3月26日 桜坂 陣
「陣、何本ぐらい伐採すればいい?」
「切れるだけ切ってください」
神宮一は返事の代わりにチェーンソーを高く掲げる。
木の伐採は任せておいて大丈夫かな。
裏山で作業中の探偵コンビの様子を見に来たが、上手くやっているようだ。
いざというときはゾンビ対策の武器になるからと、購入しておいたチェーンソーが大活躍中。
ここで取れた木々は堀の側面に並べる予定にしている。
本来は土を固めて終わる予定だったが、それだと強度に不安があるとの意見を受けて丸太を並べる運びとなった。
木は裏山にいくらでもあるので二人を伐採担当に任命。
木材は乾燥させて使わないと不具合が生じるらしいが、時間がないのでそこは目をつぶる。
裏山を離れて庭に戻ると、ショベルカーの近くで休憩しているディヤがいた。
上はノースリーブのシャツに下は作業ズボン。ねじったタオルを頭に巻いてヤカンの水をラッパ飲みしている。
「似合いすぎだろ」
「形から入ると気合い入らない?」
別に褒めたわけではないのだが、嬉しそうに笑っている。
あのデザインが古い黄金のヤカンも、見栄えのために取り寄せた物。
今も作業風景を録画しているようだ。この動画を公開する日はこないというのに。
「どう、調子は」
「堀の穴は今日中に掘り終える予定。作業は明後日までしかやれないから急がないとね」
幹島が約束を守れば、という条件付きだが。
「ジンちゃん」
肩に手を置かれたので振り返ると、頬に姉の人差し指が刺さった。
「子供か」
「ふふっ、童心に返るのも大事よ」
この状況で明るく振る舞っている姉。
少し前の姉なら部屋にこもって怯えていたイメージしかない。
だけど、姉は変わった。……いや、昔に戻ってきている、と言った方が正しいか。
「ジンちゃん、大丈夫。幹島は約束を守るよ」
自信満々で言い切る姉。
その態度は高校時代の姿を彷彿とさせる。
「だといいけど。八重姉、何度も言うけどあんな無茶はもう止めてくれ」
昨日のビンタはあまりにも衝撃的な出来事だった。
幹島に「勝負を受けます」と断言した後、緊張の糸が切れて気を失った姉を見たときは、心臓が止まりそうになった。
「ごめんね、心配させて」
「でも、格好良かったよ! グッジョブ!」
ディヤが親指を立てた右手を突きつけ、ウィンクをしている。
正直、俺も胸がスッとしたのは事実だ。驚きと動揺の方が何倍も強かったけど。
「もう少しでお昼よね。その時にみんなに話したいことがあります」
いつになく真剣な姉の声に思わず頷いた。
昼食後、姉との話し合いを終えた俺たちは朝よりも元気に作業をしている。
姉との会話により悩みの一つが晴れたおかげで、活力がみなぎっているからだ。
手押し車に土砂を載せて、少し離れた場所に捨てていく。
やるべきことをやって、迎え撃つしかない。
幹島との話し合いの日、ヤツを殺して少しは現状がマシになるなら、この手を汚すつもりだった。
だけど「私の身に何かあったら計画を早めるように伝えている」と先に釘を刺された。あの冷笑が頭から離れない。
話し合いで一つわかったことがある。幹島を理解するのは不可能。相容れない存在なのだと。
「そこー、手が止まってるよー。ちゃんと仕事してくれませんかねぇ」
考え込んでいた俺に茶々を入れたのは、確認するまでもなくディヤだ。
「へいへい、働きやすよ」
「よろしい。お姉さんのおかげで希望が見えたんだから、頑張らないとね」
「そうだな」
