3月16日    桜坂 陣

「はい、ぺったんぺったん」


 ディヤは歌うようにリズムを取りながら、ヘラを上から押しつけている。


「はい、そこも一緒に! ぺったんぺったん」


 少し離れた場所で働いていた俺にも強要してきた。


「……ぺったん、ぺったん」

「ノリが悪い! 単純作業ほど楽しくやらないと!」

「その意見には同意したいけど、そもそもこれって何が目的でやってんだ?」


 言われるがままに手伝っていたが、この行為の意味がわからん。

 俺は今、我が家をぐるっと囲む木枠の上にしゃがみ、コテを使ってコンクリートをならしている。


「まさか、内側がこうなっているなんてな」


 外壁が木枠になっていて、そこにコンクリートを流し込んだのには驚いた。

 ディヤの説明によると、この壁は元々そういう意図で作られたものらしい。

 言われてみれば木枠の中に鉄筋が入っているのも不自然だし、外壁の上部がいとも簡単に外れたのも、それが蓋に過ぎなかったという証明にもなる。

 ソーラーパネルもシャッターもすべて予め設置する計画だったけど「予算不足か何かの都合で後回しにして、そのままになっていたんじゃない」というのがディヤと岩朗さんの見解だ。

 ……事故死する未来なんて誰にも予想できないよな。

 死んだ両親に思いを馳せ空を見上げる。そこには雲一つ無い青空があった。


「こうやってコンクリートをならすことで表面が綺麗になるでしょ」


 手が止まっていた俺に向けてディヤが話しかけてきた。

 一瞬なんのことかわからなかったが、今やっているこれについてか。


「表面ね。どうでもよくないか?」

「やるなら、キチンと最後までやらないと! 見栄えは大事よ、動画的にも!」


 コテを振り上げ、決めポーズをしている。

 ディヤは設置している録画中のスマホをちらっと横目でチェックして、露骨に顔をしかめた。

 納得がいかなかったのか、ポーズを少し変えてもう一度同じ台詞を叫ぶ。

 ……これがディヤのやる気に繋がるなら大人しく従おう。


「でも、よくこんな大量のコンクリート手配できたな」


 コンクリートミキサー車を持って来たのは流石に予想外だった。それも自ら運転して。


「すっごいでしょ! もっと褒めちぎって賞賛していいのよ? もちろん、大型免許も持ってるからね!」


 DIY系動画配信者なんてやめて、普通に働いた方が儲かるんじゃないのか? という疑問が口から出そうになったがギリギリで抑えた。

 こうやって助かっている現状があるのだから、俺がとやかく言うことじゃない。


「と、全部自分の手柄にしたいところだけど、手配をしてくれたのは岩朗なの。ああ見えて顔が広いからねー」

「あー、納得した」


 人当たりの良さと他人を不快にさせない態度。それでいて気遣いもバッチリ。

 岩朗さんなら、これぐらいのツテがあって当然とすら思えてしまう。


「そういや、岩朗さんは今日こっちに戻る予定だったよな」

「そうなんだけど、昨日の夜から連絡が取れないのよ。何してんだか」

「別の用事があるとか言ってたからな。手伝ってもらう側としては急かすのもなんだし」

「うーん。でも、遅れるなら事前に連絡を入れるはずなんだけど。おっかしいな」


 岩朗さんの性格だと、そういうところはキッチリしている印象がある。

 報告や連絡を怠るタイプには思えない。そんな暇も無いぐらい忙しいのか?


「連絡が来たらすぐに教えるね」

「よろしく」


 そこからはディヤの「ぺったんぺったん」をBGMに外壁の作業を続けた。

 




