3月9日    桜坂 陣

 今日はディヤが昼過ぎに戻ってくるが、その前に姉と話を付けておく必要があった。

 食卓にいつもの寝ぼけ眼で、自分の席に腰を下ろす姉。


「うっ、朝からサツマイモの天ぷらはちょっと」

「昨日ちょっと揚げすぎたから。お残しはあきませんよ」

「はーい」


 と口では言いながらも、嫌そうにサツマイモの天ぷらを摘まみ上げている。


「八重姉、一つ相談があるんだけど」

「この非常時に恋愛事に現を抜かすのは許しまへんよ! あきまへんよ!」


 さっきまでの寝ぼけ眼から一変して、大きく目を見開き食卓を両手で強く叩くと、語気荒く俺に迫ってきた。

 何を勘違いしたのか頬を膨らました変顔をしている。……アラサーでそれはきつい。


「恋愛に興味は無いし相手もいないっての。そうじゃなくて、真面目な相談事」

「あれっ、そうなの? てっきり、ディヤさんとお付き合いしたい、みたいな衝撃発表があるのかと思って身構えていたのに」

「ないない、あり得ない」


 顔の前で手を左右に振り、鼻で笑いながら否定しておく。


「キッパリと否定するのは、それはそれで女子に対して失礼だと思うわ」


 怒ったり、かばったり、どうしたいんだ姉は。


「で、脱線した話を戻すけど……父さんと母さんの寝室にある家具とかを捨てたい」

「はあああああっ⁉ 何言ってるの!」


 さっきよりも強く食卓を叩き、その勢いで立ち上がった。

 表情は――怒りと悲しみが入り交じっている。


「考え無しに言ったんじゃないんだよ。四月にくるアレに備えるには大量の保存食や日常品を保管する場所が必要だろ。そうなるとあの寝室が一番大きな部屋だし、使ってないから」


 俺と姉の部屋は八畳、両親の寝室は十二畳もある。そのスペースが使えるとなると大量に保管出来る。

 説明を聞いて一応は納得したのか、静かに腰を下ろす。


「それなら庭に倉庫でも置いて、そこに買った物を収納したらいいじゃない」

「もちろん、そうする予定だけど。家から一歩も出られない状況になるかもしれないだろ。最悪の状況を想定して動かないと」


 その為にも食料品と日常品を、ある程度は家に置いておきたい。

 庭の倉庫には保存の利く缶詰や家電の予備を放り込む予定だ。


「そうだけど。でも、母さんと父さんの思い出が……」


 寝室にある物は二人の遺品。

 少し古びたタンスにキングサイズのベッド。タンスと一緒に母が実家から持ってきた鏡台。父が学生時代に購入した思い出のステレオ。

 大きな本棚には少女漫画と歴史書がみっちりと詰まっている。ウォークインクローゼットには二人の衣類。これが両親の遺品の全て。


「俺だって捨てるのには抵抗があるけど、どれだけの食料や物が必要になるかわからないだろ。もちろん、全部捨てる必要は無いから。クローゼットに入る分は残すつもり。だけど、大きな家具は処分したい」


