3月25日    桜坂 陣

「みんな、武器は持ったか!」

「「「おーっ!」」」


 年長者としてこの場を仕切ることになった神宮一の気合いは充分だ。


「我々は全力で幹島を迎え入れることになった。準備万端で挑もう。油断は禁物!」


 全員が武器を所持し、点検を怠らない。

 警棒、スタンガン、ボウガン。

 更に話し合いの場につく予定の俺と神宮一は、服の下に海外製の防弾チョッキを着用。

 大げさな装備にも思えるが、これぐらいの備えをしても安心はできない。

 この道具はすべてゾンビ対策として手に入れていた物だ。


「表向きは話し合いだが、ヤツが危険人物であるのはほぼ確定している。もう一度、本日の作戦内容をおさらいしておく」


 昨日、電話のあとに全員で打ち合わせをしたが何度でも確認をしておく。少しのミスも許されない。


「相手が門の前に到着後、幹島だけ家に入るように交渉する。拒否した場合、一人だけ同行を許す」


 たった一人で飛び込んでくるような愚かなマネはしないはず。護衛一人ぐらいならと妥協した振りをする。

 電話での話し合いでは車一台で来るように、とは伝えてある。お供も少人数なら構わないと。

 二台以上の車でやってきたら、その時点で交渉は決裂。


「第一目的は岩朗の安否。次いでゾンビパニックについて。大きくこの二点」


 他にも聞きたいことはあるが重要視するポイントはここだ。

 多くを求めすぎて大事なことを聞き逃すミスだけは避けたい。


「でも、やっぱり、変じゃないですか先輩。なんで、あっちから接触を図ってきたのでしょうか。問答無用で襲いかかってきてもおかしくないのに」

「たぶん、ディヤと八重を警戒してだろ。村での騒ぎで二人の存在は伝わっているだろうからな。両方ネットを活用していて、八重は別の顔がかなりの有名人ときている。襲ったところを生配信とかされたら言い訳のしようがない。陣君、その対策もバッチリなんだよな」

「はい。神宮一さんには話しましたが、この家にいくつかの隠しカメラが仕込んであって録画機能はもちろん、ネットに繋いで生配信も可能です」

「えっ、隠しカメラあんの!?」


 上半身を仰け反らして驚くディヤ。

 そういや話してなかったな。


「まさか、風呂とトイレにも!? その録画を見て毎日ハッスルしてるんじゃないでしょうね!」

「設置してないし、興味もねえ。おいっ、それ引っ込めろ!」

「興味ないって……それはそれで失礼よね……」


 スタンガンを手にしてにディヤがにじり寄ってくるので、警棒を突きつけて制す。


「二人ともじゃれるのは後にして」

「「はーい」」


 姉にたしなめられて二人同時に武器を下ろした。


「でも、そこまで警戒するものですか?」

「今の時代、動画配信なんて誰でもやれるからな。飲食店での迷惑行為とかをネットに晒して楽しむバカもいるぐらいだ。警戒して当然」


 確かに、隠しカメラなんて使わなくても携帯一つあればなんとでもなる。


「それだと、ますます話し合う必要性が感じられないのですが」

「俺もそこんとこが疑問だ。あと一週間、こっちを無視していれば計画は滞りなく実行されるはず。警戒するにしても、何人か監視を付けて怪しい動きを見せたら対応すればいいだけの話」


 俺が幹島の立場なら接触するような危険は犯さない。

 残りわずか一週間で現状を覆す力がある相手には思えないから。実際、ゾンビパニックを回避する会心の一手があるなら教えて欲しいぐらいだ。


「わけわかんないけど、こっちにとってはチャンスなんだから利用するって決めたじゃない」


 ディヤの言う通り。

 昨日、話し合いの結果決めたはずなのに、土壇場になってあたふたするのは格好悪いよな。逆境だからこそ冷静に頭を働かせろ!