「うっひょー。まさか、こんな豪勢なお昼ご飯がいただけるとは!」


 テンションが上がりっぱなしのディヤは、動画投稿用のビデオカメラも取り出して食事風景を撮影している。

 庭の中心に置かれたのはバーベキュー道具一式。

 炭火で焼くタイプのコンロの上に金網。そこには肉、野菜、貝が並べられている。


「ねえねえ、この肉お高いんじゃないの? めっちゃ刺しが入っているんだけど!」

「A5ランクの宮崎牛だから、そりゃもう」

「マジっすか! いやー、岩朗も間に合ってたらご相伴にあずかれたのにー。でもっ、岩朗の分まで私が美味しくいただいてあげるから安心して!」


 よだれを拭う素振りを見せながら、遠い空に向かって自分に都合の良いことを誓っている。

 この食材は二人へのお礼を兼ねたご馳走で、岩朗さんは見た目通り大食いだろうと予想して多めに仕入れたんだが、未だに連絡すら無い。

 トングで肉と野菜をひっくり返しながらも、そのことが気になってしまう。


「なあ、岩朗さん事故とかじゃないよな?」

「ほっへふんはひほう」


 ディヤは頬が膨らむぐらいの肉を頬張りながら返事をしたが、何を言っているのか理解不能だ。

 しっかし、凄まじい食いっぷりだ。この勢いだと一人でも平らげられるんじゃないか?

 少し心配になったので、奪われる前に焼けた肉と野菜を皿に盛っていく。


「ちょっと、取り過ぎなんじゃないの!?」

「これは八重姉のだよ」

「なら、オッケー」


 目ざとく噛みついてきたディヤだったが、姉の分だと聞いてあっさりと引いた。

 今は次の獲物を逃すまいと目を輝かせて肉を睨みつけている。


「野菜も食うんだぞ」


 無駄な忠告とはわかりながらも一応言っておく。

 頭を上下に振ってはいるが、目は肉だけを捉えている。

 俺は肉と野菜の載った皿を持って、庭に繋がる大きな窓から室内へと入っていく。

 リビングを抜けて、庭からは死角になって見えないテーブル隅の席に座っている姉へ皿を差し出す。


「ごめんね、ジンちゃん」

「いいって。ほら、熱いうちに食べて」


 伏し目がちな姉が謝罪の言葉を口にする。

 本当は自分の部屋から出たくもなかったはず。それなのに頑張ってここまで来てくれただけでも進歩だ。

 ディヤにも姉がここに居ることは伝えているので、間違っても家の中に入ってくることはない。

 さっきからテンション高めに大声を張り上げているのは、少しでも楽しい雰囲気が姉に届くようにという彼女なりの気遣い……なのかもしれない。


「ねえ、ねえ、肉焦げちゃいそうだから全部いただくわよ! いいよね? オッケー!」


 考えすぎかな?


