3月7日 ディヤ
昨日、我が家にたどり着いてからが慌ただしかった。
今後の予定を大幅に変更する必要もあったから様々な資料をネットで取り寄せ、もらった五百万を眺めニヤつく。
それを何度も繰り返していた。
現実味のない話としか思えないけど、この札束が嘘じゃないことを実感させてくれる。
一瞬、ほんの一瞬だけどこのままネコババしてもいいんじゃね? なんて邪な考えが頭をよぎったけど、これを元手に成功を収めた方がいいに決まっている、と自分自身を説得した。
だけど、札束の破壊力が半端ない。一万円札が五百枚重なることにより生み出された分厚さ重さ……たまんない。
大きく深呼吸をして、自分の頬を挟むようにして叩く。
気持ちを切り替えないと。
同じミーチューバーで電気工事士でもある知り合いに連絡を取り、ソーラーパネルの設置やその他の依頼もしておいた。
キャンピングカー制作時に電気の配線でお世話になった人なので、腕が確かなのは間違いない。
あっちも現場を見てから判断するそうだけど、陣の要望を踏まえて出来るだけ少人数でやる予定だ。
それから色々とやっているうちに日をまたぎ、息抜きにお気に入りのVtuberの放送を見終えた深夜三時には興奮も少し収まったので就寝した。
――で、昼前に目が覚めたのだけど。
「んー、今日も一日やる気出していくぞー」
ベッドの上で大の字に伸び、寝転んだままやれるストレッチをする。
これはアイドル時代からの習慣だ。慣れないダンスで体中がボロボロだったときに毎日やるように言われ、そこから継続して今に至った。
「陣のところに行くのは明日だから、それまでに忘れてることないかなー」
上半身を勢いよく起こし、ベッドから飛び出す。
化粧台の大きな鏡にはパジャマ姿の自分が映っている。
両手で自分の胸を持ち上げポーズを取る。うん、悪くない。
ピンクのもこもこしたパジャマがキャラとは違うけど、可愛い物が好きなのもギャップ萌えを狙える。……純粋に好きなだけだけどね。
パジャマを脱ぎ捨て、気合いを入れるためにミーチューバーとしての格好になる。
まずは溜め撮りしておいた動画の編集しておかないと。明日からは何かと忙しくなるし、一ヶ月の間は投稿出来る動画はほぼ撮れない。
「前の企画動画を三日に分けるとして、あとはどうしよっかな……」
ほぼ毎日投稿している状況で、一ヶ月近く投稿しないのは怖すぎる。
ネットの世界は人が集まりやすく、去りやすい。昔からの視聴者は残ってくれるだろうけど、そんなの半分にも満たない。どうにかして逃さないようにしないと。
そんなことを考えながら編集を終えると、もう夕方になっていた。
「昨日のうちに準備しておいてよかった。偉いぞ私!」
ベランダから見える沈んでいく夕日を眺めながら自画自賛をする。
熱中していたからすっかり忘れていたが、起きてから何も食べてない。
「陣が用意してくれたご飯美味しかったなー。サツマイモがたっぷり入った豚汁に食後のスイートポテトがまた格別で」
昨日のことを思い出すたびに、ぐーぐーとうるさいお腹をさすり、財布を手に取り家を出た。
正面から吹き付ける風が心地いい。
五階建てマンションの最上階なので風の通りもよく、夏以外は過ごしやすく気に入っている。
運動不足解消のためにエレベーターは使わず、階段を降りながら昨日のことを思い返していた。
「陣が金持ちなのも確か。家を要塞化してもいい。お姉さんには会えなかったのは残念だった。人見知りが激しいらしいから無理を言っちゃダメだよね」
誰にも聞こえない音量で呟く。
「二階建ての家も立派で築年数も浅い感じだったし、庭も広いし、立地も最高だし、羨ましい。……でも、どうやって稼いだんだろ。元からお金持ちだったのかな?」
以前、チャットで「なんでそんなに金持ってんの?」と直接訊ねたら「稼いだ」とだけ言われた。そこからははぐらかされて、詳しい話は聞けなかった。
一般的なサラリーマンがあの若さで手に入れるには不可能な物件。
となると、実家が金持ちとか……もしかして、犯罪とか怪しい商売……。
「いやいや、それはないない。……ないよね?」
階段を降りきって近くのラーメン屋に入ってからも妄想が止まらない。
陣はノリがよくて、ちょっと口の悪いところもあるけど、いつも通りに接してくれた。
……そう、怖いぐらいにいつも通り。あれだけの大金を渡して好き勝手にやらせるのだから、何かしらの見返りを要求してきてもおかしくない。
というか、普通そうでしょ?
