除することを決断した。

 間抜けな老人共は、よりにもよって実行役を俺に任命したのだ。

 表向きは従順で決して逆らわない俺を完全に信用して、承諾するものだと思い込んでいたのには笑ったが。

 その信用を逆手に取り村人たちに一服盛ると、ある程度体の自由を奪ってから火を放った。


 最高に美しい炎だった。

 燃えながら踊るように悶える人々。

 俺の仕業と気づき怨嗟の声を荒げる老人。

 恨みや妬みが浄化される思いだった。


「集落を焼いたことを通に伝えると、烈火のごとく怒ってな。あいつのためにしてやったのに礼の一つも言わず。困ったヤツだ」


 なんとか説得を試みたのだが折れることなく、批難し、拒絶した。

 だから俺は――


「しかし、どういった気まぐれなのですか」


 珠金の声で過去から意識が戻された。


「それは、通の子供たちを見逃したことについてか?」

「そうです。あの事故に見せかけた一件の際に、私が姉弟に止めを刺すのをお許しになりませんでした」


 通と妻は死んでいたが、姉弟はまだ息があった。

 同行していた珠金は殺すことを主張したが。「遺恨を残すのは推奨できない」と。


「子供の頃、親から唯一与えられたマンガが古本の歴史マンガでな。源義経、頼朝の話だった」

「はあ、それが?」


 話をはぐらかそうとしているとでも思ったのか、呆れた口調だ。


「それを読んで子供心に思ったのだよ、こいつはとびっきりのバカだと」

「義経、それとも頼朝ですか?」

「どちらでもない。平清盛だ」

「そちらですか」


 源氏平家の物語は大河ドラマにも起用されるぐらい有名だ

 源義経、頼朝の視点で見れば、復讐を果たすストーリーで爽快感もあった。義経の最後は思うところもあるが、それはそれで悪くない結末だ。

 問題は平清盛。


「散々、源氏の連中を殺しておきながら、情に流されて幼い二人を生かしていた為に復讐されてしまった。あのとき、容赦なく殺しておけば安泰だったものを」

「確かに言われてみればそうですな。情に流されたかどうかは諸説あるようですが」


 後に調べたことがあるのだが、当時の立場や他の目論見もあったという説も確かにある。

 だが、俺の読んだその本は妻に懇願されて助けた、といった内容だった。


「正直、理解ができなかった。後顧の憂いは絶つべきだ。わずかでも可能性があるのであれば、そこに情けは必要ない……と思っていたのだがな」

「姉弟の件ですか」

「ああ。こんな俺でも情というものが存在したらしい」


 通の子供たちを生かしておけば、後々に厄介な存在になるかもしれない。

 しかし、激情に駆られ友を殺した血塗られた手で、子供たちの命まで奪うことには……抵抗があった。


「見逃した結果、この始末だ。平清盛を笑う資格などないようだ」

「その通りで」


 感情を出さない淡々とした口調だが、言葉に棘がある。


「見逃した件もそうなのですが、何故、今更になってお会いになろうとしたので」

「彼らが我々の悪巧みに気づいた、というのが大きな要因ではある」

「この所業を悪巧みと表現するのは如何なものかと」


 珠金は細かい点を気にしすぎだ。

 どんな言葉で取り繕ったところで中身が変わるわけではない。


「まさか、陣君が予知夢に目覚めるとはな。警戒していたのは八重君の方だったのだが。これは想定外だったと認めよう」

「落ちこぼれでしたから。長の子でありながらなんの才能もない。肩身も狭かったようですし」


 二人があの場所に移り住んでからは、念のために監視は付けていた。

 だが、八重は引きこもり、陣は会社勤めをしていたがそれも直ぐに止めてしまう。二人揃って早すぎる隠居生活に突入した。

 敵対どころか、二度と会うこともないだろうと考えていたのだが、まさかこのような形で関わってくるとは。


「予知夢の話が出たときは心底驚かされた」

「ご姉弟はつい先日まで盗聴器の存在に気づいていなかったようですね」

「電話をした日に、探偵共が見つけて破壊したようだがな」


 探偵が通の子供を調べ、その関連でこちらも嗅ぎ回っているのを知ったのが今月の初め頃。

 タイミングがタイミングだったので、何かあるのではないかと警戒して動くことにした。

 それまでは遠くから監視する程度だったのだが、宅配業者を装って盗聴器を玄関とリビングに仕掛けさせた。

 あの陣が予知夢に目覚めて、敵対するような立場になるとは思いもせずに。


「通の執念か」

「執念ですか。そんな非科学的なことを、と言いたいところですが我々がそれを口にしても説得力がありませんな」


 見えない力は存在する。

 それを俺たちが否定するわけにはいかない。


「そういえば、モドキに関する情報を八重様と花子様がネットで流布しているようですが」

「放っておけ。今更騒いだところでどうにもならん」


 今はネットの狭い界隈で少し話題になっている程度。

 数日で一気に広まったとしても後の祭りだ。

 もし、俺の身に何かあったとしても、問題なく計画は実行される手筈になっている。


「二十九日の襲撃は本当に実行されるので?」

「知らんのか、有言実行が公約の一つだったのを」

「承知しておりますが、そのようなことをする必要性が見えません」


 珠金とは長年の付き合いになるが、まだ俺を理解していないようだ。

 答えは決まっている。


「気まぐれだ」

「はあああああああぁぁぁぁぁぁ」


 魂まで抜け出るのではないかと思うほどの、長く大きなため息を吐く珠金。


「お前もモドキの活躍を見たいのではないか?」

「それはまあ、正直なところ見てみたいですな」


 こいつは根っからの科学者気質。

 人体実験にためらう様子もなかった。

 投薬を続けて問題点が浮き彫りになると、更なる改良を加える。それを黙々と実行していた。


「付け加えるなら、我々は悪役の立ち位置だ」

「まごうことなき悪役ですな。人類にとって最大の災厄となるのは確実かと」

「通の子らにしてみれば、これほど理想的な悪は存在すまい。父の仇であり、世界の脅威。ならば、その役を演じきってみようではないか!」


 窓の方に向き直り、夜景を眺めながら手にした葡萄ジュースを飲み干す。

 やはり、ここはワインの方が様になったな。


「通様を殺めたことを今も後悔されているのですね。残された子供たちの憂いを取り除くために、あえて危険に身を晒すと」

「お前は深読みをしすぎる癖がある。私が集落の人々に復讐する権利があったように、八重、陣の姉弟にも同様に復讐の権利が与えられるべきだと考えたからだ。だから、その機会を用意した」


 それだけの話。


「通様のいなくなった世界は退屈ですか」


 その呟きには肯定も否定もせずに、沈黙で答えた。

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