「何も言ってねえよ!」


 都合良く自己完結したディヤを止めるべく、庭へと急ぐ。


「ふふっ、面白い子ね」


 後ろから聞こえた姉の嬉しそうな声に頬が緩む。

 他人と接することは無理だとしても、この空気感を一緒に味わって欲しい。


「こら、肉ばっか食うな! 野菜も食え! ほらサツマイモが最高の焼け具合だぞ」

「サツマイモはもういいって! 一日に何食出てくるのよ!」

「何言ってんだ。毎食サツマイモなんてハッピーパラダイスだろ?」

「どうかしてるんじゃないの!?」


 ディヤと言い合いをしている最中に「もっと言ってやって」という囁くような小さな声が聞こえた気がしたけど気のせいだ。





 満足のいった食後は作業効率がかなり上がり、順調すぎるぐらいのペースで進んだ。

 三日は覚悟していた外壁のコンクリート詰めは日が落ちる直前になんとか終了。

 二人揃って汚れたので先に風呂を譲り、自分の順番になったのでのんびり湯船につかっている。

 我が家の風呂は脚が伸ばせるゆったりサイズで、元から風呂好きだった俺はこの家に引っ越してから入浴時間が更に延びた。

 今日はお気に入りの入浴剤を放り込んだから、長湯になるのは確定だ。


「ふううぅぅぅ。たまんないなぁー」


 全身を伸ばして肩どころか顎先まで体を沈めるのが最高。

 今のところ順調に事が運んでいる。外壁のコンクリートが乾けば防衛力が格段に上がる。

 まさか、木の壁がコンクリートの枠組みだったとは思いもしなかったけど、そのおかげで楽な作業となった。

 元々の計画は塀を壊すか外側に鉄の柵を置いて二重にする計画だった。

 だけど、コンクリートの壁があればゾンビに襲われることになっても心強い防壁となってくれる。


「あと、やるべきことは……食料はある程度は揃っているし、注文している他のも二、三日中には届く、と。日常品や電化製品の予備もいけたよな。医薬品もあるし」


 指折り数えて確認する。

 何度もやっていることだけど用心するに越したことはない。

 防衛の面では最低限の備えは完成しつつある。この調子なら四月までには余裕で間に合う。


「ゾンビ関連のニュースで気になったのがいくつかあったけど」


 姉に情報収集を頼んでいた件は毎日まとめたデータをメールで届けてくれていた。

 家に居るのだから直接教えてくれたらいいのに、とは思ったがデータが残っている方が見返す際に便利なのは間違いない。

 気になったニュースの一つが、狂犬病に似た症状が日本や世界各地で発生しているそうだ。言葉が怪しくなり正気を失い、相手に噛みつこうとするらしい。

 そして、噛まれた者に症状が移る。


「どんぴしゃ、っぽいよな」


 数週間前から発生しているようなのだが、新たな伝染病かもしれないと危険視されているそうだ。

 何か他に関連性はないかと発生した地域を調べていると、妙な点に気づいてしまった。

 日本を中心にして円状に範囲が広まっている。そして日本と日本に近いアジアでの発症数が増えている。


「あー、知りたくなかったー」


 鼻下まで沈み、ぶくぶくと泡を吐く。

 情報が正しいなら発生源は日本、もしくは近隣の国とみるべき。

 ここまで広まっているなら、俺が今更どう足掻こうが根絶は不可能だろう。

 

 だけど、発生源を突き止め被害を抑えることは可能……かもしれない。

 ゾンビがウイルスならワクチンが存在して、それを手に入れれば助けられる命もある……かもしれない。

 呪いとかオカルト要素なら何かを退治をすれば解決する……かもしれない。


 かもしれない、ばかりで確定要素は何一つ無い。すべて憶測。

 それにオカルト系が原因だとしたら関わりたくない。ホラーが苦手とかではなく、生まれ故郷の集落のせいで悪いイメージしかないからだ。

 俺の行動が世界の命運を握るとしても積極的に動く気は無い。

 元よりヒーロー願望なんてないし、姉さえ無事でいてくれたらそれで。

 あとはディヤと……岩朗さんもかな。

 自分と関わりのある大切に思える人だけ助かればいい。冷たいようだけどこれが本心。


「大体、予知夢が見える程度の一般男性にどうしろと」


 姉は未だに俺への過剰な期待があるみたいだけど、どう足掻いたって無理だ。

 やはり当初の予定通り守りを固めて生き延びる。これだけを考える方が妥当。

 目標がぶれてどっちも叶わないのが最悪の未来。


「となると、いつディヤたちに打ち明けるか」


 今日の夕食時に切り出してみるのはどうだろうか。


「大事な話がある。実は四月になったら世界中にゾンビがあふれるんだ!」

「ふーん、すっごーい」


 ……冷たくあしらわれるか、スルーされるか、鼻で笑われる未来が見えた。

 何も考えずに行動したらこの通りになるだろうけど、実は説得する方法をいくつか考えてはいる。

 残り半月を切った今。打ち明けるには悪くないタイミング。


「ねえー、いつまで入ってんのー。ごーはーんーーー」


 そんな悩みを吹き飛ばす、ディヤの催促する声。

 姉にも晩ご飯持って行かないとな。もう少し風呂を楽しみたかったが仕方ない。


「直ぐに用意するよー」


 名残惜しいので最後に十まで数えてから勢いよく立ち上がった。





「さーて、そろそろ寝ますか」


 ディヤがコントローラーを置いて、両腕を大きく伸ばす。

 食後の対戦ゲームが予想以上に盛り上がってしまい、時計を確認するとあと数分で日をまたぐ時間。

 結局、予知夢の告白はしなかった。


「お姉さん強かったね!」

「ゲーマーだから」


 姉に完敗したディヤが褒めているが、素直に喜んでいいのやら。

 一緒に対戦ゲームをしていた姉はこの場に居ない。

 部屋からネット回線を繋いで対戦をしていた。これでも少しは歩み寄ったとみるべきだよな。


「今日も車中泊でいいのか?」

「もちのろん! 居心地の良い動く部屋だからねー。動画編集もしたいし」


 姉のこともあって遠慮しているのかと当初は思っていたが、どうやら本気で改装した車内が気に入っているようだ。


「じゃあ、また明――」


 ピンポーン。

 俺の言葉を遮るタイミングでドアフォンが鳴る。

 来客なんてあり得ない、この深夜に。

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