 あれが無くなればダンボールが何十個入ることか。


「八重姉、思い出よりも未来だろ。二人で生き抜くためには必要なことなんだ」

「わかるけど……わかるけど。でも、それなら地下室に!」


 泣きそうな顔で迫ってくる姉に対し、頭を軽く左右に振り否定を示す。

 我が家には地下室がある。父の趣味部屋の予定だったので部屋も広く防音設備もバッチリだが、今は筋トレとたまに姉とカラオケをする部屋と化している。

 そういや、たまに姉が夜中に独りで籠もっているときがある。カラオケの練習や大音量で音楽を聴いているそうだ。


「地下室には冷蔵庫と冷凍庫を並べる予定。ソーラーパネルを設置して発電した電力の大半をそっちに回そうかなって」


 野菜は最低限、屋上に作る家庭菜園でなんとかなるかもしれない。だが、肉や魚類等は手に入れるのが困難になる。

 だけど、冷凍保存しておけばかなり日持ちしてくれるはずだ。

 大きなサイズの冷蔵庫と冷凍庫の手配は既に終わっていて到着を待つのみ。


「冷蔵庫と冷凍庫……んん、んーーーっ」


 頭では理解出来ても納得がいかないのか、姉が眉間にしわを寄せて唸っている。


「八重姉、世界があんな風になったら大好きなラムレーズンのアイスが食べられなくなるんだよ?」


 言葉を句切って静かに立ち上がると、そっと背後に歩み寄る。

 そして、悩む姉の肩に手を添え、耳元で優しく囁く。


「だけど、大きな冷凍庫があれば?」

「食べら……れる」

「そう。肉だって長期保存が可能になる。ステーキ、しゃぶしゃぶ、から揚げも食べられる。だけど、もし、冷凍庫がなかったら?」

「食べられなく……なる。うぐぅぅ」


 なんとも表現しがたい感情が秘められた渋面でこっちを見る姉。

 一生食べていける量を保存するのは不可能だけど、最低でも半年ぐらいの備蓄はしておきたい。――その間に騒動が収まることを祈って。


「そう、よね。まず、生きることが大事。お父さんもお母さんもわかってくれる」


 ようやく折り合いがついたようで、快くとはいかなかったが処分することを認めてくれた。




 

 朝食を食べ終わってから両親の寝室に足を踏み入れた。

 定期的に掃除をしているので部屋はかなり綺麗な状態を保っている。……汚す人が誰もいないから。

 まずは残しておく物と捨てる物を決めないと。


「タンス、鏡台、それとベッドは捨てよう。場所を取っているから。本棚は……どうしようか?」


 天井近くまで高さがあり幅も結構ある。だけど、壁に張り付くように設置しているので、そこまで邪魔にはならない。


「本は大事じゃない? もし、電気が使えなくなったら娯楽のほとんどがなくなるんだし」


 姉の言うことはもっともだ。

 電化製品に頼っている生活が当たり前になっていて、本も電気書籍が主流で紙の本の大切さを忘れかけていた。

 そういや、どんな本があるか確認したことがなかったな。

 本棚の前に立ち一番上の段の左端から目を通していく。

 母のお気に入り少女マンガが五十冊ぐらい。編み物と裁縫と料理本。それと小説が何冊か。左の棚は母の物で占められている。


 ということは、右の棚は父の物か。

 一番上には本ではなくCDがずらりと並ぶ。洋楽邦楽ジャンルにこだわりはないみたいだ。あとは野球関連の本や雑誌。そして残りの全てを野球マンガが埋め尽くしていた。


「父さん、野球観戦好きだったなー」

「そうだね、懐かしい。いつも温厚な父さんが野球観戦の時だけ大声張り上げて、母さんによく怒られていたよね」


 熱狂的な野球ファンだったが俺達に強要することはなく、一人で楽しんでいたっけ。

 懐かしさのあまりマンガを一冊手に取り――ん? 抜き取ったマンガの奥に別の本の背表紙が見える。


「あれ、この本棚二列になってるのか」

「ジンちゃん、知らなかったの? 雑誌も並べられるようなサイズになってるから、奥が結構深いのよ」


 ということは、今見えている倍近くの本が収納されているのか。

 試しに野球マンガを十冊まとめて引き抜くと、奥に釣りやサバイバル教本、手品本、家庭菜園の本が何冊も見えた。ゾンビパニック後に実用性のありそうな物が揃っている。


『初心者でも魚ゲットだぜ!』

『トオルキングの楽しいマジック』

『できる主婦の自給自足生活』

『登山家、吉原唐山の遭難対策』

『完全農作業マニュアル』

『究極怠惰飯』等。


 こんな本を持っていたのか。……父さんや母さんのこと全然知らなかったんだな。


「本棚は残しておこうか。じゃあ、タンスの中身を全部出しておいて。あとクローゼットに入り切らない衣類とかの仕分けも頼んだ。俺はベッドのマットを下ろして、あとは分解するから」


