3月6日    桜坂 陣

 吐き出す息が白い、早朝。

 畳の上に正座して、うつむき黙っている。


「一族の面汚しがっ」

「姉は我が一族の血を立派に受け継いだというのに、情けない」

「お前には何も期待していない」


 幼い俺に対し容赦のない罵詈雑言が降り注ぐ。

 大広間に集まった親戚や祖父母の冷たく見下した目。


「ジンを悪く言わないで!」


 隣で話を聞いていた姉が俺を抱きしめ、大声を張り上げる。


「八重は優しいのう」

「さすが、八重だ。慈悲の心も備わっておる」


 俺の時とは打って変わった優しい声。

 ちらっと横目で姉の顔を見ると、唇をかみしめ悔しそうに大人たちを睨んでいる。

 なんで怒っているのだろう。自分は褒められているのに。

 姉は俺の視線に気づいたのか、ハッとした顔で見つめ返してくると両肩に手を添えて、互いの額がつく距離まで近づける。


「あんな老害の言う事なんて無視して。ジンは自分の思うように生きていいんだから」

「お姉ちゃん」


 これは――夢だ。

 予知夢でもなんでもない、過去を夢に見ているだけ。

 何度も何度も嫌になるほど見てきた。

 ただの夢。

 

 


 

「おはよう。よく眠れたか?」


 一階の食卓を挟んで正面に座る彼女――ディヤに声を掛ける。


「ぐっすりよ! お風呂とトイレ貸してくれてありがとうねー。おまけに朝ご飯まで頂けるなんて。ありがたや、ありがたや」


 大げさな身振り手振りと、よく通る声で感謝を表現している。

 いつもなら姉が座っている席なのだが、今日は客人のディヤがそこにいた。

 人間不信の姉は絶賛引きこもり中だ。朝ご飯は既に部屋へ運んでいる。


「拝むのはやめい。でも、車中泊でよかったのか? 余っている部屋ならあったのに」

「ふふっふ、心配ご無用。私のワゴンはこの手で改良したキャンピングカー仕様だからね!」


 ウィンクをしながら立てた親指を自慢げに突きつけてくる。


「動画でも上げてたよな。……後でいいから、中を見学させてくれ」


 そのシリーズは全部観ていたので、実は生で見る車の内部に興味津々だったりする。


「いいですとも! むしろ、見て見て! 色々と説明や自慢したいから!」


 食卓に身を乗り出してぐいぐい迫ってきた。


「じゃあ、後でな。あっと、それと、今日はどうするんだ?」

「昨日、ある程度見積もったから、必要そうな道具を取ってきたり、材料の買い出し、知り合いへの連絡もあるから……一旦戻って、明日……明後日に戻ってくるってので構わない?」


