3月8日 神宮一 源治郎
俺の名は神宮一 源治郎。ちなみに偽名だ。
職業は探偵。毎朝、ミルクティーで目を覚ますのを日課としている。……が、今日はたまたま紅茶と牛乳が切れていた。
なので、試供品でもらった青汁で我慢をする。野菜も取らないとな。体が資本の仕事だから。
「おっ、これは意外と」
昔とは違い口当たりのいい青汁に少し驚きながら飲み干し、一息吐く。
いつもなら事務所に顔を出して、所長や同僚と雑談をする時間なのだが、数日は姪っ子から受けた依頼を単独でこなす予定だ。
所長には話を通しているとはいえ、この調査はできるだけ自分の力で終わらせたい。
ノートパソコンを起動させて、姪っ子から聞き出した情報に目を通す。
「対象者は『桜坂 陣』男性二十代半ば。姉の『桜坂 八重』と二人で暮らしている。両親については不明と」
聞き出せた情報はこれぐらいか。
身元の調査となると色々とやり方がある。合法なものもあれば違法なものも。
同僚にそういうのが得意なヤツがいるので、戸籍や住所を調べてもらえるように頼んでおいた。あと軽い身辺調査も。今日の昼には判明するだろう。
なら、俺は何をするか。
「まずはネット検索でもするか」
一昔前だと知り合いの警察官や新聞社の過去資料、図書館で調べ物をするのが定番だったのだが、今はネット検索が一番早い。
まず『桜坂』と名前を入力して、何か引っ掛からないか。
「地名、歌、芸人あたりがヒットしたが」
期待はしてなかったので結果を見てもなんてことはない。姉の名前も入力してみるが何も引っ掛からない。
有名どころのSNSでも同じことをしてみるが……外れか。
本名でやっている連中が結構いて、この程度の検索で素性が丸わかりしたりするパターンも結構あるのだが、そこまで甘くはないと。
姪っ子から聞き出した住所をネットのマップで調べてみる。
上空からの映像を徐々にアップにしていく。
「おー、いいところに住んでいるねえ。湖畔の別荘地か。見るからに高級そうな住宅がぽつりぽつりと建っている、と。こりゃ、間違いなく金持ってんな。羨ましいねえ」
周辺も散策してみるが小洒落たカフェが二軒あるぐらいか。近くにはコンビニすらない。
買い物をするなら、少し離れた場所の駅前に行くしか術はなさそうだ。
「在宅ワークの仕事をしているって線もあるが」
いくつかの仮定が頭に浮かぶが、決めつけは厳禁。
探偵たるもの情報と証拠を照らし合わせて、憶測ではなく推理で解決しなくてはならない。勝手な思い込みは選択肢を減らす愚行でしかない。
今考え得る可能性をガラケーに書きこんでおく。
「おっと、誰からだ」
不意に鳴った着信音に驚き、携帯を落としそうになった。
表示されていた名前は……会社の後輩だ。
アレを頼んでいたのでちょうどいい。
「あいよ」
『もうちょっと、ちゃんとした返事してくださいよー』
朝っぱらから元気な若い声がする。
「んなもん、どうでもいいだろ。で、結果は?」
『住民票の写しとその他もろもろをメールで送りましたよ。PCで確認してください』
「おう、サンキューな」
『えっ、もっと感謝の言葉とかないんですか。あっ、そうだ! 先輩知ってます?』
「何をだ」
さっさと通話を終えたかったが、話を振られたので一応付き合ってやる。
『最近、狂犬病が流行っているらしいですよ。山に捨てられた野犬に噛まれた――』
「はいはい、じゃあな」
どうでもいい話題だったので通話を一方的に切った。
送られていたメールを開けてざっと目を通す。
「両親は死亡している、と。で、姉弟の二人暮らし。……ん? 両親の死を境に名字を変更してるじゃねえか」
親が死んで母方の親戚に引き取られたのかもしれないな。
で、今の住所に引っ越したのは親が死ぬ少し前と。あの家は親の遺産か。
「となると親が有名人や資産家だったりするのかね」
試しに両親の名前で検索してみるが――ほう、これはこれは。
親と姉弟の名前がとあるニュースサイトの過去の記事にでかでかと載っていた。それについてのまとめサイトまであるようだ。
「ドライブ中に政治家の乗る車に激突。相手側の過失か……」