「そろそろ時間だ、動くぞ。ディヤ、日野山、八重は地下室にノートパソコンを持ち込んで、監視カメラで状況確認。怪しい動きがあればスマホに連絡。わかったな」

「「「はい」」」


 三人が揃って地下室へと消えていく。

 俺と神宮一は屋上に行き、我が家へと続く一本道の先を睨む。

 相手が車で通れるルートはここしかない。


「来たようだぞ」


 渡された探偵道具の一つ、望遠鏡を覗いていると遠くの方に一つの点が見えた。

 徐々に大きくなっていく黒塗りの車は……ドイツ車。政治家御用達の車で有名な。


「人数は運転席、助手席、あと後部座席に一人か。後ろのが幹島で間違いない」


 合計三人。周囲に他の車は見えない。

 ここは自然に囲まれているが、湖の畔なので見通しは良好。裏山には草木が生い茂っていて視界を妨げられるが、家からかなり離れている。

 そっちに潜んでいたとしても、ここに到達するには時間を要するだろう。


「行くぞ、陣」

「行きましょう」


 階段を駆け下りて、台所脇のドアフォン前に立つ。

 しばらくして呼び鈴が鳴り、画面に門前の光景が映し出された。

 手袋をはめた初老の男が一人。口髭を蓄え、柔和な笑みを浮かべている。

 運転席の扉が開いているのでこいつが運転手か。


「どちら様でしょうか」

『幹島平人様の運転手をしているものです。時間通りだと思いますが』


 時刻は午前十時。確かに約束の時間ぴったり。


「幹島さんに替わってもらえますか」

『承知しました。幹島様』


 老人が脇に避けると、ゆっくりと男が歩み寄る。

 後ろに撫でつけた髪は整髪料でびっちり固めてある。アラフォーの神宮一と同じぐらいの年齢だというのに、三十代前半が二十代でも通用しそうな若々しさ。

 トップアイドルだっただけあって、イケメン具合は健在。年齢を重ねたことにより深みがプラスされた顔は若い頃よりも魅力的に映る。


『久しぶりだね、陣君』


 見舞いに何度も病院を訪れて謝罪をした顔を忘れるわけがない。両親を事故死させた男の顔を!


「陣……顔に出てるぞ」

「すみません」


 神宮一に小声で忠告され、大きく深呼吸をする。


「お久しぶりです。いきなりですが話し合いに際しての条件を一つ足してもいいですか?」

『構わないよ』


 急な申し出に不満を口にすることなく、平然と返した。

 予想とは違った反応だったが先を続ける。


「家の中には幹島さんだけで入って欲しい。こちらは俺と神宮一さんで対応します」

『構わない、と言いたいところだが、こちらからも条件を一つ足させて欲しい』


 そうくるよな。この対応は事前の打ち合わせ通り。

 おそらく、護衛一人を同行させたい、と言ってくる。それは受け入れる方針だ。


「どうぞ」

『キミの姉、八重君も同席させて欲しい。あの集落についての昔話もしたいのでね。数少ない関係者がいた方が盛り上がるだろう』


 これは想定外だ。

 集落についての話題なら当事者の一人である姉がいた方がスムーズかもしれない。

 だけど、姉は……。


「姉さんは――」

「わかったわ。同席します」


 俺の声を遮って返事をしたのは神宮一ではない。

 振り返ると、そこには姉がいた。


「姉さん、いいのか?」

「うん。私だけ逃げるわけにはいかないでしょ」


 凜とした佇まいで微笑んでいる。

 ドアフォン越しとはいえ幹島から目を逸らさずに。


『よっし、成立だ。では、門を開けてくれるかな?』





 玄関に迎えに行った神宮一が幹島をリビングまで連れてきた。

 ざわつく心を押さえ込み、正面から見据える。

 目尻が少し下がっているので、ぱっと見は柔和な印象だ。

 だけど、その目を見た途端、背筋に悪寒が走った。

 あの闇を煮詰めたような黒い瞳に見つめられているだけで、例えようのない不安に駆られ総毛立つ。


「ジンちゃん」


 耳元で囁く姉の声を聞いて気を引き締め直した。

 話し合う前から呑まれるな。


「そちらのソファーにどうぞ」

「ありがとう、陣君。息災かね、二人とも」


 ソファーに腰掛けた姿が様になっている。

 俺たち三人はテーブルを挟んだ反対側に座った。


「こちらからの申し出を快く承諾してくれて感謝している」


 深々と頭を下げる幹島を見ても警戒心は強まるばかり。

 敵地にたった一人で乗り込み、堂々とした態度を一切崩さない胆力には敵ながら驚かされる。


「私がここに来た理由は一つ、情報の提供だ。聞きたいことがあるのではないかね? 一人一つずつ、どんな質問にも答えよう」


 上から目線での語り口には腹が立つが、ここは堪えどころ。情報を聞き出すまでは我慢するしかない。


「幹島議員、何を考えている。そちらがわざわざ教える義理はないはずだが」


 神宮一はテーブルに上半身を乗り出し、強気な口調で幹島に迫る。

 交渉事は相手の雰囲気に呑み込まれたら負けだ、と事前に言っていたからな。


「確かに話す必要性はない。だけどね、悪党というものはべらべらと自分の悪事を暴露する場面が一番の華だ。世界を縮み上がらせるほどの悪巧みをずっと胸の内に秘めておくのは辛くてね。せっかくなら誰かに話して驚いて欲しいじゃないか」