 申し訳なさそうに手を合わせて、上目遣いでこっちを見ている。

 不覚にも一瞬、かわいいと思ってしまうぐらい様になっている仕草だった。


「了解。じゃあ、俺も色々やっておくか。そうだ、ついでに家の大掃除もやってしまおうか。軽トラ借りる予定だけど、そっちでも使うよな?」

「おっ、あったらすっごく便利かも」

「わかった、一ヶ月のレンタルしておくよ」

「きゃー、素敵! さすが陣様ぁ~」


 体をくねらせて喜んでいる。……動画外でもオーバーリアクションなのか。


「様付けはやめろっての。そうそう、先にこれを渡しておかないとな」


 俺は立ち上がり食器棚の引き戸を開け、中から半透明のビニール袋を取り出す。

 それを無造作に机の端に置く。


「んん? 何これ」


 ディヤ警戒しているのか、指で袋を突きながら不審な目を俺に向けている。


「開けていいよ」

「卑猥な物とか入ってないでしょうね?」

「なんでだよ。いいから、とっとと開けろ」


 絡んでくるディヤを面倒そうにあしらうと、恐る恐るだが袋を開けていく。


「何が入ってるのかなー。もしかして、お手製の漬物とか……はああああああっ⁉」


 上半身を仰け反らせ、絶叫に近い大声を上げるディヤ。

 そして、何度も瞬きしながら俺と袋を交互に凝視している。

 今日一番のリアクションだ。


「こっ、こっ、こっ、これええぇぇっ⁉」


 興奮しすぎて鶏のモノマネみたいになってるぞ。

 想像以上の反応を見せてくれたのが嬉しくて、ニヤニヤと笑って眺めておく。

 何度か深呼吸をして、ようやく落ち着いたのか袋の中をじっと見つめたまま動かない。


「ねえ、陣。あんた、正気?」

「約束しただろ。まずは半額を渡しておくよ」


 彼女の視線の先にあるのは無造作にビニール袋に放り込まれた五百万円。

 ……驚くのも無理はない。銀行に振り込まずに現金で渡したのは、それを狙ってやったことだし。


「はあああぁぁ。さっきまで、まだ半分ぐらい信用してなかったんだけど――だから、襲われないように車で寝たんだし……」


 小声で呟いた後半部分、聞こえているぞ。そんなこと考えていたのか。


「お金持ちなのも、要塞化も本気みたいね」

「そう言ったろ」

「金持ちの道楽って怖いわぁ。でも、うん。面白くなってきた! 改めて、喜んでやらしてもらう!」


 そう言って手を差し伸べてきたので、力強く握手を交わす。

 座り直すと袋から札束を取り出した。

 あんなに驚いていたというのに今は札束を数えている。


「こういうのはちゃんとしておかないとね。渡すのは領収書とレシートどっちがいい?」

「信用しているから、どっちでもいいよ」


 懐の深さを見せつけるような発言をしたのに、返ってきたのはジト目だった。


「人をそう簡単に信用するのはどうかと思う」


 冗談めかしているわけではなく、真剣な口調のディヤ。

 動画でもリアルでもお気楽なキャラを演出しているけど、実は酸いも甘いもかみ分けてきた人生なのかも。


「気をつけるようにするよ」

「でもでも、私を信じるってのは正解!」


 両腕で大きな丸を作って、満面の笑みを見せる。


「これだけあれば、ぐふふふふ。色んなことやれちゃうんじゃね?」


 実際にぐふふふ、なんて笑い方をする人を初めて見た。


「要望に応えてくれるなら自由に使ってくれていいよ。足りなくなったら言ってくれ」

「あのぅ、陣って……そのぉー、恋人いたりするぅ?」


 ころっと表情と態度を変えて上目遣いでこっちを見るな。

 口元に添えた両拳がわざとらしい。


「そこまで露骨だと、いっそ清々しいな」

「えーっ、何か勘違いしてるぅー。私はーいつも、ピュアピュアだぞぉー」

「やめろ、その間延びした話し方。ぞっとする」

「ちっ、童貞はこういう天然を装った女に弱いって聞いたことあったのに」

「やっぱ、金返せ」


 札束に手を伸ばすと、素早く上半身で覆い隠した。


「イヤよ! これはもう私の物なの! 絶対、誰にも渡さないわ!」

「まごうこと無き、俺の物だよ!」


 必死になって抵抗しやがる。

 端から奪う気は無かったので手を放すと、抱きかかえて「ふぅーっ‼」と威嚇するディヤ。猫かお前は。


「っと、これぐらいにしないと飯が冷える。いただきます」

「そうね、いっただっきまーす!」

 

 