 もう一人男手があるならマットと分けてベッドを外に運ぶことも可能だけど、「運動って何?」状態の筋肉を捨て去った姉は力仕事で役に立たない。

 ベッドの骨組みは木製だから分解も難しくないはず。いざとなればのこぎりで切断しよう。

 キングサイズのマットを取り外し、扉まで引っ張っていくつもりだったが、思っていたよりも重い。

 姉の手を借りる……ぐらいなら自力でやった方がマシ。となると、寝室を見回して東側の壁に備え付けられた大きめの窓に目をやる。

 窓を開け放つと、少しだけ冷気を帯びた初春の風が流れ込む。

 このままでは幅に無理があるので、窓を取り外しておく。


「ちょっとー。寒いんですけどぉ」

「漫画を読むな。働け」


 本棚の少女漫画を読み始めている姉に釘を刺し、マットを窓際に運び庭へ落とす。

 思ったよりも重い衝撃音が下から響いてきたので覗き込むが、問題なく庭へ着地してくれたようだ。


「なんか、あのマットの上に飛び降りたくならない?」


 いつの間にか隣にやってきて覗き込んでいた姉が、目を輝かせながらヤバいことを口にしている。

 真下にマットがある状況がスタントマンっぽいけど。


「やりたいなら止めないよ?」

「止めてよ!」


 こんな風に姉とじゃれ合っていては一向に進まないので作業に戻ることにした。

 もちろん、姉から少女漫画は没収して。





 あれから一時間ほどが経過した。

 寝室の家具はあらかた片付いた。予定よりもかなり早く終わったのは、姉の活躍……ではなく、庭に放り投げておいたマットのおかげ。

 タンスの引き出しや分解した元ベッドだった木片をマットの上に投げ捨てまくり、かなりの時間短縮となった。


「これをゴミ処理施設に持って行くよ。八重姉は留守番しておいて。帰りが遅かったら先に昼飯食べていいから」

「はーい。行ってらー」


 粗大ゴミを荷台に満載した軽トラに乗り込み、目的地に向かって出発する。

 ルームミラーには大きく手を振る姉の姿が映っていた。





 有料のゴミ処理施設で荷台を空にして帰路につく。

 時刻は昼を越えていたので昼食も取らずに帰ってきたのだが、我が家の門の前に一台のワゴン車が停まっている。

 見覚えのある車だったので隣に軽トラを近づけると、助手席の窓が開いて男が顔を出す。

 スキンヘッドに太い眉毛。大きな目と鼻と口、に加えて短いあごひげ。彫りが深く何もしていないのに威圧感がある。

 普通なら警戒するか身構えそうな面構えなのだが、俺は笑顔を向けた。


「こんにちは。ええと、岩朗(がんろう)さんですよね?」


 そう問いかけると、彼は険しい表情から一転して微笑む。


「ご存じとは。はい、ミーチューバーの岩朗です。本日はよろしくお願いします」


 岩朗と名乗った彼は丁寧な言葉遣いで頭を下げる。

 初対面であるのに彼を知っていたのには訳があった。事前にディヤから連絡を貰い、連れてくるとの説明を受けていたので、昨日の夜に動画サイトで彼の配信動画をある程度目を通していたからだ。