 悪びれることもなく嬉しそうに語る言葉が頭に入ってこない。

 こいつは今、何を言った。


「あんたは……なんで! なんでっ、笑ってんだ!」


 冷静にことを運ぶつもりだったが、黙ってなんていられない。

 こいつはなんで、そんなに嬉しそうに笑える!


「これは失礼。笑ってしまっていたか。キミからの質問は何故笑っているか、でいいのかな?」

「いや、待ってくれ。陣からの質問は後回しで頼む。それでいいな?」

「……はい」


 俺の肩にそっと手を置き、目配せで引けと伝えてくる神宮一。

 怒りも一緒に吐き出すように大きく息を吐いて、ソファーに座り込む。

 感情を乱すな。抑えろ、抑えるんだ。


「じゃあ、俺からの質問だ。岩朗はどうなった?」


 一番の懸念材料である岩朗さんの安否確認。

 早々に切り出したか。


「彼は我々が丁重に捕獲して預かっている」

「捕獲、だと」

「そうだ。残念ながら彼は感染してしまっていてね、モドキに。暴れるものだから、仕方なく捕獲して檻に放り込んでいるよ」


 お手上げとばかりに両手を天井に向け、さも残念そうに頭を左右に振っている。


「モドキとはなんだ」

「質問には答えたはずなんだが、おまけとして認めよう。モドキとは、あのゾンビのような状態になった成れの果てを指す言葉だ。本来は完璧なゾンビを作りたかったのだが、色々と研究と改良を重ねた結果生み出されたのが、ゾンビもどき。通称、modokiだ」


 あの状態の人をこいつらはモドキと呼称しているのか。

 岩朗さんは……もう、モドキになってしまった、と。


「じゃあ、なんだ。岩朗はゾンビもどきになっちまったのか! ええっ!」


 神宮一がテーブルに脚を掛け、幹島の胸ぐらを掴む。

 空いた手で殴りかかろうとしたので、慌てて止めに入った。


「神宮一さん! 話をすべて聞いてからです!」

「……すまん、立場が逆になったな」


 突き飛ばすように手を放すと、ソファーに勢いよく腰を下ろした。


「これで彼の質問は終了だ。次はどちらかね?」

「では、私から」


 姉がスッと手を挙げて正面を見据えた。

 いつもの怯えた様子はない……ように見えたが、左手はテーブルの下で俺を掴んでいる。

 繋がっている手にぎゅっと力を込めた。


「何故、モドキと呼んでいるあのゾンビを作り出したのか。何が目的なのか教えてください」

「これも正確には一つの質問ではないが、まあいい。モドキをこの世にばら撒く理由は……私が落ちこぼれだったからだ」


 想像もしていなかった回答に俺たちは訝しげに顔を見合わせた。

 そんな俺たちの反応を眺めながら、幹島は話を続ける。


「あの集落で能力に目覚めた者たちの血筋を本流と呼び、なんの力も得られなかった者たちをなんと呼んでいたか知っているかい。陣君、八重君」


 姉の質問とは関係のない問いに思えるが話を合わせておくか。

 集落に住んでいた頃の俺はまだ予知夢にも目覚めてなかったから、大人たちからは「クズ」や「無能」と呼ばれていた。

 だけど、血筋でいうなら本流ということになる。


「わからない」


 聞いたこともないので正直に答えるしかない。


「濁流ですか」


 そんな俺から少し遅れて姉が口にした。


「正解。さすが本流の優等生だ知っていたか。そう、亜流でも支流でもなく濁流。わたしたちの血は濁った流れらしい」


 怒るでも笑うでもなく、感情を出さずに淡々と語っている。


「あの集落は本気で六神通を得ようとした一族の末裔。元々は修行にて悟りを開くのが最終目標だったのだが、一向にその高みに到達する者が現れなかった結果、手段を選ばぬようになっていた」