「じゃあ、明後日には戻るからー。寂しいからって枕を涙で濡らさないでね」

「はいはい、気をつけてな」


 ディヤが乗った車に向けて手を振る。

 立ち去るときまで元気いっぱいだ。

 道路脇にいつまでも佇んでいるわけにもいかないので、目的の店へと徒歩で向かう。

 俺は帰るついでのディヤに我が家から少し離れた場所の駅前に運んでもらっていた。

 住んでいる場所は田舎で辺りには何もないのだが、ここには商業店舗が固まっているため買い物をするときに利用している。

 ここを除けば片道一時間ぐらいかかるショッピングモールに行くしかない。


「お世辞にも繁盛している、って感じはないけど」


 五年前に建て替えられた駅は小さいながらも綺麗で見栄えもいい。

 駅前にはコンビニ、商店街、飲食チェーン店、雑居ビルがいくつか。ここに密集しているだけあって、それなりに人通りがあって栄えている方だろう。

 というより、他に行く場所がない。

 ぼーっと周辺の景色を眺めながら、通い慣れた商店街に入っていく。

 それなりの幅がある道を挟むように両脇に店が並んでいる。

 半分ぐらいはシャッターが降りたまま閉店している状況には、もの悲しさを感じてしまう。

 ここから少し離れた場所とはいえ、大型ショッピングモールが出来てから一気に店が潰れた。


「寂れたよな」


 お気に入りの和菓子屋が閉店したときが一番ショックで、それ以来ショッピングモールを敵と見なし、意地でも行かないことを決めた。


「もうちょっと繁盛して欲しい……って、一ヶ月後のことを考えると、どうでもいいことか」


 あれが現実になったら商売どころの話ではない。

 シャッターはすべて降りて全員が引きこもるか、ゾンビに荒らされて見るも無惨なことになるか。


「おや、どうしたそんな暗い顔して。コロッケ揚げたてどう?」


 掛けられた声に反応して、地面に向いていた顔を上げると、肉屋のおばちゃんがいつもの笑顔で俺を見ていた。

 少しふくよかな体格と気の良さが前面に出ている顔付き。

 この人も一ヶ月後には、どうなっているのか……。


「旨そうだけど、後で買うよ。今日は先に済ませたい用事があって」

「あら、そうなの。しゃぶしゃぶ用のいい肉も入ってるからねー」


 立ち去る背中に向けられた大声に対し、軽く手を振って応える。

 閉じたシャッターの比率が高い商店街を奥まで進むと、目的の店に到着した。

 その店は商店街の端にあり、そこを通り過ぎると道路に繋がっている。その立地を活かして隣には大きな駐車場を完備していた。

 そこには磨き上げられた車が何台も並んでいる。

 商売道具なだけあって整備も万全。さすがはレンタカー屋だ。

 全面ガラス張りの店内を覗き込むと、スーツを着た小太りの男性と眼鏡をかけた女性の二人の姿が見える。

 内装は事務机のセットが二つ。ガラスのテーブルにソファーのセット。入り口付近に観賞植物。後はパンフレットの入った棚が壁際に並んでいるぐらい。

 綺麗に掃除はしているが商売っ気を感じられない店構えはいつものこと。


「すみません、車を借りたいのですが」

「いらっしゃいませ! おや、桜坂様ではありませんか。いつも、ありがとうございます」


 ついさっきまで不機嫌な顔で事務仕事をしていたのを微塵も感じさせない、理想的な営業スマイルで俺に向き直る女店員。

 男の店員も俺を見ると深々と頭を下げる。


「今回はどのような車をお探しですか? 以前、ご利用になられたEV車の新しいのが先日――」


 ぐいぐいと迫ってくる店員を手で制しておく。

 椅子に座るように促されたので、ソファーに腰を下ろすと目の前にお茶と高級菓子がおかれた。男の店員が素早く用意してくれたようだ。

 俺は月に最低でも二回、レンタカーを利用しているので常連扱いをされている。

 ここでいつも借りる理由は――家に車がないから。

 あんな交通の便が悪いところで車がないと不便極まりないと思われがちだが、自転車とバイクがあるので十分。

 姉は引きこもりで家から出ないし、ちょっとした買い物ならバイクで事足りる。


 それに普通のバイクじゃないからなうちのは。三輪でデリバリーのピザ屋でよく使っている、屋根付きで後ろに荷物も詰める代物だ。

 車がないもう一つの理由は――あの事故以来、姉は車が苦手になったから。

 今のご時世、ネット通販を使えば大抵の物は手に入る。

 とはいえ、正直に言えば不便に感じるときはある。なので、月に数回だけ大量に買いだめする時はここを利用している。


「今回は軽トラを貸して欲しくて。あと、重機とかもあります?」

「軽トラはいくつか取りそろえていますが、重機……。それはダンプカーとかでしょうか?」


 俺の質問に意表を突かれたのか、一瞬だけ真顔になる店員。


「そうですね。ショベルカーとかがあると助かります。本格的に家の周りや庭をいじることになって」

「なるほど、なるほど。我が社は手広くやっていますので、ご用意は出来ます。が、僭越ながら免許や資格はお持ちでしょうか?」


 まあ、当然ながらそこは訊いてくるよな。


「私は持っていないのですが、手伝ってくれる友人が所有しています。必要であれば、後日友人も連れてきますので」


 ディヤが資格を持っているのは把握済み。というか、免許を取りに行く動画も投稿していたし、実際に動かしているのも観た。


「それなら安心です。軽トラの方は今すぐにご用意出来ますが、重機となると明後日以降になると思います」

「それで結構です。明後日に家の方まで届けてもらっても構いませんか。あと、軽トラの方は今から乗って帰りたいので」


 そこからの打ち合わせはスムーズに進み、俺は白の軽トラを借りることとなった。

 一ヶ月の長期レンタルを伝えると、いつも以上に愛想よく送り出してくれた。……あの笑顔は営業スマイルを超えていたと断言できる。





「こんなもんかな?」


 ホームセンターに立ち寄り、作業に必要な道具を一通り買いそろえた。それに加えて家庭菜園に必要な物も。

 もちろん、事前にディヤと打ち合わせして必須な物はメモしている。

 シャベルは頑丈で一番品質の良さそうな物を買っておいた。姉の観ていたゾンビ作品の映画やゲームで活躍の場が多かったから。

 そういや、シャベルとスコップは日本の西と東で呼び名が変わるらしい。という、どうでもいい豆知識をふと思い出した。

 ゾンビがあふれ出したらクイズ番組で得たこういう知識は、なんの役にも立たない世界になるのだろうか。

 ……少しだけ胸が痛んだ。

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