 この人は見た目に反して性格は穏やかでおっとりしていて、リスナーからは「そのギャップが可愛い」と人気がある。

 ちなみに筋肉ムキムキの逆三角形の体形で身長は二メートル近くある。ボディービルの大会にも出場して好成績を収めているそうだ。

 投稿動画の内容は電子機器やミニ四駆やおもちゃの配線をいじったり、モーターを変更して改造するといった電気関係を主としている。

 大きな体でちまちまと作業をするのが萌えポイントらしい。

 見た目は某アニメのキャラに憧れて寄せていると、本人が語っていた。


 ディヤの動画にもちょくちょく出演していたので名前と顔は知っていたのだが、動画をしっかりと観たのは初めてだった。

 しかし、至近距離から見ても年齢不詳だな……。二十代……ということはないだろうけど、三十~四十代なら何歳と言われても違和感がない。


「あの、どうかされましたか?」


 まじまじと観察していたので不審がられてしまったようだ。


「えっと、ディヤと一緒に手伝って貰えるのですよね?」

「はい、そ――」

「そうだよー」


 岩朗の頭を押しのけてディヤがひょこっと顔を出す。

 二人とも笑顔なのに与える印象は真逆だ。


「予定より一日遅れちゃってごめんねー。さっき、ドアフォン押したんだけど反応がなくって」


 困り顔で頬を掻いている。

 あー、姉は対応しなかったのか。……仕方ないよな。


「悪い、少し遅れるって連絡入れるべきだった。車はそこら辺に停めておいていいから」

「そこら辺って……駐禁とか……来るわけないか」


 辺りを見渡し、他の人の気配が全くないことを確認して肩をすくめている。


「まあ、ここら一帯は俺の土地だから警察が来ても問題ないけど」

「……マジか。ね、ねえ、確認しておきたいんだけど、何処から何処まであんた……陣とこの土地なの?」


 手もみをしながらキラキラと輝く瞳で見つめてくるが、その瞳は純粋な輝きではなく欲望で濁っている。


「少し先に川が見えるだろ。西はあの川を越えた辺りで、北にあるそこの山と東は道路の曲がり角付近かな。あと南は湖の手前まで」

「うっそ、マジ⁉」

「ほわぁー凄いですね」


 二人とも大げさに驚いてくれている。


「ここら辺って曰く付きの土地らしくて格安だった、って父さんが言っててさ。そこの山なんてタダ同然で譲り受けたというか、押しつけられたんだってさ」


 実際のところ驚くほど安い値で手に入れることができたそうだ。

 管理出来なくなった山や土地を投げ売りする人が最近は増えてきているらしい。


「あのー、ちなみにその曰く付きって何?」

「あっ、気になる?」


 神妙な面持ちで尋ねてきたので軽い調子で返すと、ディヤと岩朗が同時に頷いた。

 特に岩朗は胸の前で手を握り怯えた表情をしている。……この人ギャップ萌えで人気があるのがよくわかる。


「ここって元は小さな村があったんだけど、土砂崩れで村の大半が埋もれて廃村になった経緯があったらしい。だから、今もこの土地の下に無数の村人が埋まっている……そうだよ」


 声を潜めてわざとらしく怖さを演出する。


「へ、へえ、動画のネタになりそうじゃない。あははは」

「…………」


 ディヤは強がって笑っているが頬が引きつっている。

 岩朗は言葉を発する余裕もなくなったようで、自分の肩を抱いて震えていた。


「まあ、嘘か本当か知らないけど」


 そう言ってニヤリと笑う。すると、二人が同時に頬を膨らませて怒った。

 ……なんか、マスコット的な可愛さがあるな。


「無駄話はこれぐらいにして、我が家へどうぞ」


 門を開けて車から降りてきた二人を庭へと招く。

 ディヤは一度来ているので落ち着いたものだが、岩朗は興味深げに辺りを見回している。


「ええと、この家の屋上にソーラーパネルを設置して欲しいんですよね?」


 ちょうど逆光になる位置なので、目を細めて視線を上に向けている。


「そうです。お願いできますか?」

「ルーフバルコニーになっているので比較的楽にやれそうですが、上に登って確認しても構いませんか?」

「もちろん。今から行きましょう」

「私は庭の寸法とか計測しておくからー」


 ディヤはメジャーや計測器っぽい物を庭に並べながら、こっちを見ようともせずに手だけ振っている。

 先に家の扉を開けて「八重姉、ディヤと岩朗さんがいるからね!」大声で忠告しておく。

 バタバタと慌てて走る足音に続いて、扉の閉まる音が二階から響いた。


「あ、あのご迷惑だったでしょうか?」

「いえ。ディヤから話は聞いていると思いますが、うちの姉は人付き合いが苦手でして。なので、二階の姉の部屋にだけは決して立ち入らないでください」

「わ、わかりました」


 そんなに強い口調で言ったつもりはなかったのだが、何故か少し怯えた表情で何度も頷いている。

 本当に見た目に反して繊細な人のようだ。

 ルーフバルコニーに繋がる扉を開け放つと、一気に新鮮な風が流れ込む。

 ここは日当たり風通しが最高で洗濯物を干すのに活用している。あとは不健康な生活をしている姉がたまに日光を浴びに来くるぐらいか。


「わあー、屋上が広ーい。景色が抜けていて素敵ですねー。最高じゃないですか」


 スキップをしながら屋上の隅に移動して、深呼吸をする大男。

 くっ、この人の妙な魅力に呑み込まれそうだっ! ……あとでチャンネル登録しておこう。


「屋上に家庭菜園を作るなら、ソーラーパネルはそっちに設置した方がいいですね」


 岩朗の視線の先を追うと、さっき俺達が出てきた扉の上部を見ていた。

 あー、そうか。階段上部のここなら邪魔にならないな。スペースも充分あるし。


「そうですね。そこだと、ありがたいかも」

「じゃあ、ちょっと登って確認してもいいですか?」

「はい、気をつけてください」


 扉の脇にあったハシゴを手慣れた動作で登っていく。

 下からはよく見えないので、俺も後に続いて屋上に移動する。

 ルーフバルコニーから二メートルぐらい高い位置だけど、周りにフェンスも何もないので高さ以上に怖い。

 そういや、ここには一度も登ったことがなかった。

 膝をついてあれこれ調べている大きな背中を眺めながら、邪魔をしないように見守っていると、不意に岩朗が振り向く。


「これなら簡単に設置できますよ」

「そうなんですか。こういうのって電気配線やらで結構な工事が必要なのかと身構えていたのですが」

「本来はそうですね。でも、元々ソーラーパネルを設置する予定だったみたいです。専用の接続口や取り付け用の金具も既にありますし」


 それは初耳だな。

 この別荘を手に入れて直ぐに両親が亡くなったから知らないだけで、元からそういう予定だったのか。

 なんにせよ、スムーズに事が運ぶならラッキーだ。

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