 そこで話を区切ると、テーブルの上に置いてあった冷えた茶で喉を潤す。

 この関連話は元市長から大まかな話は聞いている。


「各地から霊能力者、呪術師、陰陽師、イタコ、といった不可思議な力を操る者を呼び寄せ、本物であれば受け入れ交配した。結果、稀にだが能力に目覚める者が生まれ始めた」

「話の腰を折って悪いが。本物でなかった者はどうなったんだ?」

「処分をした。能力者を集めていることを知られるわけにはいかないのでな」


 先祖はそこまでやっていたのか。

 あるかどうかもわからない、妄想と笑われても仕方がないような夢物語だというのに……。


「初めは日本だけだったのだが、次第に捜索の網は世界に広がった。魔法、妖術、呪い、異国の宗教、使えそうな者を集め同様に仕分けした」

「集落の人たちはどうやって、そんな情報を得て人を呼べたの?」


 今度は姉からの質問。

 俺が知る限り集落は人口がそれほど多くなかった。

 住民が全員参加する祭りの日が年に一度あって、その時に見た数は百人を超えるかどうかぐらいだったと記憶している。


「いい質問だ。あの集落で生み出された能力者は時の権力者に仕えることが多かったのだよ。どの時代も超常の力を操れる者は希少でね、戦や政治の舞台でも重宝されていた。故に資金も潤沢、協力者も多かった。納得できたかな、八重君」

「一応は」


 興味の尽きない話だが過去よりも、今だ。

 もっと大事な聞くべきことがある。


「すべては六神通を得るための行動だったが、時代の流れに沿ってその目標は変わっていった。表向きは六神通のままだったが、次第に超能力者を生み出すことが主となっていく。これが大まかな七下上一族の秘密となる」


 一族について知れたのはいいが、まだ本題に入ってない。

 何故、ゾンビを作り出し、広めようとしているのか。


「濁流と蔑まれた無能力者は集落で居場所がなくてね。その扱いは奴隷同然だったよ。ちなみに神宮一君が訪れた村の住民はすべて濁流出身者だ」


 だから、見張りや山狩りに協力していたのか。

 村人がなんで幹島に従っていたのかが不明だったが、合点がいった。


「汚れ仕事もやらされたな。各地から連れてきた自称能力者の処分も濁流の仕事だ」


 処分の内容は聞くまでもない。

 元々嫌っていた集落の人々だったが、今は嫌悪しかない。


「その処分もただ殺すだけではなく様々な実験に使われていた。その実験の一つがゾンビパウダーを使ったゾンビ化。……それも、私の担当だったよ」


 当時を思い出したのか、初めて感情の欠片が見えた気がする。

 笑っているとも泣いているとも取れるような、感情が複雑に入り交じった表情を一瞬だけ浮かべた。

 世界を混乱に陥れようとしている悪党。

 何も知らなければ憎むだけで済んだ相手。

 だけど――幹島にどんな辛い過去があったにせよ、今までの行いを許すことは決してない。


「淡々と命令をこなす日々だったある日、新たな集落の長となった七下上通は集落の行いを否定して、拉致監禁、人体実験、その他の非人道的行為をすべて禁止とした」

「お父さんが……」


 姉も初耳だったようで、驚きの声を漏らしている。

 あの集落の長という立場だと聞いていたので、父も加担していたのではないかと不安で仕方なかったが……父は立派だった。

 俺たちに見せていた優しく頼れる背中は偽りの姿ではなかった。その事実が心底嬉しい。


「その結果、悲劇が起きた。集落の人々の命令により――私が始末することになったんだよ。交通事故に見せかけてね」


 飛び出しそうになった自分の脚を指が食い込むぐらい強く握る。

 この展開は想像できた。

 だから、怒りを抑えろ、堪えろ。

 隣で姉も歯を食いしばって耐えているだろ!


「おや、殴りかかってこないのかね」

「挑発に乗る気はない。話を続けてくれ」


 そう返したのが意外だったのか、無表情を装いながらも眉毛がピクリと動いたのを見逃さない。


「では、続けるとしよう。世界中にモドキをばら撒いたのは私がこの世界を憎んでいて、こんな汚れた世界はすべて滅ぼそう……なーんて大仰なものじゃーない。単純に人が苦しむ姿がみたいだけだ」