政治家の名前を見て思い出した。一時期、かなり騒がれたあの事件の被害者家族だったのか。
おぼろげな記憶を補填するために、ネットに落ちていた当時の記事に目を通す。
今から八年前の二月二十一日。姉の八重が高校二年、弟の陣が中学三年の春。
路上で自動車同士の接触事故。対向車線からはみ出してきた車との正面衝突により、七下上家の車が大破。
運転手の七下上 通。助手席にいた七下上 佐恵子が死亡。後部座席にいた二人の子供。一人は軽傷、もう一人は重傷、か。
「この名前はなんて読むんだ。ななしたうえ?」
初めて見る変わった名字に戸惑ったが、送り仮名が振ってあった。これで「しちしもかみ」と読むらしい。
ちなみに父親の名前は「つう」だ。
「原因は相手側の運転ミスとなっているな。政治家が雇っていた運転手による過失……か」
厄介なのは、そのときに乗り合わせていた政治家が一世風靡した芸能人上がりだったことだ。芸能界に疎い俺だって知っているぐらいの知名度。
元アイドルから役者デビュー。意外な才能を見せ、ドラマ映画に引っ張りだこ。三十半ばで政界に進出という出来過ぎなサクセスストーリー。
そして、任期二年目での事故。かなり話題になったのだが、世間の論調は運転手が悪いのであって同乗していた幹島 平人(みきしま へいと)も被害者だ、といった感じだった。
幹島は記者会見で言い訳を一切せず自分たちの非を認め、誠実な対応をして残された二人の子供にも十分な補償をしたらしい。
普通なら政治家の立場も名誉も失うほどの大事件だというのに、この一件でむしろ好感度がアップした。
「これだけなら、まだよかったんだが……」
当時のことを思い出してしまい、ため息が漏れる。
話題沸騰の事件は……マスコミの餌となった。
有名人が絡む交通事故。残された二人の子供。ワイドショーでは連日取り上げられ、幹島と姉弟の姿を見ない日はなかった。
気丈な振る舞いで対応していた姉の容姿が役者やアイドル並みで、マスコミ好みだったのが更にこの問題をややこしくしてしまった。
やたらと騒ぐマスコミに加え……幹島の熱烈なファンが何を血迷ったのかネットで叩き始めたのだ。――被害者である桜坂 八重を。
『あの女は平人に構って欲しくて悲しい振りをしてる!』
『へいちゃんの同情を誘ってるんじゃねえよ!』
『あーやだやだ。親の不幸を利用するなんて』
このような嫉妬満載の見るも耐えない誹謗中傷がネットを飛び交う。
そして馬鹿なことに『ネット上で騒がれている』と、一部のマスコミがニュースで取り上げやがった。
噂は膨大に膨れ上がり拡散され、姉弟の耳にも入ってしまう。
いたたまれなくなった姉は高校を中退。その後はずっと引きこもりらしい。
冷静に対応して弁護士を立て、ネットの誹謗中傷を訴えていたら勝てただろうが、突然親を失い姉弟で懸命に生きている彼女らにそれを求めるのは酷な話だ。
「マスコミの追及を避けるためか、姉の療養のためか、その両方かはわからないが田舎にある我が家で過ごしている、ってことか」
そこからの情報がほとんどない。
姉はずっと家から出ず、弟の方は高校卒業後に就職したようだが二年で退社。そこまではわかっているのだが。
「その後がわからずじまい、か」
姉弟揃って働いている気配がないのに裕福な暮らし。
家は親が残した物らしいが……。
考えられるパターンはいくつかある。
両親の残した財産を食い潰している。あんな家を建てられるぐらいだ両親の稼ぎはかなりあったはず。それに生命保険が二人分に加え、加害者である幹島平人からも大金が支払われたらしい。
働かなくても生きていけるぐらいの蓄えになった、と考えるのが妥当か。
他にはその金を元手に商売をして当たった。それこそマンション経営で不労所得といったパターンだって考えられる。
あとは在宅の仕事をしている、とか。
姪っ子は「怪しい商売をしているかもしれない!」と疑っていたが、可能性は低い……と考えていた。
だが……引っ掛かるのは家を要塞化して欲しいという依頼だ。
金に余裕のある暮らしをしていたとしても、我が家を頑丈な要塞にして欲しい、なんて頼む物好きがいるか?