というか、男ってエロいことを望むもんじゃないの?
というか、性欲ないの?
芸能界では、そういう人が山ほどいたのに。そりゃ真面目な人も大勢いたけど、下心ありありで迫るオッサンなんて見飽きたぐらい。
特に権力を持っている連中には多かった。なのに、陣はそういうことを一切言ってこなかった。警戒して覚悟していた自分がバカみたい。
「魅力的だと思うんだけどなぁ」
別に手を出して欲しかったわけじゃないが、いつもの調子だったのはちょっとむかつく。少しは動揺するとか見惚れろっての。
目の前に運ばれた丼の中に浮かぶチャーシューを箸で突く。
「じゃあ、なんで……」
自分の住む家を要塞化する。これが私と同じように動画配信者なら、まだ理解できる。実際、古い一軒家を購入してDIYする動画を投稿している人もいるぐらいだから。
……実は私もいずれはやろうと思っていた。
陣はお姉さんがテレビの防犯特集を真に受けて「日本も危ないからもっと防犯対策をしっかりした方がいい!」と言ってたから、なんて話をしていたけど……胡散臭すぎる。
金が有り余っていて、姉に甘いとしても説得力がない。でも、他に何の目的で家を要塞に改造しようなんて思う?
考えれば考えるほど、答えが出ない。
何かあるのは間違いない。金持ちの道楽にしたってこれはない。
家の守りを強固にする理由。ここが海外で治安の悪い地域ならわかる。日本からしてみれば過剰すぎる防犯体制の家も珍しくないから。
とすると――
「防犯を強化するわけがある?」
危ない筋の人に命を狙われる……のは妄想が過ぎるかな。
でもでも、そうだと仮定したら辻褄が合う。
危ない商売で儲けている。そういった方面の人から命を狙われている。だから、防犯意識が高すぎる。
「うわぁ、パーツがハマっちゃった」
証拠のないただの憶測だけど、ここまで見事に繋がってしまうと……。
無いとは思うけど、もしも、万が一にでも当たっていたら。
自分の最悪な未来を想像して背筋が寒くなる。
不信感を抱いたままやるのは気分も効率も悪い。
「ちゃんと調べた方がいいかも」
伸びすぎた麺をすすりながら、今後について思案した。
家に帰り、スマホの連絡帳から叔父の連絡先を探し出した。
「ほんっと、いい加減、買い換えてくれないかな」
未だにガラケーを使っている昭和生まれの叔父。パソコンは持っているくせに、スマホを使おうとしない。
仕事柄、スマホの方が絶対に便利なはずなのに。
電話のマークをタップしてからしばらくすると、
『ふああああー、もしもし』
あくび混じりの気だるそうな声が聞こえた。
「まだ寝るには早いんじゃない?」
『仮眠してただけだ。これから仕事なんだよ、浮気調査』
「興信所の仕事、お疲れさまー」
『探偵と言え、探偵と』
そこは譲れないらしく、少し強調している。
「だって、殆どの仕事が浮気調査なんでしょ? 事件がらみの仕事やったことあるの?」
『そりゃ……行方不明の探索とか怪しい男の身元調査とか窃盗事件もあったな』
「それって、迷い猫の捜索と結婚相手の身辺調査と万引き犯のやつだよね?」
「…………」
私が質問すると沈黙で答えた。
変なところで妙な意地を張らなければいいのに。
叔父とは昔から仲がよく、子供の頃は面倒を見てくれていた。
正義感が強く探偵に対して憧れがあったようで、望む通りの職業に就職できたまではよかったのだけど。
探偵業の中身はさっきも言った通り浮気調査がメインで、まれに他の仕事があるぐらい。それもテレビやアニメやマンガで憧れた殺人事件がらみの調査なんて皆無。
叔父の夢も希望も見事に打ち砕かれてしまったが、惰性で続けているそうだ。