準備期間は今日を含めて三日しかない。踏ん張りどころだ。
基本対策としては籠城戦しかない。
我が家を拠点として全力を尽くして守り切る。
ゾンビ――モドキが大挙して押しかけてくるなら、それしか助かる術はない。
半日耐えればモドキを引かせる約束だ。そして、薬も手に入る。
こちらとしてはメリットが大きい。気まぐれの提案だとしても乗るしかなかった。
デメリットは……死。もしくはモドキの仲間入り。
弱気になるなよ、俺。
来たるべきゾンビパニックに向けて、どれぐらいの防衛力か試す機会がやってきたとプラス思考になれ。
事故に見せかけた両親殺害の恨み辛みは考えるな。
今はみんなを守り切ることだけ、そのことだけに頭を使え。
「しっかし、リアルでゾンビゲーができる日が来るなんて思いもしなかったわ」
ディヤが感慨深げに言う。
悲愴な感じではなく、どこか楽しげに。
「色々と巻き込んで悪かった。すまない」
ディヤに向き直り、深々と頭を下げる。
俺たちの都合でこんな目に遭わせてしまった。謝罪したところでどうなるものでもないけど、そうせずにはいられなかった。
「やめてよ、気持ち悪い。そもそも謝られるいわれはないわ。むしろ、巻き込んでくれて感謝感激雨あられよ。陣が声を掛けてくれなかったら、何の備えもできずに四月一日を迎えて無残な最後を迎えるか、モドキになって一緒にうーあー言ってたかの二択でしょ」
突き出した両手をだらーんと下げて、ゾンビのモノマネをしている。
無理して強がっている様子ではなく、やはり楽しげに見えた。
「一度は妄想したことない? ゲームの世界に入りたいなーって。そりゃ乙女ゲーとかの方が良かったよ。イケメンが私を奪い合ったりなんかしちゃったりして……ぐふふふ」
そのシーンを妄想して気持ちの悪い声を漏らしている。
想像力が豊かなようで。
「でもさ、仲間と協力して敵を討つ、ってのも悪くないよね。タワーディフェンスとか好きだし。おまけに夢だった要塞化DIYまでやれたんだよ。文句を言ったら罰が当たるってもんよ」
強いな、ディヤは。
こんな状況でも生き生きとしていて、落ち込む素振りがまったくない。
彼女にすべてを打ち明けて良かったと心から思う。
「唯一の心残りは今までの作業を世界中に公開できないことね! 絶対バズってた自信がある! リスナーの反応が見たかった!」
腰だめに構えて顔を天に向けて咆哮している。
根っからの動画配信者だな。
「いつかさ、この騒ぎが収まったらいいよね。そしたら、お姉さんともっとコラボ配信するんだー」
今日初めて笑顔に陰りが見えた。
「そうだな。そんな日がきて……欲しいな」
「しっかし、お姉さんが努々現世だったなんてね。あの告白が人生で一番驚いたかも。ゾンビの話より」
驚きはそっちの方が勝るのか。
「陣にも秘密だったんでしょ?」
「ああ。俺もビックリしたよ。深夜に地下室で何かしているとは思っていたけど、まさかな」
努々現世の存在はディヤから聞いてはいた。
ちょくちょく話題に出ていたから。最近ハマっている人がいると。
どんな姿をしているかまでは知らなかったので、興味本位で一度だけ動画を観た。
正直な感想は……お前は誰だ?
透け透けのベールを被ったポニーテールの女性。髪色はサツマイモの皮のような紫。
切れ長の目に血のように赤い唇。画から大人の妖艶な色気を感じる。
口調はハキハキしていて、声色は変えてある。雰囲気も話し方も姉の面影はない!
あと、胸元が大きく開いている服装で、何がとは言わないが姉よりかなり大きいと思ったのは黙っておく。
「占いキャラとして有名だったんだろ?」
「そうそう! 毎配信、最低一つは占いをしてね、それが当たる当たる。ずっと不思議だったけど、今となっては……ねえ」
俺の予知夢を流用していたのを知って、ガッカリしていたのを俺は知っている。
配信といえば。
「あのときは助かったよ。姉と協力してリスナーを呼んでくれたんだろ?」
「うむ、感謝するがいい」
胸を張りすぎて上半身が仰け反っている。
実際に感謝しているので手を合わせて崇めておこう。
「でもさ、あれって私よりもお姉さんの手柄だよ。ファンの数が全然違うし」
確かに現場での割合はディヤ2、姉8ぐらいだった。
でも、村人に強気で食ってかかっていた熱心なファンはディヤの方だったよ。……熱烈で厄介なファンがいるとも取れるけど。
「ディヤはリスナーに伝えたのか」
「ゾンビパニックのこと?」
「そう、それ」
姉は仮の姿を利用して、大まかに伝えてはいる。
何かしらの大きな災害があるから、食料や日常品の備えをして四月一日は絶対に外に出てはダメだと。
「情報公開オッケーになった次の日から、四月一日に何かが起こるって努々ちゃんが言ってるーって投稿したよー。もしかして、ゾンビとかだったらどうする? みたいな雑談配信もね。おすすめの災害グッズとか保存の効く食料品の動画とかも、お姉さんと一緒に投稿済み。関連商品が結構売れてるみたい」
ファンたちに真実を伝えたところで、本気で信じてくれるのはほんの一部だろう。
あまりにも突拍子もない話すぎて「映画のコラボかな」「宣伝じゃないか」ぐらいにしか思われていないのが現状らしい。
完全に信じ込ませるには決定的な証拠が必要。
あの日まで一週間を切った今、ゾンビパニックを完全に信じさせるには証拠に加え、時間が足りない。
二人の行動は苦肉の策だが、やらないよりはマシだ。
それに俺が予知夢で見たのは四月一日の混乱した状況だった。何をしても日本中に浸透させて混乱を収めるのは無理だと未来が告げている。
ただ、四月一日以降がどうなるかは不明。
終末世界になるのか、それとも終息するのか。
後者であれば、ある程度の日数をしのげれば助かる見込みがある。ディヤたちの行動は決して無駄ではない。
やれる範囲で最善だと思うことを各自でするだけだ。
俺は姉を救いたかった。だけど今はディヤ、神宮一、日野山も救いたいと思っている。
だから考えを押しつけるのではなく、みんなの想いを尊重したい。
神宮一は岩朗さんを救うことを最優先にしている。なので、モドキのことは誰にも話していない。
日野山は神宮一に恩があるらしく「先輩の考えに従う」と言っていた。
そこら辺の事情に興味があったのでディヤに尋ねてみると、
「家出して、ヤバい連中に非合法なヤバい仕事をさせられそうになっていたのを叔父さんが助けたらしいよ。それ以来、懐かれているんだって。まあ、それだけじゃないって私は睨んでいるけどねー」
とゲス顔で含み笑いをしていた。
色々あるのだろうとそれ以上深く追求はしなかった。姉がいたら興味津々で聞いていただろうけど。
「今は二十九日の防衛戦のことだけ考えようよ。後のことは乗り切ってからでいいでしょ」
「そうだな。まず生き延びよう」
かなり話し込んでしまった。気合いを入れ直して、作業の遅れを取り戻そう。
体を動かしていれば余計なことも考えないですむ。
日が落ちてからも限界ギリギリまで働いた俺たちだったが、食は明日への活力なので全員で協力して料理を作り、貪り食ってから、割り当てられた部屋へと散っていった。
俺はゆっくりと風呂に入りたかったので、食後に一人湯船につかっている。他の人は食前にさっと入浴を終えた。
「みんなはもう寝たかな」
ディヤは庭に運んだ車の中で寝ている。もう、外は安全とは言えないので、これからは庭が駐車場代わりだ。
神宮一は荷物置き場と化している、両親の元寝室にいる。
日野山も同じ部屋でいいと言っていたが……色々と問題があるので別々に。渋々だが客間で納得してもらった。
姉は自室でパソコンでもしているのだろう。ネット環境も残り数日で使えなくなる、今のうちに楽しんで欲しい。
当初の予定とはまるで違う現状なのに嫌な気分じゃない。
それどころか気持ちが軽い。心の負担がかなり減った気がする。
「みんなには感謝しないとな」
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