実際に前払いとして五百万をキャッシュで貰っているそうだが。
無精髭を撫でながら、部屋の中をぐるぐると歩き回る。
「公には出来ない犯罪まがいの金儲けをしていて、恨みを買っているから防犯設備を強固なものにしたい。あいつの妄想が意外といい線をいっている、のか?」
……確かに辻褄は合う。
一番の疑問である家の要塞化をする意味が出てくるからだ。
それも一ヶ月以内というかなり急ぎの仕事を頼んでいるのも胡散臭い。最近、かなりヤバい状況に陥って慌てている、とも考えられる。
もしくはヤバい案件に手を出す予定で、その前に急いで準備しているとか?
どちらにしてもそれなら海外や別の土地に移住した方がいいんじゃないか? セキュリティがしっかりしている富豪向けのマンションなんて狙い目だろう。
「……こりゃ、マジで調べてみる価値がありそうだ」
今までのマンネリ化した驚きもなく興味もそそられない仕事とは違い、この一件は忘れかけていた探偵の魂が疼く。
視線を上げると食器棚のガラスに俺の顔が映っていた。
口元に笑みを浮かべる俺の姿が。
「まずは金の流れを調べてみるか。財産を食い潰しているだけなのか、それとも自力で稼いでいるのか」
しばらく目を閉じて思考の海に沈んでいたが、大きく深呼吸をして勢いよく目を開く。
いいね、いいね、楽しいじゃねえか!
沸き立つ気持ちが抑えきれず、頭を豪快に掻く。
こんなに血が騒ぐのは何年ぶりだ。……っと、浮かれるなよ俺。
「これは仕事だ。私情を挟むんじゃない」
探偵としてやるべきことをやる。それを忘れるな。
しわだらけのスーツに袖を通し、寝癖の頭を水で濡らした手で軽く整える。
玄関前の鏡で確認すると、そこにはいい感じにくたびれた感じがする冴えない中年男性がいた。
よっし、俺が理想とする探偵像だ。
勢いよく扉を開け、堂々とした足取りで家を出た。
夜に一人暮らしの寂しい我が家にたどり着いた俺は、上着を脱ぎ捨てPC机の前に陣取る。
「真面目に仕事すっと、異様に疲れるな」
このままベッドに身を投じて眠ったらどれだけ気持ちいいか。だが、そうはいかない。
買ってからかなり時間の経過したペットボトルのミルクティーを飲み干し、気合いを入れ直す。
朝から情報収集をして得たデータを打ち込んでいく。
ツテや事務所の力をフル活用して集めただけあって、一日の成果としては充分だ。
「両親の事故で得た金は相当多かったようだな。生命保険だけでもかなりのものだったようだが、それにプラスして幹島から大金が入っている。バカみたいに贅沢な生活をしなければ三十年ぐらいは余裕で暮らしていけるぐらいの額か」
携帯と手帳にメモした情報に目を通す。
あの家はローンも組んでなく、両親が一括払いしている。となると、かなりの高収入かと思ったんだが、父親は平凡なサラリーマン、母親は専業主婦。
……ローンならまだしも、一括購入をできる収入があるとは思えない。
ならばと、祖父母が富裕層で恩恵を受けている――なんて予想していたが、それも違った。母方の祖母は若い頃に病死。残った祖父は老人ホームで世話になっている。
父方はかなり田舎の集落で細々と農業を営んでいた。
過去形なのは父方の祖父母が既に亡くなっていたからだ。
それだけなら、さほど驚くこともなかった――が。
「父方の祖父母は両親が事故死する数ヶ月前に死亡、か。それも集落全体を焼け野原にするほどの大火事。たまたま不幸が重なっただけ、と普通は思うところだが……」