「現実って残酷よねぇ」
『ほんとにな』
「『はあああぁ』」
夢破れた者たちのため息が重なった。
『でなんだ。からかうためにわざわざ電話してきたのか』
「可愛い姪から連絡来たんだから、もうちょっと嬉しそうにしてよ」
『はいはい、ウレシイナー』
うわー、心がまったくこもってない。
昔は明るくて覇気のある人だったのに。年月と苦い経験が叔父をこんなくたびれたオッサンにしてしまった。
「今日はお仕事の依頼」
『あっ、なるほど。彼氏の浮気調査か』
「彼氏なんていないし! そもそも、浮気するようなヤツ好きにならないっての」
『みんなそう思ってんだよ。自分の妻や恋人だけはそんなヤツじゃないってな』
仕事でそういった場面ばかりを見てきた叔父の言葉には妙な説得力がある。って感心してどうする私。
「あのね、ちょっとある人について調べて欲しいの」
『身元調査か。結婚詐欺にでも騙されたか?』
「なんで、そっち関係ばっかなの!?」
『若い頃にちやほやされたヤツはな、理想が膨らんで高望みするのが多いんだよ。お前は条件にぴったりだろ』
「そ、そんなことない……よ」
くっ、動揺してしまった。
確かに昔からモテてアイドルもやったから、ちょっと、ほんのすこーし恋人に求める条件が厳しいかもしれないけど。べ、別にみんなそうだし。まだ若いし。
『若いからって油断して気がついたら――』
「あーうるさい! 私のことはどうでもいいから、仕事の話しよ!」
「はいはい、痛いところを突いて悪かったよ。んで、身元調査って話だが……どういう相手だ」
叔父の声が最後だけ低くなる。
やっと仕事モードに入ってくれたようだ。
「えっとね、私の仕事がらみでお世話になる人なんだけど、ちょっと怪しいというか不思議なの」
『不思議? なんとも曖昧な』
「金持ちらしくて、大金を使って家を要塞みたいに改造してくれって頼まれて」
『要塞? 改造? 何言ってんだ?』
心底馬鹿にしている口調だが、そう言いたくなる気持ちは理解できる。
当の本人だって似たような気持ちだったのだから。
「それがマジなんだって。一千万自由に使っていいから、家を要塞風に改造してくれって言われたの。おまけにその作業を動画にして投稿していいって」
『なんだ、その物好きというか変わり者は。投稿ってことは、お前がミーチューバーとかいうのをやっているのも知ってるってことだよな。……わけわからんぞ。うううーん』
多くの人と接してきた叔父でさえも理解の及ぶ範疇ではなかったようで、スマホからは低い唸り声が聞こえる。
「やっぱ、どう考えてもおかしいよね? 金持ちの道楽にしたってやり過ぎだし、大金を使って家を要塞にするメリットが思いつかないの」
『その疑問はもっともだ。……よっし、その仕事受けよう。裏がありそうで面白そうじゃねえか』
叔父の声が珍しく楽しそうに弾んでいる。
今までの仕事とは違った内容にやる気を刺激されたのかな。
「さっすがー、叔父さん大好き!」
『でだ、依頼料なんだが』
「可愛い姪っ子からお金取るの?」
『当たり前だ。金が絡まない仕事は手抜きになるぞ。それでもいいなら構わんが』
うっ、そこまでチョロくはなかったみたい。
相場通りの金額を払う約束をして電話を切る。
陣に対する疑いはひとまず封印して、叔父からの連絡を待とう。
私は今やるべきことに集中しないと。
……この憶測がすべて杞憂だったら、それはそれでいい。叔父さんに払うお金はもったいないけど、裏があるよりいいよね。
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