 そこまで話すと、今日一番の感情を見せつけてきた。

 口角を限界まで吊り上げ、心から嬉しそうに笑っている。


「ば、ばかな。嘘を吐くな! お前は自分を不幸にした世の中に復讐したいんだろ!」


 発言が信じられなかった神宮一が、唾をまき散らしながら怒鳴る。

 幹島は激情を正面から平然と受け止め、涼しい顔を崩さない。


「違う。幼い頃に世間を恨んだのは認めよう。だが、汚れ仕事を続けていくうちに、嘘偽りのない本当の自分を知った。いや、悟ったというべきか。私は人が苦しむ姿が好きなんだ。人の尊厳を捨て泣き叫ぶ姿に最高の興奮を覚えることを知った! 見下していた連中が助けてくれと懇願する姿は最高だった!」


 光悦。

 幹島の表情を例えるのにこれほど相応しい言葉はない。


「こんな外道にお父さんは……」

「おいおい、ふざけるなよ! そんな馬鹿げた理由で世界を滅ぼすって言うのか!」


 悔し涙をボロボロと流す姉。

 憤りを隠そうともしない神宮一。

 俺は感情が高ぶりすぎて声も出ない。


「世界を滅ぼすには崇高な目的がないといけない、なんて誰が決めた。辛い過去があったから世界を恨んでも仕方がない? 地球にとって人間が一番の害悪だから滅ぼす! とか言って欲しかったのかな。違う、違う。残念ながら世界を滅ぼすのは、力を持った者の欲望と――気まぐれだ」


 こいつは生かしておいてはダメな存在だ。

 今、確信した。

 俺はその場に立ち上がると、背中に隠していた警棒を取り出して強く振る。伸縮自在の警棒が三倍の長さに伸びた。

 神宮一も同じ考えらしく、隣でスタンガンを手にしている。


「実力行使か。わかりやすくていいが、怒りにかまけて一つ忘れているようだ。岩朗君はこちらにいるのだよ?」

「それで交渉しているつもりか。お前のようなヤツが生かしておくわけがない」


 あれだけの異常性を見せつけられたあとに、そんな言葉で戸惑いはしない。


「話は最後まで聞かないと後悔するぞ。モドキ薬を生産する過程でワクチンも作り出した。自分がかかってしまっては人の苦しむ姿を最後まで見物できないからね」


 振り下ろした警棒が幹島の額直前で止まる。

 ワクチンのような物が存在するのではないかという考察はしていた。

 それだけに、今の言葉を嘘と断定できないでいる。


「ゾンビパウダーは興奮剤や自白剤に似た成分を含んだ毒草。最新技術を使い成分を抽出、濃縮、配合した薬を私の部下が作り出した。ならば、その過程でワクチンを用意するのは当然」

「仮にそれが真実だったとしても、だからどうした! じゃあ、俺たちにそのワクチンをくれるのか!?」


 そうだ。存在していたところで手に入らなければ意味はない。

 一番可能性のある方法は、ここでこいつを人質にして交渉材料にする。


「私の身に何かあったら計画を早めるように伝えている。気をつけた方がいい」


 思いが顔に出ていたようだ、考えを読まれてしまった。


「お困りのようだから一つ勝負をしよう。そうだな、四日後の三月二十九日の朝八時から、夜の八時……十二時間をなんとか生き延びたら、ここにいる人数分に加えてもう一つ、岩朗君のワクチンを渡す、というのはどうだ」

「生き延びたら、だと?」

「残り一週間が待ちきれなくてね。早くモドキの暴れるところが見たいんだよ。君たちもこの要塞化した自宅の防衛力を試すチャンスじゃないか。悪い提案ではないだろ?」


 この交渉を蹴った場合、問答無用で襲ってくる可能性が高い。

 わざわざ勝負を持ち込んだのは気まぐれとしか思えない。だけど、何が別の意図があって騙している可能性だってある。

 しかし、どう考えても幹島にメリットは何もない……。


「陣が決めていい。この家の主はお前だ」


 神宮一に決定権を託されてしまった。

 この決断で大きく未来が変わる予感がする。

 俺は――どうしたらいい。どうすべきなんだ。

 今までは姉と自分の命を背負うだけだった。でも、今は更に三人の命がのしかかっている。

 口を開くが声が出ない。この期に及んで決断をためらうなんて。


「ジンちゃん、私に任せて」

「姉、さん?」


 姉はテーブルの上に正座すると、にこりと笑い「失礼します」と言って幹島を――ビンタした。

 予想だにしなかった行動に呆気を取られ、俺も含めた全員が身動き一つしない。

 あの余裕ぶっていた幹島ですら驚きを隠せずに、目を見開いて姉を見つめている。


「勝負を受けます」


 静まりかえった室内に姉の声だけが響いた。

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