この火災により集落一つが壊滅したのだが、そこは父方の血族が集まって住んでいる集落で親戚一同も死亡。
一年にも満たない間に父方の血族がほぼ全滅、と。
この不幸続きを気味悪がった母方の親戚一同は陣と八重の引き取りを拒む。
「ここまでの対応もどうかと思うが、この後が更に悪質だったと」
しかし、あることが明らかになると親戚一同の対応が豹変した。
多額の生命保険と幹島からの慰謝料の存在。手のひらを返した輩による醜い欲望渦巻く、二人の争奪戦が勃発。
そこからの絶縁。これにより天涯孤独となる。……いや、姉と弟の二人きりか。
八重はこのごたごたに加え、マスコミの対応により、人間不信に陥る。
二人は世俗から身を隠すように両親が購入したばかりの別荘に住み……今に至る。
「あの家に住んでいる理由も働かずに暮らしていける理由も判明はした。が、道楽で一千万を使えるほど裕福なのか?」
当時、どれほどの金額を手に入れたのかは、おおよそであるが把握している。
現在進行形で収入がないのなら、家の改造にポンッと一千万もの大金を使うのはやり過ぎだ。
「何か収入があると考えるのが妥当だろう」
しかし、八重も陣も働いている形跡はない。
根拠としては八重が引きこもりで家から出ていないこと。姪っ子と会話するどころか顔も合わせられないぐらい他人に恐れを抱いている。
陣に関しては昼夜問わず不定期でライブ配信をしている姪っ子に、常連のリスナーとしてリアルタイムで書き込みをしている。
これは普通のサラリーマンではあり得ない。仕事中にスマホで動画を観ている連中も結構多いようだが、ほぼ毎回書き込みをするのは無理だろう。
不労所得の線も薄い。
更に祖父母が住んでいた集落一帯は借地らしく、各種保険にも入っていなかったようだ。なので、唯一残された姉弟にそっち方面から金は入ってはいない。
なら在宅の仕事か……。リモートワークが浸透している今なら珍しくもない。だが、そういった職に就く経験も知識も二人にはない。
意外性を突くなら作家という線も。それなら家に籠もっていても問題は無い。
「だとしたら、家に何かしらの痕跡があるはず」
資料や書籍物。漫画家なら特に作業スペースが必要なはず。
小説家や漫画家は荷物が頻繁に届く、という話を聞いたことがある。原稿や書籍が出版社から送られてくるから。
あと、編集部からの電話や連絡。日常にもヒントは転がっている。
「姪っ子に注意深く観察するように言っておくか。あ、いや、でも……昔から抜けてるところがあるからな」
アイドル時代に一度だけドラマの脇役として出演したことがあったが、芝居の実力はそりゃ酷いものだった。
そんな姪っ子が上手くやれるとは思えない。
「余計なことは何も言わずに、あとで聞き出した方がいいか」
今日得た情報の成果としてはこんなもんだ。
明日からも継続するとして、方向性を決めておくか。
現在は収入源があるのか。あるとしたら、何で稼いでいるのか。
それと……両親の事故や祖父母、親戚一同についても調べてみよう。これは確信もないただの勘だが、何かありそうな気がする。
突けば面白い情報が手に入るかも。
……いや、これは建前に過ぎない。本音は何かあって欲しいという探偵としての